ワミサで情報収集 瀬良が単独行動
「戻ったぞ」
瀬良がそう言いながら部屋の扉を開けたのは既に太陽が隠れた時間帯、ちょうど昨晩三人がこの部屋に辿りついたのと同じころだった。
リレイはベッドの端で眠っている。麻辺はと言えば、彼も自分の与えられたベッドに腰かけていた。瀬良はそれに異様さを覚えるが、彼は口に出さないことを選んだ。
「……、あっ、お、お帰りなさい」
まさか瀬良から「帰った」という宣言を聞くとは思ってもいなかった麻辺はかなりの沈黙が続いた後にこう返した。そして彼はしばらくぶりにベッドから動く。瀬良が背負っていたリュックを受け取ろうとしたためだったが、その目的物は持ち主に放り投げられて宙を飛んで行った。音を立ててそれはベッドに沈み、加えて初めからそこに陣取っていた複数の書籍が床に落ちた。
「とりあえず分かったのはここのガラガラ具合の理由だな。それでも聞くか?」
「あ……はい。お願いします」
「リレイは?」
「えっと、ご飯の時は起きてます。あと、あの、トイレの時も。……あ、トイレの時間言った方がいいですか? あの、大体のなら……あと、日本時間ですけど、あの……」
「コイツの糞事情はどうでもいいんだよ。つか興味ねえし知りたくもねえ」
「あ……はい。すいません」
「一番きついのリレイだろうけどな」
瀬良は顎で眠ったままのリレイを指す。その動きに誘われて麻辺も彼女の方を見るが、瀬良の言う「きつい」の意味を彼は理解できず、やはり首をかしげるだけに終わった。
「んじゃ、さっさと情報共有だ」
警棒を左手で弄びながら、瀬良は腰かけピッチャーを手に取って自分のグラスに水を注いだ。
時は、今日の朝までさかのぼる。
「リレイ起きてたのか」
「はい。あの、ほんの少しですけど」
「けど次の目的地に関しては何も言わなかった」
「はい。あの、僕が『少し情報収集する』ってあの、言ったからだと」
「じゃあお前のせいじゃねえか」
「あ……すいません……」
日本時間で六時十七分。これが午前か午後かはわからない。またこのレアリムという異世界の一日が二十四時間なのかも二人は理解できていない。単純に知ろうとしなかったのだ。
そのため誤差はあれどもほんの僅かだということを暗に頭に刻みながら二人は朝食をとっていた、この朝食はドワーフが運んできたものではなく、テーブルに突如現れた魔法陣から出現したのだ。それは万華鏡の中の世界が変わりゆく様のようにジワリと動き、ピントが合った刹那後に食事が現れた。
《ロザ》の業抱隊が現れたそれと同じだとは断言できず、また昨晩老婆が荷車をこの部屋に運ぶために呼び出したものと同一とも断言できなかった。そのためこれに関して二人は頭の中にとどめておくことを選択した。具体的な解決策が見つけられなかったためだ。
「ったく……警備隊長が地図出させんじゃなかったのかよ……」
こんがりと焼いたパンに分厚い肉――豚の角煮に近いが、もっと繊維質でハーブの香りが強い――が乗せられたものを頬張りながら瀬良は呟く。
麻辺はその言葉に俯き、瀬良の姿が視界に入らないよう無意識に動いた。瀬良が言った通り自分が「情報収集」のことをリレイに言わなければオーガスタの暗示が目的地を伝えたような気がしてならなかったのだ。
ただ、麻辺は無表情だった。もし彼が表情がころころ変わる、クラスでも中心的な役割を持つ明るい少年だったらその俯きで心情を察することができただろう。だが現実の彼は、表情筋が役割を放棄したと百人に言ったら百一人が信じるくらいに無表情だ。また何かを話す時には視線を基本的には合わせない。相手のあごの先や肩、爪先を見ているから視線が下を向いているのもいつものことだ。
そのため彼の後悔を推し測る人間はいない。いたとしても自分の都合のよい解釈を当てはめ、彼にそれに則った行動を求めただろう。
「はー……んじゃせっかくだ。情報収集すっか。お前留守番」
瀬良は豆と根菜のスープを流し込むと立ち上がり、麻辺の返事を聞こうともせずに荷車に向かう。彼は持ち手に一番近い所に置いていた自分のリュックを手に取るとさっさとベッドに移動し、その中身をマットレスの上に並べていく。
