第十章:血の盟約
「そうだ、普通は別の騎士団に加入するには“選抜”を受ける必要があるんだ。」
ヴィエルはそう語った。彼自身もかつて選抜に参加し、優秀な成績でランスロット騎士団に選ばれた経歴がある。
「騎士団ごとに、平均的な戦力差ってものが存在するんだけど、うちの“ランスロット団”は上位に位置する実力派の団なんだ。」
そう補足するヴィエル。ランスロット騎士団の起源はアーサー王の時代まで遡り、ランスロットはアーサー王に最も信頼されていた部下であり、その高潔な精神――勇敢さ、強さ、人助けの心――は今もなお受け継がれているという。
ジャックは何か思い出したように、うなずいた。
「伝説で読んだことがある。ランスロットは騎士団の中でも最強で、誰よりも信頼できる存在だったって。」
「お、伝説に詳しいんだな。」
ヴィエルは笑顔を浮かべながら言った。
「うん……ちょっとそういうのが好きな隣人がいてさ。」
ジャックの脳裏に浮かんだのはシャーロットの姿だった。こういった伝説も、実は彼女から聞いたものが多い。普段は右から左に聞き流していたが、案外印象に残っていたのかもしれない。
「ほぉ~」
ヴィエルはニヤニヤしながらジャックを見た。その表情からは「全部お見通しだぞ」という意図がはっきりと伝わってくる。
その意地悪な笑みに、ジャックは思わず咳払いをしてごまかした。
「と、とにかく……選抜試験には出ないといけないんだよね?僕、本当に通れるのかな……?」
カールラは柔らかく微笑んで、ジャックに言った。
「大丈夫、ジャック。自分のできる限りを尽くして。でもその前に……ある儀式を受けてもらうわ。」
そう言って、三人はとある荘厳な鐘楼塔へと向かった。
その塔はロンドンのビッグ・ベンとはまるで異なり、雲を突き抜けるほど高く、威厳に満ちていた。巨大な文字盤のひとつひとつに、古代の神秘が宿っているようだった。塔内から響く鐘の音は、どこか荘厳で重厚だった。
カールラが手を差し出すと、それに呼応するように扉に時計のような魔法陣が浮かび上がった。
「さあ、入りなさい。」
三人が鐘楼の中へと足を踏み入れると、その内部の雰囲気と空間は、まるで幾千の歴史と物語を静かに語りかけてくるようだった。その荘厳さに、自然と背筋が伸びる。
この鐘楼は実に壮麗で、並べられた書物の一冊一冊から、古の力と深淵なる叡智が感じられた。
ジャックは目の前の光景に息を呑んだ。彼はこれまで鐘楼の中に入ったこともなければ、これほどまでに壮大な建築を目にしたこともなかった。
彼の頭には、ロンドンで見たビッグ・ベンの姿が思い浮かんだが、今そのイメージは完全に塗り替えられていた。
「驚いたかい?でもここはただの図書館さ。」ヴィエルがにこやかに言った。
「もう、からかわないでよ。あんたが初めて来たとき、地面に跪いて感動してたじゃない。」
カールラが横で茶化すように言うと、ヴィエルはその場で固まってしまった。
「あ、あれはだな……人類文化の奇跡に感動しただけだ!」
過去の自分の行動を思い出し、顔を赤らめながら弁解するヴィエル。
「時計塔は確かに、私たちハンターの図書館。でもね、実はそれだけじゃない。ここは私たちハンターの“目”であり、“脳”でもあるのよ。」
カールラが補足するように語った。
この時計塔には、数十世紀にも及ぶハンターたちの戦闘経験と魔術研究の記録が保管されている。その歴史を語り尽くそうとすれば、三日三晩語っても終わらないだろう。
カールラはジャックを連れて時計塔の三階へと向かった。
そこには、階の中央に不思議な魔法陣が刻まれており、符文が微かに光を放っていた。
その魔法陣からは過去と未来をつなぐ橋のような、どこか神聖で荘厳な気配が漂っていた。ジャックは思わず息を呑んだ。
「手を出して、ジャック。」
カールラの指示に従い、ジャックは手を差し出す。
彼の指先が目に見えない力によってスッと切れ、血がぽたぽたと魔法陣の中央に滴った。
血が符文へと染み込み、魔法陣が一段と強い光を放つ。
生命力が吸い込まれ、何かの力へと変換されていくような感覚――ジャックは戸惑いながらも、その場に立ち尽くしていた。
「この儀式は“歃血”と呼ばれるものよ。」
