キャンパスの神様 3
「すっかり眉上のぱっつんにも見慣れてきたわ。」
「あ、はい…。」
「後は、そうね。もう少し他の生徒ともお話し出来るようになるといいんだけど。」
美術室に二人。千春と向き合って休憩中。夏が終われば文化祭の季節になる。その為の製作、麻友も千春も忙しさが加速していた。特に千春は高校最後の展示。S女子の美術部展示会は毎年大勢の人間が訪れる。特に、代々の部長の展示は注目の的。先代も、先先代も。プレッシャーに打ち勝って素晴らしい展示を完成させた。これは部長に選ばれた生徒の使命。そう意気込む千春の目の下にはうっすらとクマが。プレッシャーのあまり寝れていないのだろう。
「家で作業できる分だけいいんだけど。」
千春の専攻は彫刻。さらにいうと球体関節人形などを専門に創作活動をしている。大判のキャンバスに比べたら持ち運びはしやすい。しかし、細やかな作業や衣服の素材から縫製まで一人で手がけるとなるとその量はあまりにも膨大だ。それに加えて、文化会の仕事もある。
基本的に学校行事は生徒会とスポ会、文化会が力を合わせて運営しているのだ。ましてや文化祭の主導を行うのは文化会。その三役ともなると雑務も多いだろう。
「あ、そうだ。麻友ちゃんに提案があるの。」
「なんでしょう?」
提案、というものが全く予想できなかった。まだ展示の設営に関することを相談するのは早い。と、いうのも美術部員全員が展示の大きさをある程度決めなければならない。それでなければ設営のスペースの配分ができないからだ。
それとも、展示の手伝いか。しかし、まゆの専攻は絵画。特に油彩を得意とする。千春の作業を手伝うには専攻が違う。
「来年の書記、麻友ちゃんを推薦しようと思っているんだけどね。」
「え?」
素っ頓狂な返答。繰り返される瞬きの音が聞こえてくるのではないかというくらいの静寂。
書記、という言葉は知っているが。麻友が書記になるということは文化会の三役になるということだ。
来年の話であるが、千春の後釜を麻友が継ぐ。早い話がそういうことだ。本来、三役というものは最高学年である三年生がやるのが一般的であった。しかし、今年はスポ会の会長が二年生になるという特例もあった。書記なら来年二年生になった麻友が担当するのも不自然ではないのかもしれないが。
「でも、私…。」
麻友は表立って人を引っ張ることなど出来ない。字はまぁまぁ綺麗だから板書などでは活躍するかもしれない。しかし、麻友は三役になれるような器ではないと自分で分かっている。出来るなら目立つことなく、ひたすら創作作業に没頭していたいのだ。
「色々な経験が、芸術を深めるものよ。」
「でも、私、…人前に出るなんて。」
「だからね、その為の予行練習。どう?悪い話ではないと思うけど。」
千春の提案というのは、多忙を極める千尋のサポート、という訳だ。後から知った話だと大体秋頃から引き継ぎも兼ねて次の三役候補も各々、現役の先輩の手伝いをするのがこの学校の通例だそうだ。
麻友は引っ込み思案もそうだが押しに大変弱いところがある。ましてや二学年上の先輩に言われてしまえば意見を言えるわけがない。
「明日の放課後、合同総会があるわ。申し訳ないのだけれど、そこについてきて欲しいの。」
結果、押しきられる形で、麻友は合同総会についていくことになった。生徒会とスポ会との合同会議だ。予算決めや、体育館での催しの段取り、大まかなルールなどを決めるらしい。
高校時代の年の差というものは学生生活のヒエラルキーによって多大な影響を及ぼす。聞けば一年生は麻友だけというではないか。
そのことだけで頭がいっぱいだった麻友が、本当に後悔を覚えるのは会議室についてからであることを、麻友はこの時予想もしていなかったのだ。
「では、手元の資料の二ページ目。」
文化会の会長の綺麗な声色が資料に羅列した文字をスラスラと読み上げていく。しかし、それをいくら耳を凝らして聞いても麻友の頭の中にそれらが入ることはなかった。
目の前に、散々自身が絵のモデルにしたひかりがいる。ひかりと初めて言葉を交わした以来、窓越しからずっとひかりを追い続けていたのだ。テーブルを挟んだ向こう側。会議が余程退屈なのだろうか、それとも部活の疲れが溜まっているのか。うつらうつらと船を漕いでいる。今にも突っ伏して寝てしまいそうなところを必死に、我慢しているように見える。
その横でポニーテールの少女が、几帳面にメモを取っているのが見えた。彼女もまた、スポ会三役の候補生として招集されたのだろうか。言い方は悪いがひかりよりも熱心に会議に参加している。どちらが現役か分からないくらいだ。
「以上、今年は美術部の展示スペースどうしようか?」
「多分一週間後には、展示物の大きさがある程度決まるとは思うから。決まり次第すぐ報告するね。」
「大きい搬入があったらスポ会にも手伝ってもらえればいいかな。」
「はい、出来る限り人員を動かせるようにはしておきます。」
ひかりを置いて、どんどんと話が進んでいく。後で、ポニーテールの候補生が書きためたメモを見せるのだろう。
しかし、ひかりは寝ぼけ顔であろうが美しいことに変わりはない。スッと通った鼻筋。瞼を閉じているせいか、睫毛の濃さがより一層際立つ。初めてあった時よりも少しがっしりとした肩幅。麻友は知っている。部活動前後にもトレーニングを欠かさないひかりの姿を。
「麻友ちゃん、華道部の件なのだけれど。」
「は、はい!」
いきなり話を振られたものだからびっくりして思わず立ち上がってしまった。一斉に皆の視線がこちらに集まる。もう、どうしようもないくらい恥ずかしい。ゆっくりと腰を下ろし、麻友は事前にまとめていた資料を千春に差し出した。
穴があったら入りたいとはこのことだ。ひかりが寝ていたのがせめてもの救い。だと思ったのに。
ひかりはこちらを大層愉快な目で見ていた。まさか、麻友にひかりが視線を送るなんて。それだけでも心臓がバクバクとうるさいのに。あんな恥ずかしい場面を見られてしまったのだ。麻友は身を縮こませた。今すぐ、この教室から消えたいなんて、強く願ってしまう程に。