アトシェナ管区軍事局 ワミサ
現在ワミサという名で呼ばれる土地は山々に囲まれている中、まるでそこだけ掬い取ったように平坦な地がある場所だった。草木に囲まれているにもかかわらず、人々が口にする農産品はなぜかその実を結ばないという、そんな「役立たず」な土地だった。
全ての人が飢え、兵役も満足にこなせないような栄養状態の人ばかりが溢れていた。稀に兵士となれる者もいたが、その者が再び故郷の地を踏むことはない。
戦死――これは意外と少数であった。そもそも兵となるために、かつては二年間、《シンシェ》は――ある領地は十五歳の領民全員を、またある領地は一定の範囲の領民全員を……というようにその選抜は各領地に委ねられていた――、一ヶ所に人を集め共同で学んでいたのだ。その間に集められた人間は均され、特別その地の人間が弱いということはなくなった。戦争での生死は運だったのだ。
軍に惚れた――これも真の理由と言うとこはできない。当時の軍では階級が上下の絶対的な基準であった。では、どうすれば階級が上がるか? 答えは簡単、「生き抜くこと」だ。田舎からやって来たまだ線が細く頬がほのかに赤い少年と、あちこちに傷跡のある日に焼けて褐色の肌をした青年、果たしてどちらの言葉に説得力があるだろう。「たまたま生き残った無能だっているはずだ」という反論は、戦場故の悲しい事故を甘く見ている。生死がかかっているのに、見るからにわかる無能に従う愚かな者はいない。
そう、「生死がかかっている」。大概の人間は生きたいと思っている。軍に属し、戦場で命のやりとりをするのは生きたいからだ。死にたいのであれば武器を手放し、両手を広げ刃を歓迎していればいい。だが、まともな感性を持っていればそんなことをするはずがない。特にかつてのワミサから選ばれた人間であれば、尚更だった。
再び彼らがワミサの地を踏まなかった理由。それは単純に「生きたい」からだった。何もない「役立たず」な土地では生と死はイコールであり、それにもかかわらず死の方が優勢だった。それが圧倒的に死の色が強く、生を得るためには死を与えるしかない戦場を生き抜いたとき、彼らは本能的に恐れたのだ。故郷では生きていても死んだと同義であり、生きたい自分は何をすべきか。
再び故郷を訪れない。それが最も単純で、最も適した方法だった。
家族を、職を――守りたいもの、守るべきものを手に入れて彼らは様々な場所に散っていった。
その土地は貧しかった。一人が満足に食事を得ることはできない。だが、《シンシェ》の世襲の意識が彼らに「可能性」「保険」を意識させる。病気が、飢えがあると頭の端で理解しながらもあちらこちらで産声が上がる。その主は大抵が三年で地に還った。
アリグリェロ=ワミサ=セロムンシェ。シンシェ王家の血を持つ変わり者が貧しく、死に溢れている土地に目をつけた。彼はその植物に興味を持ち、執事に、メイドに、そしてその地に濁った目で根を伸ばす有象無象を動かし調査する。
そして彼は突き止めた。
ある植物がこの地の主だと。それは「根」から強い毒を出し土壌を汚染していた。新たに植える食料が実らなかったのはそのせいだったのだ。他にもこの地に根をはる植物は数種存在していたが、それはいわゆる先住民だった。主は先住民には敬意を払い、しかし移住者には明確な敵意を持ち加害していた。それが「彼」が生き抜き、子孫を残すための術だったのだ。
そんな不毛の大地は、どのようにして一区域の軍の支部をおかれるまでに発展したか。
一つは立地。先述した通りその土地は山々に囲まれている。天然の要塞だ。
二つはその土地の性質。新たな植物が根をはることはなく、土地を奪取するための損害に対し得られるものが当時ではあまりにも少なすぎた。
最後は、アリグリェロ=ワミサ=セロムンシェ。彼は――セロムンシェ家は軍を率いる家系だった。アリグリェロは徴兵基準に満たなかった者を集め――もちろん、死と生が同義だったこの地の民も例外ではなかった――、その「血」で徹底的に教育したのだ。軍の象徴の名を持つ彼の教育により、数年の後には王家公認の親衛隊を結成するまでとなった。セロムンシェは王の血を引く崇高なる名で土地の名にするには不敬であったから、「ワミサ」といつしか呼ばれるようになった。
セロムンシェ家は後に王家から追放されている。力をつけすぎたのだ。主要な人物は――年老いたアリグリェロもそこにはいた――王家から命を受けたワミサの地の十を迎えたばかりの少年、少女に殺された。命からがら逃げ出した者はセロムンシェの名を棄て、一市民として、なおかつ反逆者のレッテルを受けながら生きていく。
王家によりセロムンシェ家は滅亡した。
あとに残ったのは戦う術を持った人々だ。幸い、そこは当時の国境にほど近かったから軍事拠点となり、彼らはじわじわと侵攻し、《シンシェ》の領土を拡げたのだ。
