ワミサで情報収集 死にたくない
「条件がある」
サクロの縋るような目に耐えられなくなった瀬良は、目の前の小さな少年に宣言する。
「なんでそれを聞くのか言え。じゃねえと俺が言うことがズレる可能性もある」
「……」
「言えねえなら終わりだ。俺はまたこの国の色んなところをまわって絵を描く旅に戻る」
何気なくこの場にいた理由をでっちあげ、瀬良はサクロの方を見た。
サクロは迷っているようだった。いや、それ以上に恥じていた。瀬良を警戒し第一撃を入れたその理由について、根源的なものを表に出すことを恐れていた。
その恐れは「教育」の成果ではない。生きる人間が普遍的に抱く感情だ。だが、それを「恥」とするのは教育の成果だった。
「……カオル様」
「ん?」
「カオル様は……正直に言ってくださいました。サクロの攻撃を、恐れたと……」
「あぁ、まあ……油断してたしな。ピストルも聞こえたし」
「……死にたくないんです」
サクロは深刻な表情で、消え入りそうな声で囁いた。そのたった一言を発するのに、まるでこの世の命運を握ることになってしまった絶望と、それを表に出す勇気が必要だったかのようだ。
その表情を保ったまま、しかし瀬良の方を見てサクロは言葉を続ける。
「サクロたちは九番までいました。サクロは八番目です」
「九人兄弟ってことか?」
「普通の人たちに沿って言うなら、そうです。
……今生きてるのは、六番、七番、サクロ、九番です。一番、三番、五番は、戦争で死にました。体みたいなのが戻ってきました……サクロたちは、それを埋めました。
四番は戦争から帰りました。怪我もしてなくて、とても嬉しかったです。でも、……サクロ達にに襲いかかりました。……二番と四番は、相打ちになりました。四番は壊れていました……『殺さないと殺される』『今日も殺さなきゃ終われない』『なんでまだ生きてるんだ、早く死んでくれ』……いっぱいそう言って泣き続けて、一番大きくて、戦争から帰ってきた二番じゃないと止められませんでした」
サクロはそこまで言うと悲しそうに微笑んだ。
「サクロは、死にたくないと思いました。戦争に行っても死ぬし、生きて帰って来ても、あの……死んでるんです。戦争に行く前の、元に戻れないんです。
……戦争に行くと死ぬから、サクロは勉強を頑張りました。すごく勉強を頑張ったら、戦場に行かないでよくなった人もいたって聞きます。でも……サクロはダメでした」
彼はそう言って肩を落とし、小さな声で呟く。
「死にたくない……」
それが彼のたった一つの望みだったのだ。だが、それは戦争をしているこのレアリムで軽々しく口に出していい言葉ではない。戦争をしている一番の理由が「死にたくない」という普遍的な望みを口に出すことを恥とさせる。
「……。えーと……あぁ、そうだ、六番と七番は?」
「……少し前にワミサを出ました。サクロは会おうとしました。会えるの、最期かもしれないから……」
「会えたのか?」
瀬良の質問にサクロは首を横に振る。
「サクロは遅すぎました。決めるのに迷ったんです。
……どうせ、罰を受けます。だったら迷わないで良かったんです。ロウ――、いえ、六番と七番に会えるのが最期かもしれないのに迷うから……迷ったから、会えませんでした。……悲しかったです」
「そうか。……んじゃ、最後の条件。六番と七番の名前は?」
「え……?」
瀬良の言った条件が理解できなかったサクロが顔を上げる。それを聞かれる意味が理解できなかったからだ。
いわゆる小作人の家系に生まれたサクロにとって、判断の基準はその主の地主にとって必要か否かだ。その地主は彼らを労力としか見ておらず、人数さえそろっていればいいとしていた。「サクロ」という名も学校で個人の識別に必要なため、その手続きの際地主が適当に思いついたものをそのまま使用している。
また、小作とならないで済んでいる一般市民にとって、その地位は下に見られていた。その主である地主に強いことは言えず、とはいえ溜まった不満をぶつけるのに彼らはちょうどよかったのだ。
そんな生まれであり、また周囲からの扱いもあってサクロは戸惑うことしかできなかった。
「別に嫌ならいいけどさ。けど、さっき名前呼びかけてただろ」
「……六番がロウミァ、七番がサルモ……」
「ローミアとサルモな」
「はい」
