招く声
『やろか水』や『置行堀』などの怪異はご存知だろうか?
やろか水は、『やろか』『やろうか』などの声に応答してはいけない。『くれ』というとたちまち洪水に飲み込まれてしまう。
置行堀は、ある堀で釣りをして帰ろうとすると『置いてけ、置いてけ』とどこからともなく声がするのだ。釣った魚を置いていけば怪異は収まるし、そのまま持って帰ったとしても、魚籠の中は空だという声の怪異だ。
◇
しかしこう言う話がある。
昭和の話であるが、ある女学生が田舎道を下校していた。
家までの道は鬱蒼としており、片方は山肌、片方はなだらかな崖となっており、針葉樹が立ち並んでいた。
彼女はいつものその道を帰るすがら、前方から『こっちへおいで』という老女の声がする。
しかし前には誰もいない。特段隠れる場所もない。
『こっちへおいで』
女学生は怖くなってしまい、その場に立ち尽くしてしまった。
引き返せば人通りに戻ることも出来るが、声のほうに家がある。女学生は泣きべそをかいたが、家に帰るしかない。
声だけの怪異だし、通りすぎてしまうことなどなんともない。彼女は意を決して足に力を入れて前に進んだ。
一歩進めば、一歩分前から『こっちへおいで』。三歩進めば三歩分『こっちへおいで』。
気にしないなど無理があるが、まだ明るいのも手伝って、前に進むことが出来た。
その時……!
彼女の後方の山肌が崩れ、崖に向かって土やら大岩やらが流れて道が消えてしまったのだ。
声に従っていなかったら、崖の底だった。その声は、その後は消えてしまったのだった。
その女学生の祖母は健在だったし、声の主に心当たりはなかった。
ひょっとしたら、彼女の守護霊が守ったのかもしれない。