五章 戦士・パトリック 後編
――パトリックは堅実ね。
にこにこ笑って、あぁ、あれは何時の、何処の迷宮を踏破したあとの祝賀会だっただろうか。
そういえば出自はまったくの不明な癖に、妙なところで教養のあるルクレイシアが、元・騎士の息子だったか、元・貴族の息子だったか忘れてしまったけど――そして、それを問う機会はもう永遠にないのだけれど――とにかく、真っ当な出自のエイブラムと、夜会の正式な円舞曲に合わせて踊っていた。
ルクレイシアは冒険時の黒い革鎧に黒のローブだなんて色気もへったくれもない格好では無くて、素敵な青いドレスを着ていて、エイブラムも、パトリックには何と呼ぶのか分からないけれど、上等な裾の長い上着と、上着と同じ生地で仕立てられたズボンを着ていた。
祝賀会には、ルクレイシア達が破壊した迷宮跡地に街を作る予定でいる貴族とか、それを補助するというか監視すると言うか、とにかくそういう目付けの国の役人達とか、街の人々を相手に商売を始めようとする商人達だとかが出席していて、ルクレイシアは彼等からひっきりなしに挨拶されていたから、うんざりしたのだろう。
いつものように、挨拶から逃げ出すために、エイブラムの手を取ってくるくる踊っていた。2人はとても綺麗だった。月並みだけど、パトリックの本心だった。ルクレイシアは、近い内にエイブラムと結婚して冒険者を引退してしまうのではないか。
パトリックにとってはとても残念だけれど、それはとても有り得そうで、そして美しい未来のように思えた。美しい未来を、仲間であるパトリックが邪魔する訳にはいかない。
そうしたら、パトリックは何になろうか。そんな事を悩んでいた。たまたま近くに居たライラに、相談までしてしまった。その、回答がこうだった。
――パトリックは堅実ね。素晴らしいことだわ。エクサ・ピーコも、パトリックに相応しい職を与えたもうことでしょう。
ライラの言葉を、具体性がまるでない、となじるのは簡単だ。だけど、それ以上に、優しく、温かいライラの言葉は、不安なパトリックの心を慰めてくれたものだった。パトリックは不格好に笑った。
――僕は、堅実かもしれない。ただそれ以上に、つまらなくて、ルルーみたいに大胆な挑戦の出来ない、価値のない人間だと、ずっと思っている。
――まぁ、パトリック。いけないわ。価値のない人など、エクサ・ピーコの造りたもうた地上にはおりません。自信を持って、パトリック。貴方はとても素敵な人だわ。
にこにこ笑って、それから何かに気付いたように、ぱっと顔を赤くして、ライラは踵を返した。
――ごめんなさい。急用を思い出してしまって。
迷宮内でも、祝賀会でも変わらない、白と緑の神官服の裾を翻して、ライラはパトリックの元から去って行った。パトリックに出来たのは、ぼんやりと手を振って、あぁ、ライラは忙しいのだなぁ、とか思う事だけだった。
サブリーダーのエイブラムよりも、ライラはルクレイシアと付き合いが長い。きっと色々あるのだろう。まぁ、パトリックも、エイブラムよりも先にルクレイシアのパーティに参画しているのだが。どうにもぼんやりしているパトリックには、交渉事は向いていないのだ。
エイブラムが、パーティの内政を担当しているとしたら、外交を担当しているのはライラだった。人当たりが良く、それでも芯の強いライラは、パーティの良き外交官だった。
あぁ、パトリックは何になろうか。何者になれるだろうか。冒険者以外の、何者かに……?
彷徨い続けて、どれほどの時間が経ったことだろう。小鬼やコボルトを、数匹殴り殺した気がしなくもない。精巧な機械時計を手にしていたのは、ルルーとエイブラムだけだった。
あれから何刻たったのか。パトリックは、あとどれくらい動いて、生きていられるのか。喉が渇いた。考えるまいと思うけれど、逃れられない。呪いのように、喉の渇きはパトリックを苛む。無理矢理に、口の中に唾液を溜めて、飲み込む。
ぐねぐねした迷宮の道を、進む。ただ、進む。それを――それなどというのは失礼だ。それなどではない。そう、彼だ。彼を――見つけたのは、エクサ・ピーコの祝福であろうか?
あぁ。
あぁぁ!
人の形をしている。五体満足だ。道の陰にしゃがみ込んでいる。道の先を窺っている。あぁ。あぁぁ。エクサ・ピーコよ、感謝いたします!
「メイナード……!」
思ったよりも、声が出なかった。ただ、掠れて、消えた。それだけでも、彼は――メイナードは、仰天したようにこちらを振り向いて、唇に人差し指を当てた。静かに、と言わんばかりに。メイナードは、歯の隙間から囁く。
「コボルトが……」
いると言うのか。構うまい。構うものか! あぁ。あぁぁ。生きて、生きていてくれたのか!
メイナードの前で、パトリックは両膝をついた。エクサ・ピーコよ。我らの救い主よ!
滂沱の涙を流すパトリックを見て、メイナードは困惑しているようだった。メイナード。若き、我らがパーティの荷運び。
罪無き、人よ。
エクサ・ピーコは、君を救ったのか。
感謝いたします。あぁ。あぁぁ。感謝いたします、エクサ・ピーコよ!
「パトリック……?」
気遣わし気に、メイナードはパトリックの肩に手を置いた。何と温かい手か。金属鎧を纏っているパトリックにも、染み渡る様な温かさだった。生きている、仲間の、手だ。戦士たるパトリックが、守るべき人の、手だった。
「……この先に、17階層に続く階段と、見張りのコボルトが」
メイナードに囁かれて、パトリックは首を振った。
「……何ら、問題は無いよ」
パトリックは立ち上がった。何ら問題は無い。コボルトの1匹や2匹。何せ、今やパトリックは1人だ。特徴的な、白と緑の神官服を着たライラは居ない。黒いローブを纏った魔術師たちも、居ない。
パトリックは何気ない足取りで、歩いて行く。なるほど、確かに、上層階へ続く階段と、そこに座り込むコボルトがいた。コボルトはパトリックに気付いたようだった。俊敏な動きで立ち上がり――立ち上がった、だけだった。
暗い迷宮内で生きる魔物は、総じて視力は悪い。
そして、全身に金属鎧を纏い、人間にしては長身のパトリックは、ひどくオークに似ている事だろう。
上位種に当たるオークに対して、コボルトはこびへつらうような表情を浮かべかけて――そして、あと2歩といった距離になって、ようやく臭いの違いに気付いたらしかった。だが、もう遅い。
階段を登りかけて、るぉ、と叫びかけたコボルトに駆け寄り、後頭部を鎚で抉る。比喩無しで飛び出したコボルトの眼球を、何の感慨も無く踏み潰す。足元で痙攣するコボルトには目もくれず、パトリックは周囲を見渡す。1匹か?
1匹だけの、ようだった。人間に最深部まで踏み込まれておきながら、何と不用心な。
あぁ。
あぁぁ。
メイナードが、救われたような表情を浮かべて、こちらを見つめてきている。何という事だろう。救われたのは、パトリックだと言うのに。パトリックは血塗れの顔で微笑んだ。
「生きていてくれて、ありがとう。メイナード。行こう。帰ろう。地上へ」




