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エルネスト・タシトゥルヌ 十一

 夜、だいぶ疲れて退庁すると、パトリツァはまだ帰宅していないとの事だった。なんとイプノティスモ家の次男とディナーの約束があるのだとか。


 確かに「今日は仕事で遅くなるから先に夕飯を済ませておくように」とは言っておいたが、まさか独身男性と二人きりで、|休憩室付きのレストラン個室グランメゾンでディナーとは……俺もさすがに唖然あぜんとしていたが、いないものは仕方がない。こんな時間まで男と遊び歩いているなんて……下手な噂が立って双方の家名に(きず)がついたらどうするつもりなんだろう。


「う~ん、どんどん深みにはまっちゃってるね。さすがにこれは度を越しているから何とかした方が良いんじゃない?」


「……いくらなんでもこれは、さすがに話し合わんといかんだろうな……」


 ディディもさすがに苦笑い。どうにも気が進まないが、彼女が帰宅したらゆっくりと時間を取ってきちんと話し合った方が良さそうだ。


 子供部屋の前を通ると、アナトリオが風呂を嫌がって大泣きしていた。ひっくり返ってバタバタしている姿も愛らしいが、乳母たちは困り果てている。


「うわ可愛い!ね、僕一緒に入ってもいい?」


 ディディが目をキラキラさせながら突拍子もない事を言いだした。あまりに意外だったのか、一瞬あたりの空気が凍り付く。

 普通、貴族の子弟が家族と一緒に入浴することはあり得ない。戸惑う乳母やメイドを前に「やっぱりダメかな?」としょげた様子で首を傾げていたが、ディディの帰宅に気付いたトリオが泣き止んで「でぃ~」と抱きついてくると、そのまま抱き上げて「ね、一緒に入ってあげていい?きっと水が怖いんだと思うんだ」と再度訊ねた。


「でぃ~?」


 と彼にしがみついたまま、彼の仕草を真似して上目遣いで訊ねてくるトリオ。


「僕と一緒にお風呂、入ります?」


 視線をトリオに合わせてにこにこと言うディディ。


「だぁ!!」


 意味がわかっているのかいないのか、にこにこと笑うトリオ。


 ……結局、大人用の浴室に湯を用意して、彼にトリオと一緒に入ってもらうことになった。非常識と言えば非常識かもしれないが、致し方ない。可愛いは正義なのだ。


 トリオは風呂の中でたっぷり遊んでもらったらしく、上機嫌であがってきた。

 よほど楽しく遊んで疲れたのだろう。身体を拭いて寝間着を着せられたあたりからこっくりこっくり眠りかけている。


「ちょうどいいからこのまま寝かしつけちゃおう」


 愛おしそうにトリオを抱き上げたディディがそのまま子供部屋に連れて行った。彼の腕の中で気持ちよさそうに寝入っているトリオは、そっくりの髪色もあいまってまるで彼の実子のようだ。


 子供部屋に入ろうとしたところで帰宅したパトリツァとばったり鉢合わせた。


「お帰りなさいませ、夫人。ちょうどアナトリオ様がお休みになるところです。ご一緒に寝かしつけなさいますか?」


 風呂上りのトリオを抱っこして上機嫌のディディが嫣然えんぜんと微笑んでパトリツァを誘うと、なぜか彼女は逆上してしまった。


「結構ですわ。わたくしは我が子を甘やかして、一人で眠る事もできぬような出来損ないにするつもりはございませんの。お前も出しゃばって余計な事はしないように」


 ヒステリックに喚き散らすと、そのままドスドスと足音も荒々しく立ち去ろうとする。


「パトリツァ?貴女は何か勘違いしていませんか?」


 いくらなんでも、使用人でもない貴族に対してお前呼ばわりはないだろう。ディディはれっきとした子爵だぞ?

 高位貴族であっても、まともな人間なら下位貴族に対して必要以上に居丈高に振舞ったり、あろうことか面と向かってお前呼ばわりするような下品な真似はしない。品位と節度ある行いで規を垂れ範を示し、民草を守り導いてこその高位貴族だからだ。


「勘違いしているのはあの者でしょう?わたくしは気分が悪いのでこれで失礼いたしますわ」


「あ、待ちなさいパトリツァ。他にも話があるんだ」


 いかん、今日のうちにイプノティスモの次男との件をきちんと話し合わなければ。家の外でここまで派手な事をされてしまっては、のちのち思わぬ禍根(かこん)を残すことにもなりかねない。


「気分が悪いと申しております。旦那様もお暇ではないのですから、アナトリオの事は乳母にまかせてお仕事にかかられてはいかが?おやすみなさいませ」


 パトリツァは恨みがましい目に涙をためて、俺とディディを憎々し気に睨みつけてからきびすを返す。そして貴族の夫人としてはあり得ないようなドスドスという足音を立て、肩を怒らせて立ち去った。

 あれで本当に元侯爵令嬢なのか?コンタビリタ家ではまともな歩き方も教えていないのだろうか。


「あらら……取り付く島もないね。

イプノティスモ殿のこともあるし、こまったなぁ……」


  パトリツァを賢い女性だと言う話は、たとえ見え透いた社交辞令でさえ一度も耳にしたことはないが、ここまで話が通じないのは理解する頭がない以前に訊く耳を持たないからだろう。

 全然困っているようには思えないディディののんびりした声を聞きながら、俺はこれから彼女とどう接したものかと苦悩するのであった。

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