ワミサで情報収集 ワミサ支部
麻辺はひとまず道から外れ、そこが観察できる木の陰に隠れた。あくまで目標はワミサの軍施設に出入りする業者だからだ。
それを見つけるタイムリミットを麻辺は定めていた。とはいえ、腕時計を瀬良に貸している今、彼は正確な時間を知ることができない。そのためとある木の影を縁取るように足で線を引き、その二本の線が完全に露出するまでと決めた。
そう決めたのは、瀬良が昨日「影によって時間が分かる」と発言したからだった。
(あ、瀬良君時間を計るのかな)
瀬良が時間を知る術を持っていないことを麻辺は知っている。電子機器に頼りきりだった瀬良は、電気がない異世界に来てからそれを活用できないでいた。インターネットはもちろんのことスマートフォンに内蔵されているコンパスを含めた位置情報を利用することはできず、ついにそれは充電が底をつき、今では仮死状態と表現しても真っ向から否定することができない状態だ。
(そうなら普通に言ってくれればよかったのになぁ……。分かってたら嫌じゃなかったのに)
そう思いながら麻辺は視線を領境の向こう側と施設の方向を往復させた。かすかな物音がすればそちらにすぐさま視線を走らせ、その原因を探った。だが、その原因は大抵が風に吹かれた草葉であり、道を渡るバッタのような茶色い昆虫だった。
唯一、タイムリミットの直前に小動物の親子が急いで道を横断するのを見たが、それが一番大きな生物だった。
(……)
麻辺はこの町の違和感に気がついた。誰も、そう、誰も姿を表さないのだ。一昨日の宿屋探しの一連の流れでこの町には最低でも十二人の一般人がいることは分かっている。今三人が宿泊している元宿屋の主は腰の曲がった老婆であり、彼女は外に出ないとしてもそれ以外の十一人はどうだろうか。
(一人は四十歳位の女の人で、二人は五十歳くらいの人、あとの一人は……フード被っててわからなかったけど、手は若そうだった)
麻辺は自身が挑戦して全敗した四件の家を思い出していた。少なくとも三人はある程度年を重ねた女性であり、最後の一人は無言で追い払われたが少なくとも身長は麻辺とそう変わり無かったのだ。
(旦那さんとかは兵士でいないとしても……おかしいな)
麻辺はそう思いながら移動を始める。木の影は移動し、つけた目印は太陽光に晒されていた。
「……」
麻辺は軍施設の正門が見える場所にいた。ワミサの中心地であろうこの場所ですら人々の声は全く聞こえない。大型のスーパーができてすっかり寂れたかつて人々の生活の基盤だった商店街の雰囲気に似ていた。
整備された道、薄汚れてもいない建造物。老朽化した建物を補修あるいは建て替えをするのか、建築資材と思われるものが門の影からも見える。そうでなくても周囲の建物と比較し、軍の施設の建物は新しかった。
(そういえば兵隊さんってどう過ごすんだろう? 午前中だし、授業とかあるのかな)
そんなことを思いながら麻辺は門の死角となりそうな場所を観察するために移動する。
当然のことながら監視カメラは見つけられない。そもそもシンシェに、それどころかレアリムにそのような技術は無いのだが、現段階の麻辺ではそれを知らないため仕方がなかった。その代わりにレアリムは「魔法」によって侵入者の対策をするのだが、麻辺はそれを感知することができない。
「……行こ」
ワミサの一般市民はその姿を現さない。また、兵士という立場を得ている人間の気配すら感じられない。瀬良の話が真であり、この基地に属する兵は一通り出兵していると考えることもできる。
(人がいない分警戒はされているはず。だけど、そもそも人がいないんだから逃げられる可能性は高くなる。……人質取ればいいか)
日本人としては物騒で、レアリムの民としては平均的な考えで麻辺は動く。
(キョロキョロするくらいなら普通に歩いて入る。迷子になったふりをする。……大丈夫)
麻辺は何気なく、まるでそこに入るのが当然であるかのように堂々とした雰囲気でその正門の中央を歩く。警報のようなものは何も鳴らず、慌てて駆けつけてくるような警備員もいない。もちろん、油断したその足元を掬うような罠もなければ、威嚇射撃もなかった。
