エルネスト・タシトゥルヌ 二十七
悪夢のような一日が終わった。
俺は物言わぬディディを抱きしめたままいつの間にか眠ってしまったらしい。
目覚めて、腕の中の彼が全く息をしていない事に改めて絶望した。
こわばった肌の感触に、あれは現実に起きた出来事だったのだと痛感する。悪夢であれば、どれほど良かったことか。
冷たかった身体が、一晩中抱いていた俺の体温で少しだけ温まっていたのがどうにもやるせなかった。体温だけでなく、生命も分けてやれればよかったのに。
ディディが生きて笑ってくれるなら、俺の生命などいくらでもくれてやったものを。
「奥様が目を覚まされました」
先代から仕えてくれている使用人が告げに来るが、一瞬何の事かわからず首を傾げてしまった。オクサマとは何だっただろう……ああ、あの女のことか。
訳の分からない逆恨みでディディに逆恨みした挙句、深夜に襲って肉体関係を持とうとしたり、それでも意のままにならないと悟ると殺害計画に嬉々として協力したり。ろくでもない女だ。
あれだけのことをしでかしておいて、何の反省もなく、まだのうのうと生きている図々しい女。
少しでも更生しているのかと期待してしまった俺が悪かった。さっさと領地の修道院に送って幽閉するか、病死してもらうべきだった。
それでも、未だに法的には婚姻関係にある以上、会わない訳にもいかんだろう。
「……いたい……くるしい……」
仕方なく向かった客室で横たわったあの女は、幸いなことにほとんど声がでないようだった。おかげでいつものように支離滅裂で身勝手な戯言をヒステリックな甲高い声でまくしたてられずにすむ。
それでも大げさに涙ぐんで、自分の不調だけを訴えようとするあの女には苛立ちを禁じ得ない。必死で怒りを抑えて冷静に話そうとしたら、自分で思っているよりもずっと低くて平坦な声が出た。
「エスピーアが……襲撃の実行犯が全て吐いた。お前がディディを強引に連れ出して、あそこに誘き出す役割だったそうだな。しかも確実に殺害するため、彼にしがみついて動きを封じていた。
そのため彼は毒を塗ったナイフをよけることができずに負傷し、筋弛緩作用のある麻痺毒のせいで呼吸困難に陥り死亡した。
つまりお前はれっきとしたクラウディオ・ケラヴノス子爵殺害実行犯の一人だというわけだ」
「……う……うそ……わたくし……おそわれて……ひがいしゃ……」
この期に及んで被害者面でアピールするあの女にはうんざりだ。
仕方がないので事実を淡々と突きつける事にする。
「白を切っても無駄だ。居合わせた侍女や護衛、捕らえられた他の賊の証言もある。お前が共犯者であることは疑いようもない。
言っておくが、彼は下級とはいえれっきとした貴族だ。能力と功績を評価されて陛下直々に爵位を賜っている以上、先祖代々の子爵よりも王族の覚えもめでたい。それを殺害した以上、それなりの罪になるのは覚悟しておけ。
今後、罪人として裁きの場に出るか、このまま幽閉することになるかは追って沙汰をする。最低限の手当はするが、あくまで罪人としてだ。今まで通り侯爵夫人として丁重に扱われるとは思わないように」
今さら怒鳴ったり責めたりしたところで何にもならない。
それでも、わざとらしく涙を流して絶句して見せるあの女が視界に入るだけで、今すぐ殺してやりたくなる。なぜ彼が死んで、お前のようなクズが生きているんだ。
いや感情に流されては駄目だ、最低限言うべきことは言わなくては。
それが、未だに法的には配偶者と言う立場にある俺の義務と言うものだろう。
「もともとあの教団の犯罪は近々検挙する予定だったが、お前のおかげで大量の物的証拠が集まったので、予定よりもスムーズに奴らの息の根を止められそうだ。
それだけは感謝してやっても良い。……お前の犯した大罪とはとうてい相殺できるものではないがな」
かろうじてそれだけ言うと俺はあの女が居座る客室を後にした。入れ代わりに俺たちの旧友であり、あの女の兄であるマッテオ・コンタビリタが客室に入る。
今後はマッテオ……マシューがあの女の対応をしてくれると言う。あの女があそこまで愚かで身勝手だったという事に大いに衝撃を受け、そんな人間に育ててしまったことに少なからぬ責任を感じているようだ。
正直、俺が対応するといつ逆上して殺してしまうかわからないのでありがたい。
お言葉に甘えて俺は当分の間距離を置くことにさせてもらった。
事件の処理もマリウス殿下が引き継いでくれた。今はもう、何も考えたくない。