第4話 初陣(後編)
マコトはスピナーくんを抱え、全速力で声のする方へ駆け出した。視界が開けた先に――その光景が飛び込んできた。
大木の根元、怯えるアイリス。
その前方には灰色の毛並みを逆立てた魔物、蒼灰狼が低く唸りながら間合いを詰めている。
真っ赤に光る瞳、鋭い牙、先日マコトを襲った個体よりも一回り大きい体躯。
「くそっ……!」
蒼灰狼が跳びかかる直前、マコトは叫んだ。
「スピナーくん、行け!」
地面に置かれたスピナーくんが蒸気を噴き上げ、一気に前へと飛び出す。敵は不意の闖入者に驚いたのか、牙を見せて威嚇する。
「アイリス、下がって!」
「マコト……!?」
突然の叫びに、アイリスはハッと立ち止まった。彼女の顔には驚きと不安が浮かび、目の前のマコトを見つめたまま動けずにいる。
「でも、あなた一人じゃ――!」
「大丈夫だ、任せろ!」
マコトは短く、力強く言い切った。その声には震えが混じっていたが覚悟が滲んでいる。アイリスは一瞬迷ったが、その真剣な表情を見て、唇を噛んだ。
「……無茶しないで……絶対だよ!」
アイリスは後ろ髪を引かれる思いでその場を離れ、近くの木陰へと駆け込んだ。心臓が早鐘を打ち、手が震えている。
(あんな魔物に、一人で立ち向かうなんて……本当に大丈夫なの……?)
木陰に身を隠しながら、アイリスは息を潜めてマコトの背中を見つめた。彼の立つ姿はどこか頼もしく見える一方で、殺されてしまうのではないかという強い不安が彼女の胸を締め付ける。
(お願い……無事でいて……!)
魔物と対峙したマコトは焦りながらも、精霊の力に意識を集中する。手に汗がにじむのを感じながら、最初の作戦を実行した。
「火の精霊! ヤツの目の前に小さな火を!」
スピナーくんの胴体から小さな火球が前方に飛び、アッシュウルフの足元で弾ける。爆発するほどの威力はないが、炎の揺らめきに驚いた蒼灰狼が一瞬後退した。
「よし…… 今のうちに回り込め、スピナーくん!」
風の精霊がスピナーくんの脚を後押しし、機体は滑るようにアッシュウルフの周囲を回り込む。地面を蹴る蒸気音が連続して響き、その小回りの効く動きに蒼灰狼は苛立ったように唸り声を上げた。
「土の精霊、脚先に力を! 接地を安定させろ!」
スピナーくんが脚を地面に食い込ませ、急停止と方向転換を繰り返す。敵はその巨体が仇となり小回りの効かない動きで追おうとするが、そのたびにスピナーくんは死角へと逃げ、敵は焦れたように吠えた。
「どうした? 捕まえられないのか?」
蒼灰狼はついに我慢の限界を超えたようだった。勢いをつけ、地面を蹴って一気に突進してくる。
「風の精霊、空気の壁を!」
スピナーくんが地面に踏み込んだ瞬間、風の精霊が力を発揮し、目に見えない空気の壁を作り出す。敵はその壁に激突し、重い音を立てながら弾かれた。
蒼灰狼は突然大きく吹き飛ばされ、地面に爪を突き立てながらバランスを取り直すが体勢は大きく崩れている。
(今だ……! ここで決める!)
マコトは緊張で手のひらが汗ばんでいるのを感じながら、意識を集中させた。
「スピナーくん、高く跳べ!」
風の精霊の力が脚部に集まり、一気に機体を空高く押し上げる。
小さな体が弧を描き、敵を見下ろす高さまで到達した。
「風の精霊、脚先に力を集めろ! 風を巻き付けて、ドリルにするんだ!」
マコトの声に応じるように、脚先に風と空気が螺旋を描くように纏い始めた。
巻き起こる空気の圧力が脚先を鋭く、そして強靭に変えていく。
風が渦を成し、光を反射してまるでドリルの刃のように輝いた。
「加速だ! 全力で押し込め!」
スピナーくんの小さな体が一瞬静止し、次の瞬間、風の精霊がその勢いを倍増させる。轟音が森に響き、空気を切り裂く勢いでスピナーくんが急降下を開始する。
「うおおおっ――!」
マコトの叫びと共に、スピナーくんはまるで隕石のように落下し、ドリル状の脚先が高速回転しながら敵の首元の急所へと迫る。
蒼灰狼がハッと顔を上げ、目を見開く――その瞬間。
「いっけえぇぇぇっっ!」
渦巻く風が唸り声を上げ、スピナーくんの脚先が蒼灰狼の急所に突き刺さった。ドリルのように回転する脚先が獣の硬い皮膚を抉り、さらに深く深く貫いていく。
ゴリゴリゴリゴリ――ズシュッ!
