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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

王子に婚約破棄されたら国王陛下の後妻にされました。これは何の罠ですか?

作者: れとると

19000字ほど。少々長めですが、お気に召しましたら一気にどうぞ。


#女性は一人しか出ないので、百合ではございません。

#ちゃんと恋愛してます。


 今日も私は求められぬまま……夫は、眠りについた。


 寝室を共にして、早十日。


 彼は白い結婚のつもりのようですが、周りの目も合って同衾はしています。



 ただ。


 私は。


 ……。



 首を振って雑念を払ってから、私は上体を起こし、そっと寝台から降りました。


 部屋の隅まで行き、寝巻から隠してある衣服にさっと着替える。



 肩から胸元までが大胆に出て、背中が開いています。


 一見すると夜会用の派手なドレスのようでもありますが、スカートが極めて短い。


 脚は黒く長く薄い下履きでのみ覆っており、ドレス用(パニエや)の下履き(ペチコート)は履いておりません。



 淑女にあるまじき、男の目を誘うような恰好。



(もう秋も深い。そろそろこの格好も、冷えますね)



 少しのため息を飲み込みつつ、青と黒で彩った自身を鏡で確認し、最後に髪を結い上げて留めます。


 足音のしにくい、かかとの低い靴に足を収め。


 準備は、完了です。



 暗い中、寝室のドアを開け。


 身を滑り込ませて……閉めました。




 さぁ、向かいましょう。


 私の、戦場へ。












『ばけ、ものめぇ!』



 くぐもった声を上げながら、私より上背のある覆面の男が腕を振りかぶりました。


 その手には、闇の中でも少しの光沢を見せる、刃。


 私が男の方を向き直ると……一瞬、その視線が私の体に吸い寄せられ、動きが止まりました。



 ふふ。衣装の効果は抜群ですね。



 ――――では早速ですが、お別れです。



(位置よし! 今!)



 私はそっと、水平に腕を振るう。


 男の真横、20mほど壁が――――我が魔法によって入れ替わった。


 獅子の口のような飾りの中から、(いしゆみ)に巻き取られた矢が放たれる。



 そして男の脇腹に、見事に突き刺さった。



『ふぐぅ!?』



 ――――隙が、出来た。


 私は床に向かって、右腕を振るう。


 男の足元が、〝罠〟に入れ替わった。



 種類は【跳ね床】。


 それは男の正面から跳ね上がり。



『ぐわぁ!?』



 その体を、奥の壁に向かって弾き飛ばした。


 一瞬私の視界を遮っていた罠が戻り。


 同時に、男が部屋の床に倒れ伏した。



(着地点よし! 今!)



 私が上に向かって、右手を掲げると。


 男の真上の天板が〝罠〟になった。


 そして即座に、魔法が落ちてくる。



 種類は……【花瓶】。



『ほごわぁ?』



 倒れていた男に当たったにも関わらず、それはなぜか頭にすぽっと入った。


 あの中には、混乱を促す魔法のガスが詰まっている。


 吸った人間は起き上がり、真っ直ぐに数歩、ゆっくりと歩く。



『なんだこれぇ……いてぇ、いてぇよぉ』



 私は両手で数度複雑な印を結び、急いで罠を組み替えた。



 床・壁・天井に一種類ずつ。


 持ち込める罠自体は、全部で九種類。


 それが我が侯爵家に伝わる秘伝、罠の魔法。



 非常に強力かつ、燃費がいい。


 けれども、設置に時間がかかったり、制限があったりして使いにくい。


 しかも見た目ほど威力がないため、「連鎖」させないと敵を始末できない。



 意外に頭を使わされる戦闘魔法で、疲れます。


 ですが。今晩はおそらくこいつで、最後。


 そうですね……部屋の隅の、()()で〆にしましょうか。



(組み換え完了。まずは、壁!)



 腕を振るう。


 壁が〝罠〟と入れ替わった。


 【押し壁】。壁がせり出してきて、人を押し出すというものだ。



 壁が男を押し出す。花瓶が割れ、その体がよろめく。


 続いて、床。



『なんだぁ!?』



 【トラバサミ】。押し出され切った男の足を、ひざ下までがっちりと挟み込みました。



『いでぇ!? ちくしょう!』



 男がもがきます。


 その隙に私は位置を変え、男の側面に回り、また罠を組み替える。



(設置よし! 今!)



 壁が入れ替わり、虎の口がごろりと鉄球のようなものを吐き出す。


 これは文字通り【爆弾】。ごろごろと真っ直ぐ床を転がって。


 【トラバサミ】に当たり、罠ごと男を吹っ飛ばした。



『ぎゃあ!?』



 血潮を撒きながら、その体が吹っ飛ぶ。


 だが、加減はしない。続いて私は天井の罠を起動。


 同時に念のため、床の罠を組み替える。



 大きな質量が、風を切って振るわれた。


 それは……【振り子鎌】。


 天井から下がった巨大な刃が、勢いよく揺れて。



 空中の男を、そのまま切り裂きながら、跳ね飛ばす。



『ひぃやあああ!!』



(やはり飛距離が足りない! ならば、これで!)



 私はしゃがみ、床に手を当て、最後の罠を起動した。


 床に落ちた男が、突然現れた果物の皮にふれ、つるっと滑った。


 【バナナの皮】。ほんの1mほどだが、敵を転倒させつつ移動させてくれる。



 男が辿り着いた、先は。


 部屋の隅にあった……暖炉の中。



『ヒッ! ここは、ここは嫌だぁ!!』



 どこに叩きこまれたのか分かったのか、悲鳴が上がりました。


 そういえば……先ほど一度、使いましたねあそこ。


 便利なんですよ。



『や、まって、助け』


「国王陛下の寝所に侵入しようとして――――虫の良いことを」



 あそこは、魔法の暖炉。


 薪を投げ込むと()()()()()()()



『ぎゃあああああああああああああああ!!』



 人が燃える。よく燃える。



(死体の始末が楽でいいのですが、こうも叫ばれると耳が痛いですね)



 私はため息をつき、その大きな広間を見渡しました。


 十人以上の……亡骸と血潮。


 そして中央に、小さな部屋がある。



 ――――陛下の、寝室だ。



(防音は施されているとはいえ、少し心配になります)