それは今から四百年以上前、《レアリム》を揺るがす事実を人々が理解し、絶えず戦争をする道を突き進む前の出来事だ。
「また断られた! やる気あんのかよワミサってのは⁉」
文句を言いながら瀬良が足音荒くやって来る。それは既に四度目だった。彼は地面を思いきり蹴る。少なくない量の土と草葉が宙を舞った。これをするのは二度目である。
麻辺はそれを黙って見ていた。そうする他なかったのだ。瀬良が挑戦する前、麻辺も四度それに挑み全敗していた。
「なんで宿がねえんだよ……軍の町っつっても少しくらい宿はあるだろ……」
「……」
「純粋な宿じゃなくても遊郭とかキャバとか風俗みてえなの普通はあるだろ⁉ 何のための軍だ、ホモまみれなのか⁉」
瀬良はそう小さな声で憤ると荷車に乱暴に座る。ギシリと音をたてるが、破損の前兆を感じさせるようなものではない。麻辺はそれにひとまず安心して、瀬良の様子を見てタイミングを測ってから口を開こうと決めた。
そう、二人は今日の宿を探しており、戦績は十一戦十一敗だ。ワミサの地に着いたときはオレンジ色の気配を残していた景色は、この地に規則的に灯っている松明――決して燃え尽きることのない、「魔法」によるものだ――がなければ視界はゼロと言っても過言ではない。
「あ、じゃあ僕、あの……えっと……探してきます……もう一回……」
麻辺はそう言うと立ち上がる。クロッシェンから積んできた荷物と三人分の体重に荷車が耐え続けるか分からなかったからだ。
「あー待て。地図渡す」
「え、……あるんですか?」
「俺が書いたんだよ。俺が。
……本来こいつが洗脳だかなんだかで出せるようになってる話だった気がすんだけどなぁ? どうなんだーおい、ケービタイチョー」
麻辺は差し出していた両手に千切られた小さな紙が乗せられるのを見た。レシン・ピナを包んでいたものの一つだと麻辺は理解した。簡単な道と目印、そして大きなバツ印が十一個。瀬良は麻辺が訪問した建物もメモしていた。
「……あ、あの、ありがとうございます」
「あ? 二度手間嫌だからだ、礼言われるようなもんじゃねえ。
ああ、そこら辺にある赤茶色の石、粘土系だ。それでちゃんと書き込めよ」
完全にバトンタッチを決めこんだ瀬良がリレイの口を押さえながら彼女の鼻をつまむのを少しだけ眺めてから麻辺は無言で頷き、瀬良がつい数分前やってきた道を行く。
二人が別行動をしているのは、リレイがいたからだ。
薄暗くなった時間帯に十一歳の片腕を無くした少女を連れていくのはまずい、という理由が全てではない。
確かに彼女が、あるいは彼女と同じような少女が一人でそうするのは日本でも憚られる。まして、戦争がある《レアリム》という異世界でそうしようとはしないだろう、と麻辺と瀬良は考えていた。
いざとなれば奪還人員がリレイを保護し誘拐犯を拘束、しかし誘拐犯は幸運が重なり少女を連れて再び拐うことができたはずだ。
では、なぜ二人はその選択をしなかったのか。
答えは単純でリレイの顔が知られている可能性があり、その彼女をワミサの民の目にできるだけ触れさせないためだ。そもそもワミサを目指したのが、あの夜にした盗み聞きで聞いた地名だったからに他ならない。その名を出したのがリレイの母リンダであり、彼女は領主の妻である。ならばその娘であるリレイの顔が知られている可能性も高く、それを考慮した行動をすべきだと結論付けたためだ。
その提案は麻辺がつっかえながらしたのであり、瀬良は渋々といった様子で同意したのが二時間ほど前である。
麻辺はつい先ほど見た記憶のある建物が視界に入るとその歩みを止めた。瀬良から渡された地図を見る。描かれた目印とバツ印から自分のいる場所に検討をつけると、彼は瀬良も含めて今まで行っていない場所を目指した。
「ボッ……ロ……」
荷車を引く瀬良の第一声がそれだった。麻辺はそれに言い返すことができない。コンプィ兄妹が住んでいた家を基準とすれば、その木造三階建ての建物は豪邸だ。しかしワミサの平均的な建物、つまり軍の施設を含めてそれらと比較した場合、それは数世代忘れ去られたような、つまりボロ屋だった。
そして、日本で生きてきた二人の知る平均的な建物から言ってもボロ屋に該当する。
十五分前、麻辺が戸を叩いた瞬間にそれが開かれ、腰が直角に曲がった老婆がまるで千年待った恋人にやっと会えたような様子で歓迎してきたのだ。麻辺が宿を探していると言えば、この建物はかつては宿屋であり、今はこの老婆の家なのだという。夫に先立たれ子供達も独立し独り暮らしの老婆は、久しぶりにに三階を宿として使うことを即決し、ウインクをしながら麻辺の両手を握った。麻辺はその言葉を受けて旅の仲間を呼んでくるといい、そうして二人を迎えに行ったのだ。
「……お前ん家とタメはれんじゃねえの?」
