秘笑みの理由
(あれ、西岡さん?)
仕事でS市に来ていた僕は、駅前の商店街で、同じマンションの隣人である西岡さんを見かけて、思わずその後を追うように歩いていた。
自宅マンションがあるのはK駅の側で、同じ路線ではあるが、少し離れている。それにS市駅の隣の駅の側には、大型のショッピングモールがあるため、こんな小さな駅前商店街に、わざわざ買い物に来たとは思えず、興味を引かれたのだ。
西岡 京子さんは未亡人だと言う噂のある、儚げな雰囲気の美人で、歳はおそらく三十そこそこ。独り暮らしで、駅前のコンビニでパート勤めをしている。
近所の野郎共の憧れの的で、タバコや雑誌はあのコンビニで買うと決めている奴等は多い。まぁ、かくいう僕も、その中の一人ではあるのだが。
(いや、これはストーカーなんかじゃないし。たまたま偶然見かけた知人に、声をかけようとしているだけだ……)
変な言い訳を自分自身にしながらも、見失わないよう、後ろを歩いていく。しばらくすると、西岡さんは和菓子屋に入り、何かを買ったのだろう。エコバックを手に、出てきた。
おそらくは、そのタイミングで声をかければ良かったのだろうが、あいにく商店街に進入してきた軽トラをよけている間に、タイミングを逸してしまった。なので立ち止まり、時計屋のショーケースをのぞき込むふりをしながら、様子をうかがうことに。
西岡さんは誰かを探しているのか、キョロキョロと辺りを見回している。
もしや、後をつけているのがばれたのかと焦るが、どうやら違ったようで、今度は急ぎ足で花屋へと入っていった。お彼岸のためか、花屋は繁盛しているようで、店内には何人もの客が、花を選んだり、会計の順番を待ったりしているのが見えた。
僕が花屋の前で入ろうか、入るまいか逡巡していると、中から一人の老婆が急ぎ足で出て来た。ぶつかりそうになり、慌てて避けるが、相手はそのことにも気づかないのか、おぼつかない足で必死に走っていく。
まるで何かから逃げているようで、危ないなと思って見ていたが、直ぐに人混みに紛れ見えなくなった。しかし、その直後、車の急ブレーキの音と、どんっ!という音が聞こえ、甲高い悲鳴が響く。
「事故だ!ばあさんが撥ねられた。誰か救急車!」
「動かさないで!頭を打ってるかも」
「商店街のどこかにAEDがあったよね、誰か持ってきて!」
「どこ?!」
「丸福茶屋!」
喧騒の合間にそんな声が聞こえる。やがてパトカーと救急車のサイレンが聞こえてきて、辺りは一層騒然となった。
ふと気が付くと、西岡さんが事故の野次馬達の方へと歩いていくのが見えた。先ほどの花屋で買ったのだろう。手には水仙の花束を持っている。
万が一、振り向いた時に見つからないよう、気をつけながら、後ろをついていく。西岡さんは野次馬の隙間を少しずつ進み、やがて一番前のガードレールそばに達していた。
(もしかして、知り合い、かな)
後ろ姿しか見えない僕には、西岡さんがどんな気持ちでその場を見ていたのかは、判らない。ただ、しばらくして振り向いた彼女は、楽し気に微笑んでいた……
***
S駅から二駅先にある駅前の商業ビルの三階。『青柳損害保険リサーチサービス』と書かれた事務所の扉を開けながら、声をかける。
「ただいま戻りました」
「おう、拓郎か。どうだった?」
「当り無しでーす」
「まぁ、そんな時もあるさ。今回の事案は、時間も時間だしな」
この事務所は、僕の叔父・青柳 啓次郎が経営する調査会社で、一年半前からの勤務先でもある。保険会社からの委託された、事故の調査をするのが主な仕事で、従業員は僕の他にベテラン調査員が三人いる。もっとも今は調査の為に出払っており、事務所には叔父と僕だけだ。
僕は元々、歯科材料を扱う会社の営業マンをしていたのだが、飛び込みの新規開拓や、歯科医院を回っての新製品の説明に明け暮れる生活が性に合わなかったのだろう。入社二年目に円形脱毛症を発症してしまった。最初は五円玉程度のものが一つだけだったが、だんだんひどくなり、結局、五百円玉大のハゲが三つできた時点で、これ以上は無理だと悟り、退職を決めたのだ。