彼がリュックから出したのは教科書類だ。それらは持ち運ぶのには重すぎる。
「リレイが強か……んん……わいせつな行為? ……つかお前昨日、せっかく俺がぼかしたのに普通に『強姦』っつったよな」
「あー……言いましたね」
「バカだと思うぞ。女将が女でよかったな、良い感じに同情誘えた。
とりあえず、まあ、そうされてもまあ……いいのか……? ……。とりあえず俺の教科書盗まれないように見張っとけ。盗まれたらお前の金で買い戻せ。じゃあ行くわ、飽きたら戻る」
そしてやはり、麻辺の返事を聞くこともせずに瀬良は部屋から出た。階段を下りるときに老婆に出会うのではないかと彼は覚悟していたが、その家は不気味なまでに静かだった。生活の気配を全く感じることができないことに瀬良は違和感を抱くが、それを解決する方法も彼には分からない。
瀬良がいくら日本で「不良」と呼ばれる人種であったとしても、そのベースは戦争のない平和な国で育ってきた日本人だ。人が一人殺されればニュースとなり、自衛の道具を常に携帯している人間は数えるほどしかいない、そんな国である。腰に隠した警棒を片手に老婆の生活区域に荒々しく踏み入り、問答無用で数発殴り言うことを聞かせる――という発想は瀬良にはない。
(でけえな。さすが外国……じゃなくて、異世界)
正面から外に出た瀬良はふりかえってそう思う。この建物の主が老婆であり、彼女の子供たちはこの家から離れたということを納得させるような外観であった。既に暗くなった時間帯でも「ボロい」と瀬良は感じていたが、朝日がある今それはより克明に感じられたのだ。
(ボロレンガ、んで軍の施設っぽいのもボロレンガ……じゃねえな、建て直されてる)
「軍の施設らしきもの」だと瀬良が分かったのは、単純にそれらが新しかったからだ。たった今彼が出てきた建物やその周辺はよく言えば歴史を感じさせ、ありのままに言えば手入れが行き届いていない。
軍の町であるワミサが軍に関連するものを優先的に改良していくことは決しておかしなことではない。加えてほとんど同じ形の建物が規則的に並び、その中心には大きく堅牢であることが一目でわかる建物があった。またところどころ広く――田舎の小学校の校庭くらいの広さだ――空間が空いているとなれば、その一帯が軍の施設であると判断して差し支えない。実際その建物が、否、この町全体が隠そうともせずにそう自ら告白していた。
瀬良は軍の施設に近づく。もし見つけられても走って逃げるか、交戦となっても距離と時間を稼げる程度には離れていたが。
(堀はねえんだな……それなりに国境近くねえ? 攻められたらどうすんだ? ここの兵士は捨て駒か?)
瀬良は歩きながらそう考える。
彼はこのワミサという土地の性質を知らない。食料となる草葉はついに生えることなく、今でも先住民とその主が幅を利かせている。山々に囲まれた天然の要塞となっていることもだ。だが、地形的に山に囲まれている状態のクロッシェンではその領地内に湧泉が複数あることも手伝って、その主の館をゆるくではあるが水が囲んでいた。「堀」と断じることはできないが、それでもほんの短時間、外敵の歩兵の侵攻を阻むことはできる。
ワミサにはそれがない。そのため瀬良が「捨て駒」と思うことも責めることはできない。
(情報収集……軍は後回しだな)
瀬良は情報収集の第一段階として、このワミサの地に住む一般人に話を聞くことにした。軍の施設は中に入るだけでも手続きが必要そうだと感じ、そうであれば身よりの無い瀬良は直ちに不審者である。また、施設に出入りする業者などと言葉を交わし仲が深まれば、その手伝いとして入り込むことも可能だと思ったのだ。
「……しっかし、人いねえなコレ」
瀬良の呟きは風に飲まれて消えていく。ワミサは静まりかえっていた。ただ外に活気がないというだけではない。朝という時間帯故に家の中で家族と団らんの時を過ごしているという訳でもなさそうだった。
家々から漏れ出てくる人びとの声はない。
