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本当の自分は異世界で!  作者: うしのだ
三人旅 ワミサ編
50/54

条件

 時は前後する。

 麻辺の変化させた景色を瀬良は観察していた。通常、彼の育ってきた常識で現実としてこのようなことが起こることはあり得ない。映画やアニメ、バーチャルリアリティーといった、とにかく「作り物」でなくてはこのようなことは経験できない。

「なんだこれ。……あれだ、時代劇の戦場のセットみてえ」

 瀬良は率直な感想を口に出す。煙が立ち上り続ける、静かで不気味な、破壊され尽くした戦場跡。本物の戦場を知らない彼にとって、今はどこまでも作り物の域を出ないためだ。

 濡れた髪を絞って一つにまとめた瀬良は、今は濡れた衣類を絞り、時に円を描くように振り回すことによって水分をできるだけそこから逃していた。仮想戦場であるここではその水分も現実だが、これが解かれればすぐさま仮想、つまり非現実となり乾いたいつも通りの衣類に戻るのだが、彼はそれを知らない。そのためただ水に濡れた布が身体にはり付く不快感の解消のため、握力の全てをそれに向ける。

 麻辺は瀬良の言ったことが分からなかった。テレビはもう何年も彼は見ていない。母が求める愛を形だけでも与える男によって、麻辺が九歳の時に壊されて以来買い替えていないからだ。元々誰かと積極的に話すタイプではなく、常に情報を共有するような友人もいたことがない。アニメやドラマなど、毎週放送される番組について語り合ったことも彼の記憶には存在していない。なぜなら、必要なかったからだ。

 麻辺が「普通」の範囲であろう家庭の一員だったときは、両親が揃い、その中で話をしていたように彼は記憶する。テレビ番組は雑談を彩る効果音であり、時には雑音であった。

 しかし、それももう彼の人生にはありえないことである。そのため彼は教科書で見た、原爆で破壊された広島のモノクロ写真から建物の残骸を取り除く。その想像が目の前と重なり、瀬良の言葉に納得する。

「……」

 麻辺は思考を切り替え、目を凝らした。先ほどまで交戦していた二人に動きがみられなくなったためだ。鍔迫り合いのような膠着でもなく、どちらかといえば一時休戦かつ協定のような雰囲気が感じられた。

「おい麻辺、お前は絞んねえの?」

 不意に瀬良が麻辺に話しかける。彼は絞ったことによってついた衣類の皺を叩く様にして伸ばしていた。ある程度満足がいったようで腕を通すも、やはり完全には水分を落とすことができず、彼は小さく舌打ちをした。そして、今共にいるのが男の麻辺だけであるから、彼は一切遠慮をせず下を脱ぎ始める。

 麻辺は返事をするべきか迷い、瀬良のことを見続けていた。

「……別に男同士だしあんま気にしねえけどさ、そんな見なくていいだろ……」

 その視線に気が付いた瀬良が釘をさすように言った。

「えっあ、すいません……あ、はい。そうですね、えっと……あの、あ、僕も絞ります……」

「勝手にしろ。わざわざ言わなくていいわ面倒くせえ。女子かよ」

「いや、あの……僕男なん」

「知ってるわ! 『勇一』って名前の女がいてたまるかよ! 一人で便所も行けねえ、勝手に行ったらうんこな女子なのかお前は、って話だ馬鹿! お前比喩ってわかるか? 分かってるか?」

「ひゆ……は、えっと」

「例え話‼」

 瀬良が短く吐き捨てる。彼はやはり満足の三歩手前くらいの水気を持つ下着を身に着けると靴下を絞り始めた。だが、その湿り気を持ったままの状態で靴を履くことを想像し、その不快感を頭に浮かべると彼はそれを諦め、最後の大物であるズボンに取り掛かる。彼の身長の分、それはかなり大きかった。

 麻辺はそんな瀬良の言い分に納得した。女子のそれについては彼は全く気にしたことがなく、脳の中にデータがないので除外したが、濡れたままでいることはどう考えても良しと言える状態ではない。例えばこれから水もない砂漠地帯に行くというのであれば、この水は非常に貴重なものとなるだろうが、今彼がいるのは作られた戦場だから、その貴重さというものにはあてはまらない。

「……」

 麻辺はもう一度目を凝らす。どうやらこの戦場を統括する者の特権として、見るべきものを見ることができるらしい。彼の通常の視力では到底見ることのできない、リレイの身体に入ったオーガスタと、突然の侵入者――赤い髪の、おそらく自分と同年代の男――の姿がしっかりと見えていた。二人は歩きながら話をしている。耳はよくならないようで、その声を聴くことはできなかった。

