第5話
「まずは貴方の現状から説明するべきかしら? 順を追って説明されないと解らないでしょうからね」
そんな前置きから入った白い猫は、適度にこちらをバカにしながら今の状況を説明してくれた。
まず第一に、この世界は彼女の推察通り俺側の世界を軸にして世界が歪められているという。
午前零時。今日の終わりと始まりを意味するその時に、あの恐るべき少女の魔法によって日を跨ぐことなく恐怖の一夜が始まったのだという。
「節穴のような目だとしても、しっかりとあの時計塔を見なさいな」
猫の顔を向けた先を見れば巨大な時計塔が見える。
まるでかの有名なビックベンのような時計塔は、例え遠くに見えても長針と短針がよく分かる。
だが見ていると短針と長針がおかしいことに気づく。
ガチャ、という音とともに長針が戻ったのだ。
「……時間が、戻ってる?」
「そうよぉ。低脳な割に良い目を持っているようね。あの時計はアナタたちと違って正確に時間を計っている。この世界の終わりの時をねぇ」
「終わり?」
「分かり難いなら寿命と言い換えてもいいわ。貴方の知っている正常な世界がこの世界に浸食されるの。誰もが知らないうちに悪夢に飲まれる。まあ大したことじゃあ無いけどね。ただ死ぬだけだし」
「死ぬだけって……いや、一大事だろうっ!?」
「そう? 老いることも餓えることも無い。遊んで暴れて、犯して犯されて、狂って壊れてまた遊ぶ。全てが自由な夢の箱庭。それがこの世界。見てなさい、あの時計を」
猫が言う時計塔の巨大な時計が、丁度十一時を示すと時計が中央からわかれていく。
その中からゆっくりと姿を現したのは、日本ではフィクションやネットでしか見たことのない拷問器具、開かれたままのアイアンメイデンだ。
中には首輪と手枷をはめられた女性が立たされており、その顔が左右に振られて暴れているのが遠目でも分かる。
これから何が行われるのか解らないが、ふと、まるで鳩時計のようだと思った時だ。
「……鳴きなさい……」
猫は小さな呟きとともに、抑えきれない獰猛さが口角に表れる。
けれどそのことに一切気付くことはなかった。
それは頭の中で嫌な想像がその声よりも勝っていて見れなかったからだ。
アイアンメイデンの内側は鋭く、かつ太く尖った針が何本も所狭しと設置されている。
見たくないのに頭は万力で固定されたかのようになぜか動かない。
そして、猫の声を脳が処理しようとする前にそれは起きた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
街中に木霊する悲鳴。どこからともなく聞こえる熱狂的な歓喜の咆哮。
さらに拷問器具は、頭部以外の胴体部がぐるんぐるんと回転する。
距離があるのにむせかえる程の血臭と肉を引き裂く音が今にも届きそうな私的制裁現場。
あんな針だらけだった中は、今頃ミキサーにかけられた肉のように、ミンチになっているのかもしれないと簡単に想像させる。
そんな凄惨な処刑を行ったアイアンメイデンが動きを止めれば、底が抜けて中の肉塊が落ちていく。
さらに、顔の部分が開くとそこから残された頭部だけが耳を翼に変えて空へと羽ばたいていくのだった。
視線を逸らさなければと思うのに、身体は脳から発信される命令を無視し続けていたが白猫の声によって油切れの機械のように頭が動く。
「素敵でしょう? 心が洗われるような声よね」
「ば、バカなこと言ってんじゃ……!」
「駄目。そいつを真面目に相手にしないほうがいい。馬鹿がうつる」
「高尚な嗜好というのは凡人には理解できないものよ。胸無し風情が」
ただでさえ険悪だったのに、一触即発の雰囲気へと変わった気がする。
居心地が悪いという程度ではなく、今すぐこの場から逃げ出したいくらいだった。
「まぁ路傍の石には興味ないわ。さっさと用件を済ませましょうか。そこの非モテ男子の貴方。貴方には生き残るチャンスを与えましょう」
「チャンス?」
「えぇ。限られた時間内、あの時計塔の時計の針が二周。つまり二十四時間をタイムリミットとして、この世界から脱出することが貴方の勝利条件。この世界で貴方が一度でも死ねばゲームオーバー。貴方はこの世界で永遠を過ごすことができる」
さすがハロウィン。ハードモードを超えたナイトメアモードだ。
鬼畜難易度も裸足で逃げ出す狂ったゲーム設定を意気揚々と語る猫なんて、どんな愛猫家でさえも見放すのではないだろうか?
「敵を倒す手段とか……無いのか?」
「肉塊となっても襲ってくるわ。それでも使うなら銀の弾丸でも見つけるのね。狼男くらいなら倒せるかもしれないわねぇ?」
「……つまり倒す手段はないんだな」
「そうかもねぇ。もしかしたら私の思いつかない方法で倒せるかもしれないけれど。命懸けの挑戦になるのは明白よ。大冒険の始まり始まりってね。まぁこれは一種のお遊び。最初の道標くらいはあげてもいいかしら」
白い猫が何かを呟くと、尻尾の先端、人間の手のひらの形をした場所から淡い青色の炎が灯る。
それからは熱さを感じず、まるで日本の昔話に出てくる火の玉や、海外のウィルオウィスプを連想させた。
しばらくすると、ゆらゆらと火の玉は揺らめいて徐々に姿を変えていく。
火が全体的に小さくなり、玉の部分から何かが出てきたというべきか。それとも生えてきたというべきか。
その先端は錠を外すための鍵と姿を変えていった。
「この鍵をあげるわ。貴方が向かうべき場所の鍵よ」
ポイっと投げ渡される青白い鍵は装飾なのだろうか?
普通の鍵ならば持つべき場所がゆらゆらと揺らめく青い炎ままで、反射的に熱いと思って落としそうになった。
「熱くない」
「魔法の鍵よ。熱を付与することもできるけど……私が手を出すのはまだダメなの。あの娘に叱られてしまうわ。愛しい愛しいあの娘に躾けられてしまうわ」
くすくすと笑いながら猫は塀の上から飛び降りると、地面に吸い込まれ影絵となる。
そしてその影は建物の影と混ざり合って消えた。
「何だったんだ。アレは」
「………………化け猫よ、ただの」
呟く声はか細くて、よく見れば彼女の体は震えていて、それでいてその表情は憎しみに満ちている。
こんな表情を今まで生きてきて見たことがなかった。
怒ったり、泣いたり、笑ったり、苦しんだり、どうでもよかったり。
家族や友人たちの顔を思い出してみてもそんな顔ばかりで、こんな顔は一度だって見たことがなかった。
だからだろう。
「あんた、名前は?」
名前なんて訊きたくなったのは。