その後は、ハゲが治るのを待ちながら、半年程実家でゴロゴロしていたのだが、そんな時、叔父から「暇なら、ちょっと手伝ってくれ」と頼まれたのが、この仕事に就くきっかけとなった。
だから、本当に最初は手伝い程度、週に一、二回、ちょっとした聞き込みに出かける事から始めたのだが、元来、人と話すこと自体は嫌いではないのと、調べた結果を提出するだけで、仕事が完結するのが良かったのだろう(当事者との交渉等は、依頼先の弁護士がする) 。気が付けば正社員として働くことになっていた。今年は見習いアジャスターの試験を受けるので、その為の勉強もしている。
今、受け持っているのは、8日前の早朝に、S駅近くで起きた車と自転車の接触事故の調査のサポートで、車には生憎、ドライブレコーダーがついていなかった為に、双方の言い分の食い違いが生じている案件だ。
なんせ双方共にお年寄りで、しかも、どちらもが自分は悪くないと言っているらしい。その為、付近の防犯カメラの確認と、目撃情報を集めている最中だった。できれば、どこかの車のドライブレコーダーに、事故の様子が映っていて欲しいと願いながら、地道に聞いて回る日が続いている。
今日の事は、そんな中で起きた出来事だった。
翌日のネットニュースで、あの老婆が亡くなった事を知った僕は、仕事の合間に少し調べる事にした。とはいっても、あからさまに調べる訳ではなく、本来の調査をしている傍ら、ちょっとした話のついでに、「そう言えば、先日この近くで……」といった感じで話を振るだけだ。すると皆、面白い位、色々と教えてくれる。
それで判ったのは、あの老婆は田沼 登喜子という名で、商店街から十五分程行った住宅街にある家に、一人で暮らしているという事だった。子供はおらず、ご主人も六年前に、事故で亡くなっている。
しかし僕が驚いたのは、西岡さんが三年前まで、田沼さんの隣の家に住んでいたという事実だった。
西岡さんのことも色々と判った。三年前にご主人と、義理のお母さんを続けざまに亡くした為、家を引き払って引っ越したらしい。どうやら、当時は週刊誌等も取材に来ていたらしく、地元の大きなニュースの一つだったようだ。おかげで皆、べらべらと喋ってくれるのだから、有難い。
(やっぱり未亡人だったんだ……)
そう思うと同時に、仕事柄、嫌な想像が浮かんだ。結婚して一年も経たないうちに、『夫と姑を亡くして全てを相続した未亡人』と来れば、遺産や保険金を狙った殺人が思い浮かぶ。週刊誌もその辺を狙って、取材に来たのだろう。
いけないと思いながらも、当時の記事を調べてみる。今時はスマホさえあれば、ある程度は調べられるから、便利なものだ。
西岡さんのご主人のことは、直ぐに判った。出勤途中にバイクで転倒し、頭を打った事が原因で亡くなっていて、これは事故として処理されている。
そして、その葬儀の翌日、姑が自殺していた。しかも、その時西岡さんは葬儀の後に倒れたために病院に運ばれ入院中で、第一発見者は、姉を心配して様子を見に来た姑の妹だと書かれていた。
こちらも自殺で間違いないようで、一人息子を失ったショックから、衝動的に自殺したのだろうと推察されていた。
彼女への疑いは一気に薄れ、僕はほっとする。しかしそうすると、今度は違う疑問が涌いてきた為、少し悩んだ末に、次の休みに田沼さんの自宅に行ってみる事にした。
***
そこは比較的敷地の広い家が多い一帯で、田沼さん宅もその例に漏れず、敷地は50坪以上ありそうだ。
建物はごく普通の二階建てで、駐車場はなく、その分が庭に振り当てられている感じだった。庭は、そこそこ手入れされていたようで、今は水仙が黄色い花を咲かせている。それ以外は、植物にはあまり詳しくない僕が判るのは、ツツジらしき物と、後は夾竹桃位だ。
その右隣は更地になっていて、こちらには売り地の看板と一緒に、建設会社の看板が立っている。
(そりゃ、そうか。三年も前だし)
この辺りで聞き込みをする理由も無いため、一応田辺さん宅の写真を二枚ほど撮った僕は、駅へと引き返す事にした。ただ、休みの日とはいえ、せっかく来のだから、ついでに本来の仕事を少ししてから帰ろうと思い立つ。
商店街を駅へと向かいながら、【事故調査員・青柳 拓郎】と書かれた身分証を、見えるように首から下げる。商店主や、客に事故を見ていないか聞きながら、いつしか僕は、あの花屋の前にいた。