カールラが説明を続ける。
「血を法陣に捧げることで、君に最も適した魔術体系が顕現する。通常、魔術体系は生まれた時に与えられるものだけど、全員にあるとは限らない。この儀式は、君がその“何か”を与えられていたかどうかを確認するためのもの。」
魔法陣の輝きが徐々に薄れていき、代わりに深い闇のような黒が浮かび上がった。
――これは、“無属性”を意味する。
つまり、魔術体系を一切持たないということだ。
カールラはまるで予想通りというように頷く。こういった結果はこれまでに何度も見てきたのだ。
「ジャック、見ての通り、君には体系がない。この結果は変えられない。でも落ち込む必要はないわ。魔法が使えなくても、立派なハンターになった者はいくらでもいるから。」
その言葉に、ジャックは静かに頷いた。
思ったよりも落ち着いた様子で――いや、むしろ、それが彼の“望んでいた”結果だったのかもしれない。
「じゃあ、次の場所へ向かいましょう。レディ、ジェントルマン、しっかり掴まっててね。」
カールラはそう言うと、先ほどの魔法陣に手を触れた。
だが、今度は血を流すことなく、指先を軽く添えるだけだった。
彼女は小さな声で詠唱を始める。
「《Location, Lock, Teleport》
「へ?掴まるって、どこに――」
ジャックが言い終える前に、三人の身体は中央の魔法陣からふっと消えた。
青い粒子が空中に舞い上がり、やがて静かに床に降り注ぐ。
「うわっ――!」
ジャックは高空から勢いよく落下し、床に激しく叩きつけられた。
重たい音が鳴り響く。
ついさっきまで時計塔の中にいたはずなのに、次の瞬間には――
彼は、真っ白な大理石で造られた荘厳な殿堂の中にいた。
「……登場の仕方、なかなかユニークだな?」
ヴィエルがクスリと笑いながら、ジャックの腕を引いて起き上がらせた。
それを見たカールラが軽くため息をつきながら言う。
「だから言ったでしょ、ちゃんと掴まれって。でもまあ、初回なら仕方ないわね。
ヴィエルも最初の時は同じだったわよ?」
「カ、カールラ教官っ!その黒歴史は封印してって言ったじゃないですか!」
顔を真っ赤にしたヴィエルが抗議する。
新人時代の記憶は、彼にとってすでに忘れてしまいたい過去の一部らしい。
「――ここは『英雄殿堂』。
かつて語り継がれた伝説の英雄たちが眠る場所よ。
彼らに関するすべてが、この場所に記録されているわ。」
カールラの説明を聞きながら、ジャックは静かに辺りを見渡した。
殿堂全体には、不思議な“安心感”が満ちていた。
聖なる白が陽光に照らされ、眩しいほどの輝きを放っている。
天井を支える巨大な柱、荘厳なドーム、
壁一面に彫り込まれた精緻な浮彫と装飾。
高窓から差し込む光が、床に長い影を落としていた。
説明の続きを聞くよりも早く――
ジャックは一つの彫像に駆け寄った。
その像の人物は、彼にとって“見覚えのある”存在だった。
騎士の姿をした男――王冠を戴き、鎧を身にまとい、
一振りの剣を地面に突き立てるように構えていた。
その顔には威厳と気品があり、力強い瞳は前を見据えている。
精巧に彫られた鎧の装飾、筋骨隆々たる体、
どこを取っても“ただの像”とは思えないほどの気迫が込められていた。
――彼は夢の中で、何度も“この男”を見た。
像の前に立つジャックの心に、ある確信がよぎる。
それはまるで、あの時代の威光が目の前に甦ったような錯覚だった。
その光はしばらくの間、幽かに残りながら、徐々にその輝きを失っていった。
だが――
魔法陣は、まだ“終わって”いなかった。
中央の六芒星がさらに激しく輝き出す。
先ほどジャックが落とした血は、完全には消えていなかったのだ。
深く濃い黒が、その場所に再び現れる。
やがて、黒紫の霧が渦巻くように立ち昇り――その中から“何か”が形を成していく。
……それは、“眼”だった。
不気味に閉じられた眼球が、霧の中にぽつりと浮かんでいる。
その存在感は異様で、そこに“意思”が宿っているかのようだった。
そして、ジャックの気配が完全にこの空間から消え去ると同時に、
その眼は音もなく、塵となって霧の中へと消えていった。
まるで、最初から何もなかったかのように――。




