共通点は脅迫材料?
サイラスに言われた通り瀬良を探しに外に出た麻辺は、すぐに目的の人物を見つけた。瀬良は家がある開かれた場所と森の境目の少し森側にあった切り株に腰掛け頭を抱えていた。
そんな瀬良の様子に麻辺はこのまま近づいていいのか考えることにした。
瀬良は兄妹の家から半ば飛び出す前に「三十分」という時間を告げていた。麻辺はリレイを落とさないよう前傾姿勢になってから腕時計を見る。どんなに長く見積もっても十分しかたっていない。ずり落ちてきたリレイの左脚に素早く腕を回すと、麻辺は姿勢を整えて再び瀬良を見た。彼は背を向けていて、麻辺達に気づいてはいない。
(怒ってはなさそう。蹴られるくらいかな……)
その後ろ姿から予測される被害を麻辺の脳は経験則から弾き出し、問題ないと判断した。それくらいの暴力は、彼はその始まりを記憶しており、それを説明できるくらいには受け慣れている。彼にとって暴力は被害ではあるが、いちいちそれを訴え同情を買い、あるいは謝罪を誘うようなものではなかったのだ。
麻辺は瀬良の方に近づいていく。それに迷いはなかった。
そんな歩調では近づく音が隠れるわけがない。瀬良は顔を上げ、その音源を探ってからうんざりした表情を作って振り返った。
「……んだよ」
瀬良の予想通りの人間がそこにはいた。正確に言えばリレイを背負ってくるとまでは予測していなかったのだが、それは改めて指摘する必要はない。
「話終わったのか」
「あっ、……はい。一応あの……終わりました。……だから」
「三十分たったか?」
瀬良の声は質問の形をとっている。だが、純粋な疑問形ではなく皮肉の情がこめられていた。どんなに鈍感な人物でもそれは理解できただろう。
麻辺も例外ではなかった。実際彼はほんの十秒前に時刻を確認している。日本の時刻を表しているそれは、持ち主に「まだその時刻ではない」と告げていた。それを認識すると、麻辺は瀬良の問いへの答えを失った。
「……すいません」
問に対する答え――三十分たったか、たっていないか――の代わりに出たのは謝罪の言葉だった。暴力の前兆あるいは第一撃を受けたとき、期待されていることができなかったと理解した瞬間、その他場の空気が停滞したときに飛び出す、麻辺の口癖と行っても過言ではない五文字である。
そのたった五文字に瀬良は舌打ちする。
麻辺はその理由がわからず、ただ瀬良の掌を見ていた。彼の身体が警戒や緊張で強ばらなかったのは、リレイを、いや、標的以外を巻き込むような暴力を瀬良は振るわないと理解していたからだ。瀬良の今の標的は自分であり、眠っているリレイを巻き込む可能性のあることはしないはず――と麻辺は信じていた。
「だからいちいち『すいません』はいらねぇってんだよウゼェな。別に謝ることかよ今の」
「え……でも、あの……瀬良君は、あの……三十分……経ってないです。すいま」
「あーやーまーるーこーとーじゃーねーえ」
麻辺の謝罪を遮り、一字一字を伸ばし強調しながら瀬良は言う。非難や苛立ちではなく、からかいの色が濃いものだった。
瀬良は麻辺とリレイの方に向き直ると、面倒くさそうに、しかしそれが当然であるというような表情を見せた。そのまま彼は言葉を続ける。
「どうせお前のことだ。あの近親姦ド変態に言われたんだろ」
「あっえ……き、きんし……あの、言い過ぎじゃ……」
「は? 妹とヤってる時点でド変態だろ。しかも妹障害者だろ。それとヤるって普通に強姦でいいじゃねえか。それに」
瀬良は麻辺の背後を指差す。麻辺はそのまっすぐな人差し指が示すものを追った。瀬良が指していたのはリレイだった。
「そう思ってないなら何でリレイ背負って来てんだよ」
「……え、あの」
「どっかで『危ない』って思ってたんじゃねえの?」
「それは……あの、いいえ。ちがっ、……違います。
あの、今、……僕の役目は……リレイさんをまもっ、……守ることだと思うんです。だか」
「守る? 何から?」
「……」
「何からリレイを守んだよ。リレイを無事にいさせたいってんならよ、そのままあのカッサカサのソファーに置いときゃ良かったじゃねえか。あいつも……なんだ、軍隊経験あるみてえだしよ、絶対お前より強いじゃねえか」
瀬良の指摘に麻辺は答えを持たない。彼の言うことがもっともであると感じていたからだ。
単純な強さで言えば、自分は最下層に位置するだろうことを麻辺は理解している。また、クロッシェンの屋敷でリレイと共に特訓をした日々を思い出しても、隻腕の十一歳の少女に遅れをとっていることは誰が見ても明らかだった。
そんな現状で自分ができる「守る」とは、せいぜい盾となって一秒でも長く、一撃でも多く自分が受けることしかないように麻辺は思う。
