壊×た兄と妹 ※
障害者への差別・身内からの性的虐待
ゆるめの戦場描写
「エマは……戦場で、ぶっ壊れちまった」
サイラスは顔を上げて、自嘲的な笑みを浮かべながら麻辺と瀬良を見た。
「頭三歳児が戦争に行けるわけがねいのにさ……俺は家族を説得しやんだ。エマを……人間にしてくれって。戦争に行って、色んなこと経験できればエマはまともになれるってよ」
「戦争に……えっと、エマさん、戦争に……あの、兵士として……?」
「あぁ、そうさ。エマはとことん隠されてたから俺がぜーんぶ学校で勉強することを教ィた。……覚えてたか、はわからんけどな」
「……」
「俺はマシになるって信じてたんだ。戦争に行ったらエマも人間になれるって。
親も、兄貴達も、嫁に行ってた姉ちゃんも、妹も……エマは娼婦になるべきだと思ぅてた。そう言って、色々教ィ込んでた。エマはいっつも笑ってっからさ、娼婦になってもされてることも理解できんし、それが何かも知ろうとはせん……ってのが、アイツラの言い分よ」
麻辺と瀬良は言葉を発しない。ただ、レアリムと地球の現代社会との差を目の当たりにして、発すべき言葉が分からなかった。
エマは麻辺の言う通り知的障害を持っている。その年齢に見合った行動、その外見から求められる行動を自ら判断して取ることは難しいのだ。教えられればその場ではそれなりの行動を取れることもあるが、次同じ場面に一人で遭遇したら一人で対処できると断言はできない。
だからといって彼女という存在を蔑ろにしていいわけではない。寄り添い、彼女を尊重し――というのは、地球での話だ。
レアリムでは知的障害という概念はない。一人の個人として尊重、あるいは尊敬される障害は戦争を代表としたことが原因の、後天的な身体機能の欠損のみだ。同じ戦争を原因とするものでも、精神を病むものは恥である。また、先天的な身体の障害は出来損ないだ。
そんな社会で、エマのようなモノがどのように思われているか、どのように扱われるかは分かりきったことである。
「……戦場で、エマはな、結果を出した」
「……」
「健常者以上に出して疎まれたっつうことか?」
「疎まれるならまだマシよ。エマはずっと疎まれてた。その理由が一個増えちまうだけだ」
「じゃあ何がまずいんだよ。兵隊全部と寝たとかで刃傷沙汰か?」
瀬良の問にサイラスは緩く首を横に振る。彼の表情は「それならどんなによかったか」と言っていた。
「エマはな、魔法で辺り全部吹き飛ばしたんだ。敵も味方も関係無く。……エマが言うことが本当なら、友達が敵に殺されて、怒ってその敵を殺そうとしたけど怖かったそうだ」
「……」
「普通じゃない自分がやっとできた友達なら、普通の人はもっと友達がいる。その顔も存在も知らん友達にこんな思いをさせるのかってのが怖かった」
サイラスは呟く。麻辺と瀬良はそれに言葉を挟むことができなくなっていた。平和な、戦争の無い日本で生きてきた彼らにとってこの話は未知の領域だ。
戦争は、殺し合いは遠い国で起こっているもの。最後の戦争は歴史の教科書で眺め、考えを述べる必要があれば、もっともらしくその戦争がいかに愚かで、失われた生命を悲しみ、蹂躙を非難し、平和に感謝し、二度とその争いを起こしてはならないというテンプレートに沿って構築していけばそれなりの評価を得られる。
さらに遡った時代の戦争は一種の娯楽としてゲームやアニメ、漫画でその生き様に興奮し、彼らを崇めることを止める者はいない。
そんな時代を生きてきた二人にとって、サイラスとエマの兄妹が生きてきた戦争というのは、新たな視点だった。
「……エマはたった一人の友達が奪われて、本当に殺したくなったけど、その敵を殺してしまったらその友達が……ってパニックになって……魔力を暴走させた」
「……」
「……」
「辺りにはなーにも、エマ以外はなーにもだ。
戦争で敵を殺すのは名誉だ。ズタズタに切り裂かれて死ぬのを待つしかできん味方を殺すのは慈悲だ。あそこでの殺しは、普通の人間がやる殺しは必要なことだ……それはあんた達もわかるだろう?」
サイラスはそこで言葉を切る。そして彼はリレイの方を見た。領主令嬢だと悟られないように、一般的な市民から少しだけ弾かれた領域の民の服を身に付けている彼女の右腕はほとんどなく、肩に握り拳がくっついている程度の長さだ。その腕には衛生の保護のため清潔な布を巻いている。
リレイの負傷は、レアリムでは名誉にあたる。彼女は欠損を自覚し「役たたず」になるとかつては恐れたが、今はもう恐れない。
加えてサイラスは麻辺と瀬良が異世界の人間であるとは知らないから、二人は戦争を特に負傷することなく除隊し、リレイは負傷して除隊した、という様に捉えていた。
