十二章 弓使い・エメリーン 前編
兄さまがお幸せだった、だなんて。
ルクレイシアの為に生きて、死んだ、だなんて。
許しがたいことだわ。何てこと。パトリックの、そのぼんやりした顔の眉間を射抜いてくれようかとすら、思った。
エメリーンは内心で盛大に地団駄を踏みながらも、唇と肩を震わせるだけに留めた。レディたれ。あぁ、呪いのよう。今更、何だと言うの。レディになんて、エメリーンはもう、なれっこないのに。
でも、兄さまは不幸であられたの?
それはそれで、何だか、堪らない。
兄さまは、兄さまは……。分からない。不甲斐無い父と、不出来な妹を持って、兄さまはどう思っていらっしゃったのかしら。ねぇ、私のことを、どう思っていらっしゃったの? ねぇ、ルクレイシアのことを、どう思っていらっしゃったの?
そうして、それを確かめる術は、エメリーンにはもう無いのだ。
――仇を討つぞ、エメリーン。
耳に蘇る、兄さまの硬い声。兄さま、あぁ、兄さま。どうして、私と一緒に、逃げてくださらなかったの?
というのは、あまりにも勝手なエメリーンの言い分であろう。エメリーンはあの時、振り返って、見たのだ。見て、しまったのだ。
エイブラムの金属鎧を砕いて、オークの槍が、エイブラムの胸元に突き立てられところを。離れたところから、小鬼達が矢を放つところを。見て、それでもエメリーンは、駆けて、逃げたのだ……。
兄さま、お幸せでしたか?
エメリーンは、矢筒に収めた、小鬼達から得た弓矢に触れる。小鬼達の扱う弓矢は、エメリーンが持っていた物より、短い。でも、番えられなくはない。扱い慣れていないから、命中率や威力は下がるかもしれない。でも、折れかけた弓矢よりは、少しだけましだ。
地上が、近い。
エメリーン自身が、パトリックにそう言ったのだ。弓矢を作る木を、どこから手に入れたのかと。地上に決まっている、と。
エメリーンの後ろを歩くメイナードが、小さくルクレイシアの歌を歌っている。
自分でも驚くくらい、安心した。エメリーンはもう、思い出せなかったのに。ら、るる。ら、るるる。兄さまが、ルクレイシアの為に生きて、死んだのなら。忌々しいけれど、仮定として、考える。
だとしたら、エメリーンは、誰の、何の為に、生きて、死ねば、良いの?
ら、るる。
ら、るるる。
ルクレイシアの、歌。
私達は南の勇者一行? 全滅など、許されない? 地上では、多くの人々が、私達の報告を待っている?
何て。
エメリーンは微かに自嘲する。
何て安っぽい、下らない、理由なのかしら!
足が重くなる。地上に帰りたい。地上に帰りたくない。何も無い。エメリーンには、もう、何も無い。兄さまが、いない。ライラも。ハワードも。ザカリーも。オーガストも。ジェレミーも。トリスタンも。みんなみんな、いない!
地上に帰りたい。
帰りたくない。
どうしたら、良いの。
ずっと、ここに居たい。
こんな場所には、もう居たくない。
眩暈がするほど、エメリーンが思い悩んで、苦しんでいるというのに、魔物の足音。足音がする。エメリーンは、丁寧に、ていねいに、悩みを、苦しみを、両手で抱えて、箱に詰めて、蓋をする。
「メイナード、隠れていてくれ」
「うん」
パトリックの声。メイナードの声。
まるで、2人は兄弟のよう。強い兄と、無力な弟。馬鹿みたい。エメリーンは微笑む。まるで、エイブラムと、エメリーンのよう。馬鹿みたいに、見えていたのでしょうね。私達も。
で、あればこそ。
エメリーンはメイナードを守らなければならない。かつての私を、守らなければ。
暗闇に目を凝らす。魔物。何匹いるのかしら。何匹いても構わない。ぐねぐねした道の先から何匹現れたとしても、パトリックは魔物に立ちふさがり、それ以上進ませない事だろう。エメリーンは、背後から着実に魔物の数を減らせば良い。
魔物。
数が、多い。
どうしてかしら。
下層では、2匹か、3匹で連れ立って歩いているのがほとんどだった。4匹以上まとまってる時は、隠れてやり過ごした。やり過ごせた。だと言うのに、上層に上がって来るにつれて、魔物の数が増えている気がする。先ほどの小部屋に居た魔物も、確か、7、8匹。
エメリーンは、思案しつつも、矢を放つ手を止めない。どうでも良い。どうでも良い? そうかしら。分からない。
でも、考えても、考えなくても、進まなくては。地上に帰る。帰りたく、なくても。なにも、なくても。メイナードを、無力な弟を送り届けなくては。小さな妹さんの所まで。
しまった。
最後尾のオークが1匹、逃げた。
何てこと。オークは好戦的な種族だと言うのに。逃げるだなんて。
でも、例外というものはいつでも存在する。好戦的でないから、オークの癖に、こんな上層まで追いやられたに違いない。追わなくては。仲間を呼ばれては、堪らない。でも、メイナードからあまり離れるのも……。
パトリックとエメリーンは、一瞬視線を交わして、それから、2人でオークを追う。
オークの足は速くない。金属鎧を纏っているし、何より身体の構造が、走るのにあまり向いていないのだ。だから、すぐに追い付くと思った。けれど、追い付けない。オークも死に物狂いだと言うのか。それとも、エメリーン達が、それほど弱っているのか。
エメリーンは駆けながら、弓を射かける。当たった。左足。オークが転倒する。メイナードから、ずいぶんと離れてしまった。すぐに止めを刺して、戻らなければ……。
オークが武器を振り上げる、と思った。
違った。
オークは、その場に跪く。
罠か、とエメリーン達は多少距離を置いて、立ち止まる。何てことかしら。すぐに止めを刺してしまえば良かった。どうしてそうしなかったのだろう。どうして……。
「――タスケテ。コドモ、ウマレル」
オークが、聞き取りにくい声で、けれど確かに人間の言葉で、言った。
ひゅっ、と、パトリックが息を呑む音が、妙に大きく響いた。
オークは地面に頭をこすりつける。呻くように、繰り返す。
「タスケテ。モウスグ、オレノ、コドモ、ウマレル」
ダメ。理解してはダメ。エメリーンは首を振って、左手で口を覆う。ダメ、ダメ……!