 その二人の間に敵対心、少なくとも攻撃に移るそれが無いように感じた麻辺はそこでようやく服を脱ぐことにした。彼にもまた羞恥は無い。それは隣にいるのが瀬良という男だからというわけでもなく、ただ単純にその感情をこの場には持ち合わせていなかった。それが元々なのか、それとも長年受けた様々な暴力によるものなのかは誰も分からない。

 脱いだ服を彼は力を込めて絞る。水はその圧力によって溢れるが、まだまだ湿り気の域に至らない。麻辺は数度挑戦するが、それ以上水がこぼれ出ないことを悟ると再び身に着けようとした。

「それ着んのかよ。握力ねえのかお前。四月の体力テストどうだったんだよ」

 不快感を隠そうともしない瀬良が口を挟む。彼は再び髪の毛を絞りながら麻辺のことを見ていた。

「えっと……あ、確か、……えっと、確か二十三、ですけど……」

「握力ねえじゃん。大丈夫かお前、男だろ」

「あ、まあ……はい。たぶん……」

 瀬良の問う「大丈夫」が何に対してのものか分からなかった麻辺は曖昧に返事をすると、「湿った」ではなく「濡れた」服を再び身に着けた。あまりにも取れない水気に、わざわざ脱いで絞る意義を見出せず、彼は他の衣類を絞ることをやめた。

「あーあ、解放感~……感じられねえ」

 湿ったズボンに脚を通すことを諦めた瀬良が、その重たい布を肩にかけて頂上付近に座る。彼は目を細くして、最後の記憶では戦闘をしている二人のことを判別しようとしていたができなかった。

「つかさ、おかしくねえ?」

 煙が立ち上り、今にもその死角から何かが飛び出してきそうな、そんな静かな不気味さを漂わせている景色を見ながら瀬良が呟く。それが自分に対する問いであると理解した麻辺が返事のために口を開こうとしたとき、瀬良が一瞬麻辺の方を見て、そして言葉を続けた。

「この世界って魔法があるんだよな?」

「まほっ……あ、はい。あるんだと、あの、思います」

「選ばれし人間が使えるだけとか、適正職的なもんがあって魔法使いが職業って訳でもないんだよな?」

「あー……それはえっと、あの……分からない、です。すいません……」

 麻辺は正直に言う。この世界の人間は魔法が使える、ということは分かってはいるが、それが職業であるか、というようなことまでは分からなかった。ただ当たり前に魔法が使え、それができない人間がいることを疑うことがない、という印象である。

 かつてリレイが言ったことが思い出された。「『魔力追跡』が適用されない基本的なものすら使わないから変だなって……」――

「なんか変な武士道でもあったりとか聞いてねえか?」

「武士道……?」

「おかしいだろ。なんでギャーワー言いながら刀で斬りかかってんだよ。魔法使えんだから魔法で戦えばいいじゃねえか」

「あー……」

 麻辺は瀬良が言いたいことを、珍しく先取りして理解した。

「戦国時代かよ。それともあの二人が脳筋バカなのか? 戦うなら魔法で一気に決めて、それで敵をぶち殺しちまえばいいじゃねえか」

「えっと、あの、生けど」

「捕虜ってか? だったら余計魔法でドンパチやったらいいじゃねえか。時短だろ。

 つか、『魔法で遠くから攻撃したら怪我をしないで一気に勝てるぜ! 見つからなかったらさらに勝率アップ!』『うわあ思いつかなかった! すごいですぅ‼』……って流れになったら俺マジで泣くかもしんねえ」

 瀬良が本気で危惧している声色で語る。声を遮られた麻辺はその危惧の理由が分からなかった。仮に瀬良の言う通りに魔法を使用しての戦闘という発想が無いのであれば、この世界で生き抜ける確率が格段に上昇する。現在は宿を確保できているため日本と同程度の警戒でも事足りているが、仮に野宿や治安の悪い地域での滞在を余儀なくされた場合、魔法が無いだけでもどれだけ救われるか。むしろ拳銃を代表とした火薬を使用する飛び道具の文明が無い時点で、日本よりも安全ではないか、とまで麻辺は思う。

「この世界の歴史八百年だっけ? 八百年だと平安京……平安時代だから……蹴鞠……? 何とか麻呂が征夷大将軍になったあたりだから……勝てんじゃねえ? 当時の日本でも楽勝だわ」

 テスト前にしか使わないため、普段は脳の奥のさらに奥に詰め込まれて埃をかぶった知識を引っ張り出した瀬良は、一人そう納得すると声を出して笑った。千二百年も前の人間でも勝てるという根拠のない結論は、瀬良に根拠のない安心感を与えていた。

