思わせぶり
朝早くの学園は、まだ人影もまばらで静寂に包まれていた。涼やかな風が木々の間を通り抜け、葉擦れの音が心地よく響く。しかし、そんな爽やかな景色を感じる余裕もなく、エリスは小走りで石畳を駆けていた。
「はぁ……まさか早朝の掃除当番を忘れてたなんて……。なんで私がこんな時間に一人で働かないといけないのよ」
独り言をこぼしながらも、足は止めない。
その時――
「おはよう、エリス」
背後から聞こえてきた聞き慣れた明るい声に、エリスはビクリと肩を震わせた。慌てて振り返ると、そこには爽やかな笑顔を浮かべたルークが立っていた。
(な、なんでここにルーク?)
心の中で叫びつつも、エリスはどうにか平静を装う。
「お、おはようございます、ルーク様。え、えっと……どうしてこんな時間に?」
軽く息を整えながら問いかける。
「ん? 朝の鍛錬を終えて帰るところだよ。それより、君こそずいぶん早起きだね。何かあったの?」
ルークは首をかしげ、興味深そうにエリスを見つめる。
「もしかして、俺に会いに来たとか?」
「そんなわけないじゃないですか!私は早朝の掃除当番を終えて、これからセシルを迎えに寮へ向かっているだけで――」
「ふーん、じゃあ偶然ってことだね。でも偶然にしては、ちょっと運命っぽくない?」
(運命とかさらっと言わないでください!だから勘違いする女子生徒が続出するんですよ)
内心でツッコミを入れつつも、エリスは冷静を装ったまま答える。
「いえ、偶然は偶然ですから」
ルークはおどけたように微笑みながら、ふと真面目な表情に変わる。
「エリスって、こんな早朝でもすごく元気だよね」
「いえ、別に普通ですよ……」
むしろ今、胃が痛いんですが…と心の中で呟きながらも、努めて平静を保つ。
「朝って苦手な人も多いけど、君みたいにちゃんと起きて動ける子って素敵だと思うな」
「そ、そうですか? セシルなんて、朝から元気いっぱいですよ?」
「それはエリスが面倒を見ているからじゃないの?」
「まぁ……それも、あるかもしれませんね」
曖昧に答えたエリスに、ルークはじっと視線を向ける。
「エリスって、本当に不思議だよね」
「え?」
不意の真剣なまなざしに、エリスの胸が高鳴る。
「なんというか……自然と目が離せなくなるというか」
「ええ? そんな、私はただの普通の――」
「普通の子なら、俺はこんなこと言わないよ」
穏やかな笑顔と共に放たれたその言葉は、まるで恋愛ゲームのイベントシーンのようだった。
(ちょっと待って! これって攻略対象がヒロインに言うセリフじゃない?! )
「えっと、その、ルーク様、私、本当に普通の――」
「また話そうね、エリス」
優雅な仕草でルークは去っていった。その背中が遠ざかるのを、エリスは茫然と見送るしかなかった。
「……」
静まり返った空気の中、額に手を当てる。
(これ……絶対おかしいよね? ルークがさっきの台詞を言うのはセシルの筈なのに…)
混乱する心の奥で――
(でも、ルークにこんな風に言われるなんて……)
嬉しく思う自分がいることに気づく。
(いやいやダメでしょここは推しのためにモブキャラポジションを貫かないと!)
頭をブンブンと振り、気持ちを切り替えようとするエリス。
「おはよー、エリス!」
軽やかな声と共に、セシルが小走りで駆け寄ってきた。
「おはよう、セシル。今日は一人でちゃんと起きられたんだね」
エリスが微笑みながら声をかけると、セシルは誇らしげに胸を張る。
「うん! ところで、さっき誰かと話してなかった?」
首をかしげるセシルの問いに、エリスは一瞬だけ固まる。
「えっ? …ああ、ルーク様と偶然そこで会って、ちょっと立ち話を…」
できるだけ自然に答えたつもりだったが、微妙な間が空いてしまう。
「え? 今、ルーク様と一緒にいたの? いいなー! 私も会いたかった!」
セシルは無邪気な笑顔を浮かべ、瞳を輝かせる。
「……うん、偶然ね。ほんと、すごく偶然だったから……」
どこか言い訳じみた口調になったものの、セシルは気にする様子もなく「次は私も一緒に会えたらいいなー」と屈託なく笑った。
(ああ、セシルが鈍感で良かった……)
心の中でほっとしつつも、エリスは思う。
(私ももっとしっかりしなきゃ。推しの幸せのために、そして自分がこのシナリオを崩さないために――)




