揺れる感情と友情
その日の放課後、エリスは一人で中庭へと足を運んでいた。昼間に耳にした数々の噂や、セシルとのやり取りが頭の中で渦を巻き、どうしても心が落ち着かなかったのだ。
薄暮に包まれた中庭は、日中の賑わいが嘘のように静まり返り、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。柔らかな風が木々の間を通り抜け、かすかな葉擦れの音が耳に心地よく響く。
(はぁ……なんでこんなことになっているんだろう)
エリスはベンチに腰を下ろし、ふっと小さくため息をついた。本来なら私はただのモブキャラだったはず。推しであるディランと、ヒロインであるセシルが幸せになれるよう、影からそっと見守るだけの存在――そのはずだったのに。
そんな思考に沈んでいると、不意に足音が近づいてくるのが聞こえた。反射的に顔を上げると、そこに立っていたのは――ディランだった。
「……ディラン様?」
驚きの声が思わず漏れる。ディランは足を止め、少し険しい表情でエリスを見つめていた。鋭いその視線に、エリスの胸が不意に高鳴る。
「最近、ずいぶん目立っているな」
低く落ち着いた声が、静寂の中庭に響く。
「え、いや、そんなつもりは……」
慌てて否定するエリス。しかしディランは彼女の言葉を遮るように続けた。
「お前のつもりはどうあれ、現実としてお前に向けられている視線は確かに増えている。それに伴って、余計な連中が絡んでくる可能性も高くなる」
淡々とした口調。それなのに、どこかにじみ出る優しさがある。そのさりげない気遣いに、エリスの心はさらに揺れる。
「……でも、それは私の問題であって、ディラン様には関係ありませんから」
できるだけ冷静を装おうとするエリス。しかし、ディランは眉をひそめ、毅然とした口調で言い放った。
「気にするな。俺がいる限り、誰もお前には手出しさせない」
その一言が、エリスの胸に深く突き刺さる。心臓が跳ね上がり、顔が熱くなるのを感じた。どうしよう、この破壊力。ゲームの中ならイベントCGが差し込まれてもおかしくないレベルだ。
(ま、待って! こんな時にときめいてる場合じゃない! 私はモブ、私はモブキャラなんだから!)
必死に自分に言い聞かせるエリス。しかし、ドキドキは止まらない。
「で、でも……私はディラン様に守られるほどの存在じゃありませんし……」
ぎこちない笑みを浮かべながら、なんとか取り繕おうとする。しかしディランは明らかに不満げな表情で、眉間にしわを寄せた。
「お前、自分を卑下しすぎだ。少なくとも俺にとって、お前は気にする価値のある相手だ」
「え、えええ!? な、なぜですか!? 私なんて、ただの……」
「ただの、何だ?」
その真剣な瞳に射抜かれ、エリスは言葉を失った。深く澄んだ瞳に見つめられるたび、心の中で築いてきた「モブキャラ」という壁が脆く崩れていく。
(だ、ダメだってば! これは本来、セシルが攻略されるべきイベントなのに、なんで私がこんなことに!?)
心の中でパニックを起こしながらも、エリスはどうにか冷静を保とうとした。
「ディラン様、あの……お気遣いはありがたいですけど、私は本当に平気ですから!」
精一杯の笑顔を浮かべてそう言ったものの、ディランは全く納得していない様子だった。そして一歩、エリスに近づく。
「何かあれば、すぐに言え」
その距離の近さに、エリスは思わず一歩後ずさる。けれどベンチが邪魔をして、それ以上引けなかった。
「わ、わかりました!ええっと、その……ありがとうございます!」
エリスは引きつった笑顔を浮かべながら、なんとかその場を取り繕う。するとディランは少し満足したようにうなずき、「それならいい」と言って、その場を去っていった。
ディランの背中が見えなくなると同時に、エリスは思わず大きく息を吐いた。
(な、何なの今の……どうしてこんな風に心配されてるの!?)
