ワミサで情報収集 ……が、人がいない
「……」
瀬良は移動を続け、ついに軍の施設と思われる場所を一望できるだろう場所に辿り着いていた。「だろう」というのは高い建物に阻まれて敷地の中心地を見ることが現段階ではできないためだ。
高い建物に視界を遮られているのならばどうすればいいか。答えは至ってシンプルで、視点をさらに高いところに移動すればいい。幸い今の瀬良は山の中におり、ある程度の高さは確保している。だが、これ以上の高さを得るために今すぐできることは二つしかなく、そのどちらにも難点があった。
一つ目は山を登るということだ。そうすれば必然的に視点は高くなり、隠された中心地を見ることができるだろう。難点は距離が遠くなり細部を確認することが今以上にできなくなることと、高山病の症状の記憶が瀬良をかなり躊躇させることだ。
二つ目は木に登ることだ。目的地からの距離はほとんどそのままで高さを得ることができる。だが、瀬良は今まで木登りをした経験がない。加えて木に登り高さを確保し軍の施設を見るのは、同時に軍の側からも瀬良が見ていることを確認できるということだ。それは逃げ場を自ら切り捨てることに他ならない。
「……幅跳び、何メートルだっけな」
学年の初めの体育の授業を瀬良は思い出そうとするが、具体的な数値まで彼は思い出せない。数値的には優秀な部類に入っていたような記憶はあるが、それは決して「一位」ではなかった。今まで部活に所属したことのない彼をその成績から、そして高校入学以降は「更生」というたった二文字の実績ほしさに勧誘してくる顧問もいたが、それも最早昔のことと言えるくらいには受けていなかった。
(……)
瀬良は無言で目の前にある木と背後の斜面を交互に見た。麻辺に情報収集をしてくると宣言した手前、収穫ゼロで帰ることは何としても避けなくてはいけなかった。ワミサを構成する市民を軍関係者を「官」、それ以外を「民」とした場合、「民」の部分で得られそうなものは今のところないのだ。先程の発砲音らしきものの正体がわかれば情報となるが、今の瀬良にそれを探るための手段は思いつかない。
彼はもう一度、その場から軍の施設の中が見えないか挑戦した。周囲を守る者は皆無であり、ただ高い建物が視界を遮っているだけである。だが、それだけのことで彼が望むものは何一つ得ることができなかった。
「……っし!」
瀬良は覚悟を決めた。
できるだけ丈夫そうであり、なおかつ葉の多い木を選ぶとその幹に手をかけた。彼は山を登っていくことを選択せず、目の前のそれに挑戦することを選んだ。経験がないからこその集中力で、彼は余計なことを考えずに済んだ。
はじめは勝手なイメージで両手で幹を抱えるようにして登る方向、登る力をコントロールし全身の力で上を目指していたが、すぐにそれは非効率だと瀬良の身体は判断した。すぐに足の力のみで登り、腕は体が離れすぎないようにする補助的な役割に切り替えた。それが瀬良の体格や性質に合っていたのか、初めての割にはすいすいと登っていき、建物の高さが気にならない程度の木の枝に彼は立つ。
「……コツが分かると意外と何でもねえんだな……」
枝が折れないか気にしつつ彼は下を見る。登ってきた高さを確認すると、彼は一人そう呟いた。何の手助けやヒントもなしに、ただ挑戦して感じた不都合を無意識に訂正し、最適なものにできるだけのセンスを彼は持っていたのだ。
彼はリュックから袋が破けたポケットティッシュを取り出した。目的はそれに入っている、普段ならその内容を気にも留めない、むしろその内容によっては不快の種ともなる「チラシ」だった。新装開店、と日本で瀬良が過ごした最後の日の約一年半前の日付が書かれたそれを彼は広げる。予想通りその裏面は無地だった。
(スマホが生きてりゃなあ……絵とか図工しかやってきてねえのに……)
そう思いながら瀬良はチラシに筆を――否、粘土を走らせる。太陽の位置とその影を初めにメモし、次いで建物の位置をできるだけ正確に描いていく。唯一描かないことを意識したのはその距離だ。瀬良は正確な距離の見当がつかないし、それをある程度幅を持たせていたとしても先入観として刻まれることを避けるためだ。
