二人のマフラー
とある冬の日。
エアコンで暖かくなっている教室にて、小波理央はひときわ目立つ友人に近づいた。
彼女の髪は金色だから目につく。
「珍しいね。いつもスマホいじってるノエルが編み物なんて」
理央の尋ねに千堂ノエルは、編み物をしながら答えた。
「うん。珍しくやってる」
ノエルと毛糸。理央からしたら、その真珠の目をより丸くすることであった。
なぜならばノエルは裁縫が苦手だからだ。
「家庭科で指を縫ってたノエルがねぇ」
「人の失敗をほじくるとはいい趣味してる」
「そう怒ることないじゃん。今となればいい思い出でしょ」
「理央からしたらそうかもしれないが、私はそーでもない」
ノエルは理央の言葉を「ふん」と不機嫌そうに脇へとのけた。
「でっ、なにか用事?」
めんどうくさそうにするノエルを気にせず、理央は近くのイスを拝借して、向かいに座った。
「用はない。でも暇ならある」
「あっそ」
「なんかそっけないね」
「いまこっちで忙しい」
編み物しているから理央の相手はできない。
「かまってくれてもいいじゃん」
「ムリ」
すぐ断られた。
いつもならかまってくれるのに、と理央は寂しくなる。
この寂しさをまぎらわすように、理央はふくれっつらで茶髪をいじった。
「ノエルそっけない」
「理央はいつも通りだ」
「わかってるならいつも通りにかまってよ」
「ムリ」
ノエルが編み物をとめて、金髪をかきあげた。
長くサラサラとした髪は舞い、そしてノエルの背中へとまとわりつく。
透ける金髪はまわりのみんなよりも大人びていて綺麗であった。
そう思うと理央はちょっとした話を考えつく。
「ではわたしの暇を買いませんかカワイイお嬢さん」
「お前はいったい何者だよ」
「暇売りおじさん」
「廃業しろ」
不器用ながらも懸命に編み込むノエルは忙しく、おしゃべりしたくなさそうだ。
だが寂しさを紛らわしたい理央は、少しでも興味を惹けるよう編み物の話をした。
「てか誰かにプレゼント?」
「これは自分用」
「へぇ。なに編んでるの」
「マフラー」
自分で使うため。
そう聞いて理央は疑問に思った。
「わざわざ編まなくても買えば良いじゃん」
「苦手の克服。それに愛着がわく」
ノエルの言葉に理央は信じられないと驚いた。
「ノエルがそんなこと言うなんて……成長したね」
「成長期だから。苦手も克服できる良い機会」
興味なさげにノエルは相づちを打って、もくもくと編み物に没頭する。
かまってほしいのに相手されない……理央はまたしても寂しさに悩んだ。
そしてふと思う。自分用にしてはやけに熱心だ。
「それぜったいプレゼントでしょ」
イジワルそうに理央は言ったが、ノエルはきっぱりとした口調で否定。
「自分用だよ。自分のためだけに編んでいる」
「そう恥ずかしがるなって。手作りプレゼントなんて気合はいってるじゃん」
「自分で使うのだから気合入れるだろ」
「てか好きな人へのプレゼントは本気で編みこむ、って統計がありまして」
「理央の性格からしてその話は嘘っぱち。だから自分用」
「えーぇ教えてよぉ友達でしょーぉ」
「猫なで声でも自分用」
「にゃあにゃあにゃあ。それプレゼントにゃ?」
「猫でも自分用」
ノエルの編み上げる手際が良くなった。
なにやらイライラしているようだ。頬がほんのり赤くなっている。
相手を不愉快にさせたかも。と理央は思った。
でも相手がノエルならばそれもふれあいである。
とはいえ無粋な気がして、理央は追求するのをやめた。
「そうですか。ではそういうことにしときましょ」
「トゲのある言いかただ」
「えーそんなことないよ」
にやにや、と理央は微笑んだ。
はぁ、とノエルはため息。
「……まぁいいや」
しぶしぶと言う。そしてノエルは編み物に集中した。
それからノエルはいつも編んでいた。休み時間や放課後。時間があるかぎりに。
ノエルはずいぶんと本気で編んでいた。
――……――
ある日の夕方。
冬空は見るからに寒そうな色をしていた。
そしてこの空は、寒がりな理央にとって恨めしいことこの上ないのであった。
「冬ってなんでこんなに寒いのっ」
バス停のベンチにて。
バス通学の理央は隣に座るノエルに言った。
ノエルはスマホをいじりながら答える。
「しらんがな」
「ノエルそっけない」
「じゃあどうしろと」
「かまってよ」
「理央はいつもそれだ」
「だって。なにかしゃべってないと寒くて凍死しそう」