 あの方の眠りを守るのが、今の私の務め。


 まぁ、頼まれたのは「国のために力を貸してほしい」だったので、私が勝手にやってるだけなのですが。


 陛下の暗殺を防ぎ、その安眠を守るのも……力を貸すの一端でしょう。



 しばらく待っても「次」が来ないので、今日は終わりのようです。


 そろそろ夜も明ける時間ですし、私も休ませていただきましょうか。


 広間の隅まで寄って、壁に手をかざします。



「済みました。広間の片づけを、お願いします」


『は、はい! ()()()!』



 そう、私はこの国の……王妃。


 あの日、私は。


 王妃に選ばれたのだ。




 ――――――――二月ほど前の、ことだった。




 ◇ ◇ ◇




 緑の冷たい瞳が……バルコニーから王城外の広場を睥睨している。


 その精悍な横顔は、自信と強さに満ち溢れていた。



『――――蛮族どもは押し返した。しかして、奴らを根絶やしにせねば、我が国の安寧はない。


 私は再び戦地に舞い戻り、その責務を必ずや果たそう。


 我が民よ、我が雷鳴の後に、続け!!』



 空気を震わせるお声が、魔法によって広がっている。


 万雷の如き声援が、彼を称える声が、沸き立つ。



(相変わらず、民の心を掴むのがお上手です)



 『ムンストン王国の天雷』こと、アスター国王陛下。


 自ら戦場に赴き敵を蹴散らす、神話に語られるような戦略魔法の担い手。



 勇ましく、どう猛で、しかして冷たく……人の温かみに、縁遠い方。


 種々の謀略、暗殺にも関わっているとのお噂もあり。


 その身辺には、お味方が、少ない。



 ですが国民からも軍人からも絶大な人気を誇り、王国の頂点に君臨し続けておられます。



 民に手を振り、陛下がこちらに向き直られ、壇上からおさがりになられました。


 私は顔を伏せ、膝を軽く曲げ、控えます。


 そして少しだけ、肩の力を抜きました。



 王族()()の者として、私もこのバルコニーに立ち入っていますが。


 女に何かをお求めになることなど、ないでしょう。



「父上、さすがのご演説でした」



 陛下を出迎えるのは……その息子。


 私の婚約者にして、王太子殿下。


 フェイオン様。



「お為ごかしは良い、フェイオン。


 いつもは逃げ回っているお前が、何用で式典に参加した」



 陛下の冷淡なお声に、私は思わず顔を上げそうになり、堪えました。


 確かにフェイオン様は普段、ご公務から身を置いておられます。


 しかし忙しい中、陛下の凱旋を祝うため、こうして時間を空けられたのです。



 親子だというのに……なぜそのお心づかいが、伝わらないのでしょう。



 私の隣のフェイオン様のお顔が、険しくなられました。



「陛下にご注進申し上げたく」


「言うてみよ」


「戦費が嵩み、民の生活を圧迫しているとのこと。新たな戦端を開くのは、お待ちいただきたい」



 …………陛下のお答えが止まりました。


 なんでしょう、私が見られている、ような?


 お前の入れ知恵か?ということでしょうか。



 確かに私は、たびたびこういった話を王太子殿下にしております。


 ですがこのご諫言については私も初耳ですので、濡れ衣です。



「嵩むわけがなかろう。軍はほぼ動いておらん。


 私が出向いて焼き払う。軍は国境防衛を務めているだけ。


 新たな占領も最小限で、我が国の負担は軽い」


「しかし実際に! ――――ッ!?」



 背筋がぞわり、としました。隣のフェイオン様は、慌てて頭を下げられました。


 無意識に、視線を上げると。


 陛下が……笑って、おられる。どう猛に、凶悪に。



()()()()金を使っているのは、把握しておる。


 問題は――――なぜそれを、お前が詳しく知っているか、だ」


「そ、それは!」



 ……その、フェイオン様。そこで私に視線を向けられ、ましても。


 …………仕方、ありません。


 この方をお支えするのが、私の務めです。



「発言をお許しいただきたく、陛下」


「許す。申せ、アメリア」


「はっ。市場の塩、麦の価格が上昇しており、需要のひっ迫が見て取れます。


 ですが近年どの地域でも不作はなく、戦時調達が原因と考えるほかありません。


 私からはそのように、王太子殿下に具申させていただきました」



 ――――嘘です。



 価格上昇、需要の高まり、豊作、そして戦時調達。


 それぞれの話を、ばらばらにフェイオン様にしたことはあります。


 ですがこれらに懸念があると、一つにしてお伝えしたことはないのです。



 ……まったく筋違い、ですから。


 塩はまだしも、麦そのものは調達対象ではない。


 調達が原因で価格が上昇しているなどと、口が裂けても言えません。



「……………………そうか。物が先に消えているのだな」


「っ」



 私は思わず息を呑み、それを見られないように深く頭を下げた。


 陛下の仰る通り……この問題の核は、そちらです。


 推移から見て、麦と塩が先に消え、その分のお金が動かされている兆候があるのです。



 つまりこれは。


 戦争による経済的負担の話、ではなく。


 横領もしくは――――内応。



 陛下がご懸念されているとおり、どこかが金や物を、勝手に動かしているのです。


 ……フェイオン様がそれに関わっているとは、私は思いませんが。


 …………フェイオン様の横顔が、御緊張なさって、いる?



 仕方ない。ダメ押しを、しておきましょう。



「左様にございます。フェイオン様は民の生活を慮っていらっしゃいます。


 ご配慮、いただけますれば」


「在庫を放出すれば、思うつぼか。アメリア、どのように見る」


「…………」



 私は、少しだけ隣に視線を向け。


 複雑な顔でこちらの様子を伺う、フェイオン様を、見て。


 口を、開いた。



「価格下落を抑えるため、生産調整を通達されているかと存じます。


 上昇率から加味し、この再開でもって対策可能と愚考いたします」


「通達を出し、すぐ人が戻ってくるわけではない。その点はどうする」


「恐れながら、彼らは()()()()()だけ、にございます」


「隠し村、か。ふむ、増産に応じて飴をくれてやれば、喜び勇んで陰から出てくるな。


 考慮しよう」


「はっ。ありがたく存じます」



 陛下が、畏まっている私とフェイオン様の間を、歩いて抜けていく。


 一度、止まり。



「フェイオン。この娘を――――手放すなよ」


「…………はい」











 私とフェイオン王子は、バルコニーを出て中庭にやってきました。


 お疲れなのか、フェイオン様は椅子に少し乱暴に座られます。



「お疲れ様にございます、殿下」


「お前にしては、よくやってくれた。


 しかし父上! あの戦闘狂め!」



 …………そういえば陛下、私の話は「考慮する」とおっしゃってましたが。


 戦については、何も言及されていませんでしたね。



「まぁいい。それで? お前は何の話だアメリア」


「お忙しいところ、申し訳ありません」


「いい、早く話せ」



 そう、なかなかつかまらないこの方と話がしたくて、二人きりになれるところにお連れしたのです。


 使用人も遠ざけてある。


 内々に……おさめなくては。



「そろそろ、婚姻の日取りを具体的にしたく思います」


「あ、あー……そうか。そうだな」



 …………王子の目が、泳がれています。


 しかしここは、押し込まねば。



「はい。成婚の暁には、フェイオン様の()()()も広がるかと」



 だらしなく腰掛け、椅子を揺らしていたフェイオン王子の動きが。


 ぴたり、と止まった。


 その横顔が、青い瞳が、ゆっくりと私を向いてから。



 彼は椅子を蹴って、立ち上がった。



「――――見た、のか」



 王子は、こういうときだけ……勘がとても、鋭い。


 私は。平然とした顔を、していれば、よかったものを。


 問い詰められ……思わず、目を背けて、しまいました。



「見たんだな……」



 王子の声音が、静かに怒気を孕んでいきます。



「アメリア! お前の顔など見たくもない! 出ていけ!」



 激昂した王子のお言葉に、私は慌てました。


 違う、咎めているのでは、ないのです!