サクロが頷いた。彼は姉と兄の名前を聞かれるという前代未聞のことに内心混乱していた。自分たちの存在を知りたいと思う「人間」がいると思っていなかった。
そのため、「名前を聞く」という単純なことではあるが、目の前の男と同等の人間として扱われたことがサクロにとっては信じられなかった。彼は無言のまま、自分の胸に手を当てる。湧いてくる感情を整理し、結論付けた。
(……嬉しい……)
サクロはその感情を口には出さない。そう思うことを彼らは禁じられている。レアリムに生きる民としての役割を果たした後は、ターキッス=ロルニ・ヒ――ターキッス家でヒという名を付けられた小屋に住む家系の一員として、ロルニを作って生きていく。
サクロはその感情を噛み締めた。心に、いや、「彼」という誰にも侵されない、その存在自身に刻み付けていた。
「……あー、んで」
目をつむり、黙ったまま動かなくなったサクロに痺れを切らした瀬良が口を開いた。
「出た戦争と、どこで勉強してたかだっけ?」
「……はい。あの、よろしければ……」
「そうだなぁ……」
瀬良は遠くを見る。彼は意識して当時を思い出しているような雰囲気を出そうとした。
しかし、サクロが今求めている記憶はもちろん、経験も一切瀬良は持っていない。そのため、何か一言でも発すれば、それはサクロに嘘を教えるということになる。
嘘には「いい嘘」と「悪い嘘」がある、というのは誰もが聞いたことがあるだろう。「悪い嘘」というのは簡単だ。通常嘘と表現されるものは程度の差こそあれこれに当たる。そして、瀬良が今までついてきた嘘は、この「悪い嘘」だった。
死におびえる少年についていい嘘は何か――瀬良は内心自棄になり、「それっぽい」ことを言おうと決めた。子供だまし、きれいごと。そんな思いは無理矢理投げ捨てる。
「どこで勉強してたか、どの戦争に出たか。悪いがこれを教えるわけにはいかねえ。記録を調べたら出身地が分かるし、だいたいの年代もわかっちまう。それは俺的に困んだよ」
瀬良の説明にサクロは申し訳なさそうに頷いた。先ほど瀬良が母親が勘当されているとはいえ地主の家系であると言っていたことを覚えていたのだ。
「だから、まあ……戦場でどう思って、どう生きたかを話す。生き残りのそういう話ってなかなか聞けないだろ。みんな話したがんねえから。
つーわけでお前、サクロ。お前って友達いる?」
「……」
「いねえか?」
初手から間違ったと思った瀬良は挽回の一手を探る。だが、それを見つける前にサクロが口を開いた。
「相手がそう思ってるかは……」
「別にお前がダチだと思ってたらそいつでいい。……そうだ、間違っても『俺達友達だよな?』とか質問しない方いいぞ。『違う』って言われんのもキツいけど、『友達いたことない』って言われると結構傷つくからな。戦争行く前にわざわざ傷つく必要ねえから。本気で」
瀬良はサクロの肩に手を回しながら言った。彼の本心だ。
「で、その友達の顔。今想像できるか?」
「はい」
「……隣でさ、そいつが死んでいくんだよ。朝一緒に起きて、その前は一緒に寝て、ヘラヘラ笑ってたやつが。呆気なく」
瀬良はリレイの母リンダの言葉を引用しながら言う。普段は冷静で知性を感じさせていた彼女の、生身の叫びだった。細かなことは覚えていない。だが、だからこそ強く印象に残り、そして説得力があるように瀬良は感じていた。
「けど、それを嘆く? いや、悼む暇はない。なんだろうなぁ……遅効性なんだよ」
「遅効性?」
「あぁ。だってよ、生き残ったら強くなれんじゃん? けどさ、もっと早く強くなれたら友達死ななかったな、って後悔すんだよ。後悔できちまうんだよな……生き残ると。それが一番辛い。
だから『死にたくない』じゃなくて『死にたい』になんだよ。友達死んだのに自分は生きてんの申し訳なくて……もっと俺が強かったら……どうにかなったかもなって……」
「……」
「そ。だから友達一人でも多く作っとけ。んで生き残ったら傷を舐め合えばいいんだわ。
あと戦場じゃないとこに責任負うもんを作る。お前小作人ってことはつまり農業なんだろ? お前の責任で品種改良でも挑戦してみろよ」
「ヒンシュカイリョー?」
「より甘いとか、台風に強いとか。そういうのを作る。農業って収穫まで借金まみれになんだろ? 責任重大じゃねえか。妹だか弟もいるみてえだし」
「……」
「まあ俺は勘当された母親からひり出されて責任とか特にねえんだけど。逃げ回ってるし。
