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16.やわらかな来訪者

朝の光は、いつもより少しだけ白かった。

空気が澄んでいる、というより――在るべきところにあるべきものが帰った、そんな感じ。

風も、音も、匂いも、全部がきれいに揃っていて、だからこそ、落ち着かない。


 ……なんだろう、これ。


違和感、ってほどじゃない。でも、確実に“昨日とはちがう”。私は寝返りを打って、ぼんやりと天井を見上げた。今日の私も、四本足だった。獣霊の姿。

夜の名残が、まだ少し身体の奥に静かに残っているのを感じる。


「……んー……」


起き上がって、軽く手を握る。

でも、さっきから引っかかっている違和感は、消えないままだった。

胸の奥に、細い糸がひっかかっているみたいな感覚。


 ……こういう違和感って、だいたいいやな方向に当たるんだよなあ。


私は小さくため息をついて、部屋を出た。


     * * *


廊下を歩いていると、ふわりと、知らない匂いがした。土と、草と、それから――外、?

この島の匂いとは、少しだけ違う。


「……あれ?」


思わず足を止める。この匂い、どこか懐かしい気がするのに、ちゃんとは思い出せない。

でも、ひとつだけ確かなことがあった。――この屋敷に、いないはずのものがいる。

私は少しだけ足を速めて、食堂の扉を押し開けた。そこには、いつもの光景があって。


 ……いつもの、はずだった。


「おはようございます〜」


知らない人が、いた。テーブルの端に、ふわりと座っている。

淡い緑色の髪がゆるく揺れて、柔らかな光を受けている。服もどこか軽やかで、風に溶けるみたいな質感だった。


 ぱっと見た印象は――優しそうな人。


というか、なんか、ふわふわしてる。ていうか、風もないのに色々たなびいてませんか?


 綿菓子系男子??


いや、知らんけど。でも、その人から、目を離せなかった。理由はわからないけど感覚が言っている。

この人は、この島の“内側”だけで生きてきた存在じゃない。

外を、知っている。


「……えっと」


思わず声が出る。その人は、ゆっくりとこちらに顔を向けて、にこりと笑った。


「初めまして、ですね〜」


外見の印象とおんなじやわらかい声。風に乗るみたいに、軽いのに、ちゃんと耳に残る。


「スリーズといいます〜」


うん、誰だ!?まだこの世界に来て数日だけど、こんなタイプ初めてなんだけど!?

お兄さん、なんでうちの食卓に!?

心の中では警戒音が鳴り響きつつも、前世日本人、礼儀は大事。


「エトワです……」


とりあえず名乗ると、スリーズさんはうんうんと嬉しそうに頷いた。


「はい、知ってますよ〜」

「え」


知ってるの!?いやまあ、ここにいる人たちなら知っててもおかしくないけどさ!

でも初対面だよね!?ねえ!?混乱していると、奥の席からくすりと笑う声がした。


「ふふ♡ 驚いたかしら」


お母様だ。いつもと変わらない、やわらかな微笑み。それだけで安心する。でも、ほんの少しだけ、嬉しそうに見えた。


「スリーズは、外へ出ていた貴方のお兄さんよ♡」


 ――お兄さん?

 ……いや待って?????


その一言で、すべてが繋がる。さっきの匂い。違和感。胸のざわつき。

――外。


私は無意識に、スリーズさんを見た。やっぱり、ふわふわしてる。でもその奥に、どこか深いものがある気がして、視線を外せなかった。


「……外って」


いや待って?お兄さん、私のオニイサンなんですか!!??そこが一番の驚きですよ!?

前世で欲しかった兄属性きたと思ったら、想定とだいぶ違うんですが!?

頼れる兄貴分どこ!?女子力高そうなゆるふわお兄さん来たんですけど!?


スリーズさんは、少しだけ首を傾げてから、ふわっと笑った。


「ちょっと様子を見に、ですね〜。さっき帰ってきたところなんだ~。」


軽い。軽いんだけど。そんな軽い感じで外に行くんですか?

この島、どう考えても天国側なんですが?むしろ外の世界危なくないの??