「そんな!? フェイオン王子!」



 私は首を振りましたが……彼の眉の端は、さらに吊り上がりました。



 私が偶然見てしまったのは……「浮気現場」。


 行儀習いで王宮に詰めていた、貴族の子女。


 彼女と庭の隅で唇を重ねていた、私の婚約者。



 それを……遠回しに諫言したわけです。


 元々、少々短慮なところが見える方では、ありましたが。


 妾なりなんなり、筋さえ通してくれれば私は我慢するというのに……。



 私は侯爵の娘で、彼は第一王子です。


 個人の情だけで流されるのは、よろしくありません。


 今一度、説得しようと口を開いて――――



「うるさい、うるさい!


 婚約なんて、破棄だ!


 お前だって、浮気ぐらいしてるんだろう!!」



 ――――私は思わず、席を立っていました。



「な、なんだよ」


「では破談の方向で、まずは陛下にご裁可いただかねば。


 失礼いたします」


「おい、アメリア! 待て、彼女のことは言うなよ! おい!」



 言うに決まっているでしょう馬鹿者。


 頭から熱がすとん、と引いた思いがして。


 今はまた、別の熱量が昇っています。



 百年の恋も冷める、とは。このような感覚なのですかね……。



「陛下に面会を取り付けて。急いで」



 私は東屋(あずまや)から出て、庭を小走りに抜け。


 王宮侍女を捕まえて、言伝しました。




 誰もいなくなったところで。


 口元を引き結び……じっと、耐えました。



 まだ彼が、追いかけてくるような気がして。


 追いかけてきて、ほしかった、気がして。


 でも、顔を見られるのが、嫌で。




 これでも、私は。


 幼い頃からの、想い人と結ばれるのを。


 ずっとずっと――――楽しみに、していたのです。










 改めて、別の侍女に案内され、通されたのは。


 私がこれまで入ったことのない、場所でした。



(王宮に、こんなところが)



 広い広い、部屋。


 そこにたくさんの、鎧姿の騎士が……いえ、近衛兵でしょうか。


 彼らは私たちに気づくと整列し、道を()()()くれました。



 広間の入り口から……中央の、小屋のような部屋?までの道を。


 先導する侍女に続き、私は足を進めました。


 近づいてみると、その小屋は結構な大きさでした。



 少なくとも、私が王宮でいただいている部屋よりは、広さがあるでしょう。



 侍女が、扉を叩くと。



『…………入れ』



 中から低く張りのある、聞き覚えのある声がしました。


 昼間のご様子を思い出し……緊張、します。



 聡明ですが情はなく、厳しい、お方。


 勢いで来てしまいましたが、王子殿下のことを話した、として。


 どうでしょう……私を止め置いた上で、仲裁なさる、でしょうか。



 国のためを思えば、それが最良。


 我慢は、せねば、なりませんが。


 少なくとも……フェイオン殿下を私一人で説得せずに、済む。



 私は覚悟を決め、顔を上げました。


 扉が開き、私一人が入り。


 そして後ろで、閉められました。



 そこは……寝室、のようでした。


 天蓋のついた寝台が置いてあるだけではなく、執務机なども見られる。


 単に休むための場所ではなく、生活や執務ができるように整えられている、ようです。



「アメリア、こちらへ」



 少し暗めの室内で、寝台の(ふち)に腰かけている、のは。



(陛下……)



 私の婚約……()婚約者と似た、男性。


 お顔には少しのお年の跡が見えるものの、まだ壮年と言っていい精悍さ。


 今は、昼間見た険しさがとれ。しかしその分……なんでしょう。



 とても、お疲れが見えている。



 …………実は。好みのお顔立ちの上、とてもお綺麗、なので。


 私は陛下のお顔が、まともに見られたことが、ありません。



 しかし……寝室。


 息子の婚約者を、寝所に招く、とは。


 無粋な発想では、ありますが……万が一の場合、私は自裁しなくては、なりませんね。



 私は俯き加減に、数歩少しずつ、歩み寄り。


 片膝を、つこうとして。



「よい。こちらへ」



 陛下の声を受け、とどまりました。


 何か、ご自身の隣を手で叩いて、示されています。


 いえ、その。



 正直、だいぶ……困るのですが。


 どういう、ことでしょう。


 まさか、本当に私を手籠めに、される?



 しかしご命令に背くわけにもいかず、私はそろりそろりと大きな寝台まで進んで。


 陛下から、人ひとり分空けて、腰を浅く降ろしました。



「…………国のために、力を貸してほしいのだ。アメリア」



 迷われるような、陛下のお言葉の切り出しに。


 あまりにも予想の外の、仰りように。


 私は惑い……しかし納得した。



 どうしてか、事情をご存知で。


 その上で私を、王太子婚約者として慰留したい……そういうことでしょう。


 しかし。



「このような弱音を、吐くべきではないが」



 続く陛下のお言葉は……弱弱しく。


 明らかに、ため息を飲み込んでおいででした。



「公式にお前を呼び、話をする勇気は、なかった」



 よくはないと思いつつ、陛下のお顔を、そっと見てしまいました。


 その、瞳を。緑のさした、目を。



(赤い……それに、今も、濡れてらして)



 口元は何かに耐えるように引き結ばれていて。


 眉根も寄っていらっしゃる。



(そこまでの、御心労を抱えて……)



 けれど陛下は、急にふっと、顔の力を抜かれました。



「いや、最初に口にせねばならぬのはこちらだったか。『息子が、すまないことをした』」


「いえ、そのような!」


「本来は、表立って私が謝罪の意を示さねばならない一件だ。


 王家側から持ち掛けた婚姻にも関わらず、私は……アレを、止められなかった」



 私はその一言で、気づいて。


 言葉を、飲み込んだ。



(やはり陛下は、王太子殿下の浮気を、知ってらした……)



