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南の勇者が死んだ。  作者: 桜木彩花。


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十七章 戦士・パトリック 前編



 ……なにか、とてつもなく、かなしいことが、あった、きが、したのだが。


 

 上手く思い出せない。思い出せないという事は、大それたことではなかったのだろう。そうに、違いない。パトリックは納得する。


「エメリーン……!」


 パトリックは声を張り上げる。魔物など、恐れることはない。エメリーンは、何処かにいる。そう遠くない、場所に。ならば、こうした方が早いだろう。


 パトリックの背中では、メイナードが眠っている。疲れたのだろう。可哀想に。長い時間、迷宮を歩き続けたのだ。さぞ、疲れたことだろう。あぁ、エメリーン。はやく合流したいものだ。こう、大声を張り上げていては、メイナードが起きてしまうではないか。


「エメリーン……!」


 何度、その名前を呼んだだろう。しとやかな、罪深き乙女よ。罪深き? 一体、エメリーンは何の罪を犯したのだったか。パトリックは、何の罪を?


 あぁ。


 あぁぁ。


 上手く思い出せない。思い出せないという事は、大それたことではなかったのだろう。そうに、違いない。パトリックは納得する。


 歩く。歩く。メイナードは眠っている。何処からか、水の滴る音が、微かにする。おかしなことだ。水など、迷宮のどこにもありはしないのに。


「エメリーン……!」


 どれほど歩いたことか。上層階に繋がる階段まで見つけてしまった。それでも、エメリーンは1人で階層を進むことはあるまいと考えて、もとの階層を彷徨さまよう。


「エメリーン……!」


「……パトリック!」


 ついに、その声をパトリックは耳にした。良かった。足音。1人分だ。魔物を引き連れている様子もない。おそらく、無事に殲滅せんめつしたのだろう。


 エメリーンは駆け寄って来る。パトリックを見ると、汚れた顔で微笑んだ。


「あぁ、良かった! パトリック。無事だったのね!」


「君も、無事で良かった」


「えぇ、メイナードも……あら、メイナードを背負っているの? もしかして、怪我でも、したの……?」


 一転して、不安そうにエメリーンは眉を寄せる。パトリックは首を振る。


「いいや、眠っているだけだよ。疲れたのだろう。可哀想に」


「そう……?」


「さぁ、行こう。皆で、地上に、帰ろうではないか。地上は、近いのだろう?」


「えぇ、そうね……その通りだわ。でも、ねぇ、パトリック。貴方も足に怪我をしていたのに、メイナードを背負っていては辛いのではない? メイナードが目覚めるまで、少し休んではどうかしら?」


「怪我……?」


 パトリックは首を傾げる。傾げる。怪我? 自分が? いつ、したのだろうか? 自身の身体に不調は見当たらない。考えて、考えて、やはり、思い出せない。


 上手く思い出せない。思い出せないという事は、大それたことではなかったのだろう。そうに、違いない。パトリックは納得する。


「問題ないよ、エメリーン。さぁ、行こう」


 エメリーンに言い聞かせて、パトリックは来た道を引き返す。


「先ほど、上層階に続く階段を見つけたのだ。地上まで、きっと、あと少しだろう……エメリーン?」


 とさり、と、荷物が地面に落ちるような音がした気がして、パトリックは振り返る。エメリーンが両手を口に当てて、地面に座り込んでいる。どうしたのだ、しとやかな乙女よ。エイブラムの妹よ? らしくもなく、そんなに両目を見開いて。


「あ……あぁぁ……!」


「エメリーン?」


「パトリック……あぁ、パトリック……!」


 絞り出すような声で、エメリーンは嘆く。


 

 ……なにか、とてつもなく、かなしいことが、あった、きが、したのだが。


 

 上手く思い出せない。思い出せないという事は、大それたことではなかったのだろう。そうに、違いない。パトリックは納得する。


「どうしたのだ、エメリーン。さぁ、行こう。メイナードが言ったではないか。皆で、地上に帰ろう、と。君が欠けてはいけない。僕達は、こうして出会えたんだ。行こう、エメリーン」


「パトリック……!」


 エメリーンの両目から、ほろほろ、ほろほろと、涙がこぼれている。悲しい事があったのだろうか?


「行こう、エメリーン」


 再三、パトリックが促すと、エメリーンはよろよろと立ち上がった。眠っているメイナードの背中に、わずかに触れたようだ。それはいけない。


「エメリーン、メイナードを起こしてはいけないよ」


 パトリックは静かに、エメリーンをいさめる。


「パトリック……」


 ひくっ、とエメリーンがしゃくり上げた。何か――恐らく、祈りの言葉を、呟いて、エメリーンは歩き出す。上層階に続く階段への道は、覚えている。迷いない足取りで、パトリックは進む。階段には魔物が待ち構えていたが、問題ない。エメリーンが先手を取り、難なく片付けた。


 階段を、登る。この道は、地上に、繋がっている。問題ない。何も、問題はない。


 エメリーンは、ずっと泣いている。魔物を殺しても泣き、階段を登っても泣き、休憩にしよう、とパトリックが告げても、微かに頷くだけで、ずっと泣いている。


「……泣かないでおくれ、エメリーン」


 困り果てたパトリックがそう言っても、エメリーンは僅かに首を振るだけだった。パトリックは途方に暮れてしまう。気の利いた言葉など、1つも持ち合わせていないのだ。せめて、と、現実的なことを口にする。


「君が先に休むと良い」


「……ありがとう」


 そう答える間も、エメリーンは泣いている。ほろほろ、ほろほろと。そんなに泣いては、涙の海におぼれてしまうのではないか。あるいはもう少し現実的に、身体の水分が足りなくなってしまうのではないか、とパトリックは不安になる。


 壁からこけを剥がして、横になったエメリーンの口元に差し出す。


「エメリーン、少し、苔を食べると良い」


「……ありがとう」


 エメリーンは苔を受け取って、少し、口に含んだ。その間も、ほろほろ、ほろほろと泣いている。何があったというのだ、エメリーンよ。エメリーンは喉を上下させて、苔を飲み込むと、小さく囁いた。


「……かわいそうに」


 かわいそう?


 何が?


「……おやすみなさい、パトリック」


 ほろほろ、ほろほろと泣きながら、エメリーンは目を閉じる。


 かわいそう?


 誰が?

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