鈍い音と共に、アッシュウルフの体が大きく揺れ、震えながら地面に崩れ落ちた。赤く光っていた目がゆっくりと閉じ、唸り声は静かに途切れる。
「倒した……!」
マコトは膝に手をつき、息を大きく吐いた。緊張で体が震えているが、達成感がそれを上回っていた。
スピナーくんは蒸気をシュウシュウと噴き出している。脚先は風の渦がかすかに残り、土埃が舞っていた。
森の中に静寂が戻り、マコトは息を荒げながらスピナーくんに駆け寄る。
脚部から蒸気が微かに漏れ、金属の表面が柔らかな夕日を反射して輝いている。誠はその小さな機体の胴体を撫で、安堵の息をついた。
「……よくやったな、スピナーくん。」
その時、草むらをかき分ける音がし、息を切らせながらアイリスが駆け寄ってきた。彼女の顔には驚きと興奮、そして戸惑いが浮かんでいる。
「マコト! 大丈夫!?」
アイリスは荒い息を吐きながら、マコトの側に駆け寄った。
「ああ、大丈夫だよ。コイツのおかげでね。」
そう言って蒸気を微かに噴きながら佇むスピナーくんを指差した。
摩訶不思議な物体はアイリスの視線を釘付けにする。
小さな四脚の金属塊が蒸気を噴き出し、まるで意思を持つ生き物のように動いているのが信じられないのだろう。
「これって……何? どうやって動いてるの?」
「……精霊の力を使ってるんだ。」
マコトはスピナーくんを軽く叩きながら答えた。
「精霊……? ええっ?」
アイリスは目を丸くして誠を見つめ、思わず息を呑んだ。
「待って、それ本当? 精霊の力って、昔のお伽話じゃないの? 」
「お伽話ってわけじゃない。ただ廃れただけだよ。」
誠は苦笑しながら答えた。
「今の時代に使い手がいないだけで、精霊はちゃんといるし、弱いけど力も残ってる。少なくとも俺は、それを使えるんだ。」
「そんなことが……。」
アイリスは困惑した表情でスピナーくんを見つめ、ゆっくりと手を伸ばす。脚先に触れ、硬い金属の感触に驚きながらも離そうとしない。
「でも、信じられない。これ……本当に精霊の力で動いてるの? だって、魔術みたいに詠唱もしてないし、魔法で動く道具もあるけど、こんなの見た事ないよ……」
誠は少し考え込みながら説明を続ける。
「精霊たちに働きかけて、その力を俺が ‘形’ にしている。それでこいつを動かしてるんだよ。」
「形にするって……何それ?」
アイリスの混乱は深まるばかりだが、その表情には恐れよりも興味の色が濃く浮かんでいた。
「だって、精霊は、お伽話だと決して人間の言う事は聞かないって……」
「でも実際に動いてるのは見ただろ? これが俺の力――いや、精霊たちの力だ。」
そう言ってマコトはスピナーくんの胴体を軽く叩いた。アイリスは真剣な表情でその機体を見つめ続ける。
「まるで生き物みたい……」
アイリスは呟きながら、スピナーくんの脚部や胴体を丁寧に撫でた。その
「この子、名前……あるの?」
「あるよ。こいつの名前は――スピナーくんだ。」
「スピナーくん?」
アイリスは一瞬キョトンとした後、ふっと笑みを浮かべた。
「可愛い名前だね。でも、強いのに ‘くん’ なんだ?」
「まぁ、まだ試作機だしな。カッコいい名前をつけるのは完成してからだ。」
マコトは照れくさそうに頭をかく。
「でもいい名前だと思うよ、スピナーくん。」
アイリスは再びスピナーくんを撫で、その硬い脚部にそっと触れた。
「本当に不思議……王都から来る商人が珍しい魔法具を見せてくれた事があるけど、それよりもずっと凄い……」
「ハハ、凄い、か――」
マコトは小さく息を吐き、森の空を見上げた。
「元素精霊召喚術は今じゃ廃れた力だからな。正直これがどう動いてるのか、俺自身もまだ完全には理解しきれてないんだ。」
「えっ……じゃあ、手探りでやってるの?」
「ああ。でも手探りでも、こんなふうに役に立つなら、十分だろ?」
マコトがそう言うと、アイリスは不思議そうな顔をしながらも、どこか納得したように頷いた。
「ねえ、マコト……」
アイリスが口を開き、真剣な表情で続けた。
「この子をもっと見せてよ。どうやって作ったのか、どうやって動かしてるのか、少しでも知りたい。」
「いいけど、期待しすぎるなよ。まだまだ未完成だし、こいつも ‘最初の一歩’ だからな。」
「最初の一歩……。」
アイリスはスピナーくんに視線を戻し、その小さな機体をじっと見つめた。
「それでも……あなたがこの子を動かす姿、なんだかすごく楽しそうだったよ。」
「……楽しい、か。」
苦笑しながらも、胸の奥に確かな手応えを感じていた。
「まぁ、俺の力が誰かの役に立ったなら、それでいいさ。」
木漏れ日が二人と一機を柔らかく照らす。誠はスピナーくんの脚をポンと叩き、未来を見据えるように目を細めた。
「行くぞ、スピナーくん。まだまだやることは山積みだ。」
少し長かったので前後編にしました。
今後もちょこちょこ改訂してなるべく読み易くしていこうと思います。
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