「……エマがやったのは、ただの人殺しだ」
「……それは」
「エマは処分対象になった。娼婦でも命は長くなかったがね、あぁ、そうさ。俺はエマを人間にしようとして、失敗した。俺の中で失敗はエマが死ぬことだけだった。エマが死んだら悲しいけど、その死でエマが普通になれるって思ぅてた……。
現実の失敗はエマが死ぬことじゃなくて、他の、普通の人間を根こそぎ殺しちまうなんて考えもしなかった……」
彼は自分の樽に水を足した。それが満杯になったらすぐに飲み干し、そしてまた注ぎ足す。
麻辺はこの兄妹の話に興味を抱いていた。ほんの少し前まではどうでもいいことの一つだったのに、今では積極的に、サイラスの吐息すら漏らさず聴こうとしている。彼はそれに対して無自覚だが、周囲もそれを知ることはなかった。麻辺のそれは彼の内側で行われており、表面上は一切変わりがなかったからだ。
一方の瀬良は、今までにない居心地の悪さを覚えていた。一種の癇癪を起こさなければ、今ごろは野宿だったことは想像に難くないが、このような話を知らずに済んだからだ。まるで自分がかつて行った悪事と同じことをした人間が目の前で責められ、自分の過去が露見しないよう願い、そして目の前のそれが未来にならないよう思考するような、そんな気持ちだった。
「兄ちゃん、顔色悪いぞ。もうやめるかい、聞きたい話じゃないよなぁ、穢れたやつの話なんて」
「は? いや別に……俺の顔色は元からこんなだし。つか穢れって……」
「ハハ、いや、俺がどうかしてたのさ。こんなの人に話すもんじゃない。初対面なら尚更さね。弟君もあまりいい気は――」
「お、弟? あ、あの僕、瀬良く」
「俺の方が年下なんだけど⁉」
麻辺の訂正の声をかき消して瀬良が抗議する。
「あ、そうだったのか……いや、悪ィことしたな」
「俺は十六! こいつは十七! 学年一緒だけどな、誕生日はほとんど一年違うんだよ‼ 見た目で判断してんじゃねえぞテメェ」
「そうか……いやぁ、悪かった。てっきりお前さん達は家族だと思って……そうか……」
「三月三十日生まれなめんなよ……皆の後輩とか言われんだかんな……」
瀬良は恨みのこもった目で言う。その鋭さにサイラスは両手をあげて応えた。降参を表していたが、彼の表情はどこか余裕があった。それは当然のことで、戦争を知らない瀬良の、威嚇や反発の感情しかない恨みは、殺意の中を生き抜いた――つまり、従軍経験のあるサイラスにとっては可愛いものだったのだ。
麻辺はそんな威嚇をする瀬良と口角を上げて「まいった」と繰り返すサイラス、ソファに横たわるリレイ、最後にエマの消えた扉を見た。彼は集団の中にいながら一人取り残されてしまい(いつものことである)、この場所を観察することにしたのだ。幸い、「何を睨んでいるのか」と顔に残虐な笑みを貼り付けて因縁をつけてくる人間はいない。
(……アサベは、場慣れてるなぁ)
瀬良の相手をしながら正面に座る麻辺のことを視界に入れていたサイラスは思う。力を示すことなく、むしろそれを前面に押し出す瀬良の影で冷静に観察する麻辺を彼は心の中で素直に称賛した。
そのためサイラスは、麻辺の口がわずかに開き、ちらりと、目線だけで素早く己と瀬良を窺ったのを見た。彼は麻辺が話したいのだと理解し、意識的に瀬良に下に出る。
「はいはい、ゴメンよ、兄ちゃん、ゴメンってな。……で、えぇと、アシベだっけかい?」
サイラスはわざと麻辺の名を間違う。麻辺本人に訂正の機会を与え、瀬良の口を閉じる狙いがあった。
実際それはうまくいく。さすがに麻辺の名前の訂正を瀬良が行うことはない。
「あッ、麻辺です……アシベじゃなくて、あの、あ、麻辺……」
「悪い悪い。アサベな、アサベ……変わってんなァ。何か聞きたいかい?」
「あ……えっと、あの、……はっ、話の続きを……あの、お願い、します」
「あぁ……」
サイラスは納得した。
(名誉とはいえ、友達が戦時欠損だもんなぁ……)
先天と後天、精神と肉体という違いこそあれ、障害者――サイラスはじめレアリムの人間にこの概念はないが――となってしまった友人との付き合い方に戸惑いを覚えているのだろう、と彼は解釈したのだ。
また、瀬良の言葉を信じるならサンガツというものこそ分からないが、男性陣は既に体は成熟の段階に入り、それなりの欲もある。対して女性のリレイはまだ果実にすらなっていない段階だ。
付き合い方を見失ってしまったのだろう、それで対立して瀬良はあそこで手を離したのだろう――サイラスは一人納得する。
――麻辺は、単純な興味で聞いていただけだ。
「言っとくけどよぅ、俺とエマの関係は歪だからな?
