ワミサで情報収集 アドバイスもしくは論点ずらし
「あなた達は僕の侵入を許してしまった」
麻辺はまるでその事実が最もあってはならないことだった、というような声色を出した。何かを動作でもって制止するように右手を上げ、それを二人の少年に見せながら目を閉じてゆっくりと首を振る。芝居がかったその動作は、普段の彼からは全く想像もできないような堂々としたものだった。
「僕は今回正直に、あと、安直に侵入者の形を取りました。最も簡単で、最も相応しい対応を見ることができるから……。そして何より、あなた達がそうさせた。
ここまでは理解していただけますか?」
麻辺は目を開けると二人の少年に向かって語りかけた。眼帯のリンデは頷き、腕を吊ったルクルーは目線を反らした。二人の反応は対局ではあるが、示す答えは同じだった。
麻辺はたっぷりの時間をかけて少年達を見た。それにルクルーは不満そうに頷き、自分の動作が伝わらなかったと解釈したリンデは青い顔をしながら小さな声で「わかりました」と返答した。
「けれど、スパイ全てがこんなあからさまに、油断を見せる単独行動って……あり、っえますか?」
いつものように言葉が消えていくのを感じとった麻辺は無理やりにそれを続けた。既に喉が苦痛を訴え始めている。明確なゴールが見えないものの解決法を考えながら言葉を発するという、普段の麻辺が絶対にやらないことをさせている脳みそも抗議の準備に入ろうとしている。
「友好的な隣人、熱烈な恋人、生死のわからない家族を探す幼い子供、昔の部隊に懐かしさを感じた……えっ、あ……た、退役者」
発言の元となる知識は何気なく耳にする雑音で、それは脳の奥底に残っていたことが奇跡にあたるものだ。それを無理矢理叩き起こしながら麻辺は言葉を発した。
だが、そのあやふやさが特にルクルーの不信に繋がっているようだ。彼は熱心な聴衆の格好をしながら、麻辺の手の中のそれを奪取する機会を窺う。
麻辺がルクルーの態度はフリだと分かったのは、彼があからさまに武器となる木製の棒を見なくなったことと、リンデが麻辺の方向しか見なくなったからだ。彼が最後に片割れを心配そうに見たとき二人の視線はガチリと合い、ほんの刹那長く絡み合っていた。
彼らにはそれで十分だった。
「……。
その人達を、あなた達は見破れますか。もしくは、利用できますか」
麻辺の言葉に対する返答はない。
そのため彼は一か八かの賭けに出ることにした。
「これが何だかわかりますか?」
そう言って彼は胸元から一枚の紙を取り出し、二人の少年に掲げて見せた。リンデは目を細めて焦点をそれに合わせる様子を隠そうともしなかった。ルクルーはそれを見ると一瞬驚いたような表情を浮かべ、それはすぐに不快を示すものに変化した。
「っ、どうですか」
「……地図」
「そう、この一帯の地図です」
リンデの小さな悲鳴に麻辺は頷く。小さな彼の声は降参と、絶望の色が強く出ていた。「スパイ」の侵入を許し、またそれをねじ伏せることは敵わず、しかもその人間はこの国の重要なポストについている者で、失望を露わにして隠そうともしない。負傷して出兵できなかったとはいえこの支部の留守を預かる身なのだから、何らかの責任を感じることは当然だ。
そんな肩を落とし頭を抱えるリンデとは対局に、ルクルーは麻辺を嘲笑った。
「ハッタリはよせよ、間抜け野郎」
彼は強気に出る作戦に移っていた。いや、無意識のうちに行われた役割分担だ。ある程度の情報開示に応じている見知らぬ人間を挑発し、その真意を探ることにしたのだ。
それはルクルーという人間に向いていた。
「確かにさ、間取りっていうのか? 食堂、兵舎、図書棟――正解だよ。けどな、ぐちゃぐちゃした変なのは何だ? もしかして、文字のつもりか? それが文字なんだったら《シンシェ》の文字じゃねえし、規則性もねえな。
そっから言えるのはなんだと思うよ? お前は本当にスパイだ。ガキに背後とられて、足捻って座んねえと辛くて泣いちゃう間抜けスパイだ」
「……っ」
麻辺の思考は停止する。それは少し視界を広く持てば当然にたどり着ける結論だった。
思い出そうと思えばその光景はすぐに彼の脳裏に浮かぶ。自分がリレイに文字を教わろうとしていたのは何故か。それは自分がレアリムの、そして《シンシェ》の文字を読めないからだ。
その事実を反転させれば、日本語で書かれた補足情報を目の前の少年が読めないことも当然だ。
言葉に詰まった麻辺のことをルクルーが勝ち誇った目で見る。顔を青くしていたリンデも、既に麻辺のことを疑いの目で見ている。
そんな状況を打開するため、麻辺は何か言葉を発そうとするが、どの言葉が「正解」なのかが分からない。だが、沈黙を続けてもいいことはない。むしろ、目の前の少年二人のただでさえ低い信頼は、底をつくどころの話ではなくなりそうである。
(スパイじゃないって言えば……いや、探ってるからスパイみたいなものだし……。文字も、規則とか説明しても……外国、じゃなくて異世界の人に分かってもらえるのかな……。
いや、違う。それじゃダメだ)
麻辺は一度、深呼吸をする。たった一度のそれではあるが、意図的に行ったそれによって彼の中で酸素以上の何かが入れ替わる。
「――愚かですね」
そう麻辺は言い切った。
「『文字に規則性がない』、どうしてそう言い切れるのですか? なぜそう決めつけて、あなた達はこの紙切れをもう見ようとしないのですか?
