セシルの相談
いくら鈍感なセシルとはいえ、最近のエリスの態度には明確な違和感を覚えざるを得なかった。以前はどんなに忙しくても一緒にいてくれたエリスが、今ではどこか遠ざかるような素振りを見せるのだ。
ある日の昼休み、セシルはいつものようにエリスの隣に駆け寄った。そして、勢いよく問いかける。
「ねえ、エリス!最近私のこと避けてない?」
「えっ!?そんなことないわよ!」
エリスは一瞬で動揺したものの、すぐに笑顔を作り、きっぱりと否定する。しかし、セシルはその言葉に納得せず、じっとエリスを見つめた。
「だって、最近あんまり話してくれないし、一緒にいる時間も減ったし……」
「そ、それは忙しかっただけで……ほら、課題とか色々あったし!」
苦し紛れの言い訳をするエリス。だが、その答えを聞いたセシルは、むっと頬を膨らませた。
「ふーん、でも、他の人とは普通に話してるよね?」
エリスは内心で焦りつつも、なんとかこの場を切り抜けようとする。
「ほ、ほら、ディラン様やルーク様には頼まれたことがあって……」
するとセシルは、さらに追撃をかけるように問い詰めた。
「じゃあ私もエリスに頼み事してもいい?」
「え、えっと……今度ね!今度お願いして!」
「ほんとに?本当に今度やってくれる?」
セシルは疑わしげに目を細め、じりじりとエリスに詰め寄る。その迫力にエリスは思わず後ずさりする。
(こ、これはまずい……逃げ道がない……!)
「じゃあさ、今度一緒にお菓子作りしようよ!私、エリスと一緒に作りたいなぁってずっと思ってたんだ!」
そう言いながら無邪気に微笑むセシル。その笑顔にはただ純粋に「一緒にいたい」という気持ちが込められている。
(うっ……罪悪感が……!)
エリスは心の中で頭を抱えながら、なんとか笑顔を保つ。
「……わかったわ、今度ね。忙しくなくなったらで……」
「やったー!」
セシルは純粋に喜び、その場でぴょんと跳ねる。
「ごめん、ちょっと用があるから」
エリスは小声で呟くと、そそくさと教室を出ていった。
(やっぱり、最近冷たいよね……)
セシルはその場に立ち尽くし、ぼんやりとエリスの背中を見送った。普段なら気にせず流してしまうこともあるセシルだが、今回はどうにも引っかかる。
(前はもっと一緒にいてくれたのに……なんで急に忙しくなっちゃったんだろう?)
考えても答えは出ない。セシルは頬を膨らませて腕を組み、真剣に悩み始めた。いつもならエリスが何でも話してくれるから、こんなふうに考え込むことはなかった。
「うーん……どうしよう」
悩んだ末、ふとセシルの頭にある考えが浮かぶ。
(誰かに相談してみようかな?)
けれど、誰に相談すればいいのか――そこで真っ先に浮かんだのは、ルーク、ディラン、ルイスの三人だった。
(ルーク様なら気軽に話を聞いてくれそうだし、ディラン様は落ち着いてるから真面目に相談に乗ってくれそう。ルイス様は……なんだかんだで一番頼りになりそうな気がする)
そんなことを考えているうちに、少しだけ気持ちが軽くなったセシルは、にこりと笑った。
(よし、今度みんなに話を聞いてみよう!これでエリスともまた仲良くできるはず!)