……エマを処分するのは俺に命じられた。家族は皆反対しとった。エマを隠してた。表に出して、散々なことさせたのは俺だからな……。ケジメっていうよりゃ、見せしめだ」
「はい」
「けどさ、殺せねえよ。俺は元々エマが好きだった。真っ暗でなにもない部屋でニコニコ笑って、俺が行けば『サイラス』って迎えてくれる。家族として、本当に大好きだった。
何にもなくなった場所で何が起こったかも分かんねいで独りでワンワン泣いてて……俺が報せを受けて迎えに行くまでの三日、飲まず食わずで泣き続けた妹を殺せなんて……俺は、無理だった」
「無理で、逃げたのか?」
瀬良が相手のいる独白に参加する。彼は元々だと主張するが、その顔色は悪い。
サイラスは首を振った。肯定と否定のちょうど中間だった。
「結論だけ言えば俺はエマを連れて逃げた。どこかの領地には属せんからよ、フレチュア……誰の領地でもねえ公道のすみっこに暮らしてるよ」
サイラスはそう言いながらテーブルを中指でコツコツと二度、叩いた。
「けど、逃げる前に俺は一つ『最悪』を挟んでんだ。
家族だから、妹だからエマを殺せないんだと思った。俺がエマを好きで、エマも俺を好きだから殺せないと……そう思った」
「……何かすげえ嫌な予感すんだけど……」
「ハハ、兄ちゃん、正しいよ。
俺はエマを犯した。憎まれようと思ったのさ。ニコニコ笑って慕う相手は殺せない。けどよぅ、本気で憎しみぶつけてくるやつならさ、殺せるって思えてたのさ」
「うげ……」
「……でも、うまくいかなかった……んですね」
瀬良は嫌悪と拒否の感情をそのまま表に出す。麻辺はただ事実のみを認識し、そこに介在する感情や倫理を無視した。それだけではなく問いかけの形で相槌を打つことで、サイラスに話の続行を暗に命じる。
「あぁ。失敗、大失敗さ。
家族がエマを娼婦にするために色々教ィてたってのは話しただろ? それが口だけじゃなかった。『娼婦』の職じゃないってだけで、やってる……やらされてることは立派に娼婦だった。エマは本当は隠されてなかった。
おまけにそういうのはとても名誉なことで、エマにしかできないことで、とても嬉しいことだって教わってたのさ。エマは喜んだよ……俺のことも癒せて幸せだって、ニッコリ笑ってたんだ」
「……俺もうパス。無理。三十分くらい外いる……」
瀬良が降参の声を上げる。彼は返事を待たず、飛び出すようにして外に出た。足音は素早く離れていく。
麻辺はそんな瀬良に少しだけ不快感を持った。彼にとっては珍しいことだ。ただ、同胞と見られているであろう人間の離脱によって関心の源から話を引き出すのが困難になったと感じたのだ。麻辺は口下手で、またそもそも誰かと日常的に話すということをしない人生を送ってきたから、たった一人で誰かと会話をするのは不得手である。
「……アサベ、お前はだいじょぶかい?」
「え、……あ、はい……あの、大丈夫……ですけど」
「そうか。強いな……それとも鈍感か? じゃあ、最後まで話すか……。
俺は絶望したよ。エマを娼婦にしたくなくて、人間にしたくて戦争に出して……それなのにエマはもう娼婦で。しかもやらされることは幸せなことだと信じててな、それを大好きな兄がやってくるんだ。エマは本当に、きっと生きてて一番の幸せだったんだろうな。よろこんで、『また明日やろうね、幸せだねぇ』……だ」
「……」
「反対に俺はもう、この世が真っ暗だった。自分が一番汚いもんでしかなかった。死にたくなったけど、俺が死んだらエマは娼婦。死ねなかった。
……エマを壊すことにした。何日も、何日も魔法をかけた。記憶もなにもかも壊して、なにも知らない、なにも覚えられない、何もできないエマにした。エマは元々何もできなかったから、きっと表面から見たら何も変わってない。
俺も処分対象になった。国からの命令は守らねえ、禁じられた精神破壊の魔法を使う。今も使い続けている。十分さ」
サイラスはそう言う。その運命を彼はすでに受け入れており、逆らう気力はもう残っていなかったのだ。
「その魔法も最近は効きが悪くてなぁ……エマが慣れちまったんだろうさ。何もできないはずのエマは、最近、ほんのそよ風くらいの魔法を使いはじめた。俺はそれを一時的にしか壊せない。
俺は死ぬまできっとここにいる。その死はたぶん国じゃなくて、エマだろうなぁ……。ってことで、俺の話はおしまいだよ」
「……っあ、ありがとうございました。えっと……あの、話し辛いことを……あの……」
「ハハハ、いいよ、いい。気にすんな。アサベ、セラを探してきてくれよ。さすがに遠くにゃ行かんだろうけど、な?」
サイラスの言葉に麻辺は頷く。そして、リレイを背負うとその依頼通りに瀬良を探しに彼は外に出た。寝かしてやんなよ、何もしないから、という少し傷ついたような声を麻辺は無視する。
リレイを連れたのは、ただ単に麻辺が思う自分の今の役目はリレイを保護することだからだ。
家の中には妹を生かすために壊した兄と兄によって壊された妹、無垢な一言で兄を壊した妹と妹によって壊れた兄が残った。