後悔はした。死にてえとも思った。けど生きてる。……死んだ友達の供養っつうか、どんなとこで生きてたのかなーって感じて色んなとこ回って、絵を描いてるよ。一ヶ所にいなくていいからちょうどいいし、なんだかんだでそこら辺で友達できるし」
瀬良は自分でそう言いながら内心反吐が出そうだった。もし同じことを言われたら「それは随分とオキレーな生き様ですね」と中指を立てて嘲笑したはずだ。もしこれを行う人間がいるとするならば、供養でも何でもなく自己満足だと瀬良は思う。「戦場以外の責任」とは言うがそれはただ単に目を反らしたという自白であり、薄情者ではありたくないからたまに会った同胞の前で既に塞がって存在を忘れていた古い傷跡を引っ掻いて、今でも痛みを感じていると演技する。それを定期的にすることで自分は痛みのわかる人間であろうとし、薄情ではないと安心する。そして、その古傷が鈍痛を訴えるまでそれを忘れる。
このときの瀬良はそう思って信じて疑わなかった。戦争を知らない彼の、出任せの言葉だったのだ。
「……あの」
「ん? どうした?」
自分で言ったことを自分で嘲笑していると悟られないような声色を作って瀬良は返事をした。それは上手くいき、サクロは瀬良の顔を見ながら答える。
「やっぱりサクロは……死にたくありません」
「……」
「……生きたい、です」
サクロが言っていることを成し遂げたときの結論は変わらない。だが、先ほどまでの恐怖に支配され、「死にたくない」という普遍的な恐れすら恥としていた彼とは既に違っていた。
「分かんないです。でも、サクロは生きたいんです。……死にたくないと同じですよね、これ」
「けど『生きたい』の方がポジティブじゃね?」
「どうなんでしょうか。やっぱりサクロは……分かんないです」
彼はそう言って笑った。声を出してサクロが笑うのは初めてだった。声変わりの気配を微塵も感じさせない鈴のような声で彼は笑う。
「そうか。んで、なんで俺に一撃入れたんだよ。死にたくないのはいいけど、俺を殺す気だったのか? こんな高い場所で意識失って落っこちたらどうしてくれたんだよ」
「それは……ごめんなさい。サクロを捕まえに来た人だと思って、サクロに気付いてなかったから……ごめんなさい! カオル様」
「要するに先手必勝な」
「たぶんです」
明るい顔でサクロは手に持ったままの飴を口に含んだ。転がされ、歯にぶつかってカラコロと音を立てる。
「そうだ、ローミアとサルモ。見つけたら声かけといてやるよ。どこに出兵したんだ?」
それは何気ない質問だった。ただ、今目の前にいる少年が慕う「カオル」としては知らなくてはいけないことだったからだ。
「えっと……くろ、クロッシェン」
「……」
「カオル様?」
「……悪ィ。あそこの酒、好きだったから」
「とても有名ですもんね。大旦那様も好きでした。作ろうとしたけど、土が駄目だったらしいです」
「そうか。歩いて行ったのか? まあまあ近いし、魔力節約的には……」
「いえ、魔法です。だって、クロッシェンは国境です。歩いて間に合わなかったらダメだし……だからサクロは間に合わなかったんです」
しゅん、という効果音が似合いそうな雰囲気でサクロは下を見た。
「そういえば、気になってました。聞いていいですか?」
「何?」
「『ピストル』ってなんですか? どういうのが聞こえたんですか?」
「拳銃の発砲音。……拳銃も知らねえか?」
サクロは頷いた。瀬良はそれによって説明の難易度が上がったのを感じた。
「なんつうかな……すげえ音がすんの。パーンッ、……近くに雷が落ちたみてえな音っつうのか……」
「そういう轟く音なんですか? サクロは聞きませんでした」
「轟く……のは違えかな。響く感じ……あ゛ークソ、スマホ使えりゃ一発なんだけどな……。
よしちょっと待ってろ。それっぽいのが鳴るか分かんねえけど、作ってみる」
瀬良はリュックを探ってもう一つのポケットティッシュのチラシを取り出した。記憶の端にあるそれは、高校生にもなってまさか使うとは思ってもいなかったものだ。
一分ほどで瀬良の目指したものは出来上がる。彼の手の中には三角形に折られたチラシがあった。
「それが『ピストル』『ケンジュ』ですか」
「いや、紙鉄砲。多分折り方はこれであってる」
それの正体を問われる前に、瀬良は思いきりその腕を振り下ろした。




