七章 荷運び・メイナード 前編
いやー、ついてるわー。きてるわー。
メイナードは浮かれたことを考えかけて、何処がだ、と自分自身に突っ込みを入れる。
そもそもだ。そもそも、南の勇者とまで讃えられたルルーが死んでしまったのが、運の尽きだったのだ。尽きているのだ。ついている、ものか。
けれど、浮かれたくなってしまうくらい、メイナードの3歩前を進むパトリックは頼もしい。オークみたいに大きな背中。血塗れの鎚さえ、忌まわしいどころか頼もしい限りだ。
「……もう、足は、痛まないかい?」
不意に、パトリックに問われて、メイナードは答え損ねた。
「え」
一言じゃ酷過ぎるか、と思いメイナードは言葉を探す。パトリックはそれ以上何も言わずに、金属鎧を鳴らして歩き続けている。言葉が見つかる。
「足?」
やっぱり単語しか出て来なかった。
パトリックはわずかにメイナードの方を振り返る。薄暗い迷宮の中で、パトリックの表情は窺えなかった。ただ、その声は、遠慮気味で、優しい。
「昨日か、一昨日から、少し、君の歩き方がおかしかった気がして、いて。あぁ、もっと早く尋ねていれば、良かったのだけれど」
「あぁ……あぁ。一昨日、肉刺が、出来ちゃって。今は、痛くも痒くもないんだけど」
パトリックに言われて、そういえば、という感じで思い出す。足の肉刺のことなど、すっかり忘れていた。痛くも痒くもないというか、そんな些末時に構っている余裕が無かったというか。
「そうだったのか……ライラに、は、頼みにくいか……」
パトリックは1度頷いて、それから、また、もう1度頷いた。うん。頼みにくいっす。いくら神官のライラは他者の傷を癒す業を使えたからと言って、それは、エクサ・ピーコが神官に特別に与えたもうた奇跡の御業だ。足に肉刺出来ちゃったんですけどー、とか言っていいもんじゃない。
言っていいもんじゃないけど。
「……ライラなら、治してくれそうだったよね。頼んでみれば良かったかな。駄目もとで」
メイナードが軽口を叩くと、パトリックは、そうだね、と頷いた。
「ライラなら、そうだね。優しい、人、だった……」
その声に涙が混じったことに気付いてしまって、メイナードは何も言えなくなる。
神官のライラ。
大人しくて可愛らしい、ライラ。
首だけになって、オークに何処かへ運ばれて行った、ライラ……。
涙、というより吐き気が込み上げてきて、その事実をメイナードは嫌悪する。ぎゅっと顔を顰めて、強く手を握った。迷宮の中で伸びた爪が、手のひらに食い込む。
「……君が、生きていてくれて、良かった」
しみじみとパトリックに言われて、メイナードは困惑する。
「何もできないけど。俺。荷物も、放り出しちゃって」
「そんな事はどうでも良いんだ。本当に、良いんだ。いや、あれば良かったかもしれないけれど。そうではなくて……ひとりでは、狂って、しまいそうだったから」
「あぁ……」
確かに。と、簡単に同意していいものか。だって、パトリックは強いじゃないか。魔物から隠れて、こそこそ進むメイナードとは違う。迷宮内ですら、堂々とした足取りで進んでいる。メイナードとは、違う。パトリックは、ルルーの、ちゃんとした、仲間だ。
パトリックは、涙混じりの声で、呟く。
「……ルルーは、本当に、南の勇者だったのだなぁ。ルルーがいれば、迷宮も、魔物も、少しも恐ろしくなかった」
「うん。ルルーは、凄かった」
これには、簡単に同意できた。強くて、優しい。ルルー。南の勇者。ルルーが先頭を進めば、何処へでも、何処まででも、行ける気がした。
ルルーを喪った今、もう、メイナードとパトリックは、何処にも、何処へも、行けないのだろうか。
メイナードとパトリックに出来るのは、この暗い迷宮を、ぐるぐると、彷徨うだけなのだろうか。
不意に、どうしようもない喉の渇きを覚えて、メイナードは喉を抑えて、軽く、咳をした。酷く、乾いた音がした。ルルー。ルルーも、魔術師のハワードもいない。水。みず。この暗い迷宮を、ぐるぐると、彷徨うことも、あとどれくらい出来るのだろう。
「……魔物は、見当たらないね」
せめて、喜ばしいことを、メイナードは口にする。パトリックは、思案深い声で、答えた。
「ここまで見当たらないのも、おかしな話なのだけれど。もしかしたら、何処かの広間で待ち構えているのかもしれないし、あるいは、もう人間の脅威は去ったとして、普段の生活に戻っているだけかもしれないな。眠ったり、食事をしたり。そういう」
パトリックはメイナードに語り掛けると言うより、自分自身の考えを整理するみたいに呟き続ける。
「魔物。魔物の生態は、よく分かっていない部分が多い。魔術師たちは、研究していたようだけれど。魔物達の扱う言語や、魔物達の発生方法や、迷宮核と魔物達の命の連動についてや――色々な、ことを。でも、僕には分からない。分かることが、少し恐ろしかった。だから、ルルーやハワードや……魔術師たちに尋ねることもしなかった」
「恐ろしい?」
「恐ろしい、ことじゃないか。ルルーやハワードは強い人だ。魔物の言語ひとつ取っても、魔物が、何と自分達を呪っているか、断末魔の叫びの意味が、愛する人への最期の言葉の意味が、理解できてしまっては、恐ろしいじゃないか」
「……そっか。確かに」
メイナードは納得と、一抹の寂しさを、抱える。メイナードは荷運びだ。魔物を殺した事なんてない。ルルーの仲間じゃ、ない。もう手遅れなのは、分かっている。だけど。
「俺……本当は、冒険者になりたかったんだ。荷運びじゃ、なくて。ただ、妹が小さくて。親父もお袋もいないし。そんな言い訳ばっかりして、今日まで、来ちゃって」
「人生は、後悔の連続だ」
パトリックは溜息みたいな声で言って、少しだけ笑った。
「選ばなかった人生のことなんて、誰にも分からないんだ、メイナード」
「パトリックは、エクサ・ピーコに仕える神官みたいだね」
「あぁ、すまない。説教臭くなってしまって。僕は君より少しだけ年上だから、許して欲しい」
「そういう意味じゃ、なくてさ」
「うん?」
「まぁ、俺も、何が言いたいのか、よく分からないんだけど」
「そうか」
「疲れてきたからかな」
「確かに、もうどれくらい歩いただろう……交代で、少し休もうか」
日の明かりも、機械時計も、無い迷宮の中だ。もう、永遠にも近い時間を歩いているような気もするし、ついさっき、ルルーが死んでしまった気も、する。だけど、確かに足が重い。瞼が重い。君が生きていてくれて良かった。パトリックは言った。確かにそうかも。1人では、休むこともままならない。
迷宮内にしては、少し見渡しの良い通路に陣取って、メイナードも、パトリックも地面に腰を下ろす。
このまま、永遠にこうしていて、苔と一体化したい、とまで思った。それほど、メイナードは疲れていたらしかった。パトリックのお陰で恐怖も薄れた。1秒で眠れる気がした。