「しゃべっても寒いのは変わらないぞ」
「気はまぎれるでしょ。だからしゃべろうよノエルぅ」
やかましい理央の願いをノエルは適当に返した。
「じゃあ、しりとりなんてどうよ。一人で」
「それただのひとりごとだよ。わたしはノエルとおしゃべりしたいんだ」
もう、と理央は呪いを唱える。
「まったく……地球から冬が消えればいいのに」
「自分の都合で世界を変えたい?」
「この冷たさとおさらばなら」
ノエルはあきれた。
「理央は寒いの苦手なくせに元気だ」
「こうでもしないと死んじゃいそうだから元気出してるだけですぅ」
「カラ元気か」
「だってほんとうに寒くて死にそう」
理央は寒さに耐えるために吐息を手に当てる。
ノエルからしたら、コートと手袋で防寒対策している理央はなんとも弱々しく映った。
今までの元気をどこかに落としたみたい。
「やっぱ寒い?」
「……割かしマジで寒い」
「だよね」
ノエルは曖昧な笑みを浮かべるしかできなかった。
なにかしてやりたいけれど、まだなにもできない。
そんな心配を感じたのか、思うよりも早くバスが来た。
「ほら理央。バス来た」
立ちあがったノエルは、理央の手をとった。
手袋越しに理央の脆さを知る。
「ノエル……ごめん」
「いいよ。べつに」
そして理央をバスへと招いた。
――……――
ノエルがかまってくれないからか、それともノエルの裁縫が上手になったのか。と理央は思った。
「マフラーぽくなったね」
休み時間。理央はお菓子を食べながらノエルの編み物を眺めていた。
そして編み物はマフラーらしくなってきていた。
やや不格好だけど暖かそうなモフモフ。
そんなマフラーを編みながらノエルは言う。
「でもまだまだ」
「へぇそうなんだ」
こくり、とノエルはうなずいた。編み物が形になりだしたからか、なんだか嬉しそうだ。
「ところでそのマフラーは誰にプレゼントするの?」
理央は気になっていることを言った。
ノエルが自分用にマフラーを作るとは思えない。おおかた照れ隠ししているだけであろう。
「誰に? 自分にだけど」
ノエルはきょとんとした。
そこに理央はすかさず。
「とぼけなくてもいいじゃん」
「とぼけるもなにも、これは自分のためのマフラーだ」
理央はお菓子を頬張り終えてから、しつこいほど聞いた。
ねぇねぇー、と人懐っこく。
「おしえてよぉ」
「だからこれは自分用」
きっぱり言われて理央は焦った。
友達にすら隠すの? それとも本当に……。
「どうしても教えてくれない?」
「教えるもなにも自分用」
自分のため、さも当然のようにノエルから言われて、理央はとても悩んだ。
本当に自分のために編んでいそう。
そしてノエルがあきれたように言う。
「理央には私が嘘つきに見えるのか?」
ノエルの一言で理央は立ち止まった。
ノエルが嘘つき。
そう言われると否定したくなる。ノエルは嘘つきというよりも、恥ずかしがり屋で背伸びをしているだけだ。
髪を金色にしたのといっしょで見栄っ張りなのだ。
嘘つきなんかじゃない。
ちょっと素直になれないだけ。
「そういうわけじゃないよ。ノエルを嘘つきだなんて」
「じゃあ私の言葉を信じな。このマフラーは自分用。はい、おわり」
それずるくない、と理央が言うよりも早くノエルは編み物に戻った。
「てか自分用なのに熱心すぎるよ」
「熱心になるのは当たり前。編んだマフラーが暖かくなければ意味ないし」
言われて納得。
でも。
「そりゃそうだけどさ……できればその熱意をわたしにもわけてほしいなぁ」
「断る」
「少しはためらってよ」
「マフラーを編むために、ためらいは捨てた」
「ノエルはそのマフラーになにを編み込んでるのさ」
ツッコミをいれると、ノエルは手をとめて答えた。
「いろいろ編み込んでる」
「いろいろて、なに?」
「やぼなこと聞くな」
そう言うなりノエルは編み物に戻る。
「むぅ……そう言われると気になるじゃん」
「気にしなくていい。私はマフラーを真面目に編む。ただそれだけ」
「ほんとうに?」
「本当。自分用に本気でマフラーを編んでいる。これ以上は取り合わない」
ホントのホント。そこまで言われると、理央は聞くに聞けなくなった。
「わかったよ……もう」
しょんぼりとする理央を、言い過ぎたと思ってかノエルは優しく一言。
「自分用だけど完成したら理央につけさせてあげる」
急なことに理央は驚く。
でも同時に嬉しいとも思った。