――様子見で済む場所じゃないでしょ、そこ。


 なんとなく、そう思った瞬間。


「……エマ様」


スリーズさんの声が、ほんの少しだけ変わった。やわらかいまま。でも、芯が通る。


「報告、よろしいですか〜」


空気が、静かに張りつめる。私は、無意識に息を止めた。


     * * *


「外の状態ですが〜」


スリーズさんは、いつも通りの口調で話し始めた。穏やかで、ゆっくりで、どこか眠くなりそうな声音。なのに。


「……思っていたより、進んでます〜」


その一言で、お母様の顔がわずかにこわばった。


「進んでる、って……?」


思わず口を挟むと、スリーズさんはちらりとこちらを見て、少しだけ困ったように笑う。


「ええと〜、どう言えばいいでしょうね〜」


一拍、間を置いて。


「もう、“戻る”段階は過ぎてる感じです〜」


静かに、言った。――戻らない。その言葉が、平和だったはずの食卓に重く落ちる。


「陰と陽の偏りが、固定され始めています〜」

「固定……」


 聞き返す声が、自分でも驚くほど小さかった。


「はい〜。一度崩れた場所は、そのまま定着してしまっていて〜」

「……」


言葉が出ない。それがどういう意味なのか、完全には理解できていないはずなのに。

でも、本能が理解していた。それは、よくないことだと。


「調停が、間に合っていません〜」


空気が止まる。

その、直後。


「……随分と悠長な“様子見”でしたね」


低く、冷えた声が落ちた。スミさんだ。

いつの間にか食堂の入り口近くに立っていた。腕を組み、真っ直ぐにスリーズさんを見ている。


「貴方がいなくてもお屋敷は回っておりました」


静かに、一歩近づく。


「慧真様もエトワ様のお世話も、私一人でも大丈夫です」


言葉は丁寧。でも、声も目線も絶対零度なんですが!!??


「もう少し長く見回りに行ってくれば良かったものを」


――来たーーーー!!!!嫌味、ど直球!!


いやもうこれ朝食中なんですけど!?パン食べていい空気じゃないんだけど!?

ていうかなんでこんなバチバチなんですか!?私は内心で全力でツッコミながら、そっと様子を伺う。

スリーズさんは――


「あはは〜」


笑った。ふわっと。軽く。


「ご心配ありがとうございます〜」


……効いてない?

いや違う、これ、、流してるだけだ。


「でも〜」


一歩も引かないまま、やわらかく続ける。


「外の変化は、見ておかないといけませんからね〜」


同じくらい静かな圧で、空気がじわっと重くなる。


「……役割の優先順位を誤るほど、余裕がある状況ではないと思いますが」


 スミさんが淡々と返す。


「ええ〜、そうですね〜」


 スリーズさんは頷く。


「だからこそ、行ったんですよ〜」


笑顔のまま。でも、その目はまっすぐでこっちもバチバチで真っ向勝負って感じ。


 ――うわーーーうちのお姉ちゃんとお兄ちゃんはバッチバチだーーーーーー!


 怖。


「……」


その空気を、ふわりとほどいたのは――


「ふふ♡ そこまでにしましょうか」


お母様だった。

きゃ~~~!!お母様ありがとうございます!!