 その上で、ずっと慰留に動いてくださっていたの、だろう。


 しかし今日、私が面会を取り付けにきたことで。


 致命的な結末を、お悟りになったのだ。



 王家側から進めた重要な婚姻を、王太子が情でもって破り捨てた。


 上に立つ国王としても、御父上としても……そのご心労は、いかばかりか。



「政治的な話になってしまうが。


 お前の父、ムスカリ侯爵は私の唯一の味方、だ。


 ゆえにこその結びつき。支えてくれたことへの、誠意であった。


 だがそれは、こちらから破る羽目になった」



 陛下は明らかに、気落ちされたお顔です。


 肩は落ち、頬が緩まれておいでです。


 公務でお見かけするときは、覇気があり、威風堂々とされたお方なのに。



 私は、胸が痛みました。


 …………私がもう少し、我慢していれば。



 そう思って見ていたら。


 陛下のお顔に。


 強い決意の色が、漲られました。



「だからこそ。まだ破るわけには、いかない」


「陛下、そうは言われますが、私は……」



 途中まで呟き、私は口元を押さえました。


 陛下がその緑の瞳を、少し大きくして、じっと私を見ておいでです。


 思わず、顔を伏せました。



 先の今でつい述べてしまいましたが、ここは言葉を飲み込まなければならなかった。


 お疲れの陛下のご配慮を無にするような自分の身勝手さに、羞恥が顔に上がるのを感じます。



 ですが。



「……で、あろうな。


 奴の所業は、ある程度知れてしまっている。


 本人も吹聴しているきらいがある。


 一度、破談にするしかないだろう」



 なんという、ことでしょう。


 私には内密にと言っておきながら、どの口でそのような。


 吹聴? 意味がわかりません。問題になるとは思わなかったのでしょうか、あの男は。



 ですがここは――――我慢、せねば。



「では、日をおき、もう一度」



 私が、今度こそは間違えぬと、口にすると。


 陛下のお顔が上がり、こちらを向きました。


 そこにあったのは、期待の表情……ではなく。



 はっと、されたような。


 そして、目元も、口元も、強く引き結ばれて。



「もしもお前がアレをまだ望むなら、その機会は与えよう。


 そして同時に、もう一つの選択を、示したい」



 そのお顔は、決意。あるいは――――覚悟。


 自らが責任を果たす、という。


 男性の見せる、強いお心の、現れ。



「――――拝聴、いたします」



 意識せず、言葉を零していました。



 …………フェイオン王子にも。


 未練があった、はずなのに。



 たぶん私は。




 何かを。期待して、いたのです。





 強さの裏で。


 今にも崩れてしまいそうな。


 この儚い、男に。






「私の後妻になれ、アメリア」







 ◇ ◇ ◇




(あれから、もう二月)



 結局、私は陛下の示した「選択」を受け入れました。


 元々私は王子の婚約者だった、こともあり。


 内々に、陛下の妻とされました。いずれ、広く知らされることになるそうです。



 先妻たるソニア王妃殿下はずいぶん前に亡くなっており、その後、国王陛下は妻を娶っておられませんでした。


 聞くと陛下はフェイオン王子と違い、女にお手出しをされることもなく。


 妾を持ったことも、ないそうで。



 私が、陛下の二人目の女、ということになります。



 しかし。物々しい警備の中、この寝室で迎えた初夜。


 陛下は……私に手を、出されなかった。


 子を作れば争いの元ともなり、私を守り切れない――――と。



 あくまで私を慮った、そのご配慮に。


 私は、枕を涙で濡らすことになりました。


 悔しくて……たまりませんでした。



 そして、決意したのです。




 私が、陛下を守るのだ、と。




 暗殺者をすべて片付け、一息ついた私は。


 別室で身綺麗にしてから。


 寝室に戻り、また寝巻に着替える。



 戦闘衣装は替えもあるとはいえ、今日も返り血でひどく汚れました。



 寝台に、そっと戻る。


 そこには。


 だらしなく眠る、中年の……しかし精悍なお顔が、あった。



(ふふ)



 私を振った男の顔に、よく似ています。



『婚約なんて、破棄だ!


 お前だって、浮気ぐらいしてるんだろう!!』



 頭をよぎった、思い出したくもない台詞に……私は、考えを改めました。


 この人は、あの愚かな()()とは、似ても似つかない。



 そっと頬を撫でると、ざらりとした感触がありました。


 この方は……名の知れぬ侍女に世話されるのを、好みません。



(また世話をお断りになったのですね。お目覚めになったら、お手伝いしなくては)



 この感触は、好きです。


 少し撫でまわしていると……頬を寄せられました。


 起こしてしまったかと身構えましたが、寝息の続きが聞こえ、肩の力が抜けます。



 刃を持った侍女が近づくのすら嫌がり。


 寝室を大広間で囲って、暗殺者を遠ざけようとする、男。


 我が夫たる国王陛下は……命を脅かされることに、疲れていました。



 人を遠ざけている冷たい国王では、なかった。


 ずっと人に、脅かされ続けて、いたのです。



(あの広間、最初は兵が詰めていたのですよね。


 初めての夜は、たびたび聞こえる戦闘音に本当に怯えてらして。


 私が防音処置も施して、今は……ずいぶん、安心なされている)



 盟友たる侯爵との、信頼の証として……王家入りした、私。


 当然に私は、すぐに陛下と寝所を共にすることになりました。


 ですが私は、その最初の夜に初めて知ったのです。



 この小屋の外の、厳重な警備の理由を。


 昼夜を問わず……陛下の身の回りには、暗殺者が潜んでいました。



 捕え、殺しても、次から次へと湧いてくるのです。


 しかも拷問しても、何も喋りません。すぐ自害し、時に自爆します。


 暗殺者を送り込む〝敵〟の存在は捜索されていますが。



 「送り込んでいない」とはっきりしているのは……私の、ムスカリ侯爵家、ただ一つ。



 他は国の内外問わず、どこの誰が陛下の敵なのか、わからない状態なのだそうです。



 私は陛下を守ることを決意し、「侯爵家から手勢を呼んだ」と、信のおける者たちを紹介いたしました。


 そして兵を遠ざけていただき、確かに一晩、この寝所を守り。


 以来こうして、毎夜戦いを続けているのです。



 先ほど、壁越しに魔法で通話した相手が、私が呼んだその一人です。


 ですが陛下には、彼らがこの小屋の静かな夜を守っていると……そう告げています。



(こんな小娘がその大役を担っているなどと知られては、ご不安にさせてしまう)



 今度は、髪を撫でる。


 黒い御髪は……少し指通りが悪い。


 脂が浮いていらっしゃる。



 公務がお忙しいのも、あるでしょうが……きっと。


 沐浴し、無防備な状態を作るのが、お嫌なのでしょう。



(恐れておいでなら、私がお世話してさしあげるのに……)



