ワミサで情報収集 計算違い ※
差別感情による性的発言
パアァンッッ――――
瀬良の作った紙鉄砲は、静寂を切り裂く閃光を思わせた。ワミサの土地の形状からその鋭い音は山々に反響し、四方からそれが返されたように辺りに響き、余韻を残す。
「やっべうるせ……」
このような静寂の森の中で鳴らしたことのない瀬良は、少しだけ自分に引きながらも満足していた。ピストルの発砲音という自分の比喩は間違っていなかったと感じたのだ。そして「ピストルの音はこういうものだ」とサクロに説明しようとして彼の方を向いたが、瀬良の口はその説明を告げなかった。
サクロは音もなく立ち上がり、両手にナイフを持って構えていた。辺りを窺いつつ、攻撃の機会を探っているのが戦争のない日本で生きてきた瀬良にも理解できた。
「おいサクロ、お前……」
「エクサミ……」
「は?」
「……これはカオル様のですか?」
「まあ、一応。信じらんねえなら、ほれ、もう一発」
瀬良はそう言うと開いたままだった紙を折りたたみ、先ほどと同じように腕を振る。今回は力を入れていなかったこともあり先程のそれよりはいくらか劣るが、それでも静寂を切り裂くような音が木霊する。
サクロは瀬良の手の中の紙鉄砲をずっと見ていた。一瞬たりとも見逃さないという気迫があった。瞬きすらしていないように感じ、瀬良はゾッとするような感覚を味わった。
(こんなガキに……?)
恐怖か、嫌悪か、それとも別の何かか――瀬良はその感覚が何かわからない。名を付けようにも曖昧過ぎて、しかし今までの彼が知っている感覚とは別個であることが理解できる。
「エクサミではないですか。カオル様がエクサミの人ではないですか」
サクロの口調は先程までの、瀬良を慕う年少者のものではなくなっていた。警戒し、それと同時に後悔し、敵意すら抱いているような口調である。返答を間違えば彼のそれは殺意にまで発展する――が、戦場を経験して生きていくことが宿命づけられている「人間」の殺意を知らない瀬良は、ただその変わった雰囲気に居心地の悪さを覚えるだけだ。
「だからパンパン鳴るのはこれだって。なんならお前にやるよ。パチ屋のチラシとかいらねえし。
つかさ、そもそも『エクサミ』って何だよ? そんなヤベえもんなのか? だいたい――」
瀬良の言葉は続かなかった。地の果てから吹くような熱い突風が前触れなく二人に体当たりを仕掛けたのだ。
(やっべ……落ち……!)
瀬良は反射的にサクロに覆いかぶさると木の幹にしがみついた。成長期を迎え、平均的な日本人男性よりもはるかに体格の良い瀬良ですらそれに身体ごと持っていかれそうになる。今瀬良の身体の下で震えているサクロが生身でこれを受けていたら――それはわざわざ論じるまでもない。
(あっつ……苦し、……畜生、何なんだ……!)
ドライヤーの温風を全身に受けているような状態だ、と瀬良は思う。いくら顔を腕の中に入れていても、少なからず隙間は存在する。その隙間から風が絶えず吹き込む。肺に溜まった二酸化炭素を吐き出そうにもその吹き込む風の強さからそれは叶わない。溜まり続ける二酸化炭素は、新鮮な酸素が入り込む場所を奪っていく。
瀬良は何とか呼吸を試みながらサクロの様子を見た。身体の下にいる小さな少年は、すっかり怯えているように見えた。彼の両手からナイフが零れ落ちていく。また、怯え以上に体力の消耗があるようだ。例えるなら酸素の供給が立たれたサウナの中だ。加えられる空気も温度は高く、それが小さな少年を苦しめる。
「サ……ゥロ、お前……大丈……か」
名前を呼ばれた少年は、小さく、僅かに頷いた。「大丈夫か」という単純な問いに正直に答えるなら、それは否である。暑く不快で呼吸もままならない。ただそこにいるだけなのに体力はかなりのスピードで消耗されていく。それに今いるのは枝という、不安定の代表の一つである。折れてしまうかもしれない、という不安が余計にサクロの気力を奪う。
(……ごめんなさい……)
サクロは瀬良の方を見てそう口を動かした。瀬良こそが「エクサミ」をした人間であると恐怖したのだ。自身の生き方を説いたのもはじめに自分の恐怖を読み取ったからで、どの戦場で戦い抜いたか、その生き抜く術をどの学舎で得たのか――それを教えなかったのはボロを出さないためだ、と。瀬良の紙鉄砲を聞いてからすぐ、サクロの脳は悪い方向へと思考を進ませた。
だが、サクロは今自分の事を庇う瀬良を見て、それが間違いだったと素直に思えたのだ。たとえ間違いでなかったとしてもその考えに一瞬でも救われたのは事実であるし、ならば決定的な瞬間まで騙されることをサクロは選択した。
――現実として、瀬良の語ったことは全て彼の想像である。かつての少女がさらけ出した本心を、その深刻さを知らずに略奪してかたったのだ。
(クソ……埒が明かねえ!)
