十二章 弓使い・エメリーン 後編
助けて。
もうすぐ。
俺の。
子供。
産まれる……?
「あぁ……っ!」
パトリックが呻いた。
パトリックが鎚を振り上げる。
ダメ。
ダメ?
違う。
早く。
早くそのオークを黙らせて……!
「タスケテ。タスケテ。オネガイ。タスケテ」
「ぃぃっ……」
おかしな声が出た。エメリーンの声とは思えない。エメリーンは短弓を手放して、両手で髪を掻き毟る。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!」
こんなに大きな、こんなに高い、声が。出せるとは思わなかった。出るとは思わなかった。何処からこんな声が。あぁ、何処から、そんな、言葉が?
パトリックも絶叫して、跪いたオークの頭に鎚を振り下ろす。気が狂ったように、何度も、何度も、振り下ろす。頭蓋骨を砕いて、脳漿を飛び散らせて。粉々にして。そうすれば、あの言葉が無かったことになるみたい、に。
蓋が、開いてしまう。
愛する兄さまがいない、もうレディにもなれない、ルクレイシアを憎むことも出来ない、地上に何もない、どうして歩くの、どうして殺すの、どうして。その答えが無い。見つからない、のではない。初めから無い。エメリーンは空っぽだ。惨めで、空っぽな、お人形。つまらない、飾り物。
もう歩けない。
もう進めない。
パトリックは滂沱の涙を流しながら、オークの遺体を破壊し続けている。
エメリーンはうずくまって、喉の奥に指を差し込む。無かったことに。なかったことに、させて。許して。時を戻して。お願い。お願いします。エクサ・ピーコよ。私をお救いください!
言葉を。人間の言葉を喋るオークが、魔物が、いるだなんて。何てこと。何てこと。では、私は何を口にしたと言うの? 何を、口にして、しまったと、言うの?
吐きたい。でも、エメリーンの口からは何も出て来なかった。ただ、唾液だけが零れて、地面に落ちる。
そうしてエメリーンは絶望的に理解する。
エメリーンには、もう、何にも無いことを。
兄さま、お幸せでしたか?
私は、不幸です。
どうして、逃げてしまったのだろう。あの大広間から。どうして。どうして?
蓋が、開いてしまった。
もう、歩けない。
もう、進めない。
ぐったりと、エメリーンはその場に丸まる。眠ろう。眠って、忘れて、しまえば。あぁ。兄さまにあいたい。あえないなんて、かんがえたくない。
「……エメリーン」
パトリックが、まだ呆然としたような声で、エメリーンの名前を呼ぶ。エメリーンは、力無く首を振った。もう歩けない。もう進めない。地上には何もない。分かっているの。分かって、いたの。ずっと目を逸らしていたの。
「エメリーン、立ってくれ。行かなくては。メイナードの元へ、帰らなくては。彼を、罪無き人を、地上に、連れ帰らなくては……」
「……い、や」
それだけ答えるのも、酷く億劫だった。いや。眠いの。疲れたの。傷付いて、いるの……。
エメリーンは目を閉じる。何も見たくない。何も聞きたくない。何もしたくない。何も。なにも。
ただ、兄さまとの思い出を、丁寧に、ていねいに、思い出す。
――兄さま、兄さま、私を助けて! 貴方の妹の、エメリーンを!
そう願えば、願うだけで、叶ったのが、遠い昔の事のよう。
兄さま。
兄さま。
私を、助けて?
わたしの可愛いエメリーン、と、そう、呼んで?
冒険者になんて、ならなければ、良かった。
兄さまが。あんなに素敵な兄さまなのだから、いつかは、誰かに、取られてしまうに、決まっていたのに。もっと早く、諦めれば良かった。ルクレイシアでも、良かったではないの。綺麗なルクレイシア。大きな黒い瞳の中に星が散っているみたいだった。大人しく、お姉さま、と、呼べば良かった……。
身体が砂袋になったように重い。もう指の1本も動かせない。呼吸をするのも、億劫で、浅く、あさく、息をする。空気が足りない。ぼんやりと、苦しい。構わない。死んでしまいたい。時を戻して。どうか。どうか。
もう、涙も出ない。
浮遊感。
運ばれている?
パトリックに?
そうね、メイナードをひとりにしたままでは、良くないわね……。
兄さま。
兄さま。
私を助けて。
「エメリーン……! パトリック、エメリーンは……?」
メイナードの声。無力な弟。エメリーンは、もう泣くことも、微笑むことも出来ない。そっと、地面に下ろされる。
「疲れてしまったんだ……」
しゃがれた、老人のような声で、パトリック。
そうね。
私達は。
疲れてしまったのね……。
「少し、休ませてもらって、良いだろうか……」
「もちろんだよ、パトリック」
「すまないね……」
ガシャリと、金属鎧が音を立てる。パトリックも座ったのだろう。横になったのかも、しれない。分からない。目を開けるのも億劫だし、別に見たくもない。
兄さま……。
私は何を、何てものを、口にしてしまったのでしょう。
お腹が空いて、気が狂いそうだったの。
狂ってしまえば、良かった。
――助けて。もうすぐ、俺の、子供、産まれる。
もう、狂ってしまったかしら? 私は?
分からない。
なーんにも。
分からない。
私は手に職が欲しかった? 無力な女の子でいるのはもう嫌だった? 兄さまのお荷物でいるのは嫌だった?
馬鹿みたい。こんなにも、兄さまを呼ぶばかりの、私が……?
強くなりたかったの。
魔物を殺して、殺して、強くなって、私は、強く、なったのかしら……?
気遣わし気に、メイナードが小さく歌っている。ルクレイシアの歌。
あぁ、ルクレイシア。愛も、憎しみも、貴女と共に在ったのね……。
ら、るる。
ら、るるる。
肩から力が抜ける。兄さまがいってしまった。ルクレイシアがいってしまった。
ルクレイシアの歌が、聞こえる。
眠い、の。