 幸か不幸か、私相手にはご安心なされているご様子。


 ですが、肌や髪のお世話は……断られてしまいました。



 どうも、体の関係を築こうとしない、ことといい。


 あくまで私を生娘のまま、留めて置かれるおつもりのようです。



 髪から手を放し、私もお隣に潜り込みました。


 私も、少し。少しだけ、休まないと。



 穏やかな寝顔が、意外に近くにあって。


 私の心も、落ち着く。


 今日も陛下の安寧を……お守りすることが、できた。




(おやすみなさいませ、陛下)




 ◇ ◇ ◇




 さらに月日が経ち。


 私は……徐々に、陛下と共に公務の場に出ることになりました。


 お手伝いは最初からしておりましたが、「王妃として」人目に触れるようになったのです。



 表の場ではそれなりに変化があった、わけですが。


 裏の……私たちの夜は、相変わらず、です。



 暗殺者との毎夜の戦いは、続いています。


 もちろん、寝所の防衛は完璧。


 私は少しの睡眠不足を抱えてはいるものの、鍛えておりますので、問題ありません。



 念のため、きちんと化粧をしているくらいでしょうか。


 不明を悟られるわけには……いきませんので。


 ただでさえ心労の嵩んでおられる陛下に。ご心配を、おかけしてしまう。



 また、その。仲の方も、特に変わりはありません。


 お手は出されず、沐浴のお手伝いもさせていただけていません。



 あとは……そう。


 公務がお忙しいせいか、最近陛下のお寝つきが悪いのが、気になるくらいでしょうか。



「――――聞いておるか、アメリア」



 お隣の陛下から、言葉を掛けられました。


 公務の場で、たびたび、このように水を向けられます。



「はい。では私からも?」



 問い返すと、陛下は鷹揚に頷かれました。


 意見を、求められている。私は会議に参加している、軍の重鎮たちの顔を一通り見て。


 言葉を、紡ぎました。



「承知いたしました。王宮派遣の国境警備と連絡が途絶えがちな件についてですが――――」



 王太子の婚約者として、かつては「準備」をみっちりしてきた私です。


 陛下の妻として、その備えも万全なのです。



「――――と実際の連絡経路から見ますと、報告の敵襲対応との差異が見られます」


「な! 我が軍が陛下に背いていると申すか!」



 将軍を任されている老齢の男が、吠えるように反論を……いえこれ反論になっていませんね。


 ただ不備を指摘され、わめいているだけです。


 彼は……私の実家とは別の侯爵家の者、でしたか。本人は貴族ではありません。



「『この資料からはそれが分かりません』という回答でございます、デリー将軍。


 ですが陛下、これ以上子細なものを求めるのは、職務に携わる者の負担が大きいかと存じます」


「ふむ。ゲイル、対応可能か?」


「権限を頂けるのでしたら」



 ジウム侯爵ゲイル閣下は、デリー将軍の実家の侯爵家の当主。


 軍務を取り仕切っており、しかし軍人ではない。



「また口を挟もうと言うのか、甥っ子よ」


「伯父上、それは陛下にご裁可いただくこと。私の勝手ではないのですよ」



 お二人は、あまりお仲がよろしくはありません。


 …………もう少し手を取り合って、陛下をお支えしてくれないでしょうか。


 そんなだからこの人たちは、私の父と違って陛下から「味方」だと思われないのです。



「仕組みを作り、徹底せよ。明らかに、国境の損耗が激しい。


 蛮族どもとも小競り合いに、これ以上力を割いてはおれぬ」



 陛下がそのように言うと。


 場の……軍議の参加者たちが、色めき立ちました。



「陛下! ついにご決断なされるのか!」



 誰かの声に。陛下は、鷹揚に頷かれました。


 私には……あの始まり夜に勝るとも劣らない、苦悶の表情に見えましたが。


 軍神と謡われる、陛下。王国の天雷。ですがご本人はどうも……あまり戦を好まないご様子なのです。



「まず蛮族を押し返す。取って返し、それから進軍。かの国を攻め落とす。


 これ以上の横暴は看過できん」



 歓声が、湧き上がりました。



 …………戦争は、好きではありませんが。


 敵がうっとおしい気持ちは、私もよくわかります。




 ◇ ◇ ◇




「これは如何なことか、父上!」



 廊下を陛下や重鎮らと次の会議へ向かっていたら。


 久方ぶりに聞く声に、止められました。


 …………こうして改めて聞いて、目にすると、言うほど親子で似てはいませんね。



「何用か、フェイオン」


「ナニラ公国に攻め入るとは、どういう了見なのです!」



 派手な身振り、芝居がかった姿。


 彼のもの言いに……場に緊張が、走りました。



 確かに陛下は、蛮族戦の後に取って返して戦端を開くことには言及されました。


 しかし「どこか」は言っていません。


 候補は、いくつかあるのです。



 ですが、そのうちの一つ。ナニラ公国に王子が触れた、ということは。


 彼はその国とつながった――――裏切者。



「陛下、これは」



 私がそっと、声をかけると。


 陛下は私を見て……目を、逸らされました。



 …………あれ? どうされた、のでしょう。


 息子ゆえ、即刻処刑とはしづらいのは、理解できます。


 ですがその。そういう視線の動きでは、なかったような……。



 何かフェイオン王子ではなく、私に意識が、向いた、ような。



「もしかして、その女、ですか」



 …………え。


 なぜ私に、王子の矛先が向いたのでしょう。



「この私を裏切っておきながら!


 今度は父上を惑わそうとしているのか、魔女め!」



 ……いいたい放題、ですね。


 私は、思わず前に出ようとして。


 目の端に見えた陛下の横顔に、ぎょっとして足を止めてしまいました。



 笑って、おられる。


 それも、戦いで敵を前にしたときに見せるような、類の。


 どう猛な、お顔。



 少し記憶に遠くなった、あのバルコニーで見たお顔を、思い出す。



「そうか――――お前では、ないのだな」



 その緑の瞳は、真っ直ぐに……フェイオン王子を向いていて。


 そしてその端で少しだけ。


 私を見た。



「くく。お前がそこまで言うのなら……ナニラにするとしよう」



 陛下が呟きながら、フェイオン王子の脇を通り過ぎ、廊下を堂々と歩いて行かれる。



「な、父上!?」



 私も陛下の後に続こうとして、驚く殿下の脇を抜けて。



「ぐっ」



 肩を掴まれ、振り向かされた。



「お前が! 何かしたのか、アメリア!!」



 間近から、唾が飛ばんばかりの勢いで言葉を吐かれる。



 ……ひどい、顔。保身に、歪んでいる。


 私本当に……この男を、好いていたことがあるの?



