十四章 戦士・パトリック 後編
ら、るる。
ら、るるる。
罪無き人が、歌う。罪深き乙女が、歌う。
いずこかに産まれた勇者よ。エクサ・ピーコのごとき、人よ。どうか、罪深き、僕を救いたまえ。
「あら……」
エメリーンが呟いて、メイナードを横に押し倒した。何を、と思う前に、かちん、とパトリックの金属鎧が音を立てる。刺さりは、しなかった。幸運だった。幸運だった?
「狙撃されているわ!」
メイナードを庇いながら、半身を起こしてエメリーンが前方に弓を放つ。小鬼が、弓矢を作っていたのだ。使ってきても、おかしくない。まったく、おかしくはない!
盾は無い。ライラの防御壁も無い。それでも、進まなければならない。罪無き人を、守らなければ! パトリックは雄叫びを上げて駆ける。弓矢の1本は、パトリックの横の壁を抉り、もう1本の弓矢は、パトリックの顔を掠った。頬にちりつく痛み。些細なものだ。目をやられなくて良かった。良かった?
壁の陰に隠れて弓を構える小鬼を見つける。射手を庇うように、小鬼にしては体格のいい、錆びた剣を持った小鬼が道に飛び出して来る。その途端、剣持ちの小鬼はエメリーンに目を射抜かれて倒れる。
あぁ。
あぁぁ。
エメリーン。僕の両目も射抜いてはくれまいか。もう、何も見たくないのだ。
そう、頭のどこかで願いながらも、パトリックは小鬼達を殴り殺していく。大きな果実のように、割れる小鬼の頭。散らばる血と骨と、どろどろしたもの。それから、悪臭。小鬼達の、嘆きと怒りと呪いの声。意味は分からない。それが、救いだった。
魔物。何匹も、何匹も、いる。エメリーンも、後方から射殺している筈なのに。足が重い。どういうことなのだ。見下ろすと、左足の太ももに矢が突き刺さっている。道理で。パトリックは酷く安堵する。
ここまでか。良く持ったではないか。良くやった。良く殺った。何日も、10数日も、良くぞ、無傷で迷宮を彷徨えたものだ。ようやくだ。
最後の1匹をエメリーンが射抜く。エメリーンは、微笑むパトリックを問答無用で座らせる。
「……私を、恨んでちょうだい」
小さく囁いて、エメリーンはパトリックの左足から矢を力任せに引き抜いた。ここ数日、何度も、何度も繰り返して来たのと同じ手付きで。それから、エメリーン自身の上着の裾を破って簡単に止血する。
「……君を、恨みはしないよ、エメリーン」
ここまで来ても、思っている事を口に出せないことが、ただ無様だった。パトリックに残された、唯一の人間らしさとも、言えた。
「恨まないから、どうか、どうか、ここで、置いて行ってくれは、しないか?」
涙声でパトリックは懇願する。エメリーンは、柔らかく、パトリックの腕を取った。
「……メイナードが、いるでしょう。貴方には」
罪深き乙女よ。どうしてそんなに優しい声が出せるのだ。どうしてそんなに優しい声で、僕を呪ってみせるのだ。
エメリーンは、自身の肩にパトリックの腕を回させて、立ち上がる。
「さぁ、行きましょう。メイナード! いらっしゃい!」
メイナードが暗闇の奥から駆けて来る。急いでは、いるけれど。けれど、決して魔物の死体を足蹴にすることはなく、丁寧に、駆けて来る。
罪無き人よ。涙が零れた。怪我ごときで、甘えてはいけない。この罪無き人を、迷宮に放り出すような真似を、決して、しては、いけないのだ。
「パトリック……!?」
パトリックが負傷したことが信じられないみたいに、メイナードは目を瞬かせた。
「え、怪我……? あぁ、そうか、そうだよな、する、よな、パトリックだって。人間だもの。そっか……痛む? って言っても、何にも無いんだよな。痛み止めも、消毒薬も……」
メイナードはおろおろと辺りに目をやって、そうして、何も無いことに肩を落とす。消えてしまいそうな、小さな声で、囁く。
「ライラも、いないし……」
きゅっ、とエメリーンが唇を噛んだ。エメリーンは知っているのだろうか。ライラが死んでしまったことを? かくも優しい人を、パトリックが守れなかったことを?
エメリーンは唇を離して、優しく撫でてから、てきぱきと言う。
「過去を悔やんでも仕方がないのだわ。さぁ、行きましょう。メイナード、パトリックの鎚を運べる?」
「うん」
「それはいけない」
頷いたメイナードに、慌ててパトリックは言う。罪無き人に、この血塗れの鎚を持たせるわけには! エメリーンは困ったようにわずかに眉を寄せる。
「でも、パトリック……」
「それならば、メイナード。肩を貸してはくれないか。エメリーン、君が先頭を歩くべきだ」
「……そう、ね。確かに、その通りかもしれないわ。そうしましょう」
エメリーンは、そっと先頭を進む。速い。時折、振り返って足を止めている。あぁ、そうか。エメリーンのその表情を見るに、パトリックが遅いのか。足の出血は止まったようだ。毒も、塗られていなかったらしい。幸いだ。ただ、歩く度にじくじくと痛む。
メイナードは不安げな顔で、時折パトリックの顔を覗き込んで来る。その度に、パトリックは微笑む。問題無いよ、と。
なるべく、足を速める。地上に着けば。すぐにこんな傷、神官に治して貰える――治して、貰えるだろうか? 神官の治療術は、エクサ・ピーコが神官に特別に与えたもうた奇跡の御業だ。エクサ・ピーコは、まだパトリックを癒してくれるだろうか? 罪深いパトリックを?
考え過ぎだ。パトリックは内心で首を振る。ルルーと何年過ごしていたと思っている。何匹魔物を殺して、殺して、殺してきたと。今更、罪深いなどと。片腹痛いとは、この事だろう。
罪は何処にあるのだろう。
自覚してしまったから、罪なのか。
ルルーに守られていたから、今日まで気付かなかっただけなのだろうか。
けれど、地上に住む人々の、新しい土地を望む人々の、あの希望に満ちた清々しい笑顔に、罪があるだろうか。否。断じて否。
あぁ、けれど、この口の中の苦さは何だ。一生、消えまい。
ライラ。
敬虔な、優しい、君に、会いたい。
君が許すと言ってくれれば、パトリックの罪は雪がれることだろう。君に裁かれるのならば、喜んでパトリックは償うことだろう。
君に会いたい。
叶わないことは、分かっていた。




