領主令嬢公認誘拐
警備隊長に椅子を勧められ席に着いた麻辺と瀬良だったが、二人の態度はお世辞にも今から話を聞く人間のするものではなかった。
瀬良は目の前に座る人間がたった今人を殺す決断をしたこと、それに対する秘めた抵抗感があること、なおかつその決断に自信と誇りをもっているという多くの矛盾が重なっている状況を直視することができなかった。それはそのまま態度に現れ、彼は不貞腐れたようにテーブルに肘をつきそっぽを向いていた。正面にある窓と、そこにある景色を見ないように、というのもある。
麻辺はそんな瀬良が理解できなかった。その決断をしたのは目の前の人間であり、自分たちが背負う責任は無いように感じていたのだ。リレイの話からこの世界は戦争をしているのだと麻辺は知っている。ならばこういった決断は日常とまではいかないものの、どこかで誰かがしていることだろうと思っていた。だからわざわざそれに触れ、無意識だろうが感情だけでも戦争に参加しようとする瀬良が不思議でならなかったのだ。
「初めに断言しておく。リレイ様に何かあった場合、お前達の命は無い。そしてお前達の国……《ニホン》が再び栄えることも決して、無い」
「……、そりゃそうだろうな。つかそもそも俺達バラバラに散ってるし、たとえ《日本》ができたとしても集まってくるかビミョーだ。戦争してるところに国を作って平和に過ごすとか、できる気がしねえよ」
瀬良がオーガスタに話を合わせる。先程オーガスタが「難民」という語を出したことで、いや、そもそも麻辺が自分たちの出自を「難民」と偽ったためにそれが記憶の片隅に残ったことで、瀬良の中で何かしらの準備が整っていたのだ。
戦争で故郷を追われ――この世界の最古の国すら遠く及ばぬ果てしない時を経てしても帰ることは叶わず、それでいてしっかりとした帰属意識を持ち続けている。国を持たぬがゆえに戦場の中を生き続けなくてはならない。そんな人々が望むことは一体何か……そんな心の奥底の無意識の問いの結果が、瀬良の口から答えとして出る。
「理解しているのなら話は早い。お前たちは命を持ってリレイ様を護れ。……ナンミンは、戦の狭間ですり潰されて消えていく民族をお前たちなりに表した語なんだろう?」
「すげえ失礼な言い方だな、おい」
「……」
難民という概念がないオーガスタに悪気はない。彼女としては伝えられたことが真として推測される事実をありのままに言っただけだ。だが地球で育った瀬良と麻辺には難民というものがどういったものかは何となく知っており、瀬良はそれが彼女の言うものとは異なっていると感じたが故の咄嗟の発言だ。彼が同時に麻辺を小突いたのは、そもそも「難民」という語が出ることになったのは麻辺の発言によるものだからである。
だが、オーガスタはそれを《ニホン》という国の民族のプライドと解釈する。二千年の時を経ても、それこそ不確かな伝聞ばかりで事実などほんのひとかけらにも満たないそれに縋る「ナンミン」の瀬良を彼女は心の奥底で哀れんだ。麻辺に対しては彼はもう《ニホン》という国を信じていないのだろうに、瀬良がそれを許さず従わせているように感じただけである。
「……っ、あの、ゆ、……リレイさんを、誘拐する、というのは……?」
瀬良の小突きを、自分が発言しないことを責めていると解釈した麻辺は言葉を絞り出す。彼ははじめに「誘拐犯になってもらう」と言われたときにはすでにそのつもりだったので、その理由を改めて問おうとは思っていなかった。だが、彼の思い込みとはいえ瀬良に発言をするよう促され、それに逆らわずまた有用と思われる発言を、との考えだ。
麻辺のそれに対してオーガスタは頷く。それを見てから麻辺は隣に座る瀬良を、目だけを動かして見た。瀬良は相変わらず正面の窓も、その前に座るオーガスタも、そして隣に座る麻辺の方も見ていない。だが、聴く姿勢だけは持っているというのが麻辺には理解できたので、麻辺は自分の問いが瀬良の機嫌を損ねるものではなかったことに安堵する。
「リレイ様はこの領地を継ぐ唯一の人間だ。彼女に何かあってはならない。だが、現在クロッシェンは敵対勢力に攻撃を受けている可能性がある。……これが前提だ。話を進めて構わないな?」
「……あ、あ、はい。おねが、いします」
「リレイ様をこの状況でクロッシェンの外に出すのは、『可能性』を『現実』にすり替えることに他ならない。事実か否かではなく、そう『解釈』できるかどうかだ。特に敵襲となれば国境に位置するクロッシェンが戦場になるといっても過言ではない」
オーガスタはリンダの言葉を借りながら、麻辺と瀬良に説明する。麻辺はそれに頷くことで理解を示し、瀬良は何も反応を示さないことで同様のことをオーガスタに伝える。