麻辺はいたって普通に、シンシェ軍のワミサ支部に潜入――いや、足を踏み入れる結果となった。
「……」
あらゆる警戒、あらゆる前提がある意味もっとも簡単な形で裏切られた麻辺は内心拍子抜けする。彼は無自覚だったが、心のどこかでは見つかることを期待していたのだ。この軍の支部の広さはもちろんのこと、どの建物で何をするのか彼は知らない。それが実現可能かはわからない、むしろ限りなくゼロではあるのだが、麻辺は自分を捕まえに来た人間に誘導させそれを知っていくつもりだった。
隙を見て逃走し、建物から建物に移りながら情報を収集する。警察あるいは看守、それとももっと恐ろしい者を挑発しながらそれの答え合わせをする。潜入の技術を何一つ持っていない自分ができる情報収集で、最高の結果をもたらせるものがそれだと、麻辺の本能は解っていた。
「んー……」
だが、その本能が裏切られる形になった今、麻辺はどうしたものかと考える。人がいるかもしれないと建物に近づいても、そこはもぬけの殻だった。今彼が何度かその場で飛び上がって全体像を把握しようと窓から覗いているのはどうやら宿舎のようで、二段ベッドが四つ、一部屋に詰めこまれていた。その大きさや他に何があるのかまでは麻辺の身長では見ることができなかったが、単純計算で八人の兵士が暮らす部屋としては小さすぎるように思えたのだ。
(瀬良君レベルが八人……)
身長が百九十センチに迫り、かつ体重も鍛えられた体格からして八十五キロは超えてそうな男性が八人も同じ部屋にいるのは、なんだかとてもちぐはぐに思えた。ただ、土地が不足していればそのようなものなのかもしれないと麻辺は思い直す。軍として成立するために必要な鍛錬や教養を得るためのスペースを最大限に確保し、それと引き換えに個人のスペースを削減するのは仕方のないことだと思えたためだ。
麻辺が今いる建物の地面から百五十センチを少し超える程度の高さであろう場所に備えられている窓から見える景色は、多少の違いこそあれ全て同じだった。見落としてはいけないと付近の建物全てを覗いたが、結果はわざわざ言うまでもない。麻辺は持ってきた紙に門と建物の位置を書き込み、そして「生活スペース 1Fベッド2×4」と書き込んだ。二階以上は建物の外観上外に階段は無く、内に入らなければいけなかったため、ひとまず諦めたのだ。
門の付近の建物は兵士の生活スペースとなっていると結論付けた麻辺は、さらに中へと進んでいく。門の外から、そしてワミサの外から伸びている車輪の跡はまだ続いていた。
(……人がいる場所)
ゆっくりと歩きながら車輪の跡を見る麻辺は心の中で再確認する。大きなものを一瞬のうちに運び出す魔法があるにも関わらず、車輪のある「何か」を使用するということは人の生活区域に踏み込むということを意味していると麻辺は理解した。その生活区域というのも先程の、少なくとも睡眠をとるスペースとは違う。食料か、その廃棄物か、この場所特有で必要なものか、それとも出兵のための車や馬車か――そこまでは彼の予測はもちろん理解は及ばないが、今までよりは警戒しなくてはいけないということが頭に浮かんでいた。
麻辺は一際大きな建物に出くわした。人の気配は皆無だが、周囲と比較して小綺麗でありながら使い込まれている雰囲気を保っていたから、その建物が日常的に使用されているものだと考えるまでもなく理解できた。
(……)
麻辺はふと立ち止まると、上着が開けない様にしていた帯のような細い布を外した。それを二重の輪になるように結ぶと、彼は足首に通す。数歩歩いてみると、それは普段の歩幅よりわずかに狭くしか開かないが、麻辺はそれで納得した。建物のそばまで歩を進め、左手を下ろし肘から直角に持ち上げる。中指で建物の壁に触れ、彼は歩きはじめた。
(一、二、三……)
いくら脚に布をかけ制約をかけているとはいっても原始的な方法だ。正確な距離を測ることはできないが、それでも何もしないよりはマシである。測量の技術など持っていない彼が現段階でできる方法だった。