胸の高鳴りがまだ収まらない。ディランの優しさにときめきながらも、同時にこれは間違った感情だと自分を戒める。
(私の推しは、セシルと幸せになるべきなのに……私がこんな感情を抱くのは間違ってる……)
エリスはそう心の中で繰り返しつつも、完全に否定しきれない自分に気づいてしまった。
「はぁ……何やってるんだろ、私」
夕暮れに染まる中庭で、エリスは一人、自分の揺れる感情に悩み続けるのだった。
夜になり、寮の部屋でエリスはセシルと二人きりになっていた。窓の外には満天の星が瞬き、月明かりが静かに部屋を照らしている。エリスは机に向かいながら、今日あった出来事を思い返していた。クラリスからの嫌がらせ、謎の噂、そしてディランとの心揺さぶられるやり取り――。
(本当に今日は疲れた……でも、これくらいでへこたれてちゃダメだよね。)
エリスは心の中で自分を鼓舞する。そんな時、ベッドに座っていたセシルがぽつりと口を開いた。
「ねぇ、エリス」
「ん?どうしたの、セシル?」
「私、もっと頑張るね」
突然の宣言に、エリスは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。
「えっと、頑張るって……何を?」
「いろいろだよ!生活のこととか、授業のこととか……あと、もっと他の人とも仲良くできるようになりたいし」
セシルは拳をぎゅっと握りしめながら、真剣な表情で言った。その瞳には、今まで見たことのない決意の色が宿っている。
「私ね、今日エリスを見て思ったんだ。エリスは私を守ってくれてるのに、私は何もできてないなって」
「セシル……」
「だから、これからは私も自分の力で乗り越えていきたいんだ。エリスに頼りっぱなしじゃなくて、自分で頑張りたい」
セシルの言葉に、エリスの胸がじんわりと温かくなる。この子は本当に純粋だ。そしてその純粋さゆえに、エリスは何度も救われてきた。
「でもね、エリスがそばにいてくれると、やっぱり安心するんだ。だから、これからも見守っててほしいな」
そう言って、セシルは少し照れくさそうに笑った。その笑顔は、まるで太陽のように明るくて眩しい。
「……それは、私もだよ。私もセシルが傍にいてくれると安心できるんだ」
エリスは優しく微笑みながら答えた。本心では、セシルの言葉に感動して泣きそうだったが、ここは頼れる友人として笑顔で返すべきだと思った。
(セシルは成長しようとしているんだな……)
ふと窓の外に目を向けると、暗い夜空に無数の星が輝いていた。それはまるで、セシルの未来を静かに照らしているかのようだった。
「ありがとう、エリス。私、絶対に成長するから!」
セシルは満面の笑みを浮かべて言った。その無邪気な笑顔に、エリスの心は温かく満たされる。
(私は推しのために動いているけど……セシルのこういうところに救われているのも事実なんだよね)
エリスはそんなことを思いながら、そっと胸に手を当てた。この世界に来てから、何度も自分に言い聞かせてきた。「私はただのモブだ」と。しかし、セシルのために、そして推しのために動く中で、いつしか自分の存在が少しずつ変わってきている気がする。
(ダメだ、欲を出しちゃいけない。私はあくまでモブであり、推しの幸せをサポートする存在。それ以上のことを望んではいけない)
自分にそう言い聞かせると、少しだけ気持ちが楽になった。
「エリス?」
「ん?どうしたの?」
「ありがとう、エリスがいてくれて本当に助かってる」
セシルは真剣な瞳でそう言った。その言葉に、エリスは思わず泣きそうになる。
「そんな大げさな……私は大したことは何もしてないよ。」
「それでも、エリスがそばにいてくれるだけで、私はすごく安心するんだよ」
エリスは照れくさくなり、軽く肩をすくめてみせた。
「そっか。じゃあ、これからもセシルのそばにいるよ」
エリスは自分でも驚くほど自然にそう言えた。セシルの純粋な言葉が、彼女の心を温かく包み込んでくれたからだ。
「よし、私、明日からもっと頑張るぞ!」
「うん、一緒に頑張ろう」
二人は微笑み合い、星空を見上げた。その夜、エリスは改めて自分の役割を心に誓った。セシルを守り、推しの幸せを見届ける。それが、この世界での自分の使命だと。
(この世界のシナリオを崩さないようにしなきゃ……そして、セシルも幸せになれるように私が頑張らなきゃ)
エリスは心の中で強く決意し、静かに目を閉じた。優しい星の光が、二人の友情を静かに見守っているようだった。




