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本当の自分は異世界で!  作者: うしのだ
三人旅 ワミサ編
38/54

ワミサで情報収集  整理

 宿に帰ってきた麻辺が、部屋に入った瞬間瀬良に命じられたのは風呂に入ることだった。血や埃、泥がこれでもかと体を汚していたためだ。きれいになったと思って浴室から出て食事をとろうとすれば、瀬良が短く「爪」と吐き捨てる。それなりに伸びた爪のほとんどが真っ黒、と言って差し支えない状態だった。

「え、あ……あの、これくらいは……」

「『これくらいは』何だよ。汚えんだよ」

「……」

「気にしろよそういうの。だから『臭い』とか『穢れてる』って言われるようになんだよお前は」

「……あ、分かり、ました」

「どうだか」

 引きかけていた椅子を戻して麻辺は手を洗いにバスルームに戻る。女主人が気を利かせて(主にリレイのために)用意した石鹸を手に取ると、手をかざすだけで適温のお湯が瞬時に満たされるバスタブで手を濡らし、それを泡立てた。

 良く言えば伝統のある、悪く言えば戸棚の奥底で何十年も忘れられて乾いていたような、そんな時代遅れの香りのする石鹸だった。泡立ちも良いとは言えず、麻辺はただ爪の間に挟まった土や埃、少しの血を落とすことに専念した。泡立ちが悪いせいか、最後の方は片方の手の爪でもう片方の爪を引っ掻いて掃除するような、そんな具合である。

「……」

 泡、というよりはぬるつきを落としてから麻辺は自分の手を見る。思い返せば、確かに爪の間には様々なものが入っていて、見た目からして不潔だった。今はまだ黒いものが見えてはいるが、それでも許容範囲だろうと彼は一人納得し立ち上がる。排出は魔法ではないのか、ゴボボ、という聞きなれた音と共にそれはだんだんと嵩を減らしていく。

 麻辺が部屋に戻ると、先ほどまで目を覚ましていなかったリレイがちょうど起き上がったところだった。彼女は欠伸をしながら部屋の様子を見て現状を把握し、最後に麻辺を見るとニッコリと笑みを浮かべた。

「おはよう麻辺さん」

「あ……おはようご」

「もう夜だけどな」

「……今あんたに話しかけてないんだけど。勝手に入って来ないでよ」

「お前が起きてきて割り込んでんだよ」

「……」

 いつもの低レベルな争いが始まる予感がして、麻辺は許容範囲で手を洗うのを終わらせたことを少しだけ後悔した。とはいえ今さらそれをしても遅いので、できるだけ存在感を消しながら彼は自分のベッドに移動しようとする。

「おい」

 が、瀬良に呼び止められてしまった。名前こそ呼ばれていないものの、彼は麻辺のことを呼んでいたのは間違いない。麻辺はなにも考えずに瀬良の方に歩を進めた。

「時計。返す」

「あっ……あ、ありがとうございます」

 麻辺は受け取った時計をいそいそと左手首につけた。定位置である場所にそれが再び収まり彼は身体の緊張が解けたのを理解した。父から譲り受けたそれは、彼が彼たりえるためには必要なものなのだ。

「とりあえず……いや、飯食いながらにするか? なんだかんだ少しは情報取れたんだろ」

 問いかけの形こそしていたもののそれは瀬良の中で確定事項だったらしい。麻辺の、そしてリレイの返事を聞かずに彼は移動する。そこには何もなかったが、彼がテーブルの中心を二度叩くと、一瞬の間を置いて空気が震える音と共に豪華な食事が現れた。

「すごっ! 他者依存魔法(オザデパンス)だ」

 その様子を見たリレイが感心しながら呟いた。

「それってすげえのか?」

「……、うん。だって自分の意志で魔法を発動させるんじゃなくて、他の人の意志でするんだよ。その瞬間まで魔力を使い続けるし、似たような条件じゃなくて、その人の指定した、ちゃんとした条件で動かすの」

「じゃあなんだ? 俺に魔法の素質があってそれで反応してるわけじゃなくて、婆さんがすげえってことか?」

「そう。あんたの素質とか関係ない」

「んだよ、つまんねえ」

 瀬良は一気にやる気の失せたような声を出して、一番奥の椅子に乱暴に座った。木製のそれはギシリと嫌な音を立てて彼の体重を支える。

「ちょっと、壊したりしないでよ。私まだ物を直したりする魔法使ったことないんだから」

「うっせえなあ……あ゛ーテンション下がるわ。異世界らしいことやっとなったと思ったのに、クソ……。山登って呪われたり、農業やったり柔道やったり……全然日本と変わんねえわ……」

