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本当の自分は異世界で!  作者: うしのだ
三人旅のはじまり
23/54

ある兄妹

 麻辺とリレイを乗せた荷車が切り株に激突した瞬間に「魔法」で救った男は、彼の自宅に三人を招待すると言った。それに特に反対する理由がなく、またそろそろ薄暗くなる時間帯であったから麻辺が代表してその申し出に返事をした。瀬良が何か言ってくるかと麻辺は彼の方向を見たが、その瀬良は仏頂面で麻辺のことも、男のことも見ようとはしなかった。

 麻辺は遠慮したが、男は慣れているからといって譲らず麻辺とリレイ、そして荷物を乗せた荷車を引いていた。

「兄ちゃんも乗っていいんだぜ? ほら見てくれよ、俺は力持ちなのさ」

 男はそう言って右腕を離すと力こぶを作って瀬良に見せる。だが、当の瀬良は荷車から五メートルの位置を維持しており、また足元を見ていたからそれに答えることは無かった。当初、瀬良が疲れているのかと考えた男は、瀬良が追いつけるように足を止めることもあったが、そうすると瀬良もその場で足を止めていた。それにより瀬良が己の申し出を受ける気は全くないことを理解した男は苦笑し、ただ「はぐれちゃいけないぜ? あと、疲れたら言ってくんなー」と笑って歩みを進めていた。

「おう、見いてきた見いてきた! ボロくて悪いけどなぁ、ンま、今日は雨の気配もないし、ゆっくりしてくれよなぁ」

 間延びした口調で男が言う。「ほら、あそこ」と彼が指さす方先には、木々の合間にぽっかりとした空き地があり、そこに藁や石の塊が乱暴に、しかし計算され尽くして積み上げられていることがわかる家があった。

 そこで男は足を止め、麻辺の方を振り返った。

「じゃあよ、ほら、あがってくんな」

「はい。……あ、えっと、ありがとうござ、……いました」

 麻辺は一言礼を言うと荷車から降り、すぐに振りかえってリレイのことを背負った。彼女はまだ眠ったままで、起きる気配すら見せない。

 麻辺はリレイの体を安定させると、男の方を見た。やはりその顔を正面から見ることはできず、彼の視線の方を見る。その先にいたのは瀬良で、彼はやはり五メートルの位置を保っていた。

 どうやらこれ以上近づくつもりはないらしい。

 男はそれに苦笑する。そして、荷車の方を見て、次に取って付けたような家の扉、そして空っぽの荷物置き場となるスペースを見比べる。彼は数歩荷車から離れ、その大きさがどの程度か測っているようだった。

「ああ、こいつは入んねえからなぁ、そうさ、これ乗しとくわ」

 男はそう言うと扉の前に丸めて立て掛けられていた、細い植物の茎を編んで作られたシートを荷車に被せた。麻辺はそのシートから数匹のバッタのような虫が驚いて跳び跳ねていくのを見て、どうやらこれは落ち葉避けにしかならないようだと思った。

(……まあ、卵とかは産み付けられないと思うし……あ、非常食になるか……)

麻辺はそう思いながら、男の親切に軽く礼をする。そのせいでずり落ちてきたリレイの身体を、反動をつけて背負い直した。

「はいはいさてさて」

 麻辺の隣にいた男はそう言うと、ずんずんと大股で今来た道を戻る。正確に言えば瀬良を迎えに進んでいくのだが、その違いは小さなものだった。男が自分の方向に向かってくる理由を察することができない瀬良ではない。

 とはいえ、ここで逃げてしまえば自分の先行きが不安定なのを瀬良は理解していた。そのためただ居心地が悪そうに、最大限の嫌悪で小さな期待を覆い隠しながら彼は男の方を見た。

「……んだよ」

「兄ちゃんも家に来てくれよ」

「……」

「客人は多いほうがいいのさ。俺はよぅ、ずー……っと、きっと、そう、()()()()まで――」

 ――ここに住み続けるのさ――という男の言葉は消え去る。その理由は、自身を睨み続けていた瀬良の一瞬の揺らぎだった。その揺らぎを男は知っている。

 男は大きく息を吐いた。自分より背が高い人間は稀であったし、体格こそ劣るもののそれでもいい部類に入っている瀬良を見て、それが一種の偏見を作っていたことを思い知っていた。

「兄ちゃん、来てくれよ。俺はまぁ、そうさな……うん。何年たっても、きっと説明はできんだろうなぁ。けど、動きで見してやれるよ。だからな、ちょいとでいいのさ。一晩(いとばん)でいい。一晩(いとばん)でいいから、ちょいとだけ俺の人生に関わってくんねいかい?」

