パトリツァ・コンタビリタ 二十五
悪夢のような1日が終わりました。
わたくしは腹部の激痛とともに、なぜか月のものの時期でもないのに大量に出血をしたことから、医師の緊急手術を受けました。
不思議な事に、わたくしの腹部から子宮と卵巣、腎臓の片方が消えていて、それらの臓器と繋がっていたはずの血管から出血して腹腔内が血塗れになっていたようです。すぐに開腹手術をして止血を行い、腹腔内に溜まった血液を排出しました。
ほぼ丸1日に及ぶ手術のおかげで一命こそとりとめましたが、もう2度と子を産むことはできないそうです。
なんという悲劇でしょう。それもこれもあの泥棒猫の仕業でしょう。最期の最期まで忌々しい人でした。
怒りと憎悪に顔を歪めていても、あの艶やかな髪が無残に切られていても、醜悪にはならずにどこか気高く清廉で美しいまま逝ってしまった。
旦那様は未来永劫、あの方を忘れる事はできないのでしょう。
手術が無事に終わったと告げられて、呆然としているうちにどうやらわたくしは眠ってしまったようです。ふと気が付くと、既に日は高く昇っていました。
「お目ざめですか、パトリツァ様」
わたくしの覚醒に気付いて声をかけてきた侍女の声が冷たいのは気のせいでしょうか?
身体は鋼鉄のように重く、喉がかわいてたまりません。声を出すこともままならないわたくしは、ただ瞬きをくりかえして意識があると伝えることしかできませんでした。
侍女はわたくしが喉が渇いていると気付いたのでしょうか?吸い飲みを持ってゆっくりと水を飲ませてくれました。
「少々お待ちください。旦那様をお呼びして参ります」
侍女が出て行ってほどなくして、旦那様がいらっしゃいました。
暗く淀んだ蒼い瞳は憎悪でギラギラと光り、無精ひげがうっすらと生えて、たった1日でまるで別人のような憔悴ぶりです。
「いたい……くるしい……」
わたくしは旦那様にこの理不尽な被害と苦しみをお伝えしようと必死で声を絞り出しました。しかし、旦那様は忌々し気にわたくしを睨み据えると、今まで聞いたこともないような平坦で低い恐ろしい声で一方的にわたくしを断罪します。
「エスピーアが……襲撃の実行犯が全て吐いた。お前がディディを強引に連れ出して、あそこに誘き出す役割だったそうだな。しかも確実に殺害するため、彼にしがみついて動きを封じていた」
「……う……うそ……わたくし……おそわれて……ひがいしゃ……」
「白を切っても無駄だ。居合わせた侍女や護衛、捕らえられた他の賊の証言もある。お前が共犯であることは疑いようもない。
今後、罪人として裁きの場に出るか、このまま幽閉することになるかは追って沙汰をする。最低限の手当はするが、あくまで罪人としてだ。今まで通り侯爵夫人として丁重に扱われるとは思わない事だ」
そんな……なんという理不尽。
わたくしは大切な子宮も卵巣も奪われた被害者なのですよ。いたわり、手厚く看護して心身を癒すために全力を尽くすのが人の道というものではありませんか。
「もともとあの教団の犯罪は近々検挙する予定だったが、お前のおかげで大量の物的証拠が集まったので、予定よりもスムーズに奴らの息の根を止められそうだ。それだけは感謝してやっても良い。……お前の犯した大罪とはとうてい相殺できるものではないがな」
吐き棄てるようにおっしゃると、一秒たりともわたくしの顔は見たくないとばかりに振り向きもせずに部屋を出て行かれました。
入れ替わりにいらっしゃったのはマッテオ・コンタビリタ。わたくしの実の兄でございます。おかしなことに、兄までもがとても実の妹に向けるとは思えないような冷たい憎悪の籠った眼でわたくしを見ています。
「エルンはもう二度とお前の顔を見たくないそうだ。まぁ、俺も同感だが、残念ながら実の兄であるという事実は消えん。
実家で手に負えず持て余していたお前を殿下に泣きついて押しつけた責任もある。仕方がないのでお前の処分が決まるまでは面倒を見てやろう。
まだ動かすと危険らしいので、数日の間はこの屋敷で療養させてやるが、落ち着いたら王都を出てもらうぞ」
「な……ひど……」
「何が酷い、だ。お前が加担した犯罪を考えれば、その場で叩き斬られなかっただけで、どれほど感謝しても足りないくらいだ。
クロードの謀殺だけじゃない。貧民街に炊き出しを装って麻薬をばらまき、薬漬けにした生活困窮者に誘拐や傷害、殺人などの凶悪犯罪の片棒を担がせ、孤児院を装った娼館で小児の売買春や人身売買を行ったり……どれだけ家名を貶めれば気が済むんだ」
「そん……しら……」
「とにかく、今は医師の指示に従って1日も早く身体を治せ。裁きを受けさせるにせよ幽閉するにせよ、まずはそれからだ」
声が枯れてうまくしゃべれないこともあり、旦那様もお兄様も、わたくしの言葉に耳を傾けるつもりはないようです。
いったいわたくしが何をしたというのでしょう。わたくしは涙を流すこともできず、我が身に起きた悲劇について一人嘆くことしかできませんでした。