エルネスト・タシトゥルヌ 六
「エリィ、いつも一緒にいてくれて本当にありがとう」
追憶に浸っていた意識が柔らかなアルトによって急速に現在に引き戻された。
いかんいかん。貴重な二人きりの時間だ。
目の前のディディを堪能することに集中しなければ。
「何を言ってるんだ。俺の方こそ、いくら感謝しても足りないよ。仕事の面でも、プライベートの面でも」
「もし僕が本当にエリィの役に立てているならとても嬉しいんだけど。本当に負担になってない?」
こてん、と小首を傾げると、茜色の艶やかに輝く髪がさらりと揺れる。上目遣いでこちらを見やるオレンジの澄んだ瞳があまりに美しくて、つい目が釘付けになってしまった。
「なる訳ないだろう」
むしろほぼ唯一と言ってよい俺の心の癒しだ。いなくなられたら俺の精神が三日と保たない自信がある。
「……なら良いんだけど。ずっと一緒にいたいから、僕にできることは何でも言ってね」
いや一緒にいてくれるだけで充分だから。むしろ一緒にいたいのは俺の方だから。
「そういえばパトリツァ夫人、イプノティスモ家の次男と一緒だったけど。
今日はそのまま王宮に泊まるって……そういう事だよね?」
「あれの男好きは今に始まったものじゃないだろう。今さら気にするだけ無駄だ」
何しろ、少女時代からのあまりの男好きっぷりに嫁の貰い手がなさすぎて、王命で俺が結婚する羽目になったくらいだ。むしろ王都にいる好き者と言われる男は全て関係があると言われても、俺は全く驚かないぞ。
「……うん……まぁ、それはそうなんだけど。エスピーア殿の思惑としては、花を愉しむためにパトリツァ夫人と懇ろになりたいって訳じゃないよね?」
浮かない顔で小首を傾げるディディ。
なるほど、たしかにイプノティスモ家も要観察対象の一つだ。家格は低いが近頃とみに羽振りが良い。それはもう、不自然すぎるくらいに。
そして例のアレと深いかかわりがあるようで、家人や使用人が関連施設に頻繁に出入りしている。
そんな家の人間と深い関係になっているのであれば、いろいろと余計な事をしゃべられたり、何か持ち出されたりしないよう重々用心するようにしなければ。
「もちろん、大事なものを持ち出されないようにしっかり管理しなきゃいけないんだけど。あまりに何もないのも疑われるだろうから、適当に隙を作っておいてあちらに持ち出してもらうのも良いかもしれないね。
もしかすると派手に踊って尻尾を出してくれるかもしれないよ」
夕陽の色の瞳を瞬かせ、悪戯っぽい笑顔を浮かべるディディが可愛い。
たしかに、当たり障りのない情報を適当に流させておいて、ついでに踊ってもらうのも悪くないな。どうせ関係を持った男の数しか誇るもののない女だ。せいぜい餌となって役に立ってもらう事にしよう。
そうと決まれば話は早い。具体的にどんな話は聞かせて構わないのか、意図的にあちらに流す情報はどうするかを詳細に打ち合わせる。
もちろんわざとらしくなりすぎないよう、極めて断片的なものだけ持ち出させたり、偶然を装って立ち話を小耳に挟ませたりと、さまざまなヴァリエーションを交えて情報を流すのだ。
逆に特定の情報だけはどうしても手に入れられないようにしておくのも良さそうだ。そこに気を取られて、肝心な情報を見逃してくれればありがたい。
もちろん、ぎりぎりまで創意工夫はかかせない。
噂を流させるために、他家の使用人にも協力してもらうと良いかもしれない。どうせ関わっているのはイプノティスモの気障男だけではあるまい。他にはどんな輩が釣れるだろうか。
今から釣果が楽しみである。
いろいろと細かいところまで詰めているうちに、すっかり世も更けてディディも目がとろんとしてきて眠そうだ。俺も疲れたが、彼も苦手な社交の席でだいぶ疲れただろう。
この日は久しぶりに二人一緒に身を寄せ合ってゆっくりと眠った。内容は覚えていないが、とても幸せな夢を見ていたような気がする。
これからもずっと、こうして二人で共にいられたら良いのだが。