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本当の自分は異世界で!  作者: うしのだ
三人旅 ワミサ編
40/54

幼さと拒絶  ※

未成年飲酒、喫煙 性犯罪

(あ、馬鹿だわ)

 散歩に行くかのような雰囲気を漂わせ宿を出て数分歩き、そこから逃げるように瀬良は走り続けた。肺が酸素を強く求め始めたところでスピードを落とし、瀬良はそこで自分が手ぶらなことに気が付いた。警棒も枕の下に置いてきてしまっている。

 すでに太陽はなく、星々の光だけが視界である。魔法の燃え尽きない松明すらない状態だ。この地に兵が一人もいなくなると明かりはなくなる――「普通」ならば魔法が使え、自身で光源を確保できるからだ――のだが、それを知らない瀬良はただ頼りない光に縋って歩いていく。

(馬鹿だよなあ……)

 話し相手はおらず、目的もない。ならばなぜここにいるかという自問に、瀬良は答えを出す時間を引き延ばすために余計なことを考える。



 ――その日は、日本で過ごした最後の日から一年と数か月前だった。八月の上旬、ちょうど夏休みの深夜一時のことだった。瀬良は先輩の荷物持ちに呼び出され、指定の場所にたどり着くと、三人がそこにいた。チューハイの缶が十五は入っているビニール袋二つとスナック菓子がパンパンに入っている紙袋を両手に持たされ、指示されるまでもなく瀬良は彼らの後ろを歩いた。掌に食い込み、脛にぶつかるそれらの出所を聞く気にはなれず、ただ黙っていつものアパートの道のりを進んだ。

 当時、既に瀬良が酒を受け付けない性質だというのはグループ内で知られており、「お駄賃」という意地の悪い笑みと共にポケットに入れられた幼児向け飲料――瀬良はこれの出所も聞けなかった――を気にしながら先輩らの二歩後ろを歩いていると、突然、その三人の中ではリーダー格の、噂では薬に手を出しており、認知していない子供が複数いるという先輩が振り返った。

『そういえばカオちゃん』

『はい?』

 その先輩の顔は見えない。ただ、取り巻きであるあとの二人が「マジで聞く?」「ウケる~」と囁く声だけが聞こえた。

『お前ん家ってあれだよな、駅から遠いでっかいやつ』

『近くに潰れた八百屋と文房具屋があったらそれっすね』

『あーじゃーたぶんそれ。この人ってだーれ?』

 差し出されたスマートフォンの、眩しい画面を見る。明暗の差に三度瞬きをして、瀬良は途端に気分が悪くなった。

 そこに写っていたのは買い物袋を肩にかけた女性だ。茶色がかった黒髪は緩くウェーブしている。化粧はしていないが、それをなせるのは顔立ちが整っているからに他ならない。

『……母親っすね』

 画面越しとはいえ、瀬良がまともに母の顔を見るのは高校に入学を決めた時以来だった。瀬良の最後の記憶とは一ミリも変わっておらず、むしろ若返っているような気もしたが、彼はそれを否定するように顔を上げる。スマートフォンの画面の明かりに照らされた先輩の表情が、不気味に浮かんでいた。

『ハ? マジ? 母ちゃん⁈』

『えぇうっそ、姉ちゃんかと思ってたんだけど。ウケるわ~』

『チョー格差。うちのババアと交換しね? しわっしわだぜ、見たことある?』

『トラックに轢かれた腐った梅干しみてえだよな』

『梅干しに失礼だわー梅干し食えなくなるわー』

 三人の先輩は笑った。家族の外見を中傷されても、そんなことで信頼が損なわれるわけではないためだ。むしろ、彼らはその家族に反発しているのだから、その「敵」を中傷することは仲間であるという証明になる。

 瀬良も曖昧に笑った。その先輩の母の顔は見たことがない。見たこともない他人の外見をけなすのは単純に気分が悪い。だが、否定した場合の「認定」の方が恐ろしい。

『ハハ……まぁ、まだ三十……確か二っすからね』

 笑いが収まりつつあるところで、瀬良が事実を言う。ただの雑談の延長、自分の立ち位置を確認するための何気ない一言だった。

 だが、それは先輩達にとっては違った。一瞬の沈黙の後、リーダー格の驚いた声が暗がりに響く。

『三十二⁈』

『俺の親が結婚した時よりわけーじゃん』

『つかさ、全然抱けるわ。なあ?』

『ヨユー』

『いや年齢知ると……三十二かあ~~せめて二十五……いやー……んんー……』

『顔だけなら?』

『いける。ぜんっぜんいける。巨乳だしドーガオだし』

『なー』

 ゲラゲラと下品な笑い声が真っ暗な道に響いた。「名前を書けば受かる学校」の惨状は既にこの町の知るところであり、積極的に関わろうとする住人は滅多にいなかった。まともではない彼らの需要は反面教師ただ一つだった。過疎へと進んでいくこの地域には、滅多に警察の見回りもなかった。あるのは有志(老人)の見回りであり、その有志の一人はある時重傷を負わされ、もう関わろうとはしなかった。