 その安心感に引きずられた麻辺は自分の頭に浮かんだ言葉を、何も考えずに紡いでいく。

「それに……あの、瀬良君が言うとおりにこの世界の人が戦いに魔法をつか……、魔法を使うって考えないなら……えっと、危なくなってもリレイさんに頼んで殺せばいいですし」

「確かにリレ……、ん⁈」

「え? あ、すいません……?」

 瀬良の言葉が途切れ、ついで疑問と驚きが乗せられる。麻辺は理由もわからず、しかし反射的に謝罪した。だが、その反射は疑問の色を消しきることはできず、語尾に小さくその存在を残していた。

「お前……リレイに殺しさせる気か?」

「まあ……あの、魔法を使う発想がなくて、いざとなったら、というか……。

 本当に危なくなって、もうどうしようもなくなったら、えーと……リレイさんは見逃してもらうようにその、交渉して……離れたところで魔法で殺して貰ったら、あの、生き残れると思うんで……はい」

「……」

「えっと、あ、確かにその、女の子に、その、リレイさんっていうあの、あの、女の子に殺しをさせるのはいけないと思います。あー……、だから、あのあぁぁ最終手段で、最終手段なんで……あの、大丈夫です。

 あ、えっと大丈夫なのは、あの僕も魔法使えるように頑張るんで、その、でもリレイさんの方が魔法は巧いはずですから、その……魔法が使えるようになったら、あの……基本的には僕が殺すんで……」

「……、……ドン引きだわー、イキり過ぎてこっちが恥ずかしいわ」

 気まずい沈黙の後、瀬良が数秒ほど発すべき言葉が分からず百面相をし、そして無理矢理に言葉をつなげる。麻辺は黙ってそれを聞いていた。

「何が『僕が殺します』だよ。お前はその前にぶち殺されるわ。鏡見ろ鏡。ヒョロもやしからもやしにランクアップしてから言え。あ、つかお前さ、教室にテロリストとか入ってきて、それで皆パニくってるのに一人だけ冷静で、そんでもって鎮圧する妄想するタイプか? お前には無理だわ、妄想してる時点で無理」

「……そういう想像は……あの、したことは……」

「本当か? 信用ねえなぁ……あぁそうだ。じゃあお前、麻辺、お前今俺のこと殴れよ」

「……え?」

 今度は麻辺が言葉に詰まる番だった。単純に瀬良の言っていることが分からなかったからだ。

「俺のこと殴れよ。お前にはそうするだけの道理があんだろ」

「それは……」

「『恨んでない』とかいらねえからな。道理があるやつ殴れねえでどうやって人殺せんだよ。むしろ殺しって不条理の塊じゃね? 理由は変に後付してさあ……。

 ほれ、殴ってみろ。一世一代のチャンスだぞ? 普段まあ……あいつら使ってさ、お前虐めてるやつのリーダーが殴っていいっつってんだ。最高の報復のチャンスじゃねえか」

 瀬良は左の頬を差し出す。麻辺の利き腕が右であり、また今彼は左手首に時計を付けていたから、それを考慮しての行動だ。

「えっと、僕は……」

「ここで殴らないことが最高の報復だ、とかもいらねえからな」

「……。

 ……あー……えっと、……あの。僕はあの……瀬良君のこと、殴れません……」

「は?」

「え、だって、理由がないんです。あの……あー……その、学校でいろいろ言われるのも別に……あの、死にかけたりしてないですし、なら僕は別に……あの、本当に恨んだりしてなくて……」

「……」

「……」

「……つまんね」

 瀬良は興がそがれたように吐き捨てると、そのまま寝ころんだ。そして麻辺の姿が視界に入らないように寝返りを打つ。麻辺はそれを黙って見ていた。瀬良が殴られたいのかとも思ったが、彼がそれを期待する理由が全く分からなかったからだ。

 実際、瀬良にとってどんな形であれ一種の禊のようなものだったのだが、それを口にしなければ麻辺には伝わらない。たとえ伝えていたとしても、麻辺はやはり「恨んでいません」で殴ることはいつものようにやんわりと拒否し、いつの間にか流れていくものになっただろう。

 また、「人を殴れない人間は殺しができない」という理由も麻辺は分からなかった。

(もう殺しちゃってるんだけどなあ……)

 反対色に映える赤を麻辺は思い出す。正反対の色でありながら、そのどちらも生命の象徴だった。それの行く末まで麻辺の興味は及ばない。ただ、土に埋もれて草花の肥料になっているだろう、と彼は方角が分からないがどこかでつながっている気がして、その方向を見た。

 そして、遠くでありながらよく見える二人を視界に入れる。どうやら話に一つの区切りがついたらしい。麻辺はそっと瀬良から離れると、小さな石像を四回叩いた。



  バヂンッッ――……



 濡れたゴムが切れるような音がどこからともなく響く。そして周囲の気配が変わり始める。

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