「ほんとうに? マジで?」
「なんだかさっきからマジマジばっかり言ってる」
「いやそれはほら」
ごにょごにょと言葉を探す理央に、ノエルは人差し指を立てて、静かにするよう唇に添えた。
「わかってる。理央の言いたいこと。黙って見てくれるなら暖かいマフラーを貸してやる」
心を透かして見た、大人びたようすで、ふふっと微笑んだ。
笑顔が暖かい。そう理央は感じて、ちょっかいをやめた。
ノエルの微笑みに暖かさを知り、さらにマフラーの完成を見てみたいと思ったのだ。
――……――
月曜日。
暖かな教室にて、理央はあることを不思議に思った
休み時間にノエルがマフラーを編んでいない。
「あれマフラーは? もしかして完成したの?」
理央が尋ねると、ノエルはスマートフォンの画面から理央へと目を逸らした。
「まだ」
「えっ?」
「今日は忘れた」
「あんなに熱中してたのに」
「うっかりうっかり」
そうノエルが適当におどけた。
「……なんか隠してない?」
理央は怪しむようにノエルの目を覗いた。
心が見えそうな気がしたが、見えたのはいつもの大人びたノエルのクールな顔だ。
「隠すとは人聞きの悪い。私がうっかり忘れただけ」
「あれをうっかり忘れるかなぁ」
「でも私けっこう忘れっぽいじゃん」
「自分で言うかそれ」
理央はなんだかバカバカしくなった。
ノエルの言動はどう見ても煙にまこうとしている。
取り合うのは無駄。
そう思うと理央は、今までかまってくれなかったノエルへの愚痴がふつふつと湧いて来た。
「てか自覚あるなら直したら」
「自覚というよりか癖だね」
「それもっと深刻だよ」
もうこうなったら元の話題には戻らない。
理央はノエルの口車に乗せられて、マフラーとは関係ない雑談ばかりしてしまった。
――……――
ノエルがマフラーを編まなくなった日の放課後。
二人はいつもと同じようにバスを待っていた。
そして今日は一段と、寒さが肌に刺さるぐらい冷えた曇り空。
空気にトゲが見える。
「理央、大丈夫か?」
はっ、として理央。
気がつくと寒さで震えていた。
隣でノエルが心配そうに言う。
「さっきまでしゃべり倒してたのに、急に黙るから心配した」
ノエルは真剣に理央を案じていた。だから理央はすこし申し訳なくなって、ノエルから目を離さないようにした。
「そ、そうだね。ごめん」
「謝る必要なし」
「でも」
「てかやっぱ寒い?」
ノエルはやはり心配していた。はたから死にそうに見えるほど寒さで震えていたのだろう。
理央は素直に答えた。
「うん……めちゃ寒っ」
手に息を吹きかける。白い熱はすこしだけ手袋越しに暖かかったが、すぐに冬の寒さがビュゥと襲ってきた。
「今日のこの時間は年一で寒いらしいから仕方ない」
「そうなんだ。じゃあなおさら我慢無理かも」
「だよね。うん」
ノエルがそうつぶやくと、カバンをあさり始めた。
「どうしたのノエル?」
「あれを使おう」
「あれって」
「マフラー」
「……忘れたんじゃ」
「嘘に決まってる。あんなに熱中したの忘れないよ」
理央は唖然とした。あんなに平然と嘘をつくなんて。寒さなんて忘れて、ひとつ言いたくなる。
「ノエルは嘘つきだ」
「そうだけど」
「あっさりしすぎじゃない?」
「あっさりもこってりもない。私は自分のためなら嘘つきになれる」
ノエルの素顔。そこにはいつもと変わらない大人ぶっている顔がある。しかし理央にとって知らない顔でもあった。
「ノエルのそれ最高に性格悪いし」
「はいはい、そうですねー」
そうノエルは言うとマフラーを取り出した。
けれどそれは普通サイズよりも長く、モコモコながらもまるで竜のように分厚かった。
「それデカすぎない?」
「かもね」
ノエルは答えると、よいしょっと竜っぽいマフラーを首に巻きだした。
そしてだいぶ余ったマフラーを差し出して。
「はいこれ。首に巻いて」
「えっ」
「我ながら暖かいよこれ。理央も気にいるはず」
「そうじゃなくて。てかサラッと自画自賛するな」
「ではガッツリとする。モフモフで気持ちいいぞマフラー」
ツッコミ切れない、そう理央が思うとノエルが口を開けた。
「正直に言う。私は理央といっしょにマフラーを巻きたい」
真剣そのもの。
まるでマフラーを編んでいた時のように、暖かくなるよう思いを込めるかのように。
「でもなんで」
「私がそうしたいからだ」
「意味がわからない」
「理央を暖めたい」
