二章 戦士・パトリック 後編
水が不足しているのだ。不足どころか、手に入れられる予定が一切ないのだ。涙を、止めなくては。分かっているのに。
「ルルー……ルルー……!」
幸せだった。楽しかった。困難もあったけれど、全て乗り越えてきた。それが、パトリックにとっての冒険だった。こんなにも、何もかもを喪ってしまうなんて、誰が想像できただろう。
迷宮は、世界中に地下に存在する。しかも、今、なお、増加傾向にある。迷宮が、どのようにして、何故、発生するのかは分からない。偉大なるエクサ・ピーコのみぞ知りたもうことだ。ただ、人間は、人間が生きて行くために必要な土地を確保するために、迷宮を破壊しなくてはならない。
地下は魔物に、地上は人に。
そう唱える、区分け派と呼ばれる教義を信ずる人達もいるけれど、世界はそう簡単には回らない。迷宮が存在する場所の地表には、植物が一切育たないのだ。ただ、荒れ野が広がることになる。
区分け派たちは、荒れ野に街を造り、迷宮が存在しない場所に作物を育てるべし、と言うけれど、一体、誰が、自分の足元に魔物が蠢いている街に住みたいって言うだろう?
だから人は、報奨金を掛けて、冒険者たちに迷宮破壊を依頼する。迷宮の最奥には、迷宮を維持する迷宮核が存在する。その迷宮核を破壊すると、何とも不思議な事に、魔物達は死に絶え、迷宮は迷宮で無くなる。地上に、植物が育つようになるのだ。
もちろん、植物を育てる前に、迷宮核を失い、脆くなった地盤をいったん全て崩すことを忘れてはいけない。地均しを専門とする職人集団――まぁ彼等も簡単に『冒険者』と呼ばれるわけだけれど――とにかく専門の冒険者がいて、彼等の仕事ぶりを、パトリック達も何度か見学したことがある。
彼等は、パトリック達、迷宮核破壊を専門とする冒険者から迷宮の地図を受け取り、地形を完璧に把握した上で、ほんのちょっとの火薬と鉄球で地均しを行う。ちょっとの爆発で、地面が連鎖的に崩れ落ちて行く様は、確かな迷宮の終わりを感じさせて、染み入るものがあった。
今回終わったのは、パトリック達だった。
地均しを専門とする職人集団は、今も地上で待っていることだろう。何せ、南の勇者とまで讃えられる、ルルーが挑んだのだ。迷宮核は破壊され、詳細な迷宮の地図が持ち帰られるはずだった。今日まで長らく放置され、何とまぁ、18階層まで広がってしまった高難易度の迷宮ではあったけれど、それでも、誰も、誰も、パトリック達の成功を、疑っていなかった。
パトリック達は、この地域に新たに街を造り上げたいと意気込む人々に背中を押され、盛大に持てなされ、祈られ、応えるように意気揚々と進み、18階層、最深部まで辿り着き――そうしてこの、惨めな帰り道だ。
地上で待つ、誰もが落胆することだろう。パトリック達を恨む者もいるかもしれない。パトリックは石持て追われても構わない。だけれど、ルルーを罵られるのは、何だか想像しただけで堪らなかった。
どうしてこうなったのだろう。
18階層まで進んできたパトリック達は、迷宮核を破壊せんと、大広間に踏み入った。大抵の迷宮核は、迷宮で最も強い魔物が守っているのが常だった。
大規模な戦闘になるに違いないと、神官のライラはみなを守るための祝詞を唱え、ルルーは自身が使用できる最も破壊力に富んだ魔術の呪文を唱え、パトリックやエイブラムの重装前衛組が、扉を押し開けてまず広間に踏み入った。
広かった。
想像はしていたけれど、それ以上に広かった。
恐らく、4、5階層程度をぶち抜いた、高い高い天井。迷宮核が支えることの出来る、最大限の広さを持っていたと思われた。広かった。本当に広かった。何より、大広間を広く感じさせたのは、待ち受けているに違いないと思っていた強大な魔物と、求めていた迷宮核が見当たらなかったからだろう。
――どうして?
そう、呟いたのは誰だっただろう。細い、女性の声だったから、ライラか、あるいは、エメリーンか。ルルーでは、なさそうだった。ルルーは呪文の詠唱途中だったのだから。
ライラが光り輝く光球を操って、広間の内部を照らした。高い壁にはいくつもの横穴があり、パトリック達をげんなりさせた。
――まさか、迷宮核はこの横穴の何処かに隠されているのか?
げんなりすることを、まさに素早く予測して、口にしたのはエイブラムだった。え、これ登るの? 新しい、実に新しい迷宮核の保護方法であるな。ザカリーの旦那、感心してないでくださいよ。うえー、ホントにぃ?
冒険者も、支援組も、いつの間にか広間の中に入り込んで、広間の中心辺りに集まって、口々に好き勝手なことを言いながら横穴を見上げていた。ふぅ、と溜息と共に、詠唱した呪文を破棄して、ルルーが言った。
――ちょっと、わたしが見てくるよ。
そう言って、ルルーは浮遊の為の呪文を唱えて、ふわりと舞い上がった。やめれば良かった。とめれば良かった。だって、危険じゃないか。今なら分かる。どうして、魔物が見当たらなかったのか。迷宮核の近くに?
居ないわけがない。隠れて、居たのだ。
ルルーはふよふよと空中を移動して、一番近くの横穴を覗き込んだ。横穴と言っても、ルルーの身長くらいの高さはあるようだった。
――なーんにもない。はずれ。これは長くかかりそうだねぇ。
ルルーののんびりした声に、身軽な冒険者組は腹を括ったのか、ロープを自分の腰に括りつけてから、壁を登攀し始めた。横穴の数は、数十ではきかなそうだった。ルルー1人が全て覗き込むのでは、確認に時間がかかり過ぎる。
――こっちも外れだ。
――ここも、何もないな。
――うあー、ここもなーんにもないよー。
盗賊のジェレミーや、偵察役のピーター、そして南の勇者ルルーの、うんざりしたような声に、油断していなかったと言えば嘘になる。どれほど、彼らは穴を覗き込んだだろうか。ルルーは効率化の為に、高い、一番上の方にある横穴を確認しようとしたのだろう。高度を上げて、1つの穴を覗き込もうとした。その時だった。
――えっ。
それが、ルルーの遺言になった。
その穴から、一斉にオークが4匹も飛び出して来て、ルルーに抱き着いた。浮遊の魔術にも、支えられる重さに限界がある。オークたちは、人間より巨躯で、金属鎧で装備を固めていて、ルルーは悲鳴も上げられずに、オークにもみくちゃにされて、墜ちて来た。
せめてオークが下敷きになっていたら、何かが変わっていただろうか。だけど、エクサ・ピーコはルルーにそんな慈悲を与えはしなかった。
オーク達だって、あの高さから落ちたのだ。ただでは済まなかったことだろう。その上、あの重装備だ。金属が、かなりの音を立てたはずだ。
なのにただ、ルルーの頭が砕ける音が、妙に大きく響いた気が、した。