何の疑いもなくそう思い込むセシル。その純粋さは微笑ましくもあり、エリスにとっては確実に波乱の種をまくものであった。
場所はいつもの図書室。静かな空気が流れ、数名の生徒が思い思いに本を読んでいる中、中央の席に座るルイスは優雅にページをめくっていた。
「ルイス様!」
突然の呼びかけに、ルイスは目を上げる。そこには勢いよく駆け寄ってくるセシルの姿。にこりと柔らかく微笑む彼に、一瞬その場の空気が和らいだように思える。
「どうしたんだい、セシルさん?そんなに慌てて」
その穏やかな声は、初夏のそよ風のように優しい――だが、それを聞いたセシルは何やら思い詰めた様子で椅子に腰を下ろした。
「実は……エリスのことなんですけど!」
「エリスさん?」
ルイスは静かに問い返す。セシルはその優しい声に一層真剣な顔つきになり、続けた。
「最近エリスが冷たいんです!忙しいって言って私から離れていくみたいで……なんか避けられてる気がするんですけど、どうしたらいいと思いますか?」
ルイスは「なるほど」と短く呟き、ふむ、と顎に手を当てた。そして、ゆっくりと視線をセシルに戻すと、優しい口調でこう言った。
「……それは、セシルさんが何か気づかぬうちに大きな罪を犯してしまった可能性が高いね」
「えっ!?」
セシルは目を丸くし、思わず椅子から立ち上がりかけた。
「わ、私、そんなひどいことした覚えは――」
「いや、そういうこともあるだろ?」ルイスは微笑む。
「無自覚な罪ほど厄介なものはないからね」
セシルは困惑したままルイスを見つめる。優しい笑顔を浮かべているはずなのに、どうにも彼の言葉には得体の知れない重みがある。
セシルは混乱しながらルイスを見つめた。
「わ、私……一体何をしてしまったんでしょうか……?」
まるで自分が国を傾かせるほどの罪を犯したかのような深刻な表情だ。だが、当のルイスは微笑みを浮かべたまま、まるで「よくあることだよ」とでも言わんばかりの落ち着きぶりである。
「そうだね、例えば――」
ルイスはゆっくりと椅子の背に体を預け、優雅に言葉を紡ぐ。
「セシルさんが気づかないうちにエリスさんの大事なものを踏んで壊したとか、間違って嫌がることをしたとか」
「そ、そんなことしてません!」
セシルは両手を振って全力で否定する。
「じゃあ、エリスさんの前で無意識に上級魔法を披露して『私、すごいでしょ?』って態度をとってしまったとか?」
「私にはそんな自慢したくてもできません!」
「知らないうちに『あ、エリスはこういうの苦手だもんね~』なんて上から目線で言ってしまったとか?」
「私の方がそういうこと言われてます!」
セシルの必死の反論を聞きながらも、ルイスは変わらずに微笑み続けている。その様子に、セシルはますます焦りを募らせた。
「そ、そんな怖いことばかり言わないでくださいよ……!私、本当に何も覚えがないんです!」
「うん、そうだね」
ルイスはにっこりと頷く。
「だから、そこが厄介なんだよ。無自覚だから本人にはわからない。それに、セシルさんは素直で善良だからね。悪意のない行動が思わぬ誤解を生んでしまうこともある」
「うぅ……そんなの困ります……どうしたらいいんでしょう……?」
セシルは今にも泣き出しそうな顔で言った。
ルイスは少し考える素振りを見せてから、軽く肩をすくめた。
「まあ、一番手っ取り早いのは、エリスさんに直接『私、何か悪いことしましたか?』って聞くことだね」
「前に聞いたけど、はぐらかされました!エリス、理由を教えてくれないんです」
「ふむ、では間接的に探った方が良さそうだね」
ルイスは穏やかな口調のまま続けた。「他の共通の知り合いに相談して原因を探ってみるとかは?」
その提案に、セシルは少し考え込み、やがて力強く頷いた。
「……そうですね!他のみんなにも話を聞いてみます!」
「うん、それがいいよ」
ルイスは穏やかな笑みを浮かべたまま優雅に本のページをめくる。
「はい!ありがとうございます、ルイス様!」
セシルはすっかり元気を取り戻し、図書室を飛び出していった。その背中を見送りながら、ルイスは微かに呟いた。