その煙突から吐き出される煙もない。
「……」
彼は無言のまま三十分歩き続け、ついに山の麓にたどり着いた。足場が悪くなっていくこと、また視界の先に青々とした山がありそれしか見えないことから薄々勘づいていたことだが、実際それを目の当たりにすると些か落胆する。
やはり人の気配はない。
(なんだかんだで今疲れてんだよなあ)
瀬良の脳裏によぎるのは高山病である。もちろんその症状が出始めるような高さまで彼は登る必要はない。だが、高山病という名前が今の瀬良の頭の中にはない。つまり知識はない状態で、体調が悪化した経験だけがある。動物的本能ではそれを避けるが、人間的理性ではその必要性を理解する。
「……必要だよな、よし。仕方ねえ」
瀬良は人間的理性を勝利させ決心して一歩、山の始まりに足を踏み入れた。
どうやらその山は人が通るらしい。整備された道とはいえないが、獣道というには上等すぎるくらいのものがある。瀬良はかなり大柄な人間ではあるが、それでも彼が余裕を持って歩いても尚その幅は余る。彼と同じくらいの体格の人間がもう一人、お互いに気遣いからその体をわずかに斜めにすれば滞りなくすれちがえる程度の広さだ。
彼はその道の通りに歩を進める。それは現在宿泊している宿からはもちろん昨日宿泊を断られた建物たちがある一帯から離れていく。反対に、いや当然に軍の建物に近づいていった。
(……仕方ねえか。つか、宿見つけんので麻辺に後手に回っ……)
「最悪」
昨晩の記憶が蘇り、瀬良の口から自然とその単語が飛び出す。
「……」
彼は頭をブンブンと振る。結っていない金髪がそれに合わせて同じように、そして激しく動いた。瀬良がそれをやめたのはわずかに酔いを感じ始めたときだ。
タターン、と。
陸上競技のスタートを合図するような音が静寂を貫いた。
(ピストル――!)
瀬良は彼の持てる経験、記憶からそう判断して反射的に木の陰に隠れる。だが、その音源がどこかは分からない。つまり、隠れたつもりでその身体を敵に見せつけている可能性もあるのだ。
だが、瀬良にその考えはない。彼はその場から動こうともせず、また身を屈めようともしない。ただその音の直前まで彼がいた場所からの死角に隠れ、次の動きを警戒する。
「……」
どれくらいそうしていたか。
辺りを包んでいるのは静寂だ。瀬良は緊張を保ちながらゆっくりと動く。その足取りは確かだが、スピードはまるで初めての一歩を踏み出した赤ん坊よりも遅く、また同時に頼りなかった。一歩、また一歩と進み、通常時であればどんなに長く見積もっても五秒で移動する距離を、今の瀬良はたっぷり一分使って移動した。その歩みは、もしこのレアリムという異世界に狙撃手がいたら、そして彼あるいは彼女が瀬良の敵であったならば、呼吸と同じようにその仕事を終え、そして失望しただろう。
警戒心を残しながらも瀬良がいつものような歩幅で、そしていつものような速さで歩き始めたのは十五分後であり、距離にして五十メートルを進んだ後だった。時刻の確認はスマートフォンで済ませていた彼は時計を持っていない。そのため彼は自分がどのくらいそれをしていたか理解することはできなかった。
もしここが戦場なら、彼は死んでいた。
(発砲されて、誰も出てこねえ……慣れてんのか。それとも軍、なのか……。
いや、今更ビビってんじゃねえ! 軍の方まで行ってやる! 乗っ取る勢いで色々やってやろうじゃねえか!)
瀬良はそう決意し進んでいく。その足取りは勇ましく、同時に自棄でもあった。自らが感じた己の失態を挽回しようと状況の確認や根回しを一切せず、目先のことばかりを考えて突き進む「悲しい事故死」の宿命を背負った人間のそれと同じだった。
発砲音を敵襲の合図とし、安全な、あるいは己の人生の終末にふさわしい建物の中にいるという選択を想像することが彼はできない。
敵襲を警戒し、本拠地に戻り対策を練り状況を打破するという選択もできない。
よく言えば怖いもの知らず、悪く言えば無謀。
そんな状態の瀬良は一歩一歩軍の方向を目指した。