 彼は一番大きな骨付き肉を咥え、伸びをした流れでのけぞると椅子の後ろ二本足のみで体を支え、そのまま自分の足を離すと巧みにバランスをとった。

 そんな瀬良を見てリレイが声をきつくして再び注意する。だが、瀬良はどこ吹く風だ。むしろわざとらしく鼻歌を歌い、リレイをおちょくっている。

 麻辺はまずリレイの目の前にある皿に骨付き肉を乗せ、次いで自分の皿に一番小さなものを選んで乗せてから、二人を観察した。いや、リレイの「指摘」を待った。だが、彼女はいったん麻辺にお礼を言ってから再び瀬良の行動を注意し始め、その「指摘」の気配すらない。

(あ、リレイさんにとっては()()()()()()()から、当然か)

 数分間二人の口論を見学し、一口肉を齧り咀嚼しながら麻辺はその事実にふと気が付いた。ならばリレイに「指摘」を期待するのは不適である。麻辺は口の中身を飲み込むと、口を開いた。

「あ、あの……異世界らしさって……山で戦って人を落としたのと、あと、あの……クロッシェンの……とか、ッすいません……」

 麻辺の「指摘」で、部屋の中の空気が凍る。瀬良が大きな音を立てて椅子の足を床に打ち付け、麻辺を睨む。リレイは一人顔を伏せた。麻辺は瀬良の立てた大きな音に反射的に謝罪をするが、それに応えるものはなかった。

 平和な日本において、麻辺が挙げたことは確かに「異世界らしさ」を代表するものだ。

 一般人かつ未成年が武器をもって大人と戦うことはない。その相手と共に崖下に落ちることもない。

 自分が暮らす地域が戦地となる心配もない。まして、普通の高校生が民を見捨てる決断をする瞬間に立ち会い、それを非難する機会に恵まれることもない。

 「死」――病や事故ではなく、どんな形であれ殺意のあるそれに直接触れることは決して多くはない。

 この世界で暮らす、つまり現実と地続きなリレイにとっては、改めて指摘されることが単純に辛かった。自身の故郷が戦地となるかもしれず、自分だけがその例外として今この場にいる。彼女に戦場に出る資格はない。()()()()()()()()()()()()()()

 つまり、二人は本能的に「死」の話題を出さないようにしていた。それが二人なりの暗黙の境界線だった。

「……俺が自分の力でやって初めて異世界なんだよクソが」

 瀬良が痛々しい沈黙を破る。

「今までの全部あっちから来てんだろうが。こっちは受け身なんだよ。攻め身……? 違えな、受動的の逆……能動的? 積極的? とりあえずそういう方向で異世界感じてえんだよ」

「……えっと」

「なのにクソガキが水差してさぁ!」

「へっ、え、私⁈」

 突如話を向けられたリレイが叫ぶ。

「あったり前だろせっかく良い気分でこの皿出してさ? なのに『自分の意志じゃなくで他人の意志で動かす、あんたの素質は関係ない』だぁ? ふざけんなよ浸らせとけよせめて一日くらいよぉ!」

「だって仕方ないじゃん常識なんだもん、オザデパンスって本当にすごい魔法なんだから!」

「あーあー聞きたくねえ聞きたくねえ! MP切れ起こす半人前、いや百分の一人前以下のクソ魔女の話なんて聞きたくねー!」

「百分の一って何! 魔法はこれから勉強しに行くんだもん、っていうかエムピとマジョって何なの本当に、そんなもの無いからね!」

 いつも通りの、しかし久しぶりの騒音が始まる。たった数日、リレイが眠りに落ちてからこういったやりとりは皆無だった。麻辺はいつもならば何気なく離れていくところだが、今は食事中なのでそれをすることはなかった。自分のせいでこのやり取りが始まった、という発想はあったが、それを理由にして離れようとは思えなかったためである。

 瀬良とリレイが喧嘩をしながら食事を進め、二人がある程度食べたものを麻辺が少量取り……という流れで夕食は終わった。最後のポラムと呼ばれるスモモのような見た目の、バナナのような味のする果実を口に入れたリレイが左手でテーブルを三回叩く。すると食器は三秒間その場にとどまり、そして軽い音を立てて消えた。

「……んでまあ、情報共有だな」

「んー‼」

 口にポラムが満ちており、言葉を発することができないリレイが抗議の呻きをあげる。瀬良にそれを渡さないためだけに口に入れた彼女は、果実の予想以上の大きさに嚥下はもちろん咀嚼すら難しい状態になっていた。