一向に収まる気配の無い生温い強風に瀬良は苛立つ。呼吸も苦しくなってきた。頭を動かし風を後頭部で、つまり肺の中身を入れ換えるのに無理やりそれらがねじこまれないようにしようとしたが、見えない力によって瀬良の体はピクリとも動かない。サクロも同様のようだ。
(てか、おかしくね? いつまでふいてんだよこの風……! つうか葉っぱとか、何で俺にぶつかってこないんだ?)
単純な、しかし重要なことに気がついた瀬良は周囲を見回そうとした。頭は相変わらず動かないから、目玉だけを動かしてそれを遂げようとする。余計な風が入ってこないようにしていたからこそ、隙間風によってどこに視界があるかは分かりやすかった。
また、何気なく肩まで袖を捲っていたことも疑問を抱く手助けになった。耳元で煩くなり響く風で、周囲の音は全くといっていいほど聞き取れない。だが、触覚は風を感じているということは生きている。こんなに強い風に吹かれながら、細かな枝はもちろん、木の葉の一枚だって瀬良の腕にぶつかった感覚はない。その身を隠すため葉の多い木を選んで登ったにもかかわらず、だ。
「サクロ」
掠れた声で瀬良は少年の名前を呼んだ。既に意識が朦朧としかけている少年は、ぼんやりとし始めた目で瀬良を見る。
「俺の……髪。髪の毛……風……動いてるか……?」
声を発すると、そのわずかな隙間に待っていましたとばかりに風が吹き込む。窒息への道を駆け足で進んでいくようなものだ。
「頷くか、首……振るかでいいから……なあ、……風、本当に……サクロ、ォ……吹いてる……?」
瀬良はそこまで言うと口を閉じた。これ以上の発声は意識の消失を呼び込むと本能的な部分が理解する。とはいえ今求める答えを知ったところで、それの解決には至らないことも瀬良は頭の端で理解していた。
サクロは瀬良の言葉を受けて、対面している青年の顔を見た。口を一文字に結び、眉間に皺を寄せていてどこか顔色も悪い。だが、事態の打開のために何かを探ろうとしているのは理解できた。それを理解できたからこそサクロは先程の問いを思い出す。
おかしなことを聞く人だなあ、とはじめに彼は思った。こんなに風が吹いていて、息もできないくらい強いのに、どうして当たり前のことを聞くのだろう、と。そのため「吹いてるよ」と言おうとして、サクロは瀬良の問いの理由を悟った。
彼の長い髪の毛は、一本たりとも動いていない。
ある程度の強さの風に吹かれれば、髪の毛はそれに合わせて踊る。息すらできない状態の強風に吹きさらされている現状では、狂い踊るという表現が適切なくらいだろうと思えた。だが、それが全くない。
サクロは首を振ろうとした。だが、それは成し遂げられなかった。
「……うごいて、ない」
「……」
「カオル様の髪……ぜんぜん、とまってる……」
「そうか……。じゃあ、これ、は……何、だろ……うなぁ」
得体のしれない無風の強風。瀬良の今まで培ってきた常識の中にそれは無い。常識に無いからこそ想像することはできる。そして《異世界》にいる今、それが何かも理解する。「魔法」である。
「……」
だが、それを理解したところで瀬良にできることはない。ただ、意識が薄れていくのが、そして十秒と持たずに消失することは理解できた。
「サクロ……ごめん……」
瀬良はそう口にして意識を手放す。その謝罪は嘘をつたえたことなのか、この事態に巻き込んだことなのか、それとも別の何かか、彼も、サクロも分からなかった。
サクロは気にしていないということを伝えたかった。しかし瀬良が意識を失い崩れた今、サクロ自身がその風に吹かれる番だった。視界が開け、サクロはこれが魔法だと確信する。目の前にある沢山の葉を茂らせた枝はほとんど動いていない。わずかにある動きは、当たり前に吹くそよ風だろう。
間もなくサクロも意識を失った。
「計算を違えたわ」
青年と少年が折り重なって意識を失っている木の枝を見下ろせる位置に立っている人物がそう呟く。
「ロルニ……っつうと、カンジェバの寄生虫のとこのジャリか。こいついるか? さっさと殺しちまおうぜ」
はじめに声を発した人物の背後にいた男が発言した。その体格、声色、服装から粗野な人間であることを隠そうともしていない。酒の匂いを漂わせ、ボリボリと衣類の上から尻を掻いている。
「黙れ。カンジェバは《シンシェ》の食料の殆どを生産する領地。ジャリの一粒であっても情報は得られると考えるのが常識よ。そのためにわざわざ逃がしたのだがな」
「情報ってなぁ……んなのいらんだろう。皆殺しにして、そっくりそのままいただきゃいいんだ、回りくでえなぁ」
「カンジェバは内陸領ぞ」
