パトリツァ・コンタビリタ 二十四
わたくしの活躍もあって、襲撃者は見事にあの方の腹を深々と刺すことに成功しました。これであの方も二度とわたくしに逆らえなくなるはず……
そう確信したのですが、あの方は腹に刺さったままのナイフを全く意にも介さず腰の剣を抜き、迷うことなく襲撃者の脚に深々と突き立てました。
仕置きは失敗してしまったのでしょうか。
絶望するわたくしをよそに、あのお方は全く動じることなくわたくしをふりほどき、のたうち回る襲撃者を蹴り飛ばして距離をとってから腹部に刺さったナイフを引き抜き……唐突に動きを止めました。
いったいどうしたことでしょうか?
あの方の呼吸が異様に荒くなり、喉がぜえぜえというみっともない音を立てています。いつもの涼やかな美貌が苦し気に歪み、わたくしを憎々し気に睨みつけております。なんという醜態、これぞあの泥棒猫にふさわしい姿でございます。
怒りに燃えるオレンジの瞳がまるで赤々と燃える炎のように美しいなんて、苦痛に顔を歪めていても、あの方の気品と清廉な雰囲気は微塵も損なわれていないなんて、ただの気のせいのはずです。
あの方は傷の痛みで気でも狂ったのでしょうか、唐突に艶やかで美しい茜色の髪を鷲掴みにすると、耳下あたりでざっくりと切り落としたではありませんか。そのまま狂人さながらに口の中で何かをぶつぶつと呟くと、なぜか掴んでいたはずの髪が消え去っておりました。
あの方の腹からはとめどなく真っ赤な血が噴き出しております。
わたくしは愉快で愉快で、笑いが止まりません。これでようやくあの目障りな泥棒猫を消すことができるのです。これからはわたくしの天下、わたくしこそが皆様の賞賛と憧れを一身に集めるのです。
ついにがっくりと膝をついたあの方を、わたくしが足蹴にしようとすると、なんということでしょう。こともあろうにあのお方はわたくしの美しい脚を掴んで引き寄せました。
憎悪に美貌を歪ませ、ギラギラと怒りに燃える瞳でわたくしを睨み据え……
なぜかわたくしの中から何かがごっそりと抜けていく感覚がしました。とてつもない激痛が下腹の奥から込み上げてきます。
左の背中からも何かが抜け落ちた感覚と、激痛がいたします。先ほど転がされていた襲撃者もさらにすさまじい勢いで奇声をあげて転がりまわっているところをみると、彼もまた犠牲になったようです。
あのお方は一体何をしたのでしょうか。
あのお方自身はさらにすさまじい勢いで腹部から出血しており、次第に目の焦点が合わなくなってきました。
「ディディ!!」
なぜか旦那様の声がします。きっとわたくしを助けに来てくださったに違いありません。
旦那様?なぜその泥棒猫を抱きしめているんですか?わたくしは……あなたの妻はこちらでしてよ?
「……えりぃ……ごめん……」
もう掠れてほとんど聞き取れないあの方の声。
旦那様はとめどなく涙を流しながらあの方をきつく抱きしめて、その名を呼び続けています。
激痛に苦しみ悲鳴をあげてうずくまっているわたくしには目もくれません。
結局、旦那様はそのままぴくりとも動かなくなったあの方を固く抱きしめたまま、駆けつけた家臣たちに促されて馬車でお帰りになりました。
わたくしも家臣たちに別の馬車に連れ込まれ、屋敷に帰る事になりました。
わたくしが医師の診察と手当てを受けている間、旦那様はもの言わぬあの方をずっと抱きしめて、声を殺して泣いておられました。
あの冷徹さで知られた氷の貴公子が、人目もはばからずに肩を震わせ、絞り出すような声であの方の名を呼びながら、ただただ涙を流し続けておられたのです。
わたくしがあまりの苦痛に意識を失うまで、旦那様が激痛に苦しむわたくしを顧みる事はついぞありませんでした。