八章 戦士・パトリック 後編
既にパトリックの心の中では、仲間が生きていたのかもしれないと言う希望は潰えていた。松明などを持ち歩いて地上への道を目指す仲間がいるはずがない。
やめれば良かった。パトリックは、いつもそうだ。
ただ、暗い好奇心に駆られて、パトリックは物陰から明るい場所を見やる。松明に照らされる場所で、死んだオークの死体に縋って、小さなオークが泣いていた。母親か、武装していないオーク達の1匹は、子供をなだめるように、何か子供のオークの耳元で囁いている。
――泣かないで。可愛い子。
母親らしきオークが、子供の背中を撫でながらそう言っているように聞こえてしまって、パトリックは慄く。そんな、はずは。パトリックの妄想だ。パトリックにオーク語は分からない。
パトリックが、殺戮者が見ていることにも気付かず、小さなオークは声を上げて泣いている。武装していないオーク達は――達、だ。何人もいる。腰の曲がったオーク達がいる。老人だろう。
松明を持っているオークも、泣いているオーク程ではないが、まだ小さい。しかめ面をして、まるで、泣くのを堪えているようだ。兄弟、だろうか?
何か変わった服装をしたオークが、低い声で呟く。他のオーク達は、その言葉に目を閉じて、項垂れて聞き入る。そして、変わった服装のオークは最後に言った。確かに、言った。
「――エクサ・ピーコ!」
エクサ・ピーコに、祈りを。
おかしなことではない。エクサ・ピーコは、人間と、魔物を作り出した。
創造主に、祈りを。
おかしなことではない。
おかしな、ことでは。
そうして、オーク達は、死したオーク達を――あぁ、そうではない。パトリックに殺された、オーク達を――小道の奥に運んでいく。そういえば、ここに戻って来るまでに、行きに殺して、殺した、魔物達の死体を少しも見なかった。こうして、こんなにも素早く、弔われていたのか。
あぁ。
あぁぁ。
彼等と、パトリック達に、どれほどの、違いが?
近しい人の死を悼み、涙を流し、同じ神に祈りを捧げ。
パトリックは震える足で、引き返す。メイナードの元へ、帰ろう。地上へ、帰ろう。
青褪めたパトリックの顔を見て、メイナードは、大方の事を察したらしかった。曖昧に、彼は笑う。
「……眠ると良いよ、パトリック」
人を癒すのは、おそらく、時間と、眠りだ。
そんなことを考えるパトリックに、もはやエクサ・ピーコの慈悲はあるまい。
「すまない……」
呻くように言って、パトリックは横になる。
強く。強くあらねば。パトリックは戦士なのだ。メイナードよりも年長者なのだ。弱い心など、無くしてしまえ。見たものなど、忘れてしまえ。魔物は害悪だ。目を閉じろ。
ほら、ルルーが歌っている。エイブラムの指示に従えば、間違いない。ライラが周囲を照らしてくれる。ハワードや、エメリーンの確かな支援。メイナードやオーガストのお陰で、迷宮で飢えることなど、無かった。幸せな、過去。無垢で、愚かな、過去。
パトリックは眠る。ただ、眠る。このまま目が覚めなければいいな、と、夢の中で思う。夢を夢と認識しながらも、思う。
明るいギルドハウスのリビングで、ルルーが笑っている。ライラが微笑んでいる。エイブラムは苦い顔だ。エメリーンは淑やかに首を傾げている。ハワードは、ちょっと離れた場所で面白そうに全員を眺めていた。
どうやら、ルルーがまた無茶を言い出したらしい。大胆で、常人の発想を軽々と飛び越えてみせるルルー。エイブラムが幾つかルルーに問題点を提示し、それをクリアすれば完璧だね! と明るくルルーは笑う。追加で、ハワードが意地の悪い質問を投げかける。
――だって、わたし達は南の勇者一行だよ!
優雅に、傲慢に、ルルーが笑う。ハワードは仕方なさそうに肩を竦める。
このまま目が覚めなければいいな。
祈るように、パトリックは思う。このまま目が覚めなければ。ずっとここにいられたら。ルルー達と、いられたら。
だけど現実のパトリックは、暗い迷宮の地面で丸まっているのだ。もう何日、鎧を外していないのか。身体が固まってしまいそうだ。眠っても、疲れが取れない。けれど、眠らずにはいられない。あの光景を見なくては、いられない。
身体の凝りからか、頭痛がする。空腹が酷い。それでも、歩かなくては。パトリックの傍には、善き人がいる。強く。強くあらねば。
何とか心を保って、パトリックはメイナードと共に進む。地上を、目指して。
「……地上、に」
パトリックは、不躾な質問だろうか、と思いながらも、メイナードに尋ねる。
「うん?」
「地上に、大切な人が、いるのかい?」
「大切なっていうと、何か恋人とかみたいだけど。そうじゃないけど、でも、妹が。まだ4歳で」
そういえば、とパトリックは思い出す。数日前に、メイナードは言っていたではないか。親父もお袋もいないし、と。大変な身の上だ。
「あぁ、そうだったね。妹さんが、いると、言っていたね。では、そうだね。必ず、帰らなくてはね……あぁ、そういえば、確かに1度、ギルドハウスで見たかもしれない」
パトリックは、両手で掬うように、丁寧に、幸福な過去を思い出す。そうだ。ルルーが随分とはしゃいでいた。幼子を抱き上げて、可愛いねぇ、えらいねぇ、と褒めちぎっていた。
メイナードも同じ光景を思い出したのか、悲しく笑う。
「1回だけ、どうしても、妹の預け先が見つからなくて。ルルーも、あんなに子供好きなら、さっさとエイブラムと結婚して、子供を産めば良かったのに」
「……うん。本当に、そうだね」
有り得たかもしれない、美しい未来。
近頃、花嫁衣装として流行している純白のドレスを着て、花束を振り回して笑うルルー。晴れの日でも、どこか苦い顔のエイブラム。
そんな光景が、易々と目に浮かんで、眩しすぎて、パトリックは目元を拭った。有り得たかもしれない、美しい未来。今や決して訪れない、美しい未来。
パトリックのこの先の人生に、何があると言うのだろうか。美しいものは、すべて、あの迷宮の大広間に置いてきてしまった。全てを持ち出すことは不可能だと諦めて、何ひとつ、選ぶことも出来ずに。
選べば良かった。あぁ。人生は、後悔の連続だ。まさに、自分が言ったのではないか。
人生は、後悔の連続だ。
あぁ。
あぁぁ。
ライラ、君に愛していると、言えば良かった。
そうしたら君は、何と答えてくれただろうか。困っただろうか。頷いてくれただろうか。やんわりと、断られただろうか。喜んでくれただろうか。
それを知る術は、もう、パトリックには無いのだ。
永遠に。