(何か、判るかも知れない)
そんな思いで『フラワーショップ・ベル』に入る。
「いらっしゃいませー」
ふくよかな中年女性が声をかけてきたので、僕は身分証を相手に判りやすいよう持ち上げ、少し聞きたい事がと言って、客でないことを示す。どうやら、このふくよかな女性が店主で、レジに立っている女性が従業員のようだ。
肝心の事故は、二人とも見ていないとの話だったので、礼を言って出ようとすると、
「事故の調査だなんて、てっきり、こないだの田沼さんの事だと思ったわ。あぁ、でもあれは普通に飛び出しだったらしいし、見ていた人も大勢いたって話だから、調査なんて要らないか。ただねぇ、どうやら最後に話したのが、私だったみたいで……」
聞いてくれと言わんばかりに、向こうから話を始めたので、渡りに船だと思ったものの、何も知らない顔をつくり、話を聞く事に。
「あの日、前にこっちに住んでいた人、西岡さんって言うんだけどね。その人が、わざわざ来てくれたのよ。でね、お久しぶりって、店にいた田沼さんに話しかけていたの。あぁ、二人は昔、お隣同士だったから」
お喋り好きなのだろう。客が居ないこともあって、店主は身振り手振りを交え、話し続ける。
「それで、西岡さんが、『引っ越しして暫くしてから、お義母さんの日記が出て来て、そこには、田沼さんの事が何回も書かれていたんですよ。ほんとに仲良かったんですね』って話していて」
「そこで別のお客さんに呼ばれたから、そっちに行ったんだけど、声は聞こえてたの。だから、お義母さんが、田沼さんが旦那さんにされたビックリサプライズの事、とても感心してたとか、自分でもやってみようと思ったら、大失敗したとか、そんな話をね、楽しそうにしていたのよ」
ねぇ?と同意を求めるように、従業員の方を向くと、相手もうなずく。
「だけど田沼さん、具合が悪いのか、段々顔色が悪くなっていって。だから私、大丈夫?って聞いたんだけど、用事があるのを忘れてたとか言って、店を出ていったのよ。だから二人で心配していたんだけどね。そしたら、あの後直ぐに車に轢かれて、亡くなったでしょう?ほんと、ビックリしたのよ」
喋りながら、僕の肩をバンバン叩く。結構、痛い。
「で、その後、もしかして、あれが最期の会話だったのかも?て、気づいたもんだから、ちょっと怖くなってさぁ」
笑いながら怖いと言われても、説得力ないぞと思いながらも、大変でしたねと言って店を出るが、話を聞いている内に浮かんできた想像に、なんとなく確信じみた物を感じた僕は、足早に駅へと向かった。早く一人になって、色々と考えたかったからだ。
そして、出した結論は…………
「すいません。少しお時間を頂いて、良いでしょうか」
二日後の土曜日。僕は西岡さんの部屋を、訪ねた。女性の一人暮らしなので、玄関の扉が閉まらないよう、でも、周りの目からは少しは遮断されることを期待して、扉の枠の上に立った状態で、話を切り出した。
「僕、この間S駅の商店街で、田沼さんというお婆さんが事故に遭った時、偶々仕事で、あの場に居合わせたんです。花屋から怯えた様子で出てくるのも見ましたし、花屋の人からも、その直前に西岡さんと話をされていた事も聞きました。だから、単刀直入に言います。西岡さん、いったい何があれほどまでに、田沼さんを怯えさせたんですか?」
「さぁ。私はただ、義母の日記の話を少し、しただけ。二人は仲が良かったから。でも、そこらへんの事も、ベルのおばさんに、聞いたんでしょう?」
「はい。そこで大変不躾だとは思いますが、その日記を拝見出来ないでしょうか」
「あら、それは無理ね。だって納骨の際に、骨壺と一緒にお墓に納めたもの」
そういうと、首を傾げたまま、それ以上何も語ろうとはしない彼女に、僕は自分の勝手な想像だと前置きした上で、組み立てた推理を口にした。
「もしかしたら……ご主人の死と、田沼さんが何か、関係していたのではないですか?」
「なぜ、そんな事を?」