はじめの人物はそう切り捨てた。「彼」はまるでそうあることが決まっていたかのように、ふわりと二人の人間が折り重なっている枝に着地した。
「貴様は来るでない。折れる」
「分かってるよ、心配すんな」
「心配ではない。警告よ」
「『クラッセ』、冗談きついぜ」
「その口で我の名を呼ぶでないわ」
彼――「クラッセ」は仮面の奥で片割れを睨む。その片割れは、同じく仮面をしたまま肩をすくめて見せた。申し訳ないとは微塵も思っておらず、むしろ面白がっているようだ。
「クラッセ」は意識のない青年の下から少年を引きずり出す。オリーブ色の肌に、カールした茶色の髪。
「こやつの兄か姉、二人が出兵したと言っていたな」
「そうだっけ?」
「……。ロウミァとサルモという識別名だ、せいぜい覚えておけ。それらしいものを攫う」
「まーた人攫いか。まどろっこしい」
「何を言う、これは戦だ。戦はそういうものよ。追跡が気にかかるなら腕や脚の一本でも落としていけばいい」
「おお怖え。一思いに殺してやるのも慈悲だぜえ?」
「貴様の口からその言葉が出るとは思わなんだ」
そう吐き捨てた「クラッセ」は少年を放り投げる。少年の身体が落ちていく先に赤く光る陣が現れ、その身体を呼ぶ様だ。どろりと浮かび上がった不気味な手の陰は、その雰囲気とは裏腹に、まるで慈母のように少年の身体を抱きしめると、陣の中に消えていく。
「……カオル。《シンシェ》にそんな名の人間が……?」
「どうしたよ。そりゃ『カオル』って今まで聞いたことねえが、俺達も全員を見てる訳じゃねえさ」
「……」
「どうした『クラッセ』、まさかそいつに惚れでもしたか?」
「阿呆」
「クラッセ」はまるでこの世でもっとも醜悪なものの面倒を任されたかのような口調で吐き捨てた。それをからかう片割れを無視し、「カオル」の上体を起こす。枝の上という不安定さを微塵も感じさせず、また体格の差も無いかのようにそれは易々と行われた。
「……」
「ハハッ『クラッセ』、そうまじまじと見ちまうとお前のことだ、下っ腹が疼くんじゃねえか?」
「貴様……何が言いたい。まさか前皇を侮辱する言葉ではあるまいな?」
ほとんど無感情だった「クラッセ」の声色に初めて感情が現れた。怒りと諦めが混ざりあったそれは鈍器のような重さを持っていた。
「我の生まれなぞどうでもいい。今更変えられぬものよ。
それよりもこやつの顔を見ろ。《シンシェ》の――否、レアリムの面ではないわ」
片割れの方に上体を起こした青年の顔を向ける。片割れは仮面を外すと――ニキビの痕とソバカスが顔の右側にある。顔の左側はケロイドが出来上がっていた。左目は瞼が癒着し塞がっている。酒を飲んでいるせいか、顔色は濁った桃色だった――片目でその顔を見た。
「貴様……面を外すな」
「仕方ねえだろ、見えねえんだからさ。
……確かに《シンシェ》の面じゃねえが、《ウルナンデ》辺りとの混血なんじゃねえの? 肌が普通より濃いのも五代くらい前に《ウルナンデ》の血が入ったらそんなもんだろ。髪だって金色で、《シンシェ》にはよくある色じゃねえか」
「……」
「どうしたよ」
片割れの男は仮面をつけ直しながら問いかけた。それに「クラッセ」は答えない。腕の中にいる青年のことを見ていた。
「……使えるかもしれん」
「は?」
「こやつは我の魔法に対抗すらせず、むしろ気付かなんだわ。最後には違和感を覚えていたようだが……。
これが《シンシェ》のものであれば弱点となる。そうでなければ他国のスパイを易々と受け入れるという証よ」
「『スパイが入る証よ』……って、俺らが入ってる時点でどうもねえだろ」
「噤め。
こやつは使える。存在自体が《シンシェ》の弱点となり得るわ。ならばこのまま泳がすのが得策よ」
「逃がすって言いな、『クラッセ』。下っ腹が疼いて疼いて、得体の知れないやつのもんに貫かれてとばしてえんだろ? お前はそういうとこからここに来たんだ」
「ぬかせ。貴様はそういうことしか言えぬのか。だからここまで落ちてくる……。
……ロルニとは穏便に別れたことにでもするか」
「クラッセ」はそう言うと青年の額に何かを描くような素振りを見せる。それを終えて彼が息を吹き掛けると、幾何学的な模様が現れ、そして脳に吸い込まれるように消えていく。
「終わったか?」
「ああ。問題ない」
「しっかし用心が過ぎるぜ、おい。さっさと面拝みゃいいのに一周り待つんだからなぁ……」
「馴染ませる必要があった。急いては効きが悪かったときの対処が面倒だ。それを怠って『サイグマ』は死んだ」
「『殺された』が正解だぜ?」
「……そうだな」
「クラッセ」はふわりと飛ぶと片割れの隣に着地する。まもなく青い陣が現れ、二人の姿ははじめからそこに無かったかのように消えた。




