十八章 弓使い・エメリーン 後編
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
意識が遠のく。戦士の男はパトリックと打ち合っているのか、金属音だけが、聞こえる。金属音だけ? そうではなかった。自分自身を鼓舞するように、戦士の男が叫ぶ。
「全滅させちまえ! そうすりゃ、南の勇者の遺産が俺達のものになる……!」
ルクレイシア。
ルクレイシア。
ルクレイシア!
ルクレイシアの、遺産が! ルクレイシアの、ギルドハウスが! 私達の、帰る場所が! こんな連中に、奪われてしまう……!
それだけは、許せない!
エメリーンはかっ、と目を見開く。暗い? けれど、見えなくはないわ。こんなに近いのだもの。エメリーンは躊躇いなく、親指の爪を少年の見開かれた目に突っ込む。嫌な感触? 何を今更!
ぎゃぁっ、と少年が悲鳴を上げてのけぞる。エメリーンの首から手を放した。エメリーンは微笑む。まだ、若いのね。経験が、足りないのね。この程度の傷、神官がすぐに治してくれるのだから、エメリーンの首を絞め続ければ良かったのに……。
短弓、よりも、短剣の方が早い。エメリーンは短剣を拾い上げる。私は南の勇者一行。若くとも、熟練の冒険者。人間も、コボルトも、そう内臓の位置は変わらない。腹部の右上。肝臓。エメリーンは少年に抱き着くような形で、深々と短剣を突き立てる。
さぁ、あと何人?
あぁ、戦士が2人とも残っている。何をしているの、パトリック。神官の男が逃げようとしている。逃がすものですか。エメリーンは短弓を拾い上げて、矢を番える。さぁ、首を狙って?
弓弦が高らかに鳴る。神官の男が倒れるのを見届ける前に、エメリーンは絶命したらしい荷運びの少年の腹部から短剣を引き抜く。もう、何にも、怖くないわ!
エメリーンが自由になったことに気付いたらしい、戦士の1人が、パトリックとエメリーン。どちらを相手にしようか迷う。ダメよ。迷っては。冒険者たるもの、即決しなくては。エメリーンは駆ける。戦士の男に肉薄する。男は刺突剣を振るおうとするけれど、近過ぎる。遅すぎる。エメリーンには届かない。
綺麗な刺突剣ね。でも、クレピュスキュールの方が、ずっと綺麗だったわ……。
喉、を狙うけれど、刺突剣を手放した男が、エメリーンの手首を掴もうとしてくる。させるものですか。勢いのまま、男を押し倒す。やめろ、と男が叫んだ。やめるはずが、ないでしょう?
逆手に握った短剣を、男の喉元に刺し込もうとする。男は、恐ろしい力でエメリーンの手首を掴む。許さないわ。許さない。お前達に、ルクレイシアの遺産は渡さない!
短剣の切っ先が、男の反り返った喉元に届いた。全体重を掛けて、エメリーンはのしかかる。
ルクレイシア!
私を護って!
魔物を、殺させて!
どうしてあと少しなのに、この短剣が刺さらないの? エメリーンは悔しさに震える。エメリーンの手首を掴む男の手も、ぶるぶる震えている。
「――エメリーン!」
エクサ・ピーコの福音のごとき、パトリックの声。エメリーンは、ぱっと短剣から手を放して、男の上から飛び退く。
パトリックが駆けて来る。鎚を振り上げた。戦士の男が、腕で頭を庇おうとする。無駄よ。全部、無駄。
エメリーンは、安堵の溜息を吐く。
パトリックが、鎚を振り下ろした。
断末魔すら、響かなかった。
「あぁ……」
エメリーンは、辺りを見回す。荷運びの少年が投げつけてきた、荷物が転がっている。開く。食料。水。次々に取り出して、無造作にその辺りに放り投げる。そうではないわ。そうではないの。
「……エメリーン」
パトリックが、ぼんやりとした声で問いかけてくる。エメリーンは、ひたすらに、荷物をひっくり返す。
「……先程の魔物が、人間の言葉を、喋った、気がするんだ……」
「気のせいよ、パトリック」
エメリーンは即答して、それから、ちょっと手を止めて考える。
「……いいえ、気のせいでも、ないかも。いたではないの。人間の言葉を話す魔物が。地上が近いのだわ。人間の言葉を、断片的に学んだ魔物が、増えても、おかしくはないのだわ」
そうして、荷物を全て取り出してしまって、エメリーンは次に、死体の手荷物に手を伸ばす。パトリックはメイナードの横に座り込んで、小さく呟いている。
「……あぁ、メイナード。君が狙われなくて、本当に良かった……逃げていてくれれば、良かったのに……」
エメリーンは、弓使いの男の上着を剥がす。借用書も、持っていたではないの。きっと、そう。きっとそうだわ。あぁ、ほら、あった!
迷宮の、地図。
エメリーンは、苔の生えている壁際に寄って、苔の微かな光で地図を確かめる。
涙が出そうになるほど、少ししか書かれていない。
地上が近い。
地上は、こんなにも近かったのだ。
「……さぁ、行きましょう、パトリック。あと、少しだわ!」