「痛いの、ですが。殿下」


「とぼける気か! ッ!?」



 急に。


 掴まれていた手が。


 私の肩から、離れた。



()()()に向かって、どういう了見だ? 息子よ」


「こ、これは! その」



 陛下に捕まれた手を引き、フェイオン王子が、下がる。


 陛下が、彼と私の間に、割り込んだ。



「ゆくぞ、アメリア」


「はっ」



 私は今度こそ、陛下に続く。



 すれ違いざまに。


 義理の息子の。


 舌打ちと。



「――――お前さえ、いなければ」



 囁くような声が、聞こえた。




 ◇ ◇ ◇




「ぇ。いま、なんと」



 礼に欠くことでは、ありますが、つい聞き返してしまいました。


 寝室に入ったばかりの、私は。



「部屋を分ける。別の寝室で眠れ、アメリア」



 繰り返される陛下のお言葉に――――目の前が、真っ暗になりました。



「それにその方が、()()()()()()()()()()



 そして、ぼそっと付け加えられた、呟きに。


 打ちのめされ、頭から星が飛んだ思いがしました。


 ようやく焦点があった瞳で、寝台の陛下を見ると。



 陛下は……口元を手で押さえ、目を見開いておいででした。


 思わず言ってしまった。そういう、お顔に見えます。



「ちが、陛下!?」


「…………なにがどう、違うと言うのだ。アメリア」


「それ、は」



 私の頭の中で。



『お前では、ないのだな』



 昼間の出来事、王子に対するあの不可解な陛下の呟きが、繋がる。


 明らかに……私の浮気を、疑われて、いる。



 ……それは、そうです。無理もない。


 毎夜陛下が寝静まってから、私はどこかに姿を消している。


 それも、きわめて……煽情的な衣装に、着替えて。



 見られて、いたのであれば。


 言い訳、できない。


 かといって。



 私は、慄いた。



(言え、ない)



 寝所を出て、夜な夜な広間で戦っているとは……ばらせない。


 私が、暗殺者を皆殺しにしているなどと、知られたら。


 今でも、兵士や侍女にすら、少しの怯えを見せる、この方に、知られたら。




 ――――――――嫌われて、しまう。




「…………一人に、なりたいのだ」



 消え入りそうなお声に、私ははっとなった。


 お一人になりたいのも、本当だろう。


 心労がたまって、おられるのだろう。



 でも、それだけでは、ない。


 こんな状況でも、陛下は。


 私を……お気遣い、くださっている。



「わかり、ました」



 私の、返答に。


 陛下のお顔が、一度上がって。


 そして、沈んだ。



 …………御年齢を感じさせる、疲れたお顔が、目に焼き付いて。


 視界が、濡れて。


 私はすぐ目の前すら見えず、手探りで……部屋を出た。



 顔を、見られたくなくて。


 そこに、いられなかった。












 その夜は、ずいぶん多かった気がする。


 熱された岩で。鉄の処女で。断頭台で。


 侵入者を徹底的に……殺した。



 そして今宵も。


 最後の、一人。


 やたら腰の引けている、男。



 念入りに布で身を隠しているのは気になったが。


 弱い。造作もない。


 壁の罠を、起動する。回転のこぎりが、男の背後から飛び出して……



『ヒッ! 貴様の、せいで! アメリア!!』



 ――――覚えのある声に、私は無理やり、魔法を止めた。


 ばきり、と音がして男のすぐ背後まで迫っていたのこぎりが、砕け散る。



(はっ、まずい! ついやってしまったが、壁の罠がしばらく使えない!)



 強制停止には、再起動に時間をとられるという欠点がある。


 戦いの最中に、やってはならない行為だ。


 回転のこぎり一撃なら、人はすぐ死なない。そのまま、当てるべきだった。



(ぐ、どうすれば!)



 壁・床・天井。三つの組み合わせて、いつも罠の発動は考えている。


 そのうち一つが、使えないと、なると。


 どう戦っていいか――――急に、わからなくなった。



 頭を手で押さえ、ふらつく。



『は! 死ねぇ!』



 男が……ナイフを握り締め、私に向かって走り込んできた。


 ()()瞳の暗殺者を――――よろけながらも、かわす。


 少し腕をきられたが、咄嗟に床の罠を起動した。



 【バナナの皮】が現れ。



『んなぁ!?』



 男が勢いよく、すっころぶ。


 時間が経ったからか、壁の罠が再利用可能になった。


 すかさず印を組み、もっとも早く設置が済む壁と天井の罠を配置した。



 まずは壁。



『ぶばぁ!?』



 彼の正面の壁から飛来した物体が、起き上がったところの顔面に思いっきりぶつかった。


 その顔が、脂っ気たっぷりの白で、染まる。


 その罠は【パイクラッシュ】。魔法のパイで、濃い混乱を植え付ける。



 さらに天井の罠を、起動。



 飛来した巨大な金属の桶の底が、男の頭に命中し、ものすごい音をたてた。



『ほげぇ!?』



 男が……倒れた。


 この【オオダライ】は普通に当てると、相手の怒りを湧き立たせる。


 ただ【バナナの皮】【パイクラッシュ】と組み合わせると、一撃で意識を刈り取るのだ。



 よくわからないが……この魔法の組み合わせで、「オチがつく」らしい。



 ふらつく体を奮い立たせ、広間の壁に手を付ける。



「至急、回収を。存命1。――――フェイオン王子です」


『わ、わかりました! アメリア様!』



 返答を受け、広間の中央に向かって、歩く。


 どうしても……近くに行きたくて。


 どうしても――――お傍に寄りたくて。



 今日は、お眠りになれているだろうか。


 沐浴もできていないはず。御髪を整えて差し上げなくては。


 お髭は、今朝剃らせていただいた。きっと今触ると、良い感触だろうに。



(陛下……)



 私は、小屋の扉に手を付き。


 倒れ。


 意識を、失った。




 ◇ ◇ ◇







 ――――――――アメリア!!








 ◇ ◇ ◇




 何度も、呼ばれたような、気がして。


 目を、開きました。



(ああ、おかお、が)



 焦点の合わぬ目でも、しかし見間違えたりはしません。


 陛下が、私を覗き込んで、おられる。



(おひげが、のびていらっしゃる。


 それに、お疲れが、おかおに。


 眼が……え?)



