戸惑いステップ
ディランは無言のままエリスの手を軽く握り、そっとリードするように一歩踏み出す。その動きは滑らかで優雅で、まるでエリスの不安を全て吸い取ってしまうかのようだった。最初はぎこちなかったエリスも、ディランの確かなリードに少しずつリズムを合わせていく。
(……すごい、ディラン様、本当に上手……)
エリスは内心で感心しつつも、妙な緊張が抜けない。普段冷静でツンとした印象のあるディランが、こんなふうに優しくリードしてくれるのが新鮮すぎて、どうにも意識してしまう。
「……固いな」
ディランの声が静かに響く。
「えっ……」
エリスは思わず顔を上げると、ディランがほんの少しだけ眉を上げて見つめていた。
「緊張しすぎだ。もっと力を抜け」
「そ、それは無理ですよ!だって、こんな……こんな状況……」
エリスは目を逸らしながらぼそぼそと呟く。
ディランは一瞬だけ考え込むような表情を見せた後、ふっと小さく息をついた。
「さっきセシルは、素敵な思い出ができたと言っていただろう。お前もせっかくなら、楽しんでみたらどうだ?」
その言葉に、エリスは思わず言葉を詰まらせた。
(楽しむ……か。確かに、こういうのも乙女ゲームっぽい展開だし……いや、だからって私がヒロインになるわけじゃないんだけど!)
しかし、ディランの真剣な瞳を見つめていると、なんだかそれも悪くない気がしてきた。いや、むしろ良い。
「……じゃあ、少し力を抜いてみますね」
小さな声で答え、ディランに合わせて一歩踏み出すエリス。
(……推しと踊る、ってこんなに幸せなことなんだ……)
エリスは徐々に意識が変わっていくのを感じた。最初は硬くなっていた手足も、いつの間にかディランに合わせて自然に動いている。
視線を上げると、ディランの整った顔立ちがすぐ近くにある。
(やばい、冷静にならなきゃと思ってたけど……無理、無理!確かにこれ、一生の思い出になる!)
その様子を見ていたセシルは、楽しそうに微笑んでいた。
「エリス、すごく上手だよ!ね、ディラン様?」
「まずまずだな」
(まずまず……!?褒めてるのか褒めてないのか、どっちなの?)
エリスは内心で混乱しつつも、これがディランなりの評価だと納得するしかなかった。
「……ありがとうございました、ディラン様」
エリスは、照れくさそうに小さな声でお礼を言った。
ディランはその言葉に微かに頷き、「お前が意外と踊れることに驚いた」と真顔で言い放つ。
(意外とって何?褒めてるのかディスってるのか微妙なことばかり言うなあ)エリスは内心でそう思いつつも、「踊る練習はしていたので……」と小さく返事をする。
セシルがパチパチと手を叩きながら、「すごく良かったよ!ディラン様とも息ぴったりだったし、見てるこっちまで楽しくなっちゃった!」と無邪気に褒める。
「そ、そう?ありがとう、セシル……」
エリスはセシルの言葉に微笑みながらも、内心では(息ぴったりかな…緊張でガチガチだったけど…)と冷や汗をかいていた。
そんなエリスの葛藤を知ってか知らずか、セシルはさらに続けて言った。「ディラン様はエリスと踊ってみてどうでした?やっぱり楽しめましたか?」
ディランは少し考え込むように視線を落とす。
「……まあ、つまらなくはなかった」
(……この評価、喜んでいいの?)
セシルはそんなやり取りを見て、さらにニコニコしながら言った。
「じゃあ、これからもエリスはディラン様と踊れるように練習頑張らなきゃね!」
「…いやいや!ディラン様は忙しいんだから踊ってくれるわけ…」
「次に機会があれば、また相手をしてやる」
ディランは淡々と告げた。
「……え?」
エリスは固まった。
(また相手をしてやるって……え?本当に?)
そんなエリスの心情などお構いなしに、セシルは「それ、約束ですよ!」と明るく笑って宣言した。
ディランがふと腕時計に視線を落とし、静かに口を開いた。
「ところで、もう10時を過ぎているぞ。お前たち、寮に戻る時間は大丈夫なのか?」
その言葉に、エリスはハッと我に返り、自分の時計を慌てて確認する。
(しまった、もうこんな時間!?)
焦りの色を浮かべるエリスとは対照的に、セシルは相変わらずのんびりとした様子で微笑んだ。
「あ、本当ですね。結構遅くなっちゃいましたね〜。でも、私たちまだ大丈夫だよね、エリス?」
「いや、大丈夫じゃないから! そろそろ帰ろう、明日も授業があるし!」
エリスが半ば必死に言う中、ディランがさらりと提案する。
「送っていこうか?」
「いいんですか? お願いします!」
セシルが満面の笑みで言う。
ディランは変わらぬ無表情のまま、淡々と告げた。
「なら、行くぞ」
その言葉を最後に、ディランとセシルはさっさと先に歩き出してしまう。エリスは慌てて二人を追いかけた。
寮へ向かう途中、静かな夜道には涼やかな風が吹き抜け、街灯の淡い光が三人の影を長くぼんやりと映し出していた。
エリスはどこか落ち着かない気持ちで歩きながら、心の中で小さくつぶやく。
(まさかディラン様に寮まで送ってもらうなんて……なんだか緊張するな)
何気なく横目でちらりと見ると、ディランは変わらぬ無表情のまま、淡々とした足取りで歩いている。
一方、セシルはというと、夜風に揺れる木々を見上げながら、無邪気な笑顔を浮かべている。
「わぁ、夜の風って気持ちいいね〜!」
その屈託のない明るさは、緊張気味のエリスとは対照的だ。
「……セシル、夜だし、もう少し静かに歩こう?」
エリスは軽く釘を刺すように声をかけたが、その内心では(これで少しでも緊張感が和らげばいいんだけど)と密かに願っていた。
そんな折、不意に前方から足音が近づいてくる。一人の上級貴族の男子生徒が急ぎ足で現れ、ディランの前で立ち止まると、恭しく頭を下げた。
「ディラン様、お時間を頂きたいのですが……」
その丁寧な物腰に、ディランはわずかに立ち止まり、エリスとセシルへ視線を向ける。
「少し急用が入った。ここからはお前たちだけで戻れるな?」
「も、もちろんです!」
「なら、気をつけて帰れ」
ディランはそれだけを淡々と告げると、上級貴族の生徒とともに足早にその場を離れていった。
残されたのは、夜風に揺れる木々の音だけが響く静かな道と、ぽつんと立ち尽くすエリスとセシルの二人。
「なんだか急だったね~」
セシルは特に気にする様子もなく、相変わらずのんびりとした口調で呟き、そのまま歩き出す。
エリスはため息をひとつつきながら、少し遅れてその後を追った。夜道の静寂が、どこか心の奥まで染み渡るようだった。