『間取りは正解』、どうしてそう簡単に明かしてしまうんですか? 我々はこの場所の状況を理解して、そのうえで来ています。最後の答え合わせだとは思わないんですか?
そして、最後に」
麻辺は言葉を切る。そして、目の前の少年二人の目を見た。人が変わったように饒舌になった麻辺のことを、まるで気の狂った人間と同じ部屋に閉じ込められてしまったかのような目で見ていた。
「『間抜けなスパイ』、ならばなぜ捕えようとしないんですか? なぜ大人しく話を聞いていられるんですか? 我々はあなた達を知っているのに、なぜ僕だけだと思うんですか?」
麻辺はそう言うと勢いよく立ち上がり、右手を掲げると指を鳴らした。彼の演説の余韻を仕切るように、それはこの部屋に響く。
「見張れ、リンデ!」
その仕切りが完全なものとなると同時にルクルーが叫ぶ。麻辺に取られた武器の代わりにでもするのか、たった今まで座っていた椅子を手に走っていった。だが、怪我によって事実上の隻腕の彼にとってそれは荷物にこそなれ武器にはならないだろう、と麻辺はどこか冷静に思っていた。
一方、そのルクルーの命令によって突然の侵入者と共にいることになってしまったリンデは、途端に不安に襲われていた。彼自身は立ち上がることはなかったものの、改めてその侵入者との力量の差を想像し、勝てる見込みがないと判断していたからだ。
「……」
いくら麻辺が十七歳としては小柄な分類に入るとはいえ、それが十歳のリンデと比較すれば麻辺のほうが大柄であるのは自明のことだ。また、具体的な所属こそ明かしてはいないものの《シンシェ》の人間であればその中枢に近く、また普段は存在を認知されないところに属す程度の成果をあげていることになる。ルクルーが疑うように他国からのスパイだとしても、それを任される程度には信頼を得、成果をあげることができたのだ。そんな力量を持つならば、当然足のケガもとっくに魔法で治癒させているはずである。
(最初の戦いもわざとなんだ……ここに釘付けにしたくて、そのためにだ……)
想像の中の、むしろ勝手に高められていく麻辺の能力にリンデは一人打ちひしがれる。友人に「見張れ」と言われたから決して目はそらさないが、立ち上がっている麻辺を見上げている今、その想像以上にリンデの中で麻辺の存在は遠く、貴く、大きくなる。
現実を見れば麻辺はこの異世界でどこにも所属していない。クロッシェンで世話になり、今はその令嬢と共にいるとはいえ、その領民となった事実はない。当然、この国の中枢にも属していない。むしろその中枢がどこか、麻辺は知らないのだ。そのため何の成果もあげていない。
また、魔法も使えないのだから捻った足は当然そのままだ。鈍痛と微熱によって怪我の程度を脳にそれは伝えるが、麻辺はそれを気にしていなかった。今の彼から、痛みやそれに伴う全ては分離している。
この部屋に叩き込まれてからの戦いも偶然だ。むしろ、敷地内に足を踏み入れる瞬間の緊張がピークであり、それを無人と言う裏切りを受け続けていた麻辺の油断がすべてである。
「本当に愚かですね?」
ルクルーの足音が完全に聞こえなくなったのを待って麻辺は口を開いた。その短い言葉にリンデはびくりと肩を震わせた。
「あの腕で何ができると思いますか?」
「え、あ……」
「盾にはなるかもしれません。けれど、武器にすることは難しいでしょう。というより、片腕なのにそれをふさいでしまっている時点で失格です」
「でも、る、ルクルーは……強いから」
「それは同じ年ごろの子供にしては、でしょう。いや、ワミサの、今いる年代の子供の中では、でしょうか? ……それとも強いのは、そこらの、一般的な大人よりも、ですか? 我々のような所属の人間よりも、ですか?」
「それは……その」
麻辺の指摘にリンデは項垂れる。それに反論することはできなかったからだ。
反射的に友人を強いと称したが、彼は腕の骨を折り今回の出兵に参加できなかったではないか。そもそも本当に強いのならば、怪我をすることはなく、したとしてもほんの軽傷であるはずではないか。それに――
リンデの頭の中で、自らに対する反論、麻辺の意見に対する同意が浮かんでは責めてくる。