「お前は寝てただろCO2製造機。口挟む必要ねえから一生それ吸ってろ。

 ……つうわけで今日の俺の成果。時間の長さは教科書君を信用すれば地球と同じだ。二時間で三十度、つまり一時間で十五度。一日二十四時間なのかまでは分かんねえけどな。まー三百六十度で割ったら地球と同じ二十四だし、同じでいいだろ」

 瀬良が麻辺の前に数学の教科書を置く。三角関数の説明がなされている、初めて開かれたページに初めての書き込みがなされていた。三十度の角を持つ三角形と説明されているそれに時刻が書き込まれ、それはちょうど二時間で影が端から端へ移動したことを示していた。

「この説明と図が嘘だって可能性もあるけどな。まあテストじゃねえし信じることにした」

 三角形を指で弾きながら瀬良は言う。麻辺はそれに頷いた。

「とりあえずそんなもんだな。あと地球と同じくらいの重力がある。不確定なのは太陽的なもんとの距離と温度の関係的な何かは地球とだいたい同じ、丸い惑星ってくれえかなぁ……。

 ……あ、あと脈だな。俺は一分で平均六十四。時計ぶんどられた時のために測っておけ」

 瀬良はそこまで言うと一度伸びをした。彼が口を開かなかったので麻辺は一度リレイを見た。彼女は何かを訴えたいような表情をしたが、すぐにそれを押し込んだ。そうしてしゃべる気配がなくなったので、麻辺は自分が説明する番だと解釈した。

「あっ……と、じゃあ僕なんですけど、えっと……。あ、あの、まず軍の基地のあの、距離、です」

 麻辺は地図を取り出し、それを瀬良の目の前に置こうとしたが、瀬良がその前に手に取って凝視する。そこまで見られるとは思っていなかった麻辺は居心地の悪さを感じた。

「えっと、丸がついているのは確定です。食堂とか……はい」

「確定?」

「えっと、二人……男の子、いたんで。あの、話、ききました」

 麻辺は二人の少年の顔を思い浮かべようとしたが、靄がかかったようにそれを思い出すことができなかった。眼帯をした少年と、腕を吊った少年。しっかりと顔を見たはずなのに、もうそれが分からなかった。

「大丈夫なのかよ。変に足ついてとっ捕まったりしねえよな」

「あー……だ、大丈夫だと思います。あの、……えっと、この国のあのー……なんか、秘密機関みたいな、なんかそういう……そういうフリしましたし、それに」

「そういう機関あんのか?」

 麻辺の言葉を遮り、瀬良がリレイに問う。まだ口内の果実と格闘している彼女は、眉間にしわを寄せ、左手で口を覆い隠す。

「わあひはきいアぷっ」

「きったね! 飲み込んでから話せよ汚え」

 リレイの手の奥から果汁が少しと歯形がついたポラムの果肉が彼女の質素なスカートに落ちる。それでもまだ口内に余裕の無い彼女は、瀬良のからかいの声に威嚇の呻きをあげながら少しずつ生温くなった果肉を飲み込んだ。

「~~~! 

 ……んっ、噂では聞いたことあるけど本当かは分かんない。クロッシェンは田舎だからそういう人が出た、っていうのは聞いたことないし……。っていうか、そういう機関の存在を普通の人たちに知られたらマズくない?」

「まずいだろうな。情報漏洩で晒し首」

「サラシクビ……?」

「……」

 リレイは聞きなれない単語に疑問の音を乗せて返す。瀬良はただ面白そうに自分の首を軽く叩くが、それでも彼女はその意味を理解することができなかった。クロッシェンはもちろんのこと、《シンシェ》にはギロチンや斬首の刑罰がないから、という単純な理由だ。

 一方、瀬良の発言の内容を理解できる麻辺は自発的な情報の開示をこれであきらめた。この世界の人(リレイ)には読めない文字でも、日本人(瀬良)なら読むことができる。つまり、麻辺がこれ以上口で説明せずとも、必要な情報は瀬良に渡る。リレイに対しては問われればそれに答える、というように麻辺は自分の中で決める。

「自衛隊の基地とか見たことねえしなあ……」

 麻辺手製の地図を見ながら瀬良が呟く。厳密にいえば、その基地の近辺を通ったことはある。だが、その内部の建造物やその配置を覚えるくらいに観察したことはない。通った瞬間はその存在を認知するもののすぐに記憶から零れ落ちていく、つまり風景の一部だった。

「日本史と世界史の資料集か……? 城と日本軍のなんかと――」

 瀬良はそう一人呟くと、自分のベッドへ向かった。彼はまず目的の情報がないと断言できる英語と数学の教科書を篩にかけた。

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