天体観測
しばらくして、袋一杯に飲み物を買い込んだ昴が戻ってくる。
昴:好きなのがどれか分からなかったんで、色々買ってきました。どうぞ
真琴:気が利くー! 喉渇いてたんだよね。やっぱり焼肉にはビールだよね。
……ん、このカシオレってノンアル? じゃないや。こっちも……こっちもビール。あれ、全部お酒だよ?
昴:そうですよ。今、ビール飲みたいって言ったじゃないですか、どうぞどうぞ
真琴:もう、それは冗談だよ。飲酒運転ダメ絶対! ドライバーは飲みません。昴くんは……4月生まれだよね? じゃ、もうハタチだから飲んでヨシ
昴はうらやましそうな真琴を横目に見ながら、プルタブを開けて、ゴクゴク美味しそうにチューハイを飲む。
昴:真琴さんも飲みましょうよ。テントも寝袋もあるなら泊まりにすればいいじゃないですか。
真琴:あー、まあ、その手もあるんだけど……。タイムオーバー、終バスのお時間が過ぎています。すばるんは大人しく真琴先輩の車で送られて下さい。
昴:送らなくていいですよ。僕も……泊まりますし
真琴:……
しばらくの間の後、真琴は怒ったような顔で昴の手を引き、テントの中に入る。あたりはすっかり暗くなり、ジッと真琴が入り口のジッパーを閉めた音が響く。
真琴:昴くんは、分かってない
昴:真琴さん、怒ってます?
外から「カブトムシ取りに行こう」と、子どもたちがはしゃぐ声が聞こえてくる。
真琴:怒ってます。あのね、テントの中って外だけど、外じゃないんだよ
昴:へ、へぇ。なんか哲学的……いや、真琴さん、近くないっすか
昴の目の前まで距離を詰めた真琴は、彼の背後の天幕に触れる。
真琴:生地はこんなに薄いし、他の人の声も聞こえてくるけど、今みたいに閉めちゃったら密室なの。
お隣のサイトの人だって、テントの中にはよっぽどのことが無い限り、助けに来てくれないんだよ。そこに二人で泊まろうなんて不用心すぎるよ
昴:えっ……それ、真琴さんが男の僕にする説教ですか? 逆でしょ?
真琴:逆? 昴くんキャンプ初心者じゃないの? テントの構造とか良く分かってないかもな、って。
昴:そうですけど、男と二人で泊まろうなんて不用心ですよって、キャンプもテントも関係なくないですか?
真琴:無い……のかな? じゃ、怒ってごめん。ほんとに泊まる?
昴:はい。真琴さんが……いいなら。
真琴:うん、まぁいいよ。昴くんインナーテントの中に寝なよ、私はこっちにハンモック出して寝るから。
昴:えっ、ハンモックなんて木も無いのにどうするんですか。それに、蚊にさされますよ。
真琴:自立式だし、蚊帳付きだから問題無いよ。かわいい後輩には、秘蔵のエアマットとシュラフで天国のような寝心地を体験させてやろうじゃないの
昴:はぁ……。後輩思いな先輩で感動しました。
あっ、真琴先輩。ついでにお願いがあるんですけど、かわいい後輩の頼み、聞いてくれますよね?
22時で就寝時刻となったサイト内の照明は、ぐっと絞られ、時折酔っ払いの笑い声だけが響いてくる。
昴:あのもやっとしたラインが天の川ですよ、で、ベガとアルタイル。
真琴:じゃあ、(指先を三角形に動かす)こーれーで、夏の大三角形だ
昴:そうそう、じゃ、北極星はどこでしょうか
敷物の上で仰向けに夜空を見上げる二人は、指先で星座をたどる。
真琴:遅くまで残って星が見たかったなら、最初からそう言ってくれれば良かったのに
昴:だって僕ら、天文サークルですよ。海で花火しただけの活動で卒業しちゃうなんて寂しいじゃないですか。
しかもあの時の帰り道、僕が家まで送られて、次は絶対送らせてくださいねって言ったのに、その機会も無いままですし
真琴:あはは、それはいいの。後輩の安全は、何にも勝るのだよ。
でも、そっかー。なんか大学生の実感が無いまま卒業なんだなー
昴:僕らって、修学旅行とか入学式とか、何なら憧れのキャンパスライフが丸々ふっとんだ世代じゃないですか。
真琴:確かにね。私は一年生の時に対面授業があったけど、昴くんたちの代はリモートの申し子って感じだよね。
昴:サークル活動も自粛自粛で、やっと開催できたキャンプもこんなことになっちゃうし。
でも、真琴さんって、あんまり愚痴言いませんよね。
真琴:そうかな? すぐ、しょうがないよなーって思うからかもね
昴:そんな簡単に思えます?