 夜は、彼らが誰にも邪魔されず――後ろ指をさされず、陰口を叩かれず、喧嘩を売られることもなく――堂々と、自分たちだけの世界を歩くことができる時間だった。

 そこから三人の先輩達は今までのトロフィー()の話を始めた。瀬良はそれに適当に相槌を打っていた。興味はあるが、同類以外の女性との行為の時は必ずと言っていいほど酒で酔わせ、判断力を奪ってそれに及んでおり、酒が飲めない瀬良にその機会はなかった。いつしか「その時」は呼ばれなくなったからだ。

『つーかさカオちゃん』

『はい?』

 いつものアパートの、切れかかり点滅を繰り返す電灯が見えてきたところで先輩が瀬良に呼び掛けた。

『あれだなー、お前の母ちゃんさぁ』

 ポケットの中の鍵を探る音が数秒、引き抜かれた手と共に煙草の箱が落ちた。先輩はそれに気づいていなかった。

『お前今一年じゃん? で母ちゃん三十二? 三十二ィ引く十五?』

『十六、七、八……』

 もう一人の先輩が煙草を拾いながら、指を折って数を数える。瀬良は嫌な予感がした。できることなら穏便にこの場から去りたいが、両手の荷物がそれをさせない。

 鍵の開く音がした。

『お前母ちゃんが十七で産まれたの?』

『……十六っすね……』

『え? お前十五……あそっか、パシリ君だからか』

『けどさーお前妹いないじゃん? 母ちゃんほぼ処女じゃね?』

『あー……まあ……男いたっていうのは……聞いたこと、ないっすね……』

 瀬良は音を吐き出した。もはや言葉になっているのかすら彼には分らなかった。ただただ形容し難い嫌悪感が彼の中に満ちていった。流行病の吐き気だけが異常に強くなり、それに耐え続けなくてはならないかのような気分だった。

『ほらほら! つーか十六でガキ産むってことはビッチだろ。ぜってー今寂しいじゃん、今度連れて来いよ』

『連れ……っ⁈』

『マジかよ、本気?』

『ばっかおめー、こいつの母ちゃんだぞ? さすがに――』

『は? お前ら姉ちゃんだったらヤる気あったじゃん。ダイジョーブ、いけるいける』

『酒弱いかな?』

『強くても関係ねえじゃん。こいつの親だからやっぱチビだし』

 瀬良は頭を小突かれた。このとき、まだ彼は成長期を迎えておらず身長は低かった。

『余裕っしょ』

 そう言うと彼は土足のまま室内に入る。あとの二人も同様だ。瀬良はその場にとどまったまま吐き気に耐えていたが、酒を求める声に従って室内に入った。

 室内では予想通りの行為が繰り広げられていた。三人の先輩を含めこのグループをまとめる(三年生)やその側近、退学処分となった未婚の両親とその子供、社会に反抗する流れ者――、そして、新入りが二名いた。見慣れない制服、いや、()()()()()決して見たことのない、見るはずがないセーラー服だった。その二人の少女は眠っている。酒の匂いが二人からしていた。

『オーザキミホちゃん十七歳! そしてなんと十五歳のスナオカ……うわうける、なんて読むと思う、ほら?』

 学生証のスナオカの名前の部分を隠してクイズを出す。腰を振りながら見た瞬間に噴き出す者、「読めない」「バカ」と嗤う者。

 瀬良は酒を置いてその場から離れた。これから何が行われるかははっきりとしていた。彼は一人、真っ暗な道を歩いた。目的地はなく、しかし家に戻らないことだけは決めていた。

 普通の人間なら止めるだろう。その場で言えずとも、こうして穏便にその場から逃れられたら警察に駆け込むはずだ。もしくは、報復の恐怖に怯えて、心の奥底にそれを厳重にしまうだろうか。

『……う゛げホっ……うえ……気持ち悪い……』

 昼間でも誰も遊ばない公園の公衆トイレで瀬良は吐いた。とはいっても夕食は既に胃から脱していたようで、その残滓と胃液だけが吐き出された。瀬良は自ら喉に指を入れ、更に吐く。

『気持ち悪い……気持ち悪い……』

 便座に覆いかぶさりながら瀬良は呟いた。二人の少女への哀れみも、世間に対する正義感も、報復に対する恐怖も、またやり損ねたことへの諦めも、何もなかった。

 ただ、母の「女」の部分を強制的に見せられる予感がして、それがひたすらに嫌悪を煽っていた。彼の、彼だけの感情と行動で、他の人間に対する感情はなかった――



(……出てこない方良かったか?)

