今はその心がわからない
「さて、アイツはどこに行くのかな?」
翌日、日本時間で九時。麻辺とリレイは建物の外に出た。朝食は昨日の夕食同様、テーブルを叩けば現れた。とはいえ、それは瀬良の分も含まれていた。麻辺はウーピナで数種の豆類を挟んだものを、瀬良のリュックを探りティッシュで包んだ。瀬良の体格からとても足りるとは思えないが、それでも無いよりはマシだろう、という程度のものだ。
リレイは自分の意思で起き、かつ動き続けるのが久しぶりだったためか嬉しそうに麻辺の周囲五メートルを動き続ける。彼を中心に円を書いて走ったかと思えば器用にバク転をし、小鳥が鳴くような声で笑う。
「んー……瀬良君、屋根のある所だと思う」
「雨とか降るかもしれないから?」
「うん。濡れたくないと思うし……あと、許可貰えると……許可……」
「今許可貰えるところは無いかな……でも何で? なんかアイツって勝手に誰かの家に住み着いてそうなイメージあるけど。食糧庫のものも食べ尽くしてそう」
「あー……」
リレイの指摘に麻辺はその想像をする。だが、リレイの言うような状況は何故か想像できなかった。
いや、少なくとも高校で不良グループの中心となり、意地の悪い笑みを浮かべている状態の彼であればそうしているのは簡単に想像できた。下級生に食糧庫を見てくるよう指示を出し、それを選別して上級生に献上する。二年生のみの集まりであっても、選別と献上がなくなるだけでその他は変わらず、数人の側近と嗤っているのが目に見えるようだ。
「……たぶん、それは無いと思う」
「そう?」
「うん……今、瀬良君一人だし……」
麻辺は思ったことをそのまま口にする。少なくとも彼が知るかつての瀬良はルールを守ろうとする人間だ。破天荒なところもあるが、それは彼の地の性格によるものだったのを覚えている。小学校では学年に一人はいる、運動が得意で中心的な役割を自然と担う男子で、学級委員を任されるような公平さを持つ――それが麻辺の思う瀬良の素だ。第一印象ともいう。
「たぶん、あの、もし僕がこの……えっと、異世界に最初からいなかったら、……瀬良君、リレイさんに優しかったと思う」
「え? えぇぇ……全然想像できない……優しいアイツ?」
「うん……まあ、僕がいるから瀬良君ああいう風になってるんだと思うし……」
「元の世界の自分を知っているアサベさんがいるからってこと?」
「たぶん……」
改めてリレイに問われると麻辺は自信を無くした。自分という存在が瀬良の在り方を決めるなど自意識過剰な気がして、途端に恥ずかしくなった。
麻辺は、仮に異世界に来たのが自分一人であっても今の性格と変わりはないように思えた。また、誰かと共に来たとして、それが他の不良グループの人間であっても、また見ず知らずの人間であっても同様である。
(……不良の人達だったら盾にされてそう……)
麻辺はつま先で地面に円を描く。特にどういうわけでもなく、ただの逃避、暇つぶしだ。
「じゃあアサベさんが思うアイツの性格で、今どこにいると思う? 屋根があって、許可をとれて、……後なんかある?」
「後? 後……えっと……普通の瀬良君だと……あー……。えっと、普通の……あ、自分が悪いって言える場所? あの、正当防衛とか、なんか、そういう言い訳ができなさそうな場所、だと」
「自分が悪い……勝手に入るんだし、どう頑張ってもアイツが絶対に悪いと思うなあ。……何の建物かわかったり、知ってる場所の方が可能性あるかな?」
リレイの問いに麻辺は頷く。実際、これがたとえ地球であっても、全くの未知の場所に行くことには勇気がいる。今日ではスマートフォンを代表とする携帯端末によってその場で調べることは可能だが、それでも懸念事項があればそこを避ける。
まして、今は異世界と言う、地球での利器が使えない状態だ。それも戦闘の可能性がある異世界であり、現段階で地球人の二人の抵抗が難しい魔法という文明がある。
「ワミサは向こうが挨拶に来る方で、行くところじゃなかったからなあ……所属も別の地域だったし……」
「……そっか……」
「うん、通り道ってくらいで……あ、でも待って。お父様が国に報告に行くとき、なんか一晩待機になってワミサで泊まったことがあった! 私も一緒にいたんだけどその時歓迎された! 基地の中なんだけど」
「基地、ですか?」
