休憩
「ベッドだ……埃くせっ、でもベッドだ……!」
老婆の魔法――ドワーフのような見た目の、膝の高さくらいまでしかないにも関わらず屈強な髭面の男性――に案内され部屋に辿りついた瀬良はすぐさまベッドに倒れ込んで感想を述べる。とはいってもそのにおいを指摘する前に老婆の魔法が消えているかを確認するだけの余裕は持っていた。
それが消えて三十秒、ブン、という大きな機械が移動するような音と共に部屋の隅に魔法陣が現れ、一瞬の間をおいて荷車が出現する。
「お、すげえ」
短く、それでいて的確な瀬良の感想を背中に聞きながら麻辺は荷車に駆け寄った。リレイは最後、屋外で見た時と何一つ変わらない様子である。麻辺はその少女を慣れた手つきで背負うと、一つ離されているベッドに寝かせる。眠っている彼女の身体はやはり美術品のように麻辺は感じた。こう称すると性的な対象と見ていると勘違いされやすいが、麻辺にその感情は皆無であり、ただ秘境の中でもひっそりとした場所で、管理人がたった一人で運営している美術館にあるようなもののように感じていたのだ。
「疲れたー、腕パンッパ……待て麻辺。俺そっちに寝る。お前と近くで寝るのはごめんだ」
「え……あ、そうですよね。すいません……」
ある程度ベッドの感覚を楽しんだのか起き上がった瀬良が麻辺の方を見て、そしてこの部屋の様子を見回してから静かな口調で言う。
三人は一つの部屋で眠ることになっていた。いくら魔法を使えるとはいえ老婆のことを思えばそれは納得できるし不満を述べるようなものではない。
だが、リレイの寝かされていたベッドを除いた二つはかなり近くに設置されていた。思春期を迎えた年代が学ぶ教室で、男女が席を隣り合わせているときのような、明確に離れてはいるものの「隣同士」という表現からは決して逃れられないような、そんな隙間を思わせる。
「……あれ」
リレイを移動させようと麻辺は慣れた手つきで彼女を背負おうとした。だが、屈んだ瞬間にどうやって背負えばいいのか全く分からなくなってしまったのだ。
いや、それだけではない。どうやって彼女に触れればいいのかも分からなくなってしまっていた。
ベッドの近くで屈んだまま動かない麻辺を不思議に思った瀬良が声をかける。
「んだよ、どうした? ギックリか?」
「え……あ、違います。あの……」
「ん?」
「その、リレイさんを……どう、すればいいんでしたっけ……」
「は? 何だお前麻辺、お前ふざけてんのか? 背負って運べ。背負えねえなら引き摺って運べ」
「……どうやってあの、背負えば……」
「はあぁ⁈」
その一言と共に瀬良は立ち上がってずんずんと麻辺の方に進む。その顔には苛立ちが浮かんでいた。
「ふざけんのもいい加減にしろよテメエ! お前はさっさとリレイ動かしゃいいんだよ使えねえな‼」
彼はそう言うと同時に麻辺を突き飛ばす。麻辺はその衝撃で尻餅をついた。かなり大きな音がたったため老婆か、あるいはその魔法がやってくるのではないかと危惧する。特に今は瀬良がリレイを抱えようと彼女に覆い被さっている状態のため、事前の説明も含めてあらぬ誤解を受けるのは明らかだった。
その覆い被さっている瀬良はピタリと動きを止める。彼もまたリレイをどのように触れ、どのようにベッドを移動させればいいのか分からなくなったのだ。背負うこと、もしくは抱き抱えることができないのなら彼自身がほんの五秒前に言ったように引き摺って移動させればいいのだ。
しかし、リレイの身体の触り方が全く分からない。
「……」
「……あの、なん、……わっ」
瀬良は黙って麻辺の方を見ると、無表情で彼のことを軽々と俵担ぎにした。あの疲労と不調に満ちた無謀な行軍でやってのけたのだから、疲労こそあれ足場も安定している室内でそれをやることは造作もない。
「……うし」
一人納得した瀬良は麻辺を乱暴に下ろす。それを予測できていた麻辺は着地に神経を尖らせることで音をほとんどたてないことに成功していた。
着地から体勢を整えた麻辺が顔を上げて見たのは、眉間に皺を寄せた状態でリレイに再び覆い被さるような状態の瀬良だった。
よく知らずに見れば少女を今まさに犯さんとするような状態である。
そのまま数分、誰も動かなかった。動きを始めたのは瀬良で、彼は大きく息を吐いて体を起こした
「女将の『魔法』か……? さすがに触り方分かんねえってやべえだろ」