どのくらい時間がたったか。瀬良はその絵のクオリティを上げることに熱中していた。クオリティと言っても細部を書き込むということではない。ただ、必要な情報をできるだけシンプルに、そして様々な視点で物事を見ようとしていた。
彼は視界を前面に広く持っていた。それを意識していた。
だから気が付かなかった。
「ハァッ‼」
抑えた、しかし勇ましい声と共に瀬良の意識は揺れる。
「な、ぐッ」
「あっ、やだ! やめて‼」
鉄の味を感じながら瀬良は無意識にその衝撃の元を掴み、それを木の幹に押し付けその腹に膝を叩き込む。反射的にそれを行ったせいで粘土の小粒が落ち、それは今の彼らの位置からは判別することができなくなった。
「う……クソ、脳震盪……」
瀬良は揺れる意識を根性で保ちながらチラシはポケットに突っ込み、衝撃の元の持ち主を睨む。焦点の定まらない状態で彼の瞳は揺れ続けそれを捉えられないが、相手を威圧するのには事足りた。
瀬良の意識が定まり視界が整ってきて目に入ったのは、まだ線の細い「少年」であった。オリーブ色の肌に、カールしたこげ茶色の髪。瞳は青みがかった緑色で、目の形はアーモンドのようだ。むせ返り、こみ上げてくるものを何とか耐えているようだ。そんな状態で警戒をあからさまに見せているが、それでも恐怖を隠すことはできていない。
それは当然のことだった。その少年は瀬良との身長差が頭一つどころではない。頭二つであり、また体格も大人と子供という表現ですら生ぬるいと思えるようなものだ。そんな体格差に瀬良も一瞬たじろぐ。明らかに年下の人間に意志を持って暴力をふるえるような人間ではないためだ。
「……」
「……」
「……誰だ? なんのために俺を狙った?」
「……」
「どうせ脱走してきたんだろ。チクってやろうか、おい。ボスのとこまで案内しろよ」
瀬良の最後の脅迫は本心ではない。それを遂げることが不可能だということは彼自身が一番理解している。ただ、そういわれるのが嫌だろうという彼なりの直感だ。
もし「脱走はどこからか」と問い返されれば瀬良は答えに詰まった。「どこにチクるのか」という問いも同様だ。そもそも「スパイ」であるとか、とにかくその出自を問われれば瀬良に勝利の道筋は無くなる。
瀬良の直感は当たっていた。瀬良に動きを封じられている少年はボロボロと涙をこぼし始める。泣くまいと、そして「敵」に後れを取るまいとその唇をかみしめているが、ただ無意味なことである。
「……っ、ひ、ッ……」
「は? え、あ、……はあぁ?」
言い返す・怒る・嘘を言う・攻撃を仕掛ける――……瀬良の頭の中にあった少年の反応に「泣く」というものは入っていなかった。その予想外の反応に瀬良は慌てる。
「腹痛かったか? いや痛えよな、マジ蹴りしちまったし……ごめん。悪かった。
あー、まー……よし、正直に言う、ビビったんだよ。ちょっと前にピストルっぽい音聞こえたし……敵だったら俺はまあ……弱い方だし?」
魔法が使えないから、という言葉を瀬良は飲み込んだ。わざわざ弱点を知らせることをする必要はないと思い直したからだ。
「うぅぅ……ッ、……っく、う、ァあ……」
だが、その少年は泣き止まない。瀬良は途方に暮れて軍の施設の方を見た。
「……落ちついたか」
「うん……」
涙の跡が見える少年の口の中からはころころと固いものが転がるような音が漏れる。
少年が泣き始めてから瀬良の体感的には一時間、実際には三十分ほど。瀬良はふとリュックの中身を思い出し、溶けて、かつ砕けた飴を一粒少年に差し出した。毒を警戒しているらしい少年に瀬良は砕けたうちの一かけらを口に含んでみせた。
少年はそれを見ても十分は悩んだ。いや、瀬良を観察していた。毒であれば瀬良がそれに対して何らかのアクションをすると思っていたのだ。速効性であればそれを吐き出し、遅効性であれば何らかの解毒剤を口に含むと信じ、その瞬間を見逃すまいとしていた。だが、瀬良がした動きはたった一つ、時間がたつにつれ上がってきた気温に対応するため、長い袖を肩までまくっただけである。