「うん。一番豪華だし、その時この辺りに出兵命令は無くってワミサ兵がいたから一番安全だしね」
リレイそう言うとウインクをし、麻辺の手を握った。そしてそのまま一歩踏み出したので、麻辺もそれに従う。彼は足の痛みを無視した。冷やすことすらできていないことを思い出したが、現在の環境では仕方がないと彼は納得する。
麻辺が足を痛めたことは共有していないため、それを知らないリレイは自分の記憶が役立つことに得意になりながら言葉をつづける。
「ただ晩ご飯食べて、眠っただけなんだけど。一番上等な部屋だったんじゃないかな?」
「そうな、んだ」
「うん。軍の基地だしお屋敷みたいなかんじではないけどね。
……そうだ、あの時少しだけど案内してもらったんだった。たぶんいい基地だったってお父様に報告されたかったんだと思うなー。あと私が学校に入学前だったからどんな風なことをするのかも教えてもらった」
「……じゃあ、僕があの、昨日地図を描いたのってあんまり……えっと、無意味だった?」
「え?」
「あ、だってリレイさんが知ってるってことは……あの、リレイさんが起きた時に案内してもらえたら……」
麻辺は思う。リレイが領主令嬢であることは今まで隠すものだと思っていたが、全てにおいてそうではない、と。もちろんこれが他の地域の軍の支部であればそれは避けるべきだが、ワミサからクロッシェンに派兵されているということは、ワミサはクロッシェンがどういった状況か知っているのだ。一人娘を逃がすことも理解するだろう。
麻辺は二人の少年の存在を頭に浮かべた。鉄のかおりも錯覚する。リレイがいて、その存在を彼らに伝えることができたら敵対的な行動をとる必要がなかっただろう。
「無意味じゃないよ」
リレイが言う。彼女は歩みを止めて、まっすぐと麻辺の目を見ていた。一瞬だけ二人の目線が交錯するが、すぐに麻辺がそれを外す。いつもの通り、彼は相手の肩のあたりを見る。
「ずっと私は寝てたし、たまたま知っていただけ。それも私が『クロッシェンの娘』だから知っていたこと。それに昨日は思い出そうとすらしなかった。
っていうか何もしないで他の人を動かして、後からそれを『最初から知っていた』って言って動いてくれた人を無意味にするなんて、そんなの卑怯だわ。ううん、最低」
「……」
「それに、地図を描いてアイツに見せたでしょ? だったらそこで確定にした情報から見ていこうよ。そして、私の記憶もあわせてあの地図をもっといいものにしよ?」
「はい、分かり……あ、分かった」
「……ふふっ、じゃあ行こっか」
リレイは微笑んで歩みを再開させた。手はつながったままなので、麻辺もそれに従う。
麻辺は改めて周囲を見渡した。初日は既に夜で、二日目は留守番、そして昨日はやっと外に出たが、あくまで人を探すことに注力しており、この町を視ようとはしていなかったからだ。
人の気配がないことはリレイの話により合点がいった。自給のための植物がないことは疑問ではあるが、退避の命が下った場合のことを考えると仕方がないような気もして、彼は一人頷く。
「ねえ、アサベさん」
「はい」
「えっとさ、アサベさんのセカイのことって聞いてもいい?」
「それは……あ、別に構わないですけど……あの、でも、なんで?」
「えー? なんとなくじゃダメ?」
リレイが何気なく言う。だが、彼女のそれは嘘だった。麻辺はそれを見破る。彼女が先導していく形のため、見えるのは斜め後ろからの彼女である。歩きながらの会話ゆえに基本的には前を向いているが、それでもリレイは麻辺の方を振り返って話をしていた。だが、麻辺に呼び掛けるその前から、彼女は斜めを後ろを振り返らないどころか、正面は見ずに麻辺の身体が視界に入らないよう、斜めを向いていたからだ。
「……」
「なんてね、嘘。
私はこれから魔法の学校、卒業したらずーっとクロッシェン。お父様が現役の間はお父様が国とのやり取りをするだろうし、たぶん今の麻辺さんと同じくらいの年までは少なくとも結婚してないといけない」
「それは」
「お父様が引退したら、そのやり取りはクロッシェン家に迎え入れた男の人がやることになるはず。そして、私はその人との子供を産んで、次代をつくらなくちゃいけない。
……もしかしたら私が進学している間に妹か、弟ができるかもしれない。そうしたら、私のクロッシェン領での役目はなくなるかもしれない」