念のために二周歩き、その歩数がおなじであったことから麻辺はそれを書き込んだ。自分の歩幅が何センチか分からないのは痛いが、それは後でも調べられることだ。結び目が緩んでいないかを確認し、麻辺は次の建物へと移る。その間の歩数も数えることは忘れなかった。
次の建物はこの一帯で一番大きかった。今は人の気配はやはり無いものの、そこが生活の拠点の一つであることは理解できた。それはとても単純な理由である。
(生ゴミ……ってことはここ、食堂か。ハエ……じゃないや、なんだろこの虫)
樽の周囲を羽音を響かせ飛び回るそれらの内一匹を手掴みした麻辺は考える。「手掴み」という表現が適当なように、それは麻辺の掌の中で絶命していた。二対の透き通った羽のうち三枚が胴体から離れている。大きく膨れていただろう腹の中身はすっかりと潰れて赤褐色の液体が手の皺にそって広がっていた。頭はまるで「何故?」と問うように、青緑に光を反射する大きな複眼をこちらに向けた状態で二分割されていた。
麻辺はその未知の虫にしばらく気をとられていたが、やがて興味を失った。急速に、むしろ唐突にそれは訪れ、麻辺は太ももの辺りで残骸をぬぐうと、樽の中身を見るためにそこへと向かう。仲間を殺された恨みではなく、テリトリーを侵される怒りと警戒で飛びかかってくるそれを手で払い、かつ歩数を頭の中でしっかりと数えながら、彼はその縁に手をかけた。
世界を違えても、どうやら何かが腐り行く臭いは同じらしい。麻辺がその中身を見るまでもなく「生ゴミ」だとその臭気は伝えてきた。だが、それが分かったからといって麻辺はその中身を見ずに済ますということはしなかった。
彼は樽にたどり着くと腕捲りをして、戸惑いは一切見せずにその中に腕を突っ込んだ。もしこれを誰かが見ていたら、その人は麻辺のことを「空腹に耐えかねた物乞い」と判断しただろう。
(リンゴみたいな芯、野菜の茎の固いとこ、この穴は……虫食い? すごい焦げてるやつ、……また焦げ……、卵の殻、何かの骨……)
樽の中身を掘り返せば掘り返すほど、その独特の臭いが強くなる。その臭さに麻辺は顔をしかめることなく、まるで熱心な研究者のような雰囲気でそれを続けた。
彼は臭いを気にするほどの人間ではなかった。それによって感情が左右されることはなく、単純に事実としてそれを認識するだけだった。
(生ゴミだけど……上の方は新鮮でほとんど腐ってない。……気温的にもせいぜい三日……)
指先の感覚が野菜屑や骨の固い感触から、腐り始めた柔らかさが加わり、それだけではなく液体にも触れ始めたため麻辺はそう考察する。
(三日……クロッシェンに出陣……出兵? してたら、だいたいこれぐらい? でも僕達すれちがったり……あ、『魔法』があるし、それにサイラスさんとエマさんのとこにいたときなら……分からない)
腕と生ゴミの隙間から見える手の甲と、その近くにある樽の中身が完全に変色した腐敗物になっているのを確認した麻辺は、腕を引き抜いた。樽の中身の形を整え、できるだけ自然に積み重なったように見えると確認し、彼は腕に滴る茶色い雫を振り払った。寄ってくる名前も知らない虫を振り払いながら、彼は場所を移動する。
その後、腕の臭いが麻辺の体臭となり、それが空中に霧散するまで麻辺はこの施設一帯を堂々と、そうすることがプログラムに定められたロボットのように麻辺は歩いた。しかし、たった一人の人間すら彼は見つけることはできなかった。
麻辺の手の中にある紙にはこの一帯の建物のほとんどの情報が書き込まれている。大胆になった彼は建物の中に侵入するようになっていた。目新しいものはなにもなく、地球でも目に触れたことがあるようなもの――『魔法』で施錠されていたためなかに入ることはできなかったが無人の「売店」、高めの椅子らしき物が規則的に並んでいる「教室」、そして「グラウンド」――だけが目についた。
もちろんそれに失望し、調査をなおざりにするようなことはしなかった。麻辺は自分が見た事実をできるだけ忠実に、情報として書き込んでいた。
そして彼は、最後の建物に辿り着いた。正確に言えばはじめの方に調べた建物は、その中まで調査していない。だが、全くの新しい建物はそれだったのである。
彼はそれに向かって一歩、帯の巻き付いた脚で踏み出した。