 男はそう言う。学がない彼にとって言葉で説明し共感を得るということは難しい。それは彼自身が一番理解していることだ。

 いざとなったら、眠らせて……と男が野蛮な思考の輪郭に指先を触れた時、瀬良はわずかに頷いた。それは何らかの反応を期待していなかったら見逃してしまう位のものであったし、また、その反応を自分のいいように解釈できるくらいには曖昧だった。男は後者の人間であり、ニィと笑うと、丸太のような太さのよく焼けた腕で瀬良の肩を叩き、そのまま誘導する。

 五メートルの距離を移動するのには十秒も必要ない。そんなわずかな時間ではあっても、瀬良はひたすらに気まずかった。苛立ちややるせなさ、不満や嫌悪感で彼は今目の前にいる二人を殺そうとした。

 瀬良が抱いたのは決して積極的な殺意ではない。ただ、「死んでも構わない、仕方がない」という、所謂未必の故意といわれるようなものだ。手を離し、落ちていく荷車を見ても彼は努めて無感情でいようとしていた。

(……いつかこれになんか言っても『僕は瀬良君を恨んでません』なんだろうなぁ……)

 相変わらず無表情のままの麻辺を見て、瀬良は思う。その様子がありありと想像できた。

 麻辺は本心では恨みや怒り、もしかしたら殺意まで抱いているかもしれない。だが、彼は決してそれを表に出さない――否、出せない、と瀬良は思い直す。高校での放課後、空き教室での公然の秘密の暴力が彼の脳裏に浮かんだ。

 殴る蹴るといった肉体的な暴力。

 衆人環境での自慰の強要――さすがにやったことはないが――という精神的暴力。

 面白半分、ほんの気まぐれ、人生のより道を少しだけ彩りたいという理由でそんな最悪を向けてくる人間達の機嫌を損ねたい人間がいるだろうか?

(……)

 汚れたボロボロのランドセルを背負った、同じくらい汚れていた枯れ枝を思わせる少年が、金髪で刺青をした男に殴られているのを見て息ができなくなったときの感覚を、瀬良は思い出した。

「最悪……」

 瀬良は呟く。それは自分に対するものだったが、それを聞いた人間がそう解釈するとは限らない。

 実際、それを後ろで聞いていた男は自分の家のボロさを不満に思っての発言だと解釈して申し訳なさそうに首の後ろを掻いた。麻辺は瀬良の発言の意図を解釈しようとすらしない。彼にとっては、瀬良のそんな発言は特に気に止めるようなものではない日常だったからだ。

「ん、じゃあ上がってくれよ」

 男は笑う。





「はい、お茶になってます。ごゆっくりいてください!」

「あ、ありがとうございます……」

「どーういたぁしまして!」

 幼稚園児のお遊戯会のような口調で話すのは妙齢の女性だ。背は高く、胸は膨らんでいる、立派な大人の女性である。彼女はエマ=コンプィという名だとはじめに挨拶した。

 エマは麻辺のお礼に対してにっこりと笑う。五歳の女の子が客人にお茶を運ぶという名誉な手伝いをやり遂げた、そんな状況を思わせる。それを大人の女性が行うというのは、歪だった。

「エマ。今日はどうする?」

「ええとねえ、お客様いっぱいだもんねえ」

「イパテの肉を出すか?」

「いいのお⁉ サイラス、今日はイパテ食べていいの⁉」

「バカ、メインはお客さんだよ」

「でも食べていいんだねえ。じゃあ、私、いっぱい頑張るからねえ!」

 エマは数回その場で飛び跳ね、サイラス――麻辺達を招いてくれた男で、エマの兄である――の頬にキスをした。サイラスもそのキスに応え、エマは鈴のような声で笑うと奥の部屋に消える。

 そんな彼女が消えた扉を麻辺はぼんやりと、瀬良はどんな対応をしていいかわからないと言ったような表情で見ていた。リレイは未だ眠っており、しなび切った果実のような状態のソファに寝かされている。

「ハハ、悪ィな」

 妹のことに思う所があるらしいサイラスは申し訳なさそうな口調で言う。

「そのお茶、捨てていいからな。気持ち悪いだろ」

「え……いえ、あの、別に気持ち悪くは……」

「いやいや、気遣わんでいい。エマみたいなのは、そう思われて当然なのさ」

「……は?」

「お、兄ちゃん喋ったな。喋れんなら大丈夫、一晩眠りゃあ元気になるよ」

 サイラスは笑う。その白い歯を見せて、完全にそうだと信じている様子だった。

「……仕方ねいのさ、エマは普通じゃない。はじめっからそうだった。いつまでも字が読めない、書けない。数字ももちろんできない。俺も学は無いけどよぅ、それでも覚えられることが、覚えなきゃならんことが何一つできなかった」

「……」

「知的障害、ですか?」

 遠慮なくそのワードを口にした麻辺の横腹を瀬良が抓る。麻辺は突然のことではあったが、それでも慣れたうちの痛みの一つだった。そのため彼は瀬良が抓ってくる理由を頭の中で探す。

 だが、その答えに辿り着く前にサイラスが口を開いた。

「チテキショウガイ? さてねえ、そういうのは聞いたことねえや。だからチテキショウガイじゃあないんじゃないか?

