人間発見! って、死んでる……?
「んんっ……んー……?」
「……あ、おはようございます……」
「麻辺? なんでおま……あそっか、俺ら事故って……ん? 朝?」
あくびをしながら起き上がった瀬良は周囲を見渡す。一番の違いである、雲こそ多いものの青い空と、それによって太陽が顔を見せたことにより確認できる景色から朝になったと判断しての発言だ。
「……俺三時間で起こせっつわなかったか?」
「あー……言われたんで起こしたら、えっと……『もっと寝かせろ、つか起こすな』って……それで……まあ一応……あ、今七時半です」
「あっそ。すげえ寝た……小便してくるわ。そのまま動かねえで待ってろ」
瀬良は釈然としない気持ちのまま麻辺から離れる。確かに自分の言いそうなことではあるが、それを麻辺が律義に守る理由が分からなかったのだ。
確かに彼は麻辺を悪友と共に虐めている。だが、麻辺はそれに対しては特に委縮する様子を見せず、戸惑いつつもただ受け流しているだけなのだ。他人を巻き込むこと――「武井でオナれ」「老夫婦が営むコンビニで万引きしろ」など――も、態度はどうであれ麻辺は拒み続けている。結果として時間切れで解散させられたり、ならばと暴力の方向に切り替えたりはするのだが――
(せめて怯えりゃどうとでもなぁ……泣いて謝りゃその内飽きるんだけどな……)
瀬良はそうなることを知っている。高校でも今は麻辺が唯一暴力を伴ういじめを受けている被害者だが、彼が入学する以前は何人も殴ってきた、というのを今属するグループの先輩に伝え聞いていた。
「はぁ……っ、虐めてる俺が気にすることじゃねえか……」
用を足し終えた瀬良が麻辺の元に戻ると、その麻辺は瀬良の記憶と一寸たりとも変わっていないように見えた。それに一瞬だけ気味の悪さを感じるも、瀬良はすぐに切り替えた。
「んで、なんかあったか?」
「あ……っと、えっと、別に……何もないです……」
「チッ……。まだ圏外か……位置情報もバグってんな……じゃあ、適当に行くか」
「あ……はい」
「……」
従順な麻辺を一瞬だけ見て、瀬良は歩き始めた。アルバイト先に置いていた教科書類の持ち帰りを命じられ渋々入れてきたリュックは、苦しくはないものの重かった。
(弁当がめてくりゃ良かった……いや、こんな暑けりゃ腐っちまうか……?)
瀬良は夕食はいつも家に帰ってから食べていた。そのため襲ってくる空腹も、彼の体力を奪っていく。特に喉の渇きは深刻で、なんとか唾でごまかそうとはするもののその唾すら湧いてこない始末だ。上がっていく気温によって流れ出る汗をなめるものの、それは渇きを癒すのには到底足りなかった。
「……クソ……あぁー……くっそ……」
瀬良の口からは誰にでもない罵倒が漏れている。
それを麻辺は三歩後ろから眺めていた。目の前の人間に声をかけたところでどうにもならないことを彼は予測していた。むしろ、もし暴力という手段を使わせてしまったら瀬良は余計な体力を消費することになり、それは好ましくないことだという風に判断する。
二人の間に会話は無く、ただひたすら歩き続けた。
麻辺が腕時計を見ると、既に時刻は十二時を過ぎていた。つまり、五時間歩き通しなのだ。
瀬良は相手のいない罵倒は数時間前に止め、今は無言である。そして、苛立ちも増している。
完全に無言になった二人の道中には新たな音が加わっており、それは腹の虫だった。それは当然だった。瀬良は昨日の昼食を食べてから何も口にしていないし、麻辺は学校から帰宅後に煎餅を一枚食べただけだった。
そんな時だ。麻辺はふと自分たちがまっすぐ進むと決めたそこからでは視界のギリギリの場所に「何か」があるのに気が付いた。彼は立ち止まり目を凝らす。
「あっ」
「んだよ……なんかあったか?」
「えっと、あの……あれ……」
麻辺の指さす方――その指先を正直に見ればほんの数メートル先の地面だから、まっすぐ伸ばしたら示されるであろう場所――を瀬良も見る。
今までの青々とした草原とは明らかに違う「何か」がそこにあった。岩というには小さすぎて、切り株というには色鮮やかだ。獣というには獰猛さは感じられない。
瀬良はスマートフォンを取り出すとカメラを起動した。そのままできるかぎりズームし、「何か」の正体を探ることにしたのだ。
「……人か? 麻辺、どうよ」
「……」
「……」
「……」
「なんか言えや」
瀬良は麻辺の脛を蹴る。
「っ……えと、あの、正確には……近づき、ますか?」
「いや待て……補正するわ」
ズーム特有のぼやけた画面を瀬良はカメラで撮る。それをカメラ自体が持っている補正機能でなんとか正常な判断ができるまでにした。それを見て麻辺に端末を差し出す。麻辺は一瞬その意味が分からなかったようだが、自分がそれに触ってもいいという意味だと理解すると、おずおずと両手を差し出した。
瀬良は両手でスマートフォンを持ったまま固まっている状態の麻辺に呆れながら、画面にうつったものを解説する。
「……これが足……ケツ……で、奥のが頭……で……」
そこで瀬良は言葉を切った。自分の解説に麻辺が頷いておりそれが正しいのだという証明は、今これから言おうとすることも正しいと暗に認めなくてはいけないからだ。
瀬良は数度深呼吸する。その間に麻辺が自分の言葉を引き継がないかという期待がわずかにあったが、その麻辺は相変わらずだんまりだ。そして、瀬良は自分が「麻辺に期待していた」という事実を自覚した瞬間、彼の芯がカァッと熱くなった。
「行くぞ!」
「えっ……」
「死んでんだろ! 死んでなくてもぶっ殺す‼」
「あの、せめて話はきいてからに……」
(『殺すな』じゃねえのかよ!)