リレイの上で手を動かしながら彼は言う。肩へはもちろん髪の毛のほんの先に触れることすらその方法を彼の脳は弾き出さないのだ。
「……えっと、じゃあ僕床で寝ます。……あっあ、気にしないでください。あの、慣れてますから……」
これが魔法であれば二人は太刀打ちできない。降参を潔く受け入れた麻辺は瀬良を気遣いそれを言う。ほんの一月、クロッシェンではベッドで眠ることが多かったが、それを差し引いてもお釣りが出るくらい彼は床かそれに類するところで眠っていた。
「……。別にいい、普通にベッドで寝ろ。そもそもここ見つけたのは……まあ、お前の手柄だろ」
「でも……」
「気にしねえよ、いちいち。はぁ……女将……あのババア……殺す……」
「瀬良君が殺さないでも近い内に死にそうですけど」
「……」
麻辺の発言を無視し瀬良は元のベッドに寝転ぶ。うつ伏せになると腰に挟んでいた警棒を取り出し、それを握ったまま枕の下に手を入れる。唯一の武器を手放すことは避けねばならず、またその存在を知られることも避けなくてはならないからだ。
そして体を落ち着けた瞬間、瀬良は急激に眠くなる。二日間荷車を引き続けたのだから、体力の消耗も相当だ。
麻辺はリレイに毛布をかけることに成功した。どうやら彼女の身体に触れることだけができないようである。彼と瀬良の持つ常識では説明できないことであり、やはり魔法なのだろうと麻辺は一人思った。
リレイが起きる様子を全く見せないことを確認して、麻辺もベッドに向かおうとしてあることに気が付いた。それを瀬良に言うべきか判断できず、彼はその場で立ち止まる。数分そのままでいて「報連相」という言葉を麻辺の脳が記憶の奥底、彼には殆ど無関係だと思われる場所から引っ張り出した。
「瀬良君」
「んー……? 麻辺……あ、寝てた……」
瀬良は欠伸をしながら起き上がる。右手は枕の下だ。
「何……?」
「あ……明日にしますか?」
麻辺は瀬良の様子を見て、今話しても果たして明日まで記憶として残っているか分からないことに気付いた。このような状態で何かを言っても、それが報告にあたるか彼は分からなかった。
だが、脳が眠りに落ちていると言っても過言ではない状態の瀬良が船を漕ぎながら言う。
「いーじゃん別に、今日話そうぜー……」
「でも瀬良君、あの、ほとんど寝てますし……」
「俺と話すの嫌かぁ……? 勇ちゃん、もう全然話せねえし……」
「……あの、瀬良君……?」
「仕方ねえけどさぁ……約束だし……でも勇、ちゃ……ん……ねむ……勇ちゃんとまた話せ」
「まだ僕のこと『勇ちゃん』って呼んでるんですか?」
麻辺は瀬良の言葉を遮る。彼にしては珍しいことだ。そしてその声色もどこか冷たい。だがその冷たさは軽蔑や嫌悪というより「それでいいのか」と問いかけるものだった。
「勇ちゃんは勇ちゃんじゃん……? ……ん?」
その冷たさが瀬良の意識を覚醒させていく。急激なものではなく、錆びた歯車を一つ一つ確認し動かしていくような段階的に進んでいくようなスピードだ。
だからこそ自分が何をしていたのか、瀬良は一つ一つ理解し脳に刻みこむことができた。
「あ゛ッ……ぁアア゛クソッッ‼ 忘れろ、今すぐ忘れろォッ‼」
瀬良は半ば叫ぶと、その勢いを保ったまま己の頬を数度打つ。乾いた鋭い音がその部屋に響き、その音の理由を語る必要がないくらい彼の頬は真っ赤になっていた。
麻辺はそれを無表情で見る。瀬良の羞恥は特に気にせず、ただ赤く腫れ上がった頬を見た。
(……痛いのかなぁ)
そんなことを思いながら彼はずっと瀬良の顔を、正確には赤い頬を見ていた。その視線に気がついた瀬良は気まずそうに、そして居心地が悪そうにそっぽを向く。ベッドの上で体育座りをして頭を抱え、完全に顔を隠した。
「最悪だ……すげえ、最悪……」
「……。じゃああの、話しますね。えっと、おばあさんがえっと……荷車、を運ぶのに魔法……の模様を出したじゃないですか」
瀬良の目が覚めたと認識した麻辺が先ほどまで話そうとしていたことを言葉に出す。瀬良はただそれに頷いた。それ以上のリアクションはしない。
「その模様、ゴボウ隊が来たときのと同じじゃないですか?」
「……」
「あ、あの……リレイさんが怖がってたゴボウ隊……」
麻辺が言うのはあの山頂で出会った《ロザ》の業抱隊のことである。裏仕事を行う、神の怒りを受けたとされるもの達で組織されている――と、《シンシェ》のリレイは理解しており、それを瀬良にも伝えていた。麻辺が理解していないのは、単純にその場にいなかったからだ。彼はあの時、離れた場所で存在を殺していた。