「すいません。勝手に調べたのですが、田沼さんのご主人の事故と、あなたのご主人の事故がよく似ていたので。だから、もしかしたら彼女があなたのご主人の死に、何らかの関りが在るのではと。そして、その事に気づいたあなたは、誰にも分らない方法で、田沼さんを脅していたのではないか。そう、僕は考えたんです」
六年前の田辺さんのご主人の死も、バイクによる転倒が原因だった。だから、もしそうだとすれば、全てに説明がつくように思えたのだ。しかし。
「なぜ、田沼さんが、私の夫を殺す必要があるの?」
「これは想像ですか、田沼さんのご主人の死の真相に、あなたのご主人が気づいたのではないかと」
それに義母に関しても、お隣の田沼さんなら、自殺に見せかけることも出来るでのではないか。もしかしたら、慰めるふりをして家に入り込んで殺害し、その後、証拠の品を探して持ち去ったのではないか。それが僕の出した結論だった。
(仲のいいお隣同士なら、合鍵の隠し場所なんかも、知っている可能性が高いし……)
「青柳さん。お仕事がら、仕方がないのかも知れないけど、何でもかんでも事件に結びつけるのは、どうかと思うわ。もし夫がそんな事に気づいたのなら、警察に言えばすむだけの話でしょ?そうしなかったということは、違うという事だと思うけど?」
言いながら、呆れた顔でこめかみを揉む。
「それに、どうやって、夫を殺したと?」
「それは、バイクに何等かの細工をして……」
そこで西岡さんは、大きくため息をついた。
「そもそも、そこに勘違いがあるのよ。夫が事故をおこしたバイクは、普段、私が通勤に使っていた物なの。それを、あの日は休みだったので、夫に貸しただけ。しかも、それは夫から頼んできたからよ」
「えっ……」
それは、僕の推理を根底から揺るがす発言だった。それが事実なら、全ての仮説が成り立たなくなってしまう。焦った僕は、一番の疑問を口にすることに。
「だ、だったら、なぜ、わざわざ、あんな所にまで花を買いに行ったんです?」
「知らないの?飯坂霊園へのバスが、S駅前から出てるからよ。お墓参りに行くところだったの。ねぇ、悪いけど、もう、帰ってもらえる?あと1時間もしないうちに、仕事だから、準備しないと」
ぐいぐいと押され、僕は玄関から出されてしまった。モヤモヤしたものを感じながら、しばらくは閉じたら扉を見ていたが、あきらめて自室へと戻るしかなかった。
(結局僕には、『探偵の才能無し』だったわけだ。まぁ、女性の微笑みなんて物は、永遠に謎でしかないのかも知れない……)
ため息をつきながら、服のままベッドの上に寝転がる。
(あーあ、明日から、どんな顔をして会おう……)
気が付けば、今後の最重要課題で、頭が一杯になっていった。
***
単純で、おめでたい人。あんなので、事故調査員なんて務まるのかと疑問に思う。まぁ、全くのはずれと言うわけでも無かったが。
それでも、わざわざ赤の他人に教えてあげる事など、あるわけ無いのに。
「ねぇ、あなた」
仏壇の写真に話しかける。三年前の自分も又、おめでたい世間知らずだった。あれは事故の何日も前から準備されていたのに、当時の私はそんな事に気づきもしなくて。何度も自問した。気づいていたら、なんとか出来ただろうかと。
出た結論は、「きっと、何も出来なかった」だ。たとえ一つ防いだとしても、あの女はきっと、手を変え、品を変え、試みたはずだからだ。
「ねぇ、お義母さん」
位牌に向かって、笑う。
四年前。少し足の悪い母親を独りにするのは心配だという事で、私は結婚と同時に、夫・博信の実家で、義母との同居生活をする事になった。有難いことに、事前の話し合いで、ルールを決めていたので、大した問題が起きることは無かった。
ルールは単純で、【食事は三食とも、世帯ごとにとる。洗濯は曜日を決めて、各世帯でする。掃除も、分担を決めて、それを守る。】というものだった。最も、当初は私に「嫁は仕事なんか辞めて、家に入るべきだ」とか、「これでは同居している意味が無い」等と言って反対していた義母も、一人息子に説得されて、しぶしぶ受け入れた形ではあったが。
しかし、事故の三日ほど前から、突然義母が私に朝食のおかずを作り始めたのだ。しかも、毎回ニラが使われていた。家庭菜園で採れた物で、今か旬だと言われたのだが、もともとニンニクやニラが苦手な私は、それを食べずに、こっそり捨てていた。