「クロッシェンの意思でリレイ様が外に出ることは避けなくてはならない。だから今彼女を学校に進ませることも得策ではない。その理由を今のクロッシェンと結びつけずにいられる民などいるものか。
だから、お前たちには誘拐犯になってもらう。そうすればこの騒ぎが『お前たちの仕業』となり、私達はリレイ様奪還のためとして正しく人員を割ける」
「罪増えてんじゃねえか‼ 誘拐罪どころか内乱罪的な名前の罪がくっついてんぞ!」
目線は壁でも話は聴いていた瀬良がオーガスタの方に身を乗り出して叫ぶ。それを受けて彼女は声量を抑える様にジェスチャーをしながら、面倒くさそうに付け加えた。
「……あぁ安心しろ、名目上はお前たちの排除とリレイ様奪還として彼らは動くが、実質的にはリレイ様を含めお前達の警護だ」
「……あー、それなら……」
「よくねえよ⁈ おい麻辺、お前も少しは考えろや。クロッシェンの中で終わるんだったらよ、クソ不本意だけど話に乗ってやらないでもねえ。けどな、ここから出てくんだろ? つーことは他の領地にも入んなきゃいけねえんだよな?」
「……そうだな」
瀬良の問いかけに対して、オーガスタの同意は少しだけ間があった。瀬良は一瞬得意そうな顔をしてから身体を麻辺の方に向けて、左手で彼の頬を半ば掴むようにして押さえる。麻辺はその理由が分からなかった。ただ、頬の柔らかい部分に食い込む瀬良の伸びた爪にチリ、と痛みを覚えた。
瀬良は顔はオーガスタに向けたまま言葉を続ける。
「チッ、不満そうな声しやがって。お前みてえなのが考えるのは意外と分かんだからな。
国の中に領地があるとこは、大体その領地ごとの法律があんだよ。クロッシェンで無罪でもその他の領地じゃ有罪ってのは笑えない話だぜ? そこまでは俺達を守らねえんだろ? お前らが守るのはあくまでリレイだ、俺達はそのついで」
「……」
「クロッシェンが平気で、ただの地震ってだけなら俺達はお役御免、むしろグランペだっけ? そこの人死にの目くらましでぶっ殺されんのがオチだろ。『地震を引き起こして目くらましをし、リレイ様を誘拐した下手人は殺しました。この首がそうです、さあ唾を吐きかけな。そして今回の犠牲者に黙祷を』……どうだ、意外といい線いってんだろ」
「……」
「……へあうゅ」
「黙ってろ麻辺。つかさ、警備ってそれは俺達より強い自信があるんだよな? だからそう言える。……実際そうだろうよ、俺と麻辺は難民だから魔法は使えねえ。リレイも片腕で十一の女、魔法はまだ微妙なんだろ? んで、警備の人らは強いんだろうさ、魔法もバリバリ使えるんだろうな。しかも領主の娘の誘拐犯を追うんだ、すげー強くて頭もいいやつなんだろ? そりゃもう気軽に殺せるんだろうな、俺達を」
瀬良はそこまで言うと麻辺の頬を離し、オーガスタの方に身を乗り出す。テーブルがあるとはいえ、それが障害物として果たす役割はほとんどないと言っていいだろう。それくらい瀬良は敵意を見せていたし、わざとらしく指の骨をパキパキとならし威嚇する。オーガスタはそれに眉一つ動かさず、冷静に瀬良のことをを見ていた。
「答えらんねえか。図星だな?」
「……そうだな。否定はしない程度には当たっている」
「ハッ、だろうと思ったぜ」
瀬良が鼻で笑う。心底馬鹿にしたような表情だった。それは先程まで人が死ぬことに本能的に嫌悪感を持っていたことを隠すためのものでもあり、また平和な日本で生まれ育ってきた彼にとって殺人とは罪であり非日常の代表であることによるものだ。
「で、麻辺。お前なんか言おうとしてたよな?」
「え、あ……」
「わざわざ口挟んだんだ、なんかあんだろ? じゃねえと承知しねえからな」
「……。あっ、あの……。僕、は別にいいんです。リレイさんが死んだら、あの、まあ……皆さん、困るみたいだし……。僕は全然、あの、ここではしがらみとか無いし、だから……利用されても、別にいいんですけど……僕みたいなのは死んでもまあ、仕方ないし……」
麻辺はそこでいったん言葉を切る。瀬良に促されたための発言とはいえ、彼の言葉と異なるそれを言うのは緊張したのだ。また、「警備隊長」という麻辺の今までの常識に無いとはいえ、一つの自治体を守る長という権威の象徴の一人に意見するというのも、彼を消耗させた。
麻辺は自分を落ち着かせるために腕時計を握った。自動巻き式のそれは麻辺の掌の中で無機質に動き続ける。日本にいた時から、それこそ前の持ち主がこの時計を手に入れた時からそれは変わらないのだろう。麻辺は口の乾燥を感じながら、再び口を開く。声がかすれていたのは、彼の想像の範囲内だった。