「……女将が仲間だって?」
「えっと、分からないです。断言はできません……すいません。ただ、あの、一応……」
「いいけど。はー……ただ次は俺が完全に起きてるときにしろ、命令だ。
……最悪だ畜生……なんでこう、よりによって……あいつらと一緒じゃないからいいけど……いやよくねえけど……。あーあ……死にてえ……一思いに死にてえ……」
「……」
瀬良はそこまで言うと麻辺に背を向けたままボスリと横になった。判断力は残っていたのか枕の下、つまり警棒に手を触れてはいるがこのような心理状態で彼はそれを使いこなせるほど場慣れしていない。
そんなとき、リレイがむくりと起き上がる。
「リレイさん?」
「……ワミサ東部、アイヲサ第七隊兵舎三、六、六。ワミサ第二級営倉一、八、七。ワミサ第一級営倉六、二、三」
「え、っり、リレイさん?」
聞きなれない単語を感情のこもらない声で発し続けるリレイを見て、麻辺は彼女の名前を呼んだ。尚も彼女は「ワミサ」「アイヲサ」、そして数字を三つ発言するのを繰り返す。それが終わると彼女の目には生気が宿った。
「……アサベ、さん?」
「あの、大丈夫ですか……?」
「え? 大丈夫だけど……。私、ずっとお荷物だったんだね、ごめんなさい。
クロッシェンを出たのっていつぐらい? 私、オーガスタに眠らされちゃったの。もう半日くらい経ってる?」
「……えっと」
「うん」
「移動をはじめて二日目……です」
麻辺は真実を言う。その言葉を受けてリレイは衝撃を受けた。
「……嘘。……あ、ごめんなさい。アサベさんが私に嘘を言うわけないもんね……じゃあ私、ずっと、眠ってたんだ……」
「リレイさん?」
「ごめんなさい、迷惑かけちゃった。それにアサベさん……とまあ、あいつも……ずっとクロッシェンにいて欲しかったのに……ごめんなさい」
「いえ、それは……。でもあの、リレイさん、ちゃんと起きてましたし……」
「そうなの? 全然覚えてない……」
「ご飯の時とか、あと、トイレしたいときも起きて――」
「待ってアサベさん! それはそれ以上言っちゃダメ‼」
「え? あ、え、でもトイレ……排泄ってみんなしま」
「やめてええ‼」
「……すいません」
麻辺は謝罪する。リレイが嫌がっているからだった。
リレイは顔を真っ赤に染めたまま咳払いする。彼女なりに場を仕切り直そうとしたのだが成功しなかった。何度か口を動かすが言葉は出ず、最後に彼女は俯いた。
「えっと、ここはワミサです」
とりあえず現状の説明をしようと思った麻辺は俯いたままのリレイに話しかけた。
「ここってあの、軍の町なんですよね? ……あ、えっと、だからあの、少し泊まって……情報収集しようかと」
「……どうして?」
「どうして? あ、だって……情報大事ですし、それにあの……」
「うん」
「クロッシェンのこと、何かわかるかもしれないですから」
「……そっか。……じゃあ私、その間は留守番してるね。
ワミサの人……兵士……『アイヲサ』は私のことを知ってるの。私もこの間までその一員だったから。それから上の人も。クロッシェンは『防壁』だから……ワミサの人が挨拶に来るんだもん」
リレイはそう言って寂しそうに笑った。その寂しさは麻辺に協力できないからというだけではない。《シンシェ》におけるクロッシェンの役割を再確認したからだ。
国境に隣接する領地、つまり戦場となる可能性が高い領地。特産品があるとはいえ「田舎」なのだ。そしてクロッシェンには湧泉が複数個所ある。水も豊富だ。
狙われない理由がない。
だが、麻辺は前者の理由しか推測することができない。土地の価値を考えなくてはいけない環境も地位も彼には無かった。
「じゃああの、仕方ないです」
「……うん」
「僕と瀬良君が交代で出て行って、情報収集だと思います。だからあの、じゃあ、……よろしくお願いします。お休みなさい」
「うん、お休み、アサベさん」
「はい。……あ、トイレ扉を出て右奥でお風呂もお湯出るみたいです」
「……うん」
「……?」
麻辺なりにリレイを気遣った一言は彼女の羞恥を煽るのに十分だったのだが、彼はそれを理解できない。ほんのわずかに拒絶の色をリレイの声に感じたが、麻辺はただ首をかしげただけだった。




