クラリスの策略
朝の学園。いつも通りの静かな雰囲気が流れる中、エリスはいつもと少し違う空気を感じていた。廊下を歩くたびに、周囲からひそひそと囁かれる声。時折、こちらをちらっと見てはすぐに視線をそらす生徒たち。――どう見ても、何かが起きている。
(なんだろう、この感じ……?)
エリスは眉をひそめつつ、気にしないよう努めて前を向いた。しかし、背後から聞こえる小さな声は耳に入ってしまう。
「ねぇ、あの子が例のエリスじゃない?」
「ディラン様やルーク様に無理やり取り入ってるって話よ」
「王宮に迷惑をかけてる厄介者なんだって」
(厄介者……?私のこと?)
エリスは心の中で動揺しつつも、顔には出さないようにした。下手に反応すれば、噂が更に広がるだけだと思っていたからだ。
一方その頃、クラリスは取り巻きたちを従えて庭園に佇んでいた。朝の陽光を浴びて輝く華やかなドレスを優雅に揺らし、繊細なカップを指先で軽く傾ける。その唇には、紅茶の甘さとは対照的な冷たい笑みが浮かんでいた。
「これでいいわ。あんな小娘、すぐに孤立するはずよ」
紅茶を一口含むと、満足げに瞳を細める。計算された言葉が、じわじわと学園全体へと広がっていくのを確信しているかのようだった。
――そして、朝の教室。
エリスが静かに席に着いた瞬間、周囲から耳障りな囁き声が漏れ聞こえてきた。
「ねぇ、聞いた? エリスってディラン様とルーク様に媚びを売って取り入ってるんだって」
「しかも、体を使って籠絡したって噂よ」
「まぁ、不潔ですわ。そんな子、お二人から引き離すべきよ。ああ、汚らわしいこと」
その瞬間、エリスは椅子から転げ落ちそうになった。
(な、なにそのとんでもない噂!? 私、推しに触れたことすらないのに!?)
必死に冷静を装おうとするも、顔は引きつりっぱなしだ。さらに隣の席の生徒まで加わって噂話がヒートアップする。
「でも、あの子って本当に普通よね。もっと美しくて優れた方は他にいらっしゃるのに、なんであんな平凡な子がディラン様やルーク様と親しくできるのかしら?」
「何でも、怪しい商人から仕入れた媚薬を使って、夜な夜なお二人の寝所に忍び込んで仕掛けているらしいわよ」 「まぁ!そこまでして近づくなんて怖いわ!」
(怖いのはお前らの想像力だよ!)
エリスは内心で叫んだものの、変に反論するとさらに面倒なことになりそうなので、ぐっと堪えた。顔には出さずに教科書を開いて気を紛らせようとするが、耳を澄ませばさらに不可解な噂が聞こえてくる。
「昨日なんて、中庭で勝手に演説を始めて、王族の気分を味わってたらしいわよ」
「うそ、それって完全にヤバい子じゃん……」
(誰?そんな話を捏造したのは!?私、一言も演説なんてしてないから!)
冷静さを装うエリスの内心は、ツッコミの嵐だった。噂の内容はどれもこれも現実とかけ離れていて、真剣に反論する気力さえ奪われるレベルだ。
クラリスの策略は単純だが効果的だった。彼女の命令を受けた取り巻きたちは、学園中に「エリスはこの学園に迷惑をかける厄介者だ」という噂をばらまいていたのだ。名門貴族であるクラリスの影響力は絶大で、噂はあっという間に広がっていた。
昼休み、セシルが不思議そうに首をかしげながらエリスに声をかけた。
「ねぇエリス、今日はなんだかずっとみんながこっちを見てる気がするんだけど……」
その無垢な瞳に、エリスは一瞬だけ心が揺れる。しかし、すぐに微笑みを浮かべ、努めて明るい声で返した。
「気のせいじゃないかな?」
(セシルに余計な心配をさせるわけにはいかない。この子はヒロインなんだから、こんなことで気を取られちゃダメだもの)
そう自分に言い聞かせ、エリスは平静を装った。
――そして、翌日。
エリスが廊下を歩いていると、再び耳を疑うような噂が飛び込んできた。
「あの子、実は異世界から来た存在で、人の意識を乗っ取ることができるんですって」
「あら、さすがにそれは突拍子もなさすぎますわ」
(いや、ちょっと当たってる!)
心の中で思いきりツッコミを入れるエリス。しかし、顔には一切の動揺を見せず、淡々と足を速めてその場を離れる。
さらに別の場面では、驚くような噂が新たに学園中へと広がっていた。
「ねぇ、エリスって夜中に一人で中庭で怪しい儀式をしてるんだって」
「えっ、なにそれ!? 幽霊でも呼び出すつもりなのかしら」
「だって、この間見たのよ。夜中に何かを抱えて中庭をうろうろしてたんだから」
(それ、ただ中庭のベンチに置き忘れた本を取りに行っただけだよ!!)
噂の内容がどれもあまりに突拍子もなく、もはやどんな反応をすればいいのかすら分からない。呆れる気持ちすら追い越して、むしろ妙な達観さえ芽生えてくる。
これらの荒唐無稽な噂を流しているのが、クラリスとその取り巻きであることは火を見るより明らかだった。
(はぁ……本当に厄介なライバルキャラだなぁ。ゲームの中だけで活躍してくれればよかったのに……)
お昼休み、エリスは食堂でセシルと合流した。だが、いつも明るいセシルの顔には影が差している。
「ねぇエリス、今日変な噂を聞いたんだけど……」
「……やっぱり聞いちゃった?」
セシルは悔しそうな表情を見せた。
「エリスを悪く言うなんて許せないよ!エリスはそんな人じゃないのに…」
セシルは目にうっすら涙を浮かべながらエリスの手をぎゅっと握る。その純粋な言葉に、エリスは思わず胸が締め付けられた。
(この子は私のためにこんなに真剣に悔しがってくれてるんだ……)
「ありがとう、セシル。でもね、大丈夫。噂なんて信じる人より、わかってくれる人の方が大事だから」
「でも、私、何もしないで黙ってるなんて嫌だよ!エリスを守るって決めたの!」
「いやいや、セシルが出てくると余計な騒動になるから!ここは私が冷静に対処するから!」
エリスは慌ててセシルをなだめた。「大丈夫だって。噂なんてすぐ消えるから。どうせしばらくしたらみんな飽きるんだし」
「そうかな……そうだといいな…でも、エリスは本当に強いね。私だったら泣いちゃうかもしれないのに……」
「泣かない泣かない。ほら、セシルは笑顔の方が可愛いんだから」
エリスはセシルの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
セシルは少し戸惑いながらも、やがて明るく笑った。
セシルの笑顔を見て、よし、これで今日も一日頑張れそうだと静かに息を吐いた。
そして改めて心に誓った。クラリスに負けてたまるか!と。