麻辺本人も、そして瀬良もあの山頂のことは頭にない。冷静に、ただ動けたからというのみで自分諸共落ちていったのを彼は覚えていなかった。
「それに守んならよ、リレイも巻き込んで殺されようとすんな」
瀬良は麻辺が答えられないのを見て言葉を続けた。これは麻辺を責めるものではなく、瀬良自身が出来事を整理するためのものだった。つまり、麻辺は巻き込まれたようなものである。
だが、麻辺はそれを指摘しない。そこまで頭が回っていなかった。
「……悪かったよ。お前らにぶつけても意味ねえわ。さっさと忘れんのが一番だ。よーくわかった。
さて、と。戻るぞ、麻辺」
瀬良は立ち上がり、麻辺に一言声をかけると振り返ることもせずに兄妹の家に向かう。
――バタン、と扉の閉められる音が耳に届いて麻辺は辺りを見回した。彼は瀬良の言葉を聞いてはいたが、聴いてはいなかったのだ。
外にいるのが自分と、そして背中にいるリレイだけなことを理解した麻辺は、転ばないよう注意しながら来た道を戻っていく。
「サーイーラス、お皿どこに入れれる?」
「お前じゃ届かんから、しっかり拭いとけ」
「はーい」
「拭き終わったらお客さんの寝るための――」
「マット! タオルケット! 私、がんばるよぅ!」
エマの宣言に対しサイラスは彼女の髪の毛がボサボサになるまで撫でることで答えた。無邪気に笑う女性の声を背中に受けながらサイラスは麻辺と瀬良のもとにやってくる。
リレイはほんの一瞬、イパテ――イノシシのような大きさと獰猛さであり、兎のような長い耳を持つ四つ足の獣――の串焼きが出されたときだけ目を覚ましていた。串焼きを二本食べると彼女は糸の切れた操り人形のように、またばったりと倒れ、眠ってしまっていた。そのため彼女は今、エマの部屋のベッドで寝かされている。サイラスは妹なんかのベッドにと渋ったが、最終的にエマの無事が見えるようドアを開けたままにすることで納得させられた。
「手伝うか? 俺らが寝るのなんだろ」
「いやいや、いい、いい。兄ちゃん達はお客さんだ。そんなことされられねえよぅ」
「けど」
「エマにさせてやってくんねいかい? 準備はあいつができることなのさ。
今まで、そう、旅の人とかが来てもよぅ、エマはとことん隠してきていた。俺達が排除対象、特にエマは見るからにそれだから仕方ねんだけどさ」
サイラスはロクォ・ピナに果実を乗せたものを一口で頬張りながら瀬良の申し出を断る。
その言葉を受けて納得した瀬良は、それ以上手伝うと発言することはなかった。サイラスのそれは妹に対する一種の罪滅ぼしだと理解したのだ。それを遂げさせるのが最適であると瀬良は判断したのである。
麻辺は遠慮がちにロクォ・ピナを取り、音をたてないように、小指の爪の先くらいの大きさをかじりとって咀嚼する。一番先に手に取るのは気後れするし、また、誰よりも多く食べるのも嫌だったからだ。そのため彼は瀬良とサイラス双方がなにかを手に取り、そして飲み込んだのを確認してからやっと食べ始めるというのを繰り返していた。
「んで、兄ちゃん達は明日からどこに行くんだい?」
イパテの香草包みをナイフで切り取り、それを自身の取り皿に盛り付けたサイラスが言う。彼は返事を待たずに豪快にそれを口内に含んだ。口の端からソースが垂れ、無精髭をつたってテーブルに落ちる。それを指先で拭ったのを見て、麻辺は口を開いた。
「わ、ワミサ、に……です」
「ワミサ? あぁ、ここいらじゃ一番デカい町だもんなぁ、それに半日歩けば着いちまう」
うんうんと頷きながらサイラスは言う。
「その後は?」
「え、……その、後ですか?」
「そりゃそうだろう。あそこは軍の町さ、宿はあるだろうけどその他はなーんもだぞ。お前さん達はいいだろうけど、ねぼすけなお嬢ちゃんはまだ魔法使いこなせないんじゃないかい?」
「……」
「どうした?」
「あー……」
麻辺は言葉を失った。彼はテーブルに目を落とす。目線の先には半分は残っているロクォ・ピナと、数種類のソースが料理から零れ落ちたことが理解できる程度の汚れがある皿があった。
今の三人には明確な目的地がある。学園都市セイテロ・ヴァ・イツィフ――ここでリレイと別れ、麻辺と瀬良はクロッシェン領主令嬢の誘拐犯として彼女の奪還を目標とする人間に捕らえられる――だ。だが、嘘とはいえ領主令嬢の誘拐犯として動き、また、リレイの故郷が敵襲の危険性がある今それを素直に答えていいのか分からなかったのだ。
「目的地なぁ……」
瀬良が未だ使われていないエマの皿に串焼きを取り分けながら言う。彼は最後の三本を手に取ると一本を麻辺の皿に無造作に乗せ、後の二本はまとめて自分の口の中に入れた。
「知りてえか?」
「そりゃあね」
「ふーん……」
瀬良はまるで興味の無いようにサイラスの言葉に反応する。
