対話
考え事でもしていたのだろうか。一瞬だけ意識の空白がある気がする。
辺りを見回す。慣れ親しんだ我が城塞にして花園。当然下半身に衣服はない。
身体にも特に異常は感じない。
いや、あれだけ激しかった腹痛が消えている。
数秒前の自分が一体何事についてそこまで深く思考していたのかは定かではないが、上手い具合に痛みが気にならなくなる程度に集中していたらしい。
なるほど、これがゾーンというやつか。自らに秘められし驚異的パワーが我ながら恐ろしい。一体どこまで強くなってしまうんだいおい俺の筋肉などと半分すっぽんぽんのまま呆けていたらそれは聴こえた。
「ア、アァ〜。キコエマスカ、オウトウサレタシ。アー」
嗚呼、腹と肛門だけでなく遂に頭までイカれてしまったらしい。今年の夏は猛暑だからなあ、さもありなん。
しかし神様というやつは何故こう人類に試練を与えたがるのか。天界というものが実在しているのかは知らないが存外天界には娯楽といったものに乏しいのかもしれない。試練を与え、人間が如何にしてそれを突破するのか、はたまた早々に音を上げてしまうのか。そういった様を眺めるのは神々にとって至上のエンターテインメントなのかもしれない。ブックメーカー的に盛り上がっていたりするのだろうか。舞台で踊らされる我々にとっては迷惑極まりないものだが、もし自分の立場が変わるとしたら。
ふふ、ほんのほんの少しだけ愉しそうだ。
「アーあ、お、繋がった。そこの下半身丸出しでニヤニヤしている変態。そう、お前だお前。トリップしているところ悪いがお前、死んでるぞ」
ふむ。少し現状を整理してみよう。気が触れてしまった私は下半身丸出しでいやにクリアな幻聴を聴いている。いつもの安息のポーズーー通称ダビデスタイルで。うむ、お近付きになりたタイプの人間ではないな。
いやしかし……うーむ、頭が爆発してしまったついでだ、思い切ってこの幻聴と向き合ってみるとしよう。
「どなたかは存じ上げませんがはじめまして。先程私が死んでしまったらしいという旨を伺いましたが、私が見た限りここは私の自宅のトイレのようですが」
「ああ、お前ん家のトイレだな。お前そこで死んだから。それとワシは神だ。敬え。ついでにそう固くならんでいい、もっと普通に話せ気色悪い」
初対面(?)なのに随分な言われようである。まあ所詮私の爆発した頭が作り出してしまった神を騙る哀れな自意識、気にすることもない。俺がお前でお前が俺で精神だ。
「まあ話し方は追々。あなたが神様云々ということは私の頭が作り出してしまった悲しみの産物なので置いておくとして、もし私が死んでいるとするならばもっとこうどこまでも広がる真っ白い空間だったり神の庭っぽい不思議空間に飛ばされるのでは? 」
「いや、神だし。リアルゴッドぞ? 失礼な奴め。お前の死生観は知らんし興味も無いが、人の魂は死んだら一度狭間の世界へと向かう。お前達もよく知る天国でも地獄でも無い。勿論人間界でも無い。ここは魂の、あー何だっけなあれ、ああ、職業案内所みたいなもんだ」
死後職安直行とは何とも世知辛い。茶目っ気を出してちょっと死んでみた所で労働からは逃げられないのだ。労働大国日本に幸あれ。とはいえ私は生まれてこの方働いた試しが無い引きこもり糞ニート(文字通り)なので労働大国としては非国民である。非国民の明日はどっちだ。死である。非国民の死後はどっちだ。
それにしてもこの幻聴、良く出来ているな。少し楽しくなってきた。
「ここがその狭間の職安だとして、自宅の便所なのは何故です? 」
「それはハナから言ってるがここがお前の死んだ場所だからだ。自分の死んだ場所を見せ自らの死を自覚させる。そのためにこの狭間の世界に死んだ場所を忠実に再現している」
「なるほど……わかったようなわからないような。まあ私は生きる死ぬだとかの宗教的なこととは無縁でひとり御行儀良くうんちしていただけなのですが。ところで神様のお姿が見え無いのですが。こういった場合助平な衣装の西洋風女神やなんかがナビゲートして下さるのでは? 」
「いやだからお前死んでるんだって。はぁ疲れるなお前。女神? そんなものは幻想だ。助平はお前だ馬鹿たれ。神に形はない。ただ其処に在り其処に無い。神とはそういうものだ」
幻聴が幻想を説くのか。それにしてもこいつ、自意識の分際でグラマーすけすけ女神を頭ごなしに否定してくるとは正気か? ……許せん怒りで気が狂いそうだ。
「貴様、あまり舐めた口を利かんことだな……漏らすぞ? 」
「待て待て何故いきなりぶちギレている、最初から思ってはいたがお前、やばくないか? 」
「黙れ神を騙る悲しみのモンスターめ! 神だと言うならば姿を見せてみろ! むちむちでぱつぱつな姿を見せてみろ! 」
「お前……泣くなよ…………いやもうなんかほんと疲れてきたぞ……もうさっさと行け今すぐ行け」
自称神がひどく疲れたような声音でそう残すと、未だ号泣している私の身体が奇妙な浮遊感と共に何やらほわんほわんと気の抜けた音と共にパステルイエローのファンタジーな光に包まれる。
浮遊感? おい待てまさかあいつ、いや自意識なのでおい待て私! いやそんなことはどうでもいい。私の身体は今や少しずつ便座から離れつつある。
状況は未だにさっぱりだがあの自称神が私との対話を切り上げたのであろうことはわかる。
私のむちすけ女神信仰を打ち壊して。
オーマイゴッド。神は死んだ。私も死んだ(らしい)。
奇妙な浮遊感と共に私はこの日再び意識を手放した。