「……あー……えっと、はじ、はじめは誘拐ってことにしてもらって、あの……いいです。だけど、あの……それ、が、あの……間違いー……じゃなくて、あ……すいません、あの……誤解だったって、してもらえないですか?」
「話は聞こう」
「えっと……リレイ、さんが誘拐されたのは本当ってことにして……あの、僕と瀬良君が気付いて追っていった……みたいなのとか……あの……。僕達戦えないですから……だから……リレイさんが自力で脱出したとか……あの、そういう、ストーリーを……あの……すいません……」
ただでさえ掠れていた麻辺の声は、最後の方はほとんど吐息だった。それでも瀬良とオーガスタにその内容は届く。部屋が静だったこと、報告が届かず麻辺の話に集中できたことがその理由だった。
「……すいません」
麻辺は沈黙がいたたまれず、誰にでもない謝罪をする。自分の言葉が無意味であるように感じたし、それによって二人の時間を奪っていると本能に刻み込まれた恐怖が判断したのだ。それによる反射的な、ほとんど意味のない謝罪だった。
オーガスタは腕を組み、長く息を吐く。その大きな音に麻辺の体が揺れた。両腕を持ち上げ、すぐに防御の体勢に移れるように彼の体は無意識に動く。
「……確かに、そうであればお前たちは死なないだろう。だが、……いや、よそう。グラッぺの犠牲は必要なものだった。今必要なのは犠牲をそれのみにとどめることだ」
「……じゃあ……あの、……」
「お前たちはリレイ様誘拐犯として彼女をこの地から連れ出すことは変わり無い。だが、それ以降は臨機応変に、お前たちの判断で彼女を護れ。もちろん、本当に危険な場合は奪還人員が表に出るが、それも最低限にしよう」
「その最低限は俺たちを殺すときだろうな」
「……瀬良君……」
「そうならないように祈れ。リレイ様には暗示をかけ、入学予定の学園に近づいたならば、お前たちを振りほどきそこに逃げ込むようにする。お前たちのことは奪還人員が捕らえ、クロッシェンの法で裁くように働きかける」
「……」
「そうだな、二月くらいは屋敷の中で暮らしてもらうことになるだろう。獣の死骸が手にはいれば、それを加工し死罪と見せかけ晒すこともできる。
……もしこれがただの地揺れならグラッぺの生き残りは不満を抱くだろうな。恨むべき対象と信じてきたものは実は領主の娘を逃がした英雄で、本当のそれはただの自然現象だ」
オーガスタの声色には不自然な暖かさがあった。今までの彼女には決して無かったものだ。
それに気がついた麻辺が顔を上げる。彼がどう切り出すべきか悩み、ゆるく口を開けては閉じるのを繰り返しているのを見てオーガスタは微笑んだ。
「私はその頃には死んでいるだろう。仮にこの揺れの正体が開戦の第一歩であれば、己の目の前で散っていく兵に冷静でいられるものか。しかも私の命令で死んでいくのだ。私が、殺す――
ただの地揺れでも私は冷静にいられまい。それであれば最後まで救助に専念すべきだったのに、私は彼らを燃やし尽くすのだ。恨みは背負えても、後悔と罪悪感を私は背負えない人間だ」
その微笑みは一種の懺悔だった。自虐、そしてこのような状況でも微笑める「異常者」の仮面をつけて己を処罰対象にする。それが今オーガスタにできる彼女の保ち方だった。
「訳分かんね……」
「……」
「訳分かんねえよ。お前のやったことじゃねえか。最後は他人に押し付けて自分は死ぬ? ふざけんな。逃げねえで責任取れよ、やったことは最後まで……」
瀬良の言葉がそこで途切れる。彼の視界の端、そこには麻辺がいたのだ。これ以上の発言は自傷行為だと瀬良は気づくが、それでも言わなくてはならなかった。そうしなければ彼の中で今から発する言葉は空虚なものとなる。
「最後まで責任取れ。目ェそらすな。自分のやったことは全部見ろ、そんで背負ってかなきゃいけないもんだっつーの。お前はそういうことをしてんだよ。分からねえ訳ないよな、警備隊長サン?」
「解るからこそ、だがな。……まあいい、お前の忠告も頭にいれておこう。
……明日、夜明け前に発って貰う。物品の準備は私たちに任せて、今は眠れ。簡単な地図も用意しよう」
彼女の言葉が解散の合図だった。瀬良とオーガスタはほとんど同時に、二人が立ったことに気づいた麻辺が数秒遅れて立ち上がった。
部屋まで人をつけて送るという警備隊長の言葉を瀬良が断り、二人は無言で与えられた自室のある方向へと歩く。
「……」
「……え、あ……えっと、あの、お休みなさい……」
「……あぁ。……」
そんな短い会話をして、二人はそれぞれの部屋に入る。