「まあいいです。僕もあなた達も不利にならないので。不利になるのはあなた達の妹、弟……そういう、あー……後輩たちです。だから気にしないでいいです」
麻辺はルクルーを慰めたつもりだったが、そのルクルーはさらに落ち込んだようだった。その理由が分からず麻辺は自分が行ったことを少しずつ逆再生し、目の前の少年に弟か妹がいる、という可能性に思い至った。
「あー……じゃあ、軽めのアドバイスでも。えっと、あの、そうですね……。
まず、戦力は分散させないでください。複数の敵が入ってきたとして、それの排除に各々動くのは正解です。だけど、ケガ人である人を分散するのはよくない。あなた達の場合は腕と目。どちらも戦う上では重要な欠陥です」
「うん……だから、今回のクロッシェンは置いていかれて……」
「カバーしあうのも難しいでしょう。ならば逃げて、隠れて、情報の収集に努めた方がいいです。何人が入ってきたか、それはどういう人か、何を見ていたか、どうやって出ていったか。排除や制圧だけが正解ではないですから」
麻辺の言葉にリンデは頷く。真っ向から否定はできず、だからこそそうするしかなかった。これが血の気の多いルクルーであればそうとはせず、時間稼ぎだと怒っただろうが、その少年は今、いない侵入者を探してこの基地全体を駆け回っている。絶対に逃がさないと決意し、必死に探し続けている。
「情報は盗まれます。けれど、こちらもそれを得られる。姿を現さなければ、意外と人って油断するんです」
「……」
「あと、それと……あー……。
人、常駐のえっと、警察……じゃなくて、警備員。それを少しは置くべきですね。定期的に入れ替える必要はありますけど、でも、常に誰かがいるのは大事です」
「……」
「改めて言いますけど、あの、あなた達を責めているんじゃないんです。ちょっとキツイことも言いました。だけど、それ、あの……えっと、アドバイスにもなります。ほとんど答えですけど、それをどう解決するか、あの、考えてください。考えて、動かしてください」
麻辺はそう言って部屋から出ようとした。少年二人にその存在を認知され、またその二人以外の気配も感じることができず、これ以上の滞在で得られる情報には見切りをつけることにしたのだ。実際、何気ない指摘ではあったが、この世界の文字を読めないだけでかなりの情報を取り漏らすと理解する。
ゴミを見れば暮らしぶりをある程度は察知できる。距離が分かれば潜入や時間を計るのには役立つだろう。
しかし、文字文明を持っている《シンシェ》において、精度の高い情報は文字で記録される。魔法で記憶に刻み込むこともあるが、それを長く、客観的に留めておくには文字が必要だ。その文字が現状理解できない麻辺にとって、もはやこの基地に感じる魅力はなかった。
無言で、当然のように扉に向かう麻辺を見て、リンデはハッと気を取り戻した。自分が友人に命令されたことを思い出したからだ。彼は立ち上がると麻辺の袖を掴もうとしたが、叶わなかった。
それは何故か。
伸ばした腕が――正確に表現すれば、手首が折られたからだ。リンデは突然のことに、その場に蹲る。手首をかばい、急所である首をさらしていた。
「……野蛮なことはしたくなかったんですけど」
麻辺は淡々と言う。まるで機械音声のようだ。いや、今の麻辺の言葉に抑揚はないから、日本で当然耳にし、聞き流している機械音声のほうがよほど温かみがあった。
「……」
麻辺は手に持ったままの武器を眺める。野蛮なことはしたくなかったのではない。するつもりがなかったのだ。
「腕だったらお友達とお揃いに……じゃなくて、えっと……」
麻辺は戸惑う。自然と、普通に紡がれていく言葉はあまりにも「普通」と異なっているからだ。骨折させてしまったことに対する動揺もない。
焦ったような瀬良の声が突然麻辺の耳元で聞こえた。彼は少し考えて、それはあの山頂の戦いだと思い出した。正当防衛に値するような状態でも、そして「不良」とカテゴライズされるような人間になっても、瀬良にはそうなるだけの人間性があった。
(……やっぱり、ダメなのかな)
目の前で蹲るのは少年だ。白い項を見ながら麻辺は思う。
木が持つ重さをまさしく表すような音が響く。麻辺はだれにも止められずにワミサの基地を出た。