真面目に言われたからか、もしくは名指しで暖めたいと言われたからか、理央は緊張してしまった。
緊張が静寂を作る。
言葉を待つノエルに耐えかねて、理央は心の隅っこにできたトゲを吐いた。
「自分勝手」
「そうだけどなにか?」
当たり前のように言われる。
あまりにも当然とすぎる言葉に、理央はなにも言い返せなくなった。
「そう簡単に認められたら、もうなにも言えない」
「じゃあこれ巻いて。本当に暖かいよ」
「うん……」
理央は言われた通りに、長いマフラーを手にした。
そうして二人でひとつのマフラーを巻く。
巻いて理央は驚いた。本当に暖かい。
「どう理央? 暖かい?」
肩が触れそうな距離。そわそわとノエルが、理央の目を覗いた。
その様子にいつもの大人びた雰囲気はなく、とても子供らしくあった。
「暖かいよノエル」
「それはよかった」
「でも」
理央はノエルに肩を寄せた。
マフラーの暖かさ。その熱がノエルから流れてくる。もう風は寒くない。あるのは心をホカホカにしてくれるノエルだけ。
だからノエルの暖かさについて、理央は聞きたくなった。
「なんでわたしを暖めたいの?」
「それは……いろいろ」
ノエルが口ごもる。やぼな言葉がのどにつかえているようで、しゃべらなくなった。
言いづらそう。でもノエルはゆっくりと、身をさらけだすように語る。
「私なんかといっしょに居てくれるから、かな」
「私なんか、てなによ。ノエルは悪いヤツじゃないよ……イジワルではあるけど」
聞いてノエルは笑った。
それはそうだな、となにか吹っ切れたように。
「理央といっしょに居られて、初めて他人に興味がわいたんだ。友情とか親しみやすさとか……そして恋とも言うか」
喋る口は震えて白い息を吐いているが、寒さからくるのではないようで。
「好き、なんだ。もっと仲良くなりたい。理央とならどこまでも」
ノエルの熱が理央の寒がりな心を暖める。
暖かな気持ち。幸せな熱に理央は、ひとつ確認をした。
「好き、もっと仲良くなりたい……ノエルがわたしと、その友人よりももっと?」
「私じゃダメか」
今までのこと。
これからのこと。
いろいろと混ぜて、そして言葉にする。
「良いに決まってるよ」
そう理央が伝えた。
届いた言葉にノエルは安心するように微笑んだ。
大人な背伸びをすることなく、少女みたく語る。
「よかった。理央に嫌われると思ってた。女同士だし、私は自分勝手だし」
「女とか自分勝手だとか関係ない。わたしのためにマフラー編んでくれる、そんなノエルを嫌うわけない」
「でもマフラーだって理央のためだけど、その半分ぐらい自分のためで」
「だから自分用? てか自分のためって」
「理央とこうしたかったから、だから自分用」
口癖のように言っていた『自分用』なる言葉は、照れ隠しの常套句だったらしい。
ノエルは照れているようで、歯切れ悪くなにか言っていた。
「だから私は自分勝手なんだ」
「まあ別にいいよノエルはそれで。これからはわたしがその自分勝手に付き合ってあげる」
「マジで?」
「マジで」
「じゃあさ、今からひとつ自分勝手していい?」
ひとつだけなら、と理央は言う。
そしてノエルは願いを言った。
「理央の手を握りたい」
「良いよ。ノエル」
理央は手を差し伸べる。
それをノエルが優しく包むように握った。
「手袋越しでも暖かいね。ノエルの手」
「そうかな」
「なんか心地よい」
「気に入ってくれたなら、なにより嬉しい」
理央はノエルに感謝した。
こうも暖かくしてくれることに。
「てか手を握るだけでよかったの?」
「これ以上は私の心臓が持たない」
緊張で胸いっぱい。そう言うことらしい。
マフラーをいっしょに巻いて、手をつないでいるだけでも、ノエルはありったけの勇気を絞り出していた。
「でもノエルは、いつかはしてみたいでしょ」
理央はわざとらしくウインクした。
大人っぽくイジワルしていたノエルへのイジワル返しとして。
「野暮なこと聞くなっ」
ノエルの顔がみるみる赤くなった。
そしてバスが来た。
ドアが開き二人を待つ。
「ほらノエル。バス来たよ」
「まだ理央とこうしてたい」
「でもこのままじゃバス行っちゃうよ」
「手放したくない」
「てかこれバスでもできるじゃん」
理央の言葉に納得したノエル。
二人は立ちあがる。
マフラーと手はつないだまま。
二人はひとつ、言葉を重ねる。
「いつかは、しようよ」
二人ひとつ。笑顔でバスに乗り込んだ。