少年はそれに拍子抜けすると同時に、目の前の男を尊敬の目で見た。その男の身体には傷らしい傷が一つも無かったからだ。瀬良が異世界から来た人間だと少年は知らない。ただ、戦場に出ることが当たり前のレアリムの人間として、その男は傷一つ追わなかったという事実が尊敬に値すると感じていたからだ。
そんな尊敬できる男から貰った、赤く透き通った、少しだけ粘ついている固形物を少年は口に含む。広がる甘い味に少年はほっと気を緩めた。
そんな少年のことを見て瀬良も心の荷が下りた気がした。そして、警戒を続けていた少年をからかうように一言発し、少年もそれに少しだけ笑いながら返事をしたのだ。
「で、お前誰だよ。なんの恨みで俺に脳震盪起こさせた」
「サクロ。サクロ・ターキッス=ロルニ・ヒ。ターキッス家から土地をお借りしてロルニを育ててる家の生まれです」
「ロルニ?」
「あの、果物です。僕は分かんないんですけど、ご身分が良い人が食べるみたいです」
「よく分かんねえけど、要するに小作人か?」
「コサクニン……?」
「あー……なんかデカい土地持ってる脂ぎったオッサンから土地借りて、米……とかまー食えるもん作って、その作ったもんの一部をレンタル料金にして納める感じのやつ」
「そうです、そういうのです。あ、ターキッス様は脂ぎってません! あの、あなたもそういう生まれなんですか?」
少年――サクロは期待を込めて言う。
「いや、俺は違う」
「そうですか……」
瀬良の答えに少年は落胆を隠さずに答える。先程まであった明るさもすっかり消え失せてしまっていた。瀬良は少年の方向を向いていたが、今は自分たちが登っている木に近く生えている木々を観察していた。そのため彼は何の気なしに言葉を続ける。
「つうか血筋的には小作人を使う方らしいんだけどな、なんつったっけ……。あぁそうだ、地主。田舎にけっこうデカい土地があって女中もいるらしい」
「……」
「けど母親勘当されてっからよく分かんねえわ。会ったこともねえ祖父さんの遺産は俺の中学でほとんど消えたらしいし……ほんと無駄金だな……。親父のは入ってきてねえだろう。……まあフツーの一般人だ、俺は」
瀬良はそう言うと木の枝に座る。情報収集の手段をサクロに定めたからだ。立ったままでいては解散もしやすく、何か不都合があれば「そろそろ時間だから」というあからさまな、しかし否定し辛い言い訳と共にこの会合は解かれてしまう。
瀬良はリュックからもう一粒飴を取り出し、サクロに差し出した。立ったままの彼の手の位置よりわずかに低く、屈まなければ取れない位置だ。サクロは瀬良のそれに乗り、今度は紫に透き通ったそれを手に取り、座った。
「で、俺の情報は開示した。……いや、名前まだか。名前は薫だ。出身地ばれねえように苗字は教えねえぞ」
瀬良がそう言ったのは彼の知るレアリムでの苗字がその土地の長か、そこに仕える役職付きの人間しか名乗っていなかったからだ。クロッシェンでの日々を思い出しても一般市民の彼らは基本的に名前で呼んでいた。それか「ラオタイ三区の二番目の息子」というように、とにかく苗字というものは希薄で、むしろ覚えがない。
「はい、カオル様ですね。姓は聞かないでおきます。姓を名乗ると出身地が知れてしまうというのは、つまりそういうことですもんね」
「あー……」
瀬良はほんの十秒前の発言を後悔する。所謂上流階級しか姓を名乗らなかったところまでは考えていたのに、それと出身地を名乗らないことを結び付けていなかったのだ。だが、彼はそれにすぐに気づくと軌道修正にかかった。
「おう、助かる。勘当されてるとはいえ息子、いや、当主にとっちゃ孫だ。しかも男孫。これ以上は言わねえからな」
「はい……。でも、そういうお生まれでありながら市井でお育ちということは、あの……どちらで学ばれました?」
「あ?」
「どの戦争に出ましたか? あの、怖くありませんでしたか⁈」
「……」
瀬良は言葉を失う。答えるものを何一つ持っていなかったからだ。
日本からこの異世界に来た彼は、こちらでは何も学んでいない。戦争も当然ながら参加していない。想像で物を語ろうにも限界を感じるのだ。
「カオル様……?」
怯えと、それ以上の情けを乞う姿勢を感じ、瀬良は大きく息を吐いた。