ただ、さすがに三日目になるとうんざりし、夫に相談する事にした。その日は水曜日で、私の勤める設計事務所は休みだったが、夫は普通に出勤日だったため、朝食のトーストと一緒に、それを出したのだ。ごはん派の私と違い、パン派の夫は、朝はトーストとコーヒーだけだが、そこにニラと豚肉の炒め物が加わる。
「うわ、まずっ」
「そうなの?」
「あぁ。これ、食べなくて正解だ。母さんもよく、こんな不味いもん作るよな。もう作らないよう、帰ったら言っとくよ」
その言葉に、ほっとする。それでも、残すのは悪いと思ったのだろう。あらかた食べた夫は、出勤準備をしながら、
「あぁ、そうだ。悪いけど、今日だけバイク貸してくれないか。昨日ひねった右足首が、まだ少し痛くて、自転車、ちょっと無理そうなんだ」
そう頼んできた。
「良いけど、足が痛いんなら、逆に危なくない?」
「平気。俺、スクーター乗るとき、使うの左足だけだから」
「なら良いけど。でも、気をつけてよ」
鍵を渡しながら念を押す。
「あぁ。じゃっ、行ってくる」
そう言って、手を振ってバイクに乗ったのが、生きている夫を見た最後だった。
次に見たのは病院の狭いベッドに寝かされて、すでに冷たくなった姿で……。私は起きている事に理解が追い付かず、ただ茫然と、冷たくなった夫の手を握っていた。
遅れて病院に来た義母も又、相当なショックだったようで、訳の判らない言葉を呟きながら、私を押し退けるようにして、夫の身体にすがり付いて泣いていた。
警察からは、不運な事故だと聞かされた。
昨夜の雨で路面がすべりやすくなっていたため、カーブを曲がる時にスリップして転倒したのだろうと言っていた。通りかかった車の運転手が通報してくれ、救急車で病院に運ばれたが、転倒の際に酷く頭をぶつけた事が原因で嘔吐し、それを気管に詰まらせたらしく、救急車到着時には既に呼吸が停止していたという。被っていたのがフルフェイスのヘルメットだったのが、災いしたのかもしれないと。
そこからは朧気な記憶しかない。義母の妹である叔母が直ぐに来てくれて、色々と手を貸してくれた事は覚えている。おかげで、なんとか葬儀を終える事が出来たのだから。
しかし、火葬場で待っている時に腹部に激痛が走り、しゃがみ込んだ後の事は、何一つ、覚えていない。そして、気がつけば、病院のベッドの上で、全てが終わった跡だった。私の処置も、義母の葬儀もだ。そして私は感覚の一部が消えた様に、何も感じなくなっていた。
義母は家のベランダで、物干しにロープを結びつけ、首を吊っていたらしい。叔母の話では、私が流産した事を聞いた時に、酷く取り乱していたらしく、発作的にしたのだろうと、いうことだった。
私がその事を疑う理由はなかった。溺愛していた息子を亡くし、生まれてくるはずの孫迄失ったのだ。些かヒステリックな傾向のあった義母なら、十分にあり得る。そう思った。
ただ、もうあの家に住むのは無理だと思った。だから退院した後は、隣県にある実家に戻ることにした。葬儀の際、私の部屋はそのままにしてあるから、いつでも帰っておいでと実母が言ってくれたのも、そう出来た一因だろう。
でも、家を売る為には、色々と処分しなければならないため、専門業者に頼んだのだが、立ち会いは必要だと言われたので、四十九日が済んだ頃、立ち会いのために、仕方なくあの家に戻った。
義母の物の仕分けは、叔母に一任した。私は何一つ要らなかったが、叔母が欲しいものが有るかもしれないからだ。叔母は幾つかの装飾品と、数着の着物を残し、全て処分に回すことにしたらしい。桐の箪笥や鏡台など、多くの物がトラックに積み込まれていった。
夫の物は、見るのも辛く、家具や着古した衣類以外は、全て段ボールに積めて、トランクルームに預けることにした。落ち着いたら、少しずつ見るつもりだった。自分の物も、当座必要な物以外は全て、トランクルームに預けた。
家はとっくに夫名義になっていたため、売った代金と夫の生命保険金、そして、義母の保険金迄もが私の手元に残った。それは葬儀費用を引いても、結構な額だ。そのことで、近所に週刊誌の取材が来ていたという話を耳にしたが、私が何か聞かれたわけでは無かったので、放っておいた。処分を頼んだ業者が不用品を買い取ってくれたお金に関しては、近くの保護猫施設に、全額寄付した。