麻辺は瀬良に乗せられた串焼きと瀬良を交互に見た。果たして自分がそれを食べていいのか彼は判断できなかった。この場にいる三人が今まで食べた本数を考慮すると、この一本はエマの皿に乗せるべきものであると麻辺は思えたからだ。だが、自分の皿に乗せられたものを果たして他の人の皿に乗せていいのか彼には分からなかった。
「……あのさ、サイラス。お前少しは考えねえのか?」
「ん?」
「俺達警察かもしんねえよ? お前らを捕らえに来た役人、軍に告げ口したい賞金ハンター」
「……それは……それはよぅ……」
「こいつが寝っぱなしなのもおかしいと思わねえか?」
瀬良はリレイを顎で指す。
「お人よしの誰かさんを油断させるためのもんかもしれないぜ? なあ、魔法で『人を操る禁術』って知ってるか? 『人を壊す禁術』はどうだ?」
「……瀬良君、あの」
麻辺は半端に串の先を指で弄んだ状態で口を開く。サイラスの持つ雰囲気に変化があり、彼は今、自らの意思で瀬良の語る危機を退けようとしているのが麻辺には感じ取れた。
それに、瀬良が何を思ってサイラスを挑発するのか理解できなかったのだ。
自分たちの行動の理由を包み隠さず言うのは確かにまずい。だが、ここで恩人ともいえるサイラスを挑発する利点はまるでない。外で瀬良自身が言ったようにサイラスには戦場に出た経験がある。そんなそぶりを見せない、むしろ日本で暮らしてきた麻辺と瀬良には到底その考えに辿りつけない状態のエマですらも、だ。
二人が――いや、どちらか一人だけでも本気を出せば三人はどうなるかは、魔法が現時点では使えないことを理解している瀬良が想像できないはずもない。
「……」
「……それか同類かもな、俺達」
瀬良は囁くように、いや、ほとんど聞こえないかすれた声でサイラスに答える。
沈黙は数分続く。外でタオルケットの埃を掃うエマの調子の外れた鼻歌が場違いに響く。
「……なるほどねぇ。そうか、そうかー……」
サイラスが後頭部をガシガシと掻きながら言う。
「探らん方が互いのため、かい」
「……」
「あんたが敵ならワミサに着くまでの間に俺達は逃げんといけない。同類なら互いに言いっこなし……か」
「好きに解釈しろ」
瀬良は口角を上げると、「それでいい」という雰囲気を漂わせたまま腕を組んだ。
サイラスは降参を表す笑みを浮かべると、空いた皿を下げて外に出た。エマにこの地を発つことを教えに行ったのだ。新しい環境に慣れづらい彼女にとって、事前にそれを教えるのは重要なことなのだろう。
瀬良はサイラスの出た戸をじっと見ていた。エマの歌声で彼女の兄の声は全く聞こえないが、どうやら難航しているということだけは理解できた。
「あ゛ああぁ……やっべ、緊張した……」
しばらく兄妹が戻ってこないと判断できたところで、瀬良は声を上げて脱力する。ぐったりとした様子を隠そうともせず、テーブルに突っ伏して顔を上げない。
「瀬良君、あの、だいじょ……っ」
「お前が余計なこと言うからだクソ」
瀬良は麻辺の爪先を思いきり踏みながら言う。
(……こういうのは、そういえば無かったな……うん、痛い……)
「適当に流しときゃよー……ったく。あいつらが……なんだ、指名手配犯? でよかった……変に勘繰るからよかった……。
麻辺、それ食ったら俺の皿も下げとけ。それくらいはやれよ、おい」
「え……あ、はい。下げます……はい」
瀬良はそう言い残し立ち上がると、麻辺の方を振り返らずに、数十分前までリレイが寝かされていたソファに寝転んだ。ソファ自体が古いこともあるが、彼の体重も相まって間抜けな音を立ててそれはひしゃげる。そしてどこからか差し込んでくる明かりを遮るため、彼はその腕を顔に乗せる。
麻辺はそんな瀬良を無言で、そして無表情で見ていた。そして、指先で触れたままのイパテの串焼きにやっと気づくと、彼はそれを口に運んだ。
その家は明日には役目を終える。たった二人の兄妹が暮らしていたそこは、初めての客人を迎えていた。
そしてたった一人の少女を除き、全員が雑魚寝である。
ふと、少女が目を開けた。操られるように、何か強大な力が働いているように――意志を持った人間では決してできないような動きでその半身を起こし、ベッドから出て、立ち上がる。
少女は辺りを見回す。ベッドと小さな机、そして木の実や木の葉を集めて作ったらしいアクセサリーが床に無造作に、しかし規則的に並んでいる部屋。
少女はそれから視線を外し、両の手を合わせた。それを離すと手のひらの中に鏡が現れている。
少女はそれを窓に向ける。星の明かりが反射する。
一回、二回、三回――――…………
その瞬きに応えるように、規則的な明滅を少女はとらえる。
少女は次の瞬間目を閉じる。その身体が定められたプログラムに従うよう、動く。