 いつの間にか瀬良はワミサ基地にたどり着いていた。真っ暗で人の気配のないそこを見て、瀬良はふと思う。同年代、少なくとも現役で合格した高校生以下の年齢の性的なものにはどうしても嫌悪感を持つように彼はなっていた。二年生になり学年のリーダーとなった現在、適当な言い訳――ノってくる奴は興味ない、子持ちの方が興奮する――をして、彼は放任しているという事実を無理矢理頭から追い出した。

「馬鹿だなあ……半端だ……帰り辛え……。……ヤってたら嫌だなぁ……」

 瀬良は独り言を言いながら基地の中に入る。捕まるならそれでよし、ただ、一番の目的は眠る場所の確保だ。ほんの数十分前に麻辺から見せられた地図を思い出しながら、彼は泊まれそうな場所を探す。

 もっとも、瀬良が麻辺から聞いた話では少年が二人しかいない。そのため彼らの許可を得ようと頭の端で考えながら、瀬良は奥へと進んでいく。だが、少年らの気配は全くなく、記憶では「病院(保けん室)」と書かれた棟にたどり着いてもそれは同じだった。薬と土の湿った香りがするだけである。

 その後も麻辺の地図の記憶を手掛かりに、特に少年らから話を聞いて棟の目的が確定している建物を中心に覗くが、人影はおろか小動物すらその姿を見せない。最後に「生活スペース 1Fベッド2×4」とされていた建物を窓から一部屋一部屋覗いてみるが、やはりそこももぬけの殻だった。

(さすがに一人も見当たんねえのは……つかベッド小さ……)

 瀬良はそう思いながら建物から離れ、医務棟へと戻る。そこで一晩明かすことにしたのだ。

 医務棟を選んだのは、その性質からたとえ瀬良を捕えようにもにも穏便にせねば医薬品を無駄に消耗することになってしまうからだ。クロッシェンへの出兵が事実であればそれは避けなくてはならない。他の地域からの運搬も、魔法があるから日本より早く行われるのは想像できる。だが、クロッシェンの他にリレイが出兵していた戦場があり、少なくとも《シンシェ》は二か所で戦争をしているのだから、不要な医薬品の移動は避けたいだろう、と彼は予測する。

 加えて、少年二人がこの場所で麻辺と出会ったというのだから、自分もここにいればその少年のどちらかが見つけてくれるだろうというわずかな期待が瀬良にはあった。己の身分をどうするかは考えなくてはならず、少なくとも「中央の秘密機関」が使用できないことは分かり切っている。

(門番とか当番兵とか補充兵とか、なんでいねえかな……魔法で侵入対策があるからいらないとかか? いやでも、補充兵とか援軍がいないのは……)

 瀬良は扉が開き、二脚の椅子がぽつんとある部屋にたどり着いた。隅に寄せられた椅子や机には埃が積もっておらず、彼はそこで眠ることにした。

(戦争負けてるみたいだし、クロッシェンがマジで攻められてんなら防衛に穴があるわけだし……十一のリレイが子供産むのを意識してるしで……少子化なのか? 昭和の徴兵と同じなら二十くらいで赤紙来てんだよな……)

 眠る場所を決めたとはいえ、まだ眠気はやってこない。瀬良は椅子に座るが、それは彼には低すぎた。それも、彼の身長のせいだけではなさそうである。

(三十とかで行き遅れってなら……まあ、高齢出産だかで子供作んないのも納得できるし……)

 瀬良は部屋の隅を見る。椅子の高さは今の彼が座っているのと同様だ。机の高さも、その椅子に違和感なく座れる身長の人間が、違和感なく使えるような高さである。

 彼の動悸は激しくなる。

(あいつは領主の娘で、ノブレスなんとかで……)

 片腕の少女が一人意識を失ったまま、広々とした草原に倒れている。

(それに、たまたま戦闘に巻き込まれた可能性……)

 青年が瀬良に手を振っている。その手の指は欠け、火傷の痕があるが既に何年も経っているようだ。

(いや、いたじゃん、大人の……なんか、戦うやつ)

 仮面をつけた三人組。だが、それは《ロザ》のものである。

(……)

 瀬良は頭を抱えた。決定的なのは自分の一言だ。

『生きて帰ってこいよ――』

 火山の噴火の救助活動で「生きて帰ってこい」と彼は確かに発言した。単純な再会の約束ではない。そもそもなぜ自分がそう言葉を発したのか、瀬良自身がよくわからなかった。突風が吹き、少年を庇い、その少年がレタルを受け現状を把握し、言葉を交わし……その後、戦地に行くと言ったのだ。

(なんで気にしなかった? おかしいだろ、十歳だぞ?)

 瀬良はその時、何も疑問に思わず少年を送り出した。そうするのが当然であり、特に否定することがなかったからだ。引き留める理由もなかった。

「……この辺の兵士は少年兵か。胸糞悪い」

 瀬良は吐き捨てる。逃避の過去よりも気分が悪かった。

「そりゃ腕斬られるわ……」

 そう言うと、彼は並べられた机に寝転んだ。少なくともこの国の現状を知らない彼は、今はそうするしかなかったからだ。そして、明日、どんな顔をしてあの宿に戻り、どんな問いをリレイにするか考えながら、彼は眠りについた。

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