「……さて、波乱の予感だね」
その言葉は風に流れ、誰にも届くことはなかった。
夕暮れの中庭。セシルは一人、色とりどりの花が咲く小道を歩いていた。風が吹くたびに甘い香りが鼻をくすぐるが、そんなものを感じる余裕もないほど、彼女の心は沈んでいた。
どこか元気のない彼女の足音が、石畳の上で小さく響く。そのとき、前方から背筋を伸ばし、堂々と歩くディランの姿が現れた。
「ディラン様!」
セシルは思わず声をかけ、その場に足を止めた。ディランも彼女の存在に気づき、軽く視線を向ける。
「……どうした。そんな顔をして」
相変わらずの落ち着いた声音。しかし、その眼差しには微かな戸惑いが浮かんでいた。
「ディラン様……最近、エリスが私から離れようとしている気がするんです。理由を聞いても答えてくれなくて……私、どうして嫌われちゃったんでしょうか?」
ディランはその言葉に一瞬目を伏せた。普段冷静な彼も、こういった感情の問題には少々不器用だ。それでも何とか言葉を紡ごうとする。
「……エリスが、お前を嫌うとは思えないが」
「でも……」
セシルはうつむき、寂しげな声を漏らす。
「最近、本当に避けられてる気がするんです…」
その言葉を聞いたディランは、何かを考えるように一度目を閉じ、ふと静かに息をついた。
「…いくら仲がよくても、距離が変わることは時に必要なことだ。そして、それをすべて悪い方向に捉える必要はない」
「でも……それでも私は今まで通りがいいんです……エリスと一緒にいたいんです。どうしたらエリスはまた仲良くしてくれるんでしょうか」
その必死な訴えに、ディランはほんの少し口元を緩めた。そして、不器用ながらも真っ直ぐに彼女を見つめて言う。
「ならば、エリスを信じろ。お前が本当に大事なら、いずれ向こうから戻ってくるだろう」
セシルは少し考え込みながら、戸惑いの表情を浮かべた。
「でも……本当に戻ってきてくれるでしょうか」
ディランはわずかに目を細め、鋭い視線をセシルに向けた。そして、静かに告げる。
「信じるしかない。それでも不安なら……エリスのことは忘れてお前が今できることに専念しろ」
その言葉は冷たいようでいて、不思議と温かさを帯びていた。セシルはその真っ直ぐな瞳に見つめられている内に、胸の奥にぽっと灯がともるような感覚を覚えた。
「……ディラン様、ありがとうございます。私、もう少し頑張ってみます!」
ディランはそんな彼女を見て、少しだけ微笑んだ。
「……そうか、頑張れよ。お前が悩むのは、似合わないからな」
一時は晴れたと思っていた心のもやもやも、現実の冷たい風に吹かれて再び暗雲が立ち込め始める。
セシルは意を決してエリスに話しかけるが、その度にそっけなくかわされてばかりいた。
「エリス!今度一緒に――」
「ごめん、ちょっと急いでるの」
エリスはにっこりと笑って一言。それはまるで、相手を気遣っているようでいながら、実際には強固な壁を感じさせるものだった。
「あ……うん、そうなんだー、また今度ね……」
セシルの声はしぼんだ風船のように力を失い、その場に取り残される。目の前で遠ざかっていくエリスの後ろ姿を見つめながら、セシルはついに悟ってしまった。
(これ……完全に嫌われてる……!)
その瞬間、セシルの中で「世界終末レベル」の警報が鳴り響く。エリスに避けられる=自分の人生の終わり、くらいの勢いで深刻に捉えてしまうのがセシルなのだ。
(ディラン様、ルイス様に相談したときは少し元気が出たのに……結局全然ダメ……!)
部屋に戻ったセシルは、ふかふかのクッションに顔を埋めるようにして突っ伏していた。
「うぅ……もう私、どうすればいいの……このままじゃ、エリスとの友情が跡形もなく崩れちゃう……!」
まるで大国の未来を憂う女王のような深刻な口調。しかし、実際は誰もいない静かな部屋の片隅で、クッション相手に悶々と葛藤するその姿は、どこかおかしくも愛らしく映る。
(やっぱり、私に何か原因があるんだ……でも、それが何かわからない……!)