リレイはちょうど足元にあった小石を蹴った。それは道を外れ、丈の高い草の陰に消える。ひらひらと名前も知らない虫が舞い、数メートル先の草にとまった。風が吹き、それは存在を消す。
「それはえっと……戦国時代のあの、じゃなくて。あー……あ、そう、政略結婚を、リレイさんが……?」
麻辺は少女に問う。目の前にある頭がわずかに頷いた。
「そう。田舎町だけどね、国境だからそれなりに需要があるんだよ。きっと戦争で得をする、そういうのに人脈がある人がお相手になるんじゃないかなって。援軍とかすればクロッシェンだけじゃなくて、他の領地にも胸を張れるし。防衛しても相手が田舎だからあんまり名前上がらないからね。『愛する妻の出身地だから』『国境だから』――いっぱい言い訳もできる」
リレイの声はいたって能天気だ。明日の天気を、昨日の出来事を友達と雑談するような、そんな声色である。名前も知らない人に嫁ぐ可能性への抵抗や、自らの運命に対する諦めは無い。
物は上から下に落ちる。花は咲き、そして枯れる。そのような当然のことであり、リレイにとって抗うものではなかった。
「だからね、私はどうあっても閉じこもる……うーん……一か所にいるようになる。自由に、こうやって親でも兄弟でもお付きの人でもない、何でもない人と歩けるのは学校の卒業までなの」
「そうなんだ……」
「うん。だから、そう、思い出が欲しい。見たことがない、一生見られないセカイが見たい。他の国を見られることもきっとないのに、レアリムじゃない、イセカイを見ることができるってすごくない?」
リレイは麻辺の手を離すと数歩駆け足で進み、彼に向き直った。彼女の顔は明るい。
「あ、そう、だね」
「えへへ、でしょ?」
「じゃあ、あの、やっぱり瀬良君見つけないと……」
「何で?」
「何でって、あの……瀬良君がよく持ってる四角いやつ……あれ、スマホ……スマートフォンっていうんですけど、あれに色んなものを、えっと、記録できるから」
「……」
「今は電池切れで使えないみたいなんだけど、あの、電気……雷の魔法が使えたら、きっと戻ると思うんで……。写真っていう、あの、そのままを一瞬でとる絵とか、動画とかあるはずだから、きっとあの、リレイさんも楽しいと思う」
「……」
「……えっ……と」
異世界――地球の景色を見てみたいというリレイの願いを、より正確に叶えられると思っての提案だった。だが、当のリレイの表情が先ほどの明るいものから一転、どんどんと無表情になっていくことに麻辺は戸惑う。
実を言えば、リレイは言ったことはもちろん真実だが、一番は麻辺と話したかったのだ。どんな他愛ないことでも、二人きりの今、誰にも邪魔されずにだ。
「あ……っと、あ、すいません。あの、や、やり直すんで……あの、申し訳ないんですけど、どのあたりが……」
麻辺はリレイがかつて「失礼だと思ったらそれを指摘するから、謝らないでもう一度言って欲しい」と言ったことを根拠として彼女に対話を求めた。その際、はじめに謝罪していたことにも気が付いたが、それは今更どうしようもないので触れずにいた。
そんな麻辺に対し、リレイは素直に説明できるわけがない。まだ恋愛感情とまでは言えないものの、少なくない好意を彼女は麻辺に対して抱いている。麻辺に対して説明するということは、その感情を本人に対し表明するということだ。
「……秘密。恥ずかしいから」
「恥ずかしい……えっと、え……? セクハラとか僕、しちゃってまっ……してた?」
「……」
リレイがセクハラを否定しなかったことで、麻辺の思考はそちらに固定される。彼女の自身では複雑で、他者から見れば単純な感情でそれができなかった、という発想は麻辺にはない。
「あ、あ……あぁえっと、あの、たぶん、だけど……瀬良君十八歳未満だし、あの、アダルト動画は保存してないし、えっと……あーでも……自分のなら撮ってそう……かな」
「……」
「噂だと、噂なんだけど。あの、なんか、そういう動画撮って、それでお金儲けてるらしくて。なんか、たぶん……お金持ちの大学生とか、なんか恋人いない社会人とかでなんか……らしくて」
「……」
「ええと……、あの……動画公開するって、そういう風に……」
「……サイテー」
リレイが吐き捨てた。麻辺の「噂だから本当かは分からない」という主張を、彼女は聞こえないふりをして進む。
気まずい空気のまま、二人はワミサ基地を目指す。




