十三章 荷運び・メイナード 前編
何か、そーとーアレな事があったらしい。メイナードには想像もつかない。パトリックは口数少なく、ただ微笑んでいる。
その微笑みときたら、何だかもう、人間超えてる感じなのだ。エクサ・ピーコの微笑みは、こんな感じなんじゃないかと、思わせるくらいの。優しいのに、近寄り難くて、万人が共感できるのに、凄みの有る、不思議な微笑みだった。
エメリーンは、目を覚まさない。昏々と眠っている。揺さぶれば、僅かに反応があるから、生きている。呼吸は安定していて、毒にやられたわけでも無さそうだ。ただ、眠っている。
――疲れてしまったんだ……。
パトリックは言った。そうだろうか。それも、あるだろう。だけど、それだけだろうか?
遠くから聞こえた、エメリーンの悲鳴と、パトリックの絶叫。
害虫のように、壁に挟まって、震えるだけのメイナード。
2人に怪我は無い。だけど、あの、尋常ではない声。何かがあったらしい。だけど、惨めなメイナードごときに、何が言えるだろう。何が出来るだろう。
かなり、長い時間、休んだ。
エメリーンは、眠っている。
パトリックは、微笑んで、微笑んだまま、行こう、と言った。
そのまま鎚だけ持って、ひょいっ、と行ってしまいそうになる。メイナードは慌てて、エメリーンを背負う。
まぁ、それもそうか。メイナードは荷運びだ。いや、エメリーンは荷物なんかじゃないけど。頼りになりまくる、綺麗なお姉さんだけど。荷物は、メイナードの方だけど。
パトリックは、僅かにメイナードを振り返って、あぁ、と感嘆の息を漏らした。
「罪無き、人よ……」
眩しそうに、パトリックは目を細めた。メイナードの事を、言ったのだろうか。まぁ、あるか無いかって言ったら、無い方か? どうだろう。分からん。罪。罪なんて、生きて、家畜の肉を食べて、植物を焼いていれば、背負わずにはいられないものじゃないか? どうだろう。分からない。
エメリーンは重いか、と言ったら、やっぱりそれも、分からなかった。重くもなく、軽くもなく、人間1人分の重みが、背中にかかっただけだった。荷運びのメイナードには、少し、落ち着く、重みでもあった。少しは役に立てている、という、重みだった。
「……兄さま……」
夢見るような口調で、エメリーンが囁く。かわいそう、だなぁ、と、思う。
メリッサが、地上で待っている。帰らなくては。お前を1人にはしないよ。
黙々と、歩く。鼻歌を歌う気分には、なれなかった。
何が言えるだろう。何が出来るだろう。メイナードごときに。ルルーの仲間ではない、冒険者ではない、荷運びのメイナードごときに。
でも、こんなにもエメリーンは疲れているのに。傷付いているのに。何にも出来ない、なんて。
「……エメリーン」
「……な、ぁに……?」
エメリーンが小さく答える。反応はあった。良かった。良かった?
何が言えるだろう。メイナードごときに。でも、黙っていられなかった。
「……もしかしたら、さ。あの、もしかしたら。みんな、エメリーンみたいにさ、1人で頑張ってさ。みんな、地上で、地上までさ、先に帰って、で、俺達のことを、待ってるかも、しれないじゃん」
ぎゅ、とメイナードの首に回されたエメリーンの腕に力が入った。痛みを堪えるみたいに。メイナードは言っても良いのか、どうなのか、悩んでから、言う。
「エイブラムもさ、あんなに、強かったん、だし……」
「……兄さまは、死んでしまったの……」
ああああああ、しくじった。
しくじったさ。言わなきゃよかった。何てこった。人生は、後悔の連続だ。パトリックの言葉が蘇る。本当に、後悔ばっかりだ。
エメリーンは、メイナードの背中でしゃくり上げる。
「……兄さまが、死んでしまったのに、私……」
「ご、ごめん、エメリーン。辛いことを、思い出させるようなこと、言って」
「……いいえ……」
エメリーンは静かに呟いて、続ける。
「……ねぇ、メイナード……」
「う、うん」
「……ルクレイシアの歌を、歌ってくださらない……?」
「歌うよ。めっちゃ歌うよ。うん、聞いて。ぜひ聞いて」
メイナードは、つっかえつっかえ答えると、ルクレイシアの歌を、歌う。ら、るる。ら、るるる。ルルーほど上手くは歌えないけど。でも、この歌はメイナードの宝物だ。一生、手放すまい、と、思う。
歌って、歩く。
魔物が、現れた。
現れた、のだ。事前に察知できなかった。メイナードは呑気に歌ってたし。いや、呑気じゃないけど。声は小さいとはいえ、エメリーンの為に、全力で、心を込めて歌っていたわけだけど。でもまぁ、油断と言えば、油断しまくりだ。何てこったい。
「うわ……!」
っていうか、数、多くない? 何かいっぱいいない? こんなんだったっけ。メイナードが1人でうろついていた時は、3匹とか、1匹とか、そんなんだった気がしたけど。
でも、最深部を出る階段でパトリックに出会ってから。それからは、メイナードは隠れっぱなしだった。だから気付かなかっただけか? パトリックもエメリーンも、こんな道を塞いでしまうくらいの数の魔物と戦って来たのか?
っていうか、こんなにいっぱいいる魔物の足音に気付けないとか、どんだけ油断してたんだ、俺。いや、パトリックは悪くないけど。きっと疲れていたんだろう。俺が、悪い。弱いんだから、弱いからこそ、もっと警戒してなきゃいけなかったのに。
すでにパトリックと魔物達の先頭集団はぶつかって、パトリックの鎚が唸り、魔物も応戦して、武器が、鎧が、ぶつかり合って凄い音を立てていた。
後ろにいる、弱そうな人間と、弱そうな人間に背負われた人間に気付いたのか、魔物が、えーと、やばい。オークと目が合った。ばっちり合った。オークが笑った? ような気がする。だよね、楽しいよね。獲物だぜぇ、みたいな、気分に、なるよね。
笑ったオークは、パトリックの脇を無理矢理に突破しようとする。パトリックが何とか阻止する。
「逃げるんだ、メイナード!」
「う、うん……!」
メイナードはエメリーンを背負ったまま、来た道を引き返す。パトリックとはぐれたら。いや、考えるな。そういうこと。
「……おいて、いって……?」
エメリーンが囁く。やだよ。嫌だよ。エメリーン。何言ってるんだ。そんなに疲れてるのに。ぼろぼろじゃないか。いや、俺もぼろぼろかもしれないけど。でも、俺はまだ歩けるし。何なら走れるし。
エメリーンは、メイナードの首から腕を解こうとする。
「……兄さまのところに、いかせて……?」