次の日もセシルは勇気を振り絞ってエリスに声をかけようとしたものの、エリスはまたも「ちょっと急いでるの」と軽やかに去っていった。
セシルはその場でがっくりと肩を落とし、深いため息をついた。
セシルにとっては深刻極まりない問題である。次に相談すべき相手を探しながら、セシルは歩き出した。
騎士訓練場に響く金属音が遠のき、夕暮れの静寂が広がる頃。長い一日の訓練を終え、少し気だるげにストレッチをしていたルークの耳にふと悲痛な声が届く。
「ねえ、ルーク様……どうして私はエリスに嫌われてしまったのでしょうか?」
その沈んだ声に、ルークは思わず目を見張った。普段は底抜けに明るいセシルが、まるで雨に濡れた子犬のような表情をしている。
ルークは少し困ったように頭をかき、周囲を見回すと、人気のない場所を見つけて手招きした。
「とりあえず、そこ座って話そっか」
セシルは言われるままに腰を下ろし、深いため息をつく。
ルークは額に浮かぶ汗を手早く拭うと、目の前でしょんぼりと肩を落とすセシルを見つめた。普段は底抜けに明るい彼女が、こうして落ち込んでいる姿は珍しい。
「セシルちゃん、まずは深呼吸しよっか。そんなに落ち込んだ顔してると可愛さが半減しちゃうよ?」
ルークは優しく微笑みながら言うが、その言葉に対するセシルの反応は鈍かった。普段なら笑って返してくれるのに、今日は違う。
「私……エリスに本当に嫌われてるのかもしれません」
セシルは不安げに地面を見つめ、ぽつりと呟いた。その言葉に、ルークはわずかに眉を寄せた。
「エリスが君を嫌うとか絶対ありえないって。だって、君のこと大事に思ってるの、見ていればわかるもん」
ルークはいつもの軽い調子で返すが、セシルの暗い表情は崩れない。
「でも……最近全然話してくれないし、避けられてる気がするんです。理由を聞いても教えてくれないし……ルーク様、何か知りませんか?」
その真剣な問いに、ルークは思わず軽口を挟むのをやめた。普段なら冗談で流せる話題だが、今のセシルを見ていると、そんな態度を取るのは違うと感じたのだ。彼は少し真剣な表情を作り、周囲を見渡す。
ルークは腕を組んで考え込む。
「うーん、確かに最近エリス、ちょっと様子が変だよな。でも、それで嫌われたとと思うのは気が早いんじゃない?」
「……でも、それならどうして避けるんでしょうか?」
セシルの瞳には真剣な悩みが宿っている。そんな彼女を前にして、ルークは軽口を挟むのをやめ、少しだけ真剣な口調で言った。
「うーん、もしかして……セシルちゃんが無自覚に何かやらかしたとか?」
「えっ!?そ、そんなことしてませんよ!?」
セシルは目を見開き、慌てて否定する。その反応があまりにも必死で、ルークは思わず吹き出しそうになったが、ぐっと堪えた。
「まあまあ、冗談だって。でもさ、もし本当に何も思い当たる節がないなら、エリスも何か理由があって距離を取ってるだけかもしれないよ」
「理由……?」
セシルは首を傾げる。
「うん。例えば、セシルちゃんのことを思ってのこととか。ほら、エリスって真面目だからさ。セシルちゃんに迷惑をかけたくないのかもよ。まあ、だからって勝手に距離取るのはどうかと思うけど」
その言葉を聞いたセシルは、ハッとした表情になった。
「……確かに、エリスってそういうところありますよね」
「そうそう。それに、もし本当に嫌われてたら、こんなふうに悩む前に何かしら言われてると思うよ?」
セシルはルークの言葉を反芻し、少しずつ表情を明るくしていった。
「……そうかもしれません。私、少し考えすぎていたのかも」
「うんうん、それでこそセシルちゃんだ。元気がないと君らしくないからね。よし、元気出して笑ってごらん。うん、可愛い!」
ルークの飄々とした言葉に、セシルは思わずくすっと笑ってしまう。先ほどまでの曇った気持ちが嘘のように晴れ、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。