 ぽたり、と頬に落ちてきたものに、気づいて。


 視界が、定まる。



「へい、か」



 どこか、痛まれるのでしょうか。


 なにか、苦しいのでしょうか。


 力が入らぬ左腕を、上げて。



「あめ、りあ。目が覚めぬかと、思った」



 掴まれ、ました。



「ずっと私を、守っていて、くれたのだな」



 そして、陛下の濡れた頬に、当てられます。



「毒は、抜けたが……手が、細っている、な」



 急に――――意識が、はっきりしてきました。


 そう、そうです。


 私が、寝所を抜け出していると、知られていたのなら。



 陛下をお撫でしていたりしたことも、知られて――――!



「おっと」



 私は手を引っ込め、布団を被り直し、寝返りを打って陛下に背を向けました。


 自分でも、信じられぬほど素早い動きでした。


 顔に熱があがって……おさまり、ません。



「くく……そのような可愛らしい顔も見せるのだな、妻よ」



 ……耳のあたりを、ご覧になられている。


 きっと、真っ赤になっています。


 恥ずかしい……。



「どうか……そのまま、聞いてほしい。


 聞いて気分が悪くなるようであれば、言っておくれ。


 口を閉ざそう」



 何か決意の籠ったお言葉に。


 私は振り返り。


 身を起こし。



 意外に近くにあった陛下のお顔を、じっと見つめました。



「――――拝聴いたします」



 ……期待が、あって。


 私を妻にと求めてくださった、あの夜の、ような。


 ですが……目を、逸らされてしまいました。



「…………せめて、顔を伏せっていてほしい。


 堂々と言えることでは、ないのだ」



 ――――――――陛下が、照れていらっしゃる!?


 こここ、これは! あ、血が上ってくらっときます!


 ああああ見ていたい見ていたいです! ですが伏せろとご命令が!



 赤みがさし、まだ目が潤まれた、そのお顔。


 顔を、あげたい。みたい。ですが、我慢、せねば!



「……………………このような、疲れ、年老いた男が。


 お前のように若く、未来のある娘に、いうことではないが」


「……はい」



 内容には逐一反論したいところでしたが、傾聴します。


 絞り出すようなお声でした。


 私が話の腰を折ってしまったら、二度と……そのお言葉は聞けない、気がするのです。



 これから紡がれるのは、きっと。


 お弱りになった、男性の――――本音。



「お前が私の申し出を受けてくれた時、生きる気力が戻ったようであった。


 お前が夜な夜な抜け出しているのに気づいたとき、深い絶望を、覚えた」



 …………このように陛下のお心を乱していた、とは。


 頭の芯にまで血が上って、どうにかなりそう、です。



「寝室の前で倒れたお前を見た時。


 ソニアや、イアを失った時のことを思い出し……目の前が、暗くなった」



 ソニア様は、前王妃様。


 イア様は……陛下の妹君。


 ナニラ公国に、嫁がれ。亡くなっています。



「しかし、その。恥ずかし、ながら」



 …………陛下のお言葉に、間が空きました。


 私はつい、目線を上げてしまい、ました。


 顔を手で押さえていらっしゃる陛下は、私の視線には、気づいていません。



 ――――耳まで、真っ赤になっておいで、なのですが。



 こ、これ。この次、私何を言われてしまうのです!?


 動悸が、動悸が! おさまりません!



「アメリア」


「ひゃ、はい……!」



 精一杯、声を抑えて応えると。


 また、間が空いて。



「お前は……美しかった」



 幾重にも、布に包まれたような、お言葉。



 あの時の、私は。


 淑女が見られたら、舌を噛みかえない……はしたない、恰好。



「……意識のないお前から、目が離せなかった。どうか、許してほしい」



 そそそそそそれ言ってしまわれるのですか!?


 わ、私を見て、情を、覚えられた、と!



「いつもの夜は。お前が隣にいて……心地よく、心が安らいで。


 すぐ眠れたゆえ、我慢も効いた」



 我慢してるって言った! 言ってしまわれた!?


 あわわわ、今の私、簡素な麻服をずぼっと着させられてるだけ!?


 だめ、今ダメです! これはやり直しをお願いしたい!



 周りに人もおりませんし!


 ここいつもの寝室ですし!


 この流れはダメ、今はダメです陛下!!



「だが、私はお前を――――愛して、いるのだ」



 …………頭の中が、真っ白になってしまいました。


 興奮しているのに、穏やかで。


 何も考えられないのに、思い通りに動いて。



 腕が、勝手に伸びて。


 彼の顎を、頬を、両の手が、撫でて。


 髪に、差し入れて……そのお顔を、引き寄せる。



「アメリア!?」



 お慌てになられている。


 ふふ。お可愛、らしい。



「私も……お慕いしております。陛下」



 彼の頭を、かき抱く。胸元に、押し付ける。



 ふっと。


 そのお顔の熱が……引いたような、気がした。


 陛下の手が、私の背を、そっと撫でている。



 大きな、手。


 少しの、ざらつきを感じる。



「良いのだな、アメリア」



 ああ――――本当に。


 我慢して、おられたのですね。


 病み上がりの女を、抱きたい、だなんて。



「はい。お待ちして、おりました」



 胸元から、彼の顔が、離れ。


 目線を、合わせてから。


 ぐっと引き寄せられ。



 唇を、はまれた。



 …………ちくりとした感触と、柔らかさが。癖に、なりそうです。



「では、遠慮はせぬ」



 ――――――――はい?








 私結局、浮気の疑いは晴れておらず、「未通ではない」と思われていた、らしいです。


 後で、頭を下げては、いただきましたが。


 …………アスター陛下の、ケダモノ。




 ◇ ◇ ◇




 小高い丘の上、さらに馬に乗って眺めるは、遠く国境向こうに構えられた、砦。


 私の背中には……愛しいアスター陛下。



 結ばれて、さらに二月ほど。


 私たちはナニラ公国と接する、国境付近まで来ていた。


 我々は今、伝令を待っています。他の者は出払っていて、いません。



「ナニラの地を踏むのは、久方ぶりだ。


 お前と初めて会った時、以来だ……アメリア」


「はじめて、と申されますと」



 陛下の仰るところが頭の中で結びつかず、聞き返しました。



「妹の訃報を聞き、私はナニラに渡った。


 そしてその忘れ形見を引き取り……ムスカリ公爵領に立ち寄った」



 あれ? それ、は。



「お前と、フェイオンが……初めて会った時、でもあるな」



 え。



「フェイオンは、ナニラ公爵との取引で、我が息子となった。


 だがその時点から、奴の計略だったのであろうな。


 暗殺の手引きを、長年息子にさせ続けていたとは。


 もっと早くに気づいていれば……ソニアも亡くさずに、済んだものを」



 や、その。


 これ、聞いてよかった話なのでしょうか?