「あー……」
瀬良の指摘で麻辺は日本の家を思い出す。冬はすきま風が常に吹いてきて室内に雪が積もり、それ以外の季節は様々な虫やイモリ、そしてネズミを代表とする小動物が自由に行き来するような家で麻辺は育ってきていた。
「……でも、僕が住まわせて貰ってる家……二階無いですし」
「そういう問題じゃねえ」
「えっ、……あ、そうなんですか。……すいません」
麻辺は小さく謝罪する。そんな麻辺を瀬良は睨み、次いで警戒するような目で荷車に横たえられているリレイを見た。粘土を体中に擦り付け(麻辺は戸惑いなくリレイの下着の中に手を入れ瀬良に殴られている)、少なくとも領主の令嬢に見えないよう気を付けていた。
この宿を見つけたのは麻辺のため、彼は再び彼が扉をノックする。今回は一分ほど時間をおいて老婆が迎え出た。
「あれまあ、ずいぶんと大きな人だねぇ……もうわたしにはお顔が見えないよ」
老婆は瀬良を見て言う。腰が曲がった老婆は何度か瀬良の顔を見ようと頭の向きを変えたり数歩下がったりしていたがついに諦めたらしい。皺だらけのニコニコとした顔を向けながら、同じくらい皺だらけの両手を伸ばして麻辺、そして瀬良の両手を握る。その腕は枯れ枝のようで、さらに幾筋もはしる傷跡があったが、麻辺と瀬良はそれに気がつかなかった。
最後に荷車に寝かせられたリレイを見ると、老婆は戸惑ったように二人に問う。
「ええと、このお嬢ちゃんは……?」
「気絶中だ。気にすることじゃねえ……っす、よ」
「気絶! どうしてまた、なんでこんな可愛い娘さんが……」
「色々あるんすよ。婆さ……いや、女将さん? まあ女なら察してくれ、そんで男の俺達には説明させん……でくだせーな」
「察し……あぁ、そう。あなた達がしたわけではないのね?」
「しねえっすよ、ガキ過ぎる。せめて五年くらいたってないとどうにも」
「そう、そうねぇ。……じゃあ、そう、お湯を出せるようにもしますね」
老婆は悲しげな微笑みを浮かべ、視線をリレイに合わせながら言う。もう何十年も前だがその老婆にもリレイと同じくらいの年齢の時があった。その時に瀬良の言う(嘘の)恥辱に遭えば――と思うと、少なくとも一夜の宿の主という立場の人間が踏み入ることではないと思えたのだ。
「で、女将さん。荷車置けるとこってあるんすかね。コイツにさっき聞いたら三階だっつうけど、さすがにのぼんのキツいんすけど」
瀬良が荷車を前後させながら老婆に問う。老婆のそれに対する答えは戸惑いに満ちた笑いだった。
「あなた達、おもしろいのねえ」
直角を鋭角に変えた老婆が言う。
「『物質移動』をすればいいでしょう」
老婆は無邪気に言う。レモイグは物を移動させる魔法だ。「魔法」の学校では一番初めに覚えるものの一つであり、一番初めに校内で規制される魔法の一つでもある。規制の理由はレモイグを使いこなしすぎて他の魔法を使うことを忘れはじめるからだ。
そんな魔法を指摘する老婆のことは責められない。彼女は今まで自分が生きてきたレアリムの常識に沿ってその答えあるいは提案をしたからだ。
しかし瀬良はそこで言葉を失う。地球で生まれ育った彼にとって魔法は未知であり、使える道筋すら見えないものだった。唯一のレアリムの民であるリレイも知識はあるが使えると断言することはできず、何より今は意識を失っている。
黙ってしまった瀬良の方を老婆は訝しげに見る。単純な「魔法」を使おうとしないのだから当然だ。基本的な魔法、日常的に使われる魔法は「魔力追跡」も行われない。また、この世界で「魔法が使えない、つまり『魔力』が無い」というのは「あり得てはならない」。老婆は心配そうに二人を、そして荷車のリレイの方を首だけを動かして見る。
その心配の陰に隠しきれない警戒と、ほんのわずかな殺意を麻辺は感じた気がした。彼は咄嗟に口を開く。
「まりョっ、……魔力の追跡の魔法……あの、あっ、この子を強姦しようとしていた人に僕達かけられたみたいなんです」
はじめに声が裏返ったことも含めて、麻辺にしては大きな声で彼は言う。
「僕達ならあの、戦えます。でもえっと、あの……この子までは分かんないです。だから、あの……その魔法が気のせいってわかるまでか、この子のご両親が見つかるまで使いたくないんです。……すいません」
麻辺は一気にそこまで言葉を進めると小さく謝罪し、つばを飲み込む。彼の口はカラカラだった。彼にしては饒舌な様子を瀬良は黙って見下ろす。次いで老婆を見て、瀬良にはその曲がった腰と背中、頭頂部しか見えないが、ただ「勝った」という確信が持てた。
その瀬良の確信は当たる。麻辺の言い訳は老婆を相手に、つまり女を相手にしたから通じたのだ。
「御部屋の場所を知ってるわたしがやったらまちがいないですもんねえ」
老婆の冷静であろうとする声色と共に、荷車の下に魔法陣が現れる。