真琴:今日はすっごく良い天気で、お星さまも満点だけど、ずっと楽しみにしてたキャンプ場に行けるのに台風とか、まだ11月なのにまさかの雪とか、天候は思い通りにならないものだと思ってるからね。他の事も同じように考えてるのかも
昴:スケールがでかい
真琴:ふふ。台風だって雪だって、どこまで遊べるかは自分次第だからね
昴:えっ、まさか、台風でも雪でもキャンプはしたんですか?
真琴:うちは熟練の外遊び家族だからね、初心者にはもちろんおすすめしないよ。
ねぇ? 台風の時に凧あげしたらどうなるか知ってる?
昴:……糸が切れる?
真琴:ブブー、正解は、4歳の小さな真琴がちょっと宙に浮く、でした。
昴:危ないじゃないですか
真琴:ホントにね、でもうちの家族は一同爆笑。ちょっと浮いた私も爆笑。
雪の時は、どうしてもかき氷を作りたくて、上着一枚で、シェラカップ持ってずーっと外に立ってたら風邪ひいたっけな。
昴:はは、なんかカップもってウロウロしてる姿が、目に浮かぶ気がします
真琴:あの頃は、私だってかわいかったのだよ
昴:今でも、かわいいですよ
ぎくっと真琴の動きが止まり、しばらくの沈黙。
真琴:す、すばるん。さらっとそういう事を言うもんじゃないよ
ひきつった笑いで真琴が横を向くと、闇の中で昴がじっと見つめてきている。
昴:じゃ、もう少し溜めましょうか? 今、絶対チャンスなんで、溜めたら必殺技が出るかもしれませんけど
真琴:必殺技って……怖ぁ。分かった、あれでしょ、ゲームの話でしょ?
昴:真琴さんが可愛いって話なら、ゲームの話じゃないです
真琴:だ、だからっ! 私はそういうんじゃないでしょ? 枠的に男子というか、かわいい枠はみんなのアイドルアカネちゃんでしょ。それに、そうだよ、年上に向かってかわいいとか言わないよ
昴:いや、真琴さんは正真正銘女子ですし、アカネさんは綺麗枠でしょ、全人類の男子が巨乳好きだと思わないで下さいよ
真琴:アカネちゃんの胸には、夢と希望が詰まってるのに!
昴:知りませんよ。それに、年上年上言いますけど、僕、4月産まれ。真琴さんは?
真琴:……3月
昴:一カ月ですよ! たった一カ月遅かったばっかりに、同じゼミにも入れず、後輩クン扱いされ、ここで、こんな距離で寝転がってても、一ミリも意識されてないなんて、ひどくないですか
真琴:あ、あれ、もしかして、すばるん怒ってる?
昴:今はまだ怒ってません。でも、真面目に聞いてくれないなら、ちょっと怒ります
真琴:そういうのを脅迫って……
手のひらをぎゅっと握られて、真琴は息を呑む。
昴:外遊びの話をしてる時、目がキラキラするのがすごく可愛いって、サークル入った時からずっと思ってました。
去年の夏、スーパーで買ったショボい花火も、真琴さんが笑って盛り上げてくれたから、帰りたくないくらい楽しかった
昴:だから、今日は一晩一緒にいられると思って、すげー楽しみにして来たんです。
まさか二人きりまでは期待してなかったけど、他の男子連中が欠席になったのは、ちょっとラッキーだと思ったくらいです
真琴:あんなに早くから来てくれて、買い出し係、押し付けられたんじゃ……
昴:違いますよ。早く来たのも、いっつも集合時間前に来る真琴さんと、ちょこっとでも長く話せるんじゃないかという下心です。
なのに、帰る時間ばっかり気にされて、傷つきました
真琴:ごめん、お腹いっぱいにして、お家に帰してあげなくちゃってことしか考えてなくて
昴:その僕に対する母親みたいな発想が、一番傷つくんですけどね。
そんなに全力で対象外ですか? 男だと思えないレベル?
真琴:いや、男の子の……後輩レベル
昴:なら復唱してください。私と昴は誕生日が一カ月しか違いません
真琴:私と昴……くんは、誕生日が、一カ月しか違いません
昴:五月と六月生まれなら同級生だった、と考えてもう一回。そんなに、恋愛対象外ですか?
真琴:昴くんと、恋をするってこと?
昴:できそうかってことです
真琴:えっ! 昴くんはできるの?
昴:さっきからそう言ってるつもりなんですけど、やっぱり真琴さんには必殺技が必要みたいですね
真琴:わ、待って待って。必殺技しないで。考えるから、一晩考えるから。
昴:よかった。ちゃんと考えてみてくださいね
真琴はギクシャクと寝るための準備を整え、二人はそれぞれの寝床に分かれて眠った。