「どちらも、必要な役割を果たしてくれているわ」


その一言で、空気が少しだけ緩む。……ふー、助かった。ほんとに。

このまま続いてたら絶対ご飯の味しなかった。


ゆっくりと、お母様の視線がこちらに向く。ドキッとした。いつものように愛情はある。でも同時に、責任もはらんでいる。その瞳からの逃げ場は、なかった。


「エトワ」


名前を呼ばれて、背筋が伸びる。


「はい」


自然と、そう返事をしていた。

お母様は、ほんの少しだけ微笑んでから――言った。


「予定を、少し変えましょうか♡」


その言葉で、空気が静かに動く。


「本来なら、あなたの通過儀礼は、もっと先の予定だったのだけれど」


一拍。


「その“先”が、思っているより近づいてきているの」


胸の奥が、どくんと鳴った。通過儀礼。

その言葉の意味を、私はまだ完全には知らない。

前に少しだけリリスと話しただけだ。獣霊や精霊にとって大人に変わる儀式。

そのときのリリスは、それは自然に“成る”ものだと言っていた。

でも今は違う。


 ――外へ繋がるもの。


 そう、わかってしまった。


「……」


言葉が出ない。怖い、とも違う。リリスの隣に並びたい、そう思った。

でも、お母様の視線は、それが簡単なものではないと告げている。簡単に「はい」と言えるほど、軽くもない。


「大丈夫ですよ〜」


ふわりと、スリーズさんの声が割り込んできた。振り向くと、彼は先ほどとなんら変わらない笑顔でこちらを見ている。


「ちゃんと、間に合います〜」


優しい声。でもその目は、まっすぐだった、逃げ場を与えない種類の、優しさ。

それでいて、“間違いな句大丈夫だ”という確かな安心を含んでいる。


「僕たちが、ちゃんと仕上げますから〜」


その一言で、なぜか、逃げられないな、と思った。


――ああ、この人。


優しい顔して、一番容赦ないタイプだ!!直感的に、そう理解する。

しかも、多分スミさんと同系統。いや、方向違うだけで同じくらい怖い。


 ――あれ?


もしかして私、これから地獄では?そんな予感が、じわじわと現実味を帯びてくる。

でも。

胸の奥には、それでも消えない小さな火があった。怖いとか、不安とか、そういうのも全部ひっくるめて、それでも前に進みたいって思えるくらいの、熱。


だから私は、もう一度小さく息を吸って。

心の中で、こっそり覚悟を決めた。


 ――よし。

とりあえずやるだけやってやろうじゃないの!!


「いいお返事ね♡」


その声が落ちて、張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ――ように見えた。

いや見えただけで、実際は全然緩んでない。


むしろ、なんかこう……静かに次の波が来る前の感じがする。嫌な予感しかしないんですが?


「では、今日から一日の流れを少し変えましょうか♡」


お母様が優雅にそう言って、紅茶に口をつける。


「午前はスミに任せていた基礎の確認。午後はスリーズに外の感覚を織り交ぜてもらいましょう♡」


さらっと言いましたけどお母様。いや、ちょっと待って?

それってつまり――


「……指導が二名体制になる、ということでしょうか」


スミさんが、すぐに確認を入れる。声は落ち着いているけど、ほんの少しだけ低い。

……あ、これ、ちょっと機嫌よろしくないやつだ。


「ええ♡ 今のエトワには、その方が良いわ」

「……」


一瞬の沈黙。スミさんは何かを考えるように目を伏せてから、ゆっくりと口を開く。


「現状の進度であれば、基礎の反復を優先すべきかと」


淡々とした、でもはっきりした反論。


「急激な負荷は、理解の定着を阻害します」


正論だと思う。というか、めちゃくちゃありがたい。でも、お母様に真っ向から反対するところって初めて見るかも。お母様大好き好き好きなスミさんは結構なんでもお母様一番だからな~。


まあでも急激な負荷とか、ほんとやめてほしい。だって私まだ狐初心者なんですけど!?


「あはは〜」


そこで、スリーズさんがふわっと笑った。


「その通りですね〜」


え、同意するんだ?

と思った次の瞬間。


「でも〜」


来たーー。


「今は“急がないといけない状態”でもありますからね~

 基礎を固めながら、応用にも触れていく形がいいと思いますよ〜」


 ……あれ?

 これ、さらっと言ってるけどさ、やること倍になってない??


「……」


 スミさんの視線が、まっすぐスリーズさんに向く。


「両立は容易ではありません」

「そうですね〜」


 スリーズさんは、あっさり頷いた。


「だからこそ、見極める必要があります〜」


 にこりと笑う。その笑顔、さっきよりちょっと怖い気がするのは気のせいですか?見極めってなんですか??どんどん顔が引きつっちゃうんですが、、


「どこまでなら“壊れずに伸びるか”を」


――あ、だめだこの人。完全にそっち側の人だ。

スミさんとはまた違う意味で容赦ないタイプ。なんならスミさんが可愛く見えてくる可能性すらありそう。。そして、うちがあんまり好きじゃないタイプ。


「……必要以上の負荷は不要です」

「ええ〜、もちろんですよ〜」


 さらっと返す。


「“必要な分だけ”です〜」


いやその“必要”の基準が怖いんですが!?誰基準!?スリーズさん基準!?