ただ、いつまでも親に甘えているのもどうかと思い、お墓参りの事も考え、元の家から数駅離れた駅の近くにマンションを借り、独り暮らしを始めたが、暫くは何も出来ず、ただぼんやりと過ごしていた。
ようやく少し遺品の整理をしようと思えたのは、初盆も過ぎ、秋の彼岸が近づいた頃だった。レンタカーを借り、段ボールをいくつか、マンションへと運び込む。
箱を開けた途端に涙が溢れた。最初に目に入ったのが、夫が応援していたプロ野球チームの応援ユニフォームだったからだ。それを着て球場に一緒に行った日を思い出し、涙がとまらない。気づけばユニフォームを抱きしめ、声をあげて泣いていた。消えていた感情が一気に戻ってきたようだった。
その後も、一つ物を取り出しては泣くを繰り返しながら、なんとか二箱あったものを一箱分に迄減らす。そして、三つ目の箱を開けた時、それは出て来た。
「Daiarī」そう書かれた表紙の、さほど厚みのないノート。義母の日記だった。
開いて少し目を通しただけで、読んだことを後悔した。
そこには、私への不平不満どころか、恨み辛みが延々と書かれていたからだ。『クソ嫁』や、『さっさと出ていけ、売女』などはまだましで、あるページには『京子、死ね』の文字がページを埋め尽くす様に書かれてあり、血の気が引く。そして、そこには息子への、異常ともとれる執着も書かれていた。『ママがこれほど愛しているのに』や、『あんな女、若いだけが取り柄のくせに、いい気になって』の文字が続く。
「何、これ……」
ぞっとした。確かに結婚する前に、『大事な一人息子の嫁には、こうしてほしい』という希望は色々と聞かされたが、今時、そんな時代遅れな事はする必要ないと、息子である博信自身が諫めてくれたので、問題ないと思っていたからだ。
まさか、これほどの悪意を向けられている事に、気づかずに生活していた自分に呆れてしまう。それに、息子への執着は、気持ちが悪くて堪らない。
ページが進むにつれ、書かれている言葉はどんどんエスカレートしていき、『死ね』の文字は直ぐに『殺す』に変わっていった。そして、最後の方には『これで死ななかったら、刺してやる』という言葉。そこには田沼の旦那、同じ方法とも書かれており、そこで漸く、全てが判ったと思うと同時に、恐ろしさに手が震えた。
「私、だったんだ……」
夫の死は、実は事故を起こすように仕組まれたものだったのだ。しかも、狙いは私だったという事実は余りにもショックだったが、同時にあの時の義母の取り乱しように、合点がいった。
嫁を殺すはずが、息子を死なせてしまったのだから。それと同時に隣家の田沼さんも、義母と共犯関係だという事に愕然となる。毎朝、普通に挨拶を交わしていた相手が、こんな事を考えているなどと、誰が思うだろう。
田沼さんの夫殺害方法は、別のページに書かれてあった。単語の羅列や矢印が多く、判りずらいものの、読み解けない物ではない。
それは、【ニラと称して、水仙の葉を食べさせる】事と、【バイクのタイヤの溝を、鑢を使って浅くする】の二点で行われたようだった。調べてみると、確かに春になると、水仙の葉とニラの葉の誤食による食中毒が起きているようで、注意喚起の記事がいくつも目に付く。おそらくは、これを利用したのだろう。
当然、少しばかり食べただけでは、死には至らない。ただ、吐き気や下痢、軽い意識障害等が出る程度だ。でも、それがバイクの運転中で、さらにバイクのタイヤの溝が、ほとんど無い状態になっていたら……
事故を起こすかも、知れない。その結果、死に至るかも、しれない。
あくまでも、可能性の話でしかない。しかし、田沼さんはそれを実行に移し、成功した。そして、義母はそれを真似たのだ。しかも用意周到というか、万が一にも疑われないよう、自分も極僅かだが、食べると書かれていた。丸印をして大事と書かれているのを見て、笑いが漏れる。そこまでした結果が、溺愛していた一人息子を、死に追いやったのだから。そして、その後を追うように首を吊った……。