 ……身体だけでかくなってって、それでも内側はガキンチョさ。加減を知らねえ。自分の思い通りにいかねえと泣き喚く。三歳の子がやるんだったらゲンコツくれて教え込むけど、それでも愛らしいじゃねえか? エマは、まだそれをやるんだよ。二十八の、もうガキ産んでて当たり前の年の女が。

 ……兄貴じゃなきゃ、俺はもう見捨ててるよ」

 そう言うとサイラスは立ち上がり、エマがたった今出してきたマグカップ三つを持つ。その中には琥珀色のお茶がなみなみと注がれていた。それはまだだれも口につけていない。

 サイラスはその中身を窓の外に捨てた。乾いた大地にそれはすぐに吸い込まれていく。

 そして彼は当然のようにそれらをキッチンに下げた。そして、エマでは届かない高さの棚から薄く埃が積もっている瓶と、小さな樽のようなものを四つ持ってくる。それは木を加工して作られたコップだった。真夏の暑い日の喉を潤せるくらいの量が入る大きさだ。

「こっちは()()()だ。エマが触ったことはない。安心してくれ」

 そう言って彼は四つの樽に水を注ぐ。一つを麻辺に、一つを瀬良に、一つをリレイの枕元に。最後の一つを自分の目の前に置いた。

「……別に俺……気にしねえんだけど……全然……」

 サイラスが水を飲む喉の音だけが響いていた中、瀬良が小さく呟く。麻辺もそれに頷いた。

 そんな二人を見て、サイラスは心から驚いたようだった。ほんの数秒前まで休まず動いていた喉は停止し、彼の顎から二筋、水が落ちてテーブルに小さな水溜まりを作った。

 薄いグレーの目は大きく見開かれ、麻辺と瀬良を交互に見ている。瀬良の言ったことが、それに同意した麻辺のことが信じられない、といった表情だ。

「……馬鹿言っちゃあいけねえよぅ」

 その一言が、サイラスが発することのできる唯一の言葉だった。彼は大きく息を吐き、頭をガリガリと掻いた。思考の整理ができないようで、彼の目は住み慣れた家の隅々を往復する。

 いや、エマの消えた扉を無意識的に避け、それ以外の場所を凶悪な事件現場に迷い混んだ少年のような表情をして、あちらこちらに視線を散らしていた。

「……綺麗事だ。兄ちゃん、それは綺麗事だ」

 サイラスは囁く。その声量と裏腹に、彼はこれから言うことに確信を抱いていると雰囲気で伝えてきた。

「最初は……もっとマシだったんだ。頭は悪かった。けど、ニコニコ笑って、無害な子だったんだ。親はエマを嫌ってやけど、俺は好きだった。エマも俺になちいてた……。

 けどなぁ、駄目だったんだ。エマも戦争に行ってよ……決定的にぶち壊れちまった……」

 サイラスは大きな掌で自身の顔を覆った。運命を悲観していると言っても過言ではないという様子に、瀬良は心の中で舌打ちをした。こういう空気を彼は苦手としており、また、その発端が自身であるということを自覚しているからだ。

 瀬良はチラリと、ほんの一瞬麻辺とリレイを見た。彼のプライドは決してこの二人にすがろうとはしないが、期待を抱くことを止めることはできない。

 そんな瀬良の心を知らず、リレイは眠ったままである。今の彼女はまるで死に美を見出だすコレクターが大金と引き換えに手に入れようとする死体のように見えた。

 また、麻辺も瀬良の心を推しはかることはない。彼としては瀬良の言うようにエマが持ってきた水を汚いとは思わない。そして、エマに最も寄り添うべき人間であるサイラスがいかにして妹をそのように扱うかについて、まるで興味が持てないのだ。

 ただ、彼が話したいのであれば話せばいい。麻辺の頭にあるのはそれだけで、止める理由も、またその逆も持ち合わせていなかった。

 サイラスは掌の奥で大きく息を吐く。彼の中で心が決まった。

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