絶対一般人基準じゃないでしょ!?


「ふふ♡」


お母様が楽しそうに微笑む。


「いいわね、二人とも」


いいの!?このバチバチしてる空気、いいの!?てゆうか止めて!?お母様!!

ぷりーずへるぷみー!!


「エトワ」

「はい!」


反射的に返事が出る。


「少し大変になるけれど、大丈夫かしら?♡」


やさしい声。逃げ道を残してくれているようで――

でも、その目は、ちゃんと見ていた。


 逃げるか、進むか。どっちを選ぶのか。


 ……ああ、もう。わかってるよお母様。ここで逃げたら、たぶん一生後悔するやつだ。

 私は一瞬だけ息を吸って。


「……やります」


そう答えた。


「はい♡ さすが私の娘だわ♡」


お母様が満足そうに頷く。その横で。


「では、午前は従来通り進めます」


スミさんが淡々と言う。


「午後は」

「僕が見ますね〜」


被せてきた。いやちょっと待って。被せるんだ?

この人、思ったより攻めるタイプだぞ?これ以上スミさんを刺激しないでもらえるかな!??


「……よろしくお願いします」


スミさんは一瞬だけ間を置いてから、そう返した。声は丁寧だけど、でも、完全に“認めたわけではない”やつ。

うわあ。これ絶対納得してないの確定演出じゃん。訓練であたられないといいな、、とほほ、、。

私はそっと視線を逸らしながら、パンを口に運ぶ。


 ……味しない。


さっきまで美味しかったはずなのに、緊張で完全に消えてる。


「エトワさん〜」

「はい!?」


 急に話しかけられて、思わず変な声が出た。スリーズさんが、にこにことこちらを見ている。


「無理しすぎる癖、ありますよね〜」

「え」


思わず固まる。


「表情と呼吸で、だいたいわかりますよ〜」


やわらかい口調のまま、さらっと言う。


「頑張るのはいいことですけど〜」


 一拍。


「壊れちゃったら、意味ないですからね〜」


……あ。

その言葉が、すとんと胸に落ちた。さっきまでの“怖さ”とは違う。

ちゃんと、見られてる。でも言い方がなんだか怖いのが残念なオニイサンだ、。


「……はい」


小さく頷くと、スリーズさんは満足そうに笑った。


「いいですね〜」


その横で。


「過度な自己判断による無理は、これまでも指摘してきました」


スミさんが静かに言う。うわ、スミさんも追い打ちをかけてきた。


「うっ……」

「本日からは、より厳密に管理します」


さらっと恐ろしいこと言った。管理ってなに!?自由は!?私の自主性どこ行った!?


「ふふ♡ 賑やかになりそうね」


お母様が楽しそうに微笑む。いやほんとにね。賑やかっていうか、嵐の予感しかしないよ。

私は小さく息を吐いて、残りのパンを飲み込んだ。


 ……よし。腹、くくるか。


「では、準備ができ次第、訓練場へ」


スミさんが立ち上がる。


「はい〜、僕もちょっと行ってきますね〜」


スリーズさんも、ふわりと席を立つ。……うん。

逃げ場、ないな、完全に。私は椅子から降りて、床に足をつける。


 四足の感覚。


まだ慣れきってないけど。でも、もう言い訳にはできない。

ちらっと前を見ると。


スミさんとスリーズさんが、並んで歩いていた。

同じ方向を向いているはずなのに。


 なんか、空気が違う。


 ――あの人たちに、ついて行くのかあ……。


想像しただけで胃が痛い。でも。


 それでも。


並びたいって思ったのは、自分だ。

だったら。


「……よし」


小さく呟いて、私は一歩踏み出した。その先に待っているのが、どれだけ大変でも。

もう、止まる気はなかった。

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