 いや、今からナニラに攻め入るのであれば、別にどうとでもなるお話なの、でしょうけれども。



「ああ、感傷に浸っているわけではない。


 ソニアやイアのこと、あまり振り返るのはアレらに却って申し訳がない。


 私が今感じているのは……そうさな。


 気持ちの悪いことをいうが、妻よ」



 そう言われ、ちょっとの予測がついてしまいましたが。


 野暮は……言いませんとも。



「拝聴いたしましょう」


「幼きお前を見て、私はきっと、運命のようなものを感じていた」



 確かに、その時の私に好意を抱いたなら……いろいろとまずいものがありますね? 夫よ。


 でも許してあげましょう。



 確かに、私は長年……フェイオン王子を慕っていました。


 ですが。



 初恋は。


 違うのです。



「私もです、アスター様。


 ――――ですが今、胸元に手を伸ばすのはおやめくださいませ。人が来ます」


「む、確かに」



 この夫、少々お若々しすぎるのではないでしょうか。


 私は望むところですが。


 人目は気にしていただきたい。



『陛下。連れて来ました』


「御苦労」



 丘を登ってきたのは、幾人かの騎士。馬に乗った伝令。


 そして彼らに連れられてきた……罪人。



「ちち、上」



 フェイオン。


 かすれた声と、据わった目が、馬上に向けられてくる。



「お前に言いたいことは二つ。


 私はお前の父では、ない」



 …………フェイオンは当時それなりの年。


 彼が驚愕の表情を浮かべたのは、真実を知ったからでは、ない。


 「もう親子関係は解消する」という宣言を受けての、もの。



「ナニラ公爵に、お前を返す。


 ああ、当人に引き渡すという意味ではないぞ?


 心して……我が王国に仕えるが良い」



 攻め滅ぼした上で属国化する、ということでしょう。


 立地上、緩衝地帯となる国ですし。


 王国が直接統治するより、縁者に代理統治させたほうが確かに手間が少ない。



 そしてフェイオンを連れてきたのは、おそらく。


 ……逆らう気を、なくさせるため。



「…………母の仇の貴様の言うことなど、聞くわけがないだろう」


「お前の母イアは、私の妹だが。謀殺したのは、ナニラ公爵その人だ。


 証拠もあるとも」


「なんだと!? 口から出まかせを!!」



 証拠があると言ったのに、話聞いてないんでしょうかこの元王子。


 母の仇だと実の父親……ナニラ公爵に教え込まれ。


 敵地に送り込まれていたのは……まぁ同情の余地くらいはありますが。



 短慮は相変わらず、ですね。



「しばらく(くつわ)をしておけ。うるさくされてもかなわん」


『はっ』


「おのれアスター! ふぐ」



 王子は口元を覆う面を被せられた。


 うめき声すら、聞こえなくなる。



「ああそう……もう一つあったな」



 陛下のお声が、何か楽しげです。


 少し私の耳に、囁くようでもありました。



 その。人前です。あなたの低く張りのある声を、耳に響かせるのは、おやめいただきたい。


 体の奥まで、染み込むようです。


 屋外です。(いくさ)前です。ご自重ください。



 私、あのような戦闘服をまとっては、いましたが。


 これでも貞淑な方、なのです。恥ずかしい……。



 私のそんな気も知らず、腰……下腹に、彼の両の手が、回る。



「アメリアは私のものだ。――――()()()()()()()()



 …………ぇ。


 さっきのお話と、合わせると。


 何か気になる、言い回し、なのですが。



「そこの岩陰に繋いでおけ」


『はっ。来い』



 フェイオンが連れていかれる。


 彼の視線は、ずっと私たちの方を向いていた。



「では始めるとしよう。【天よ】!!」



 陛下の堂々たるお声が、響く。


 快晴の空の下に。


 幾重もの雷光が、閃いた。



 砦を何度も直撃し、レンガを砕き、バラバラに解体していく。


 慌てた様子で大量の人間が中から出てきて、幾人かは雷に打たれていた。



「追い出しはこれでよいな。アメリア」



 陛下に再び耳元でささやかれ、ちょっと意識をもっていかれそうでしたが。



「はい」



 気を、引き締めます。


 遠く戦場を、改めて見据える。



 魔法の防備を上に向かって張りながら、兵がまばらに、しかし多量に砦を飛び出していく。


 向かう先は、国境。そこに構える、ムンストン王国軍。


 互いに、弓が届く距離に入って……さらに、引き付けて。



(――――位置、よし)



 私は大地に向かって、右手を振った。



(今!)



 敵軍の先頭が、大地の爆発に巻き込まれ、吹き飛ぶ。


 後続は巻き込まれたり、足を止めたり、恐慌状態に陥った。


 ()()の【地雷】です。



 …………大量に、埋設してありますが。



 我が侯爵家に伝わる罠の魔法には、いくつか制限がある。


 ただその制限は。


 ()()()()でのみ、かかる。



 天の見える場所であれば、むしろ見渡す限り無制限に、罠を仕掛けられるのです。


 燃費もよく、強力で。


 凶悪な――――必殺の、罠を。



『ッ!? ――――!!』



 目の端に映るフェイオンの顔に、慄きの色と涙が浮かんでいます。


 まぁ敵からすれば……天雷に加えて、私の罠の魔法とくれば。


 絶望しか、ないでしょうしね。



 印をいくつか結んで。


 敵軍の周囲を囲むように、大地を〝罠〟に変えてから。



「陛下。囲み、終わりました」



 後ろの陛下に、告げる。



「よし。行け。次は矢の雨を降らし、大地を爆弾で耕すと伝えよ。


 そやつももうよい。引け」


『『はっ』』



 馬に乗った伝令が、急ぎ駆けていく。


 徒歩の兵が、フェイオンを引っ立てて丘から降りて行った。



「くく。さすがの罠の名手といったところか。我が愛しき妻よ」



 ちょっと陛下? 人がいなくなったからって、私のおなかを撫でまわすのが早すぎませんか?



 しかし。


 名手、というのであれば。



「あなたには敵いません。アスター」



 見事にこの方の罠にはまり、虜にされてしまった私に。


 反論など、できようはずもありません。




 本当は、どれほど長く私に恋焦がれ、欲していたのでしょう。


 本当は、どこまでが演技で、どれが策謀で、どれが本心だったのでしょう。


 本当に……どこまでがあなたの、深謀遠慮だったのやら。




 ――――だからといってこの広々とした天の下で唇を奪って、その嘘偽りない欲望(愛情)を私に注ぎ込むのは。


 いささか、反則ではないでしょうか。




 もう私は、あなたの()の連鎖から。


 抜け出せないというのに。


 天に雷を、大地に罠を。


 その後、後継者にも恵まれ。


 かつて謀略と暴力の国と呼ばれたムンストン王国は。



 長く静かな、繁栄を続けたという。


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