心の中でそんなツッコミをしながら瀬良は怒りと恥ずかしさを置き去るように大股で進んでいく。最後の方はほとんど走っていた。瀬良が「それ」の元に辿り着いて三十秒後に、息を切らせた麻辺が追いつく。
画面にうつし出されていたのは、そして今二人の足元にいるのは足をこちらに向け倒れている少女だった。年は十代前半で白い肌に栗色の髪の毛をしている。彼女は四肢を、いや、三肢を投げ出していた。残りの一肢である右腕は、肩と肘のちょうど中間であろう場所から無くなっている。彼女は止血と同時に力尽きたのか、右肩には布がきつく巻かれていた。
「……はぁぁ……」
瀬良は何度めかのため息をつく。やっと見つけた人間がまさかの状態であり、手掛かりは無に等しい状態だと言えるからだ。少々遠慮気味に少女の体を触り、生きているか確認している麻辺に対しても呆れしか湧いてこない。
麻辺は瀬良の視線をうなじのあたりに感じながら、少女が生きているかを確認する。呼吸はわずかではあるが、それでも規則的に行っていた。体温は夜の寒さで下がってはいるようだが、それでもこのまま暑い日差しに晒されれば何とか持ちこたえられるだろう、と彼は判断する。
「あの……瀬良君……」
「んだよ」
「えっと、あのこの子……生きてるんですけど……あ……どうします?」
「……」
「……」
「俺に決めろってか」
「まあ……僕はどっちでもいいかなって……」
「……」
(見殺しにするも生かすも俺次第かよ。そりゃ、ぶっ殺すっつったのは俺だけどよ……!)
瀬良は心の中で舌打ちした。この少女の生殺与奪の権をまさか自分が握るとまでは思っていなかったのだ。
(つか、俺に任せんなら『生きてる』なんて言うなよ……そう言われて置いてけとか言えるわけねえだろ……)
「連れてく……けど、お前がコイツ運べ。俺は自分の荷物あっからな」
「あはい……うん、運ぶくらいなら……」
「……」
「少女を運べ」というのは小さな嫌がらせのつもりだったが、麻辺はそれを当然のように受け入れた。不平一つ漏らさない彼に瀬良は今度は本当に舌打ちする。それに対して麻辺が怯えたように身を震わせたので、瀬良は少しだけ気分が晴れ、我ながら単純だと思い直す。
麻辺はその舌打ちの主が瀬良であること、そしてこの状況で自分に暴力を振るうほど彼は馬鹿ではないことを知っているから、心の中で三つ数えると平静を取り戻した。そして少女の最大の問題である、切断された右腕を見た。
これを切断した者は余程腕がよかったのだろう。一直線に、躊躇いなくそれは斬られていた。麻辺はそこを観察すると、彼女が必死に結んだであろう肩の布をほどく。
「おい!」
それを見た瀬良は反射的に麻辺の襟をつかみ、引いた。「ヒュッ」という喉が絞まる音がしたが、瀬良はそれは当然のことだとどこか冷静な場所で思う。
「……いやえっと、え?」
「止血だろそれ!」
「それは……うん、僕も分かってるつもりですけど……」
ぽかんとした表情のまま、麻辺は瀬良と少女の間で視線を往復させる。なぜ止められたのか分からない、といった表情だ。そんな麻辺が信じられない瀬良は吐き捨てるように言った。
「止血してんのに何でほどくんだよ、お前コイツを殺してえのか」
「え? ……いや、別に僕は……あの、この子のことそこまで知らないし……。いや、あの、……えっと……保健の授業で……こういう止血方法は……時々血を出させないと壊死するみたいな……」
「……」
「……すいません。……死んだら僕の責任で」
じわじわと血がしみだしてきたことを確認した麻辺が、少女の肩に布を巻き直す。それを瀬良はただ黙って見ていた。記憶の端に授業でそんなことを聞いたような気がして、真っ向から反論する術を失ったからだ。
止血が完全に行われると、麻辺は一言、小さく謝ってから少女を背負った。十七歳の彼とその少女は頭半分ほどしか違いが無かった。そのため覚束ない足取りで、先を大股で行く瀬良の後を追う形になった。