彼岸にお墓に納骨しようと思っていた、箪笥の上に並べられた二人分の骨壺を見る。無意識に体が動き、夫の骨壺を抱きしめていた。
そこからは、何かに取り憑かれた様だった。
スーパーの袋を二重にしたものに、義母の骨壺の中身をぶちまけると、きつく縛り、そのまま生ごみ用のごみ箱に力任せに放り込む。それでもまだ足らないとばかりに、骨壺の中身を水道水できれいに洗い流す。排水溝のゴミ受けに溜まったゴミも一緒にゴミ箱に放り込むと、ようやく落ち着きを取り戻せた。
骨壺が乾くのを待つ間に、日記を写真に撮り、そのデータをパソコンに取り込むと、乾いた骨壺に日記を入れて、きれいに元通りの見た目に戻した。
「よかったね。大好きな博信君と一緒に、お墓に入れて」
納骨の日、骨壺が墓石の下に納められるのを見ながら、そう言って涙ぐむ叔母には少し悪いと思ったものの、私の心は「ざまあみろ」という思いで、一杯だった。
夫の命を奪った奴と、夫を同じ墓に入れたく無いという思いは、達せられたのだから。例え、それが実の母親であったとしても関係ない。
私の行いが、罪に問われるのかは判らない。ただ、ばれるとも思えなかった。仮に義母の骨壺を開ける者がいたとして、そこにある日記を見たら、口を噤むだろう。だから絶対にばれる事は無いと確信していた。
田沼さんに関しては、義母が脅したのか、丸め込んだのか、はたまた最初から協力的だったのかは判らない。ただ、止めもせずに、実行するのを許した時点で、私から見れば同罪だった。だから、そんな女がのうのうと生きているのは、やはり理不尽だという思いがあった。
だから彼岸の度に、ニラと水仙の誤食の記事のコピーを、匿名で送りつけてやることにしたのだ。知っているぞと言わんばかりに。せめて罪悪感で胃に穴でも開けば良いと思っての行動だった。
ただ、少しだけ、その成果を見たいという思いもあったから、花を買いに行く事にしたのだ。ちょうど、S駅から霊園へのバスが出ているのを口実に、彼岸の前後三日間、あの女が買い物をする午前中を狙って、商店街で花を買う。ただそれだけの事を、繰り返した。もし、会えればラッキー、程度の想いだった。
実際この二年間、会えなかったのだから。だけど今年は上手い具合に、花屋に入るのを見かけたので、急いで後を追い、その後は花屋の主が聞いていた通りの、些細な会話しかしていない。
しかし、あの女は私が知っていることに気づいて、慌てて逃げ出していった。どこかに逃げるつもりだったのか、それとも庭の水仙を処分するつもりだったのかは判らない。だって、もう、この世に居ないのだから。
「罰が当たったのよ。人の大事なものを奪ったりするから」
仏壇の横に転がした位牌に目を向けながら、再び笑う。義母の位牌も、捨ててしまいたかったのだが、ごくたまに訪ねてくる叔母の為に、一応置いてある。
「叔母さんに感謝するのね」
こんっ。位牌を指ではじく。
「さて、仕事だ、仕事!」
今年の桜は早く、すでに満開だ。駅の反対側にはちょっとした公園があり、そこの桜も見ごろの様だから、仕事終わりに寄ってみようか、などと考えながら支度をする。仏壇に飾った水仙の香りがした。
お読みいただき、ありがとうございました。
誤字報告、ありがとうございます。
アジャスターとは、自動車事故の原因を調査し、損害見積もり額を算出する仕事を行う人のことです。正式には、一般社団法人日本損害保険協会(損保協会)が行う試験に合格し、アジャスターとして登録された人のことを指します。これは見習いから初級、三級、二級とあり、一級はありません(試験自体が行われていない?)。
水仙は、葉がニラやノビル、鱗茎が玉ねぎに似ているため、毎年と言って良いほど誤食事例が発生しています。水仙にはリコリンと呼ばれるアルカロイド系の有毒成分があり、全草が有毒ですが、特に鱗茎が高濃度となっています。食後30分以内で嘔吐、下痢、発汗、頭痛、昏睡などの症状が現れますが、中毒の初期に嘔吐するため、神経麻痺などの重篤な症状は、起こりにくいと言われています。花の終わった4~5月に食中毒事例が多く発生しているようなので、気をつけてください。
ちなみに作中で『ツツジらしき』と称されていたのは石楠花とレンゲツツジです。