パトリツァ・コンタビリタ 二十六
あの悪夢のような日からいったいどれほどの時間が経ったでしょう。
出血はおさまり、やや貧血気味ながらもようやくベッドの上で身を起こすことができるようになりました。声も普通に出るようになりましたが、使用人たちはわたくしとは極力話したがりません。
うわべは丁寧ですが、以前のように主として立てようとする意図もなく、ただ死なせないために介護をしているだけです。
お兄様は毎日わたくしの様子を見にいらっしゃいますが、会話はございません。
今日は医師からあらためて病状の説明をいただけるとの事。お兄様は立ち合いのために職場を一時退出してこの屋敷に立ち寄って下さったそうです。
ちょうど医師が説明を始めようとしたその時、ノックの音と同時にドアが開き、男性が二人入ってきました。お一人は旦那様、そしてもうお一人はなんと第二王子のマリウス殿下。
皆さまわたくしの容態を案じて病状説明を聞きに来てくださったのですね。
「急に押し掛けてすまんな。ちょうどその女の処分も決まったので、病状説明と一緒にしてしまおうと思ってな」
マリウス殿下がお兄様におっしゃいます。わたくしの方を一瞥もしないそのお姿に、嫌な予感がしてまいりました。
わたくしは何一つ悪いことはしていないのに、処分とは一体どういう事でしょう?
「まず病状説明から頼む」
「かしこまりました。パトリツァ様は何らかの理由により左腎臓と子宮、卵巣を失われました。
先日発見された際、外傷はないものの腹部の激痛および下血が確認されたため、緊急開腹手術を行ったところ、臓器の喪失およびそれらの臓器と繋がっていたはずの血管からの激しい出血があり、凝固剤などを使用した止血と同時に、腹腔内に溜まった血液を除去しました。現在、臓器喪失による傷口の回復は順調で、出血は止まっております。
今後、子宮と卵巣を失ったため妊娠、出産はできませんが、徐々に回復すればその他の日常生活は送れるようになるはずです。また、傷がふさがれば性交は可能ですが、当分の間は感染症の危険があるので控えてください」
「良かったな。傷さえ治れば好きなだけ男も咥えこめるらしいぞ。妊娠の心配がなくなったから遊び放題だな。性病だけは気を付けてくれよ」
「そ……そんな……ひどいですわ。まるでわたくしが男好きのように……」
絶望的な結果を告げられたにもかかわらず、お兄様はわたくしがとんでもない阿婆擦れのようにおっしゃいます。実の妹をここまで侮辱するとは、お兄様はそれでも人の子なのでしょうか?
「男好きでしょう?現に私との婚姻中も、三日と空けずに他の男性と連込み宿や個室レストランに入り浸ってましたよね?」
「それだけではない。週に二回は孤児院に偽装した娼館で児童買春。場末の娼婦もここまで男好きではないだろうよ」
「殿下、それは娼婦に失礼というものですよ。彼女たちは売られて仕方なく春をひさいでいるものが大半だ。本音を言えば好きでもない男とそんな行為などしたくもないはずです」
旦那様とマリウス殿下までこのような侮辱を……いったい、わたくしが何をしたというのでしょうか。
「ひどいですわ……わたくし何も悪い事はしてないのに……。ただ侯爵夫人にふさわしく、みなさまの羨望と憧憬を集めるように頑張っていただけなのに」
思わず嘆きますが、かえって呆れられてしまいました。
「お前……侯爵夫人として、と言うが、使用人の統率もお金の管理も全くできてないだろう。挙句に男性使用人に肉体関係を迫っては断られてクビにしたり……
クロードがちゃんと把握してて、帳簿をつけたり、クビになった使用人に自分の名前で紹介状を書いて次の職を探したり、全部フォローしてくれてたから問題になっていなかっただけだ」
「領地の事も全く興味を持たないから結局私が一人でやっていました。
あなたが果たした侯爵夫人の務めとは、アナトリオを産んだ事だけですね」
「通常、侯爵夫人がこなす役目はほとんどクロードがこなしていたな」
わたくしは、理想の侯爵夫人としてみなさまに尊敬され憧れられ、羨ましがられていると信じておりましたのに、実際にはこのようにただの無能な阿婆擦れだと思われていたとは……あまりの悔しさ、情けなさに目の前が暗くなって参りました。
みなさまどうしてわたくしをこんなにいじめるのでしょうか?
エスピーア様はなぜわたくしを助けに来ないのでしょうか?
わたくしにはもう訳が分からず、ただ泣き崩れるほかはありませんでした。