第2話
デパートから出ると既に夕暮れ時。
少しずつ太陽が沈みかけ、空の色を一層深く赤色へと染めていく。
この瞬間だけ地上も空も同じ色に染まっているように思えて、少しだけ物悲しく感じてしまう。
だから別に、あのチョコよりも甘そうな関係を見てて胸焼けをしているだけでイライラしているワケでは断じてないし寂しくもない。
腸が嫉妬によって煮え返っているなど絶対にない、はずだ。
「……はぁ。鬱だ」
スマホを見れば時刻は四時頃と表示されていて、少しばかり微妙な時間。
家に帰ったところで特別何かをするワケでもない。
パソコンやゲーム、マンガやラノベを読んだりして、少し早めに風呂に入って母親の用意した飯を食べる。
その後ぼんやりとドラマなどを見て眠くなったら寝るだけ。
何の変化もない決まったレールの上を走る電車のような生活。
だからこそ解る面白味のない先が読める|到着駅(人生)。
「いや、どうだろう。電車なら線路の切り替えすりゃいいんだし」
家路につきながらボヤいてみても、自分で線路を変える気など無かった。
線路を変える。そこにリスクが有るからだ。
現在のリスクと変えた先の未来へのリスク。
あぁでも、だからこそ自分は電車のような者なのかもしれない。
電車は別に好きで線路を変えているのはではない。
誰かが操作して線路を変えているのだから。
自分もまた同じ。
誰かに未来への保証とリスクの責任を擦り付け、その上で変化を求めているという隠しきれない浅ましさ。
はたから見れば腑抜けのチキンだ。
「そらぁ……モテないよなぁ」
何度目かの溜息を吐いていると、家の近くにある公園に着く。
公園は中々に広く、沢山の赤く色づいた紅葉が訪れる者たちを迎える。
中央付近のベンチでは夜になるとカップルの憩いの場となるらしい。
何でも丁度良く周囲から木々が隠してくれると言われているが、実際のところベンチよりも木陰へと物音たてずに忍び寄ったほうが出会い易い。
中学のころ自販機にジュースを買いに行ったときの経験談から俺は知っている。
「ん~……ま、休憩してから帰るか」
公園を真っすぐに突っ切って数分で我が家となる。
家に帰ったところで口うるさい母親が出迎えてくれるだけ。
青春真っ直中の高校二年生たる男が、口うるさい母親の待つ家に即座に帰るべきだろうか?
「ありえない」
答えは簡単に決まり、公園中央へと移動する。
すると運が良いのか悪いのか分からないがベンチは開いており、耳をすましても普段は子どもの笑い声がする公園には人の声はしなかった。
もちろん、見知らぬ可愛い女の子が一人で腰掛けていることはない。
現実と空想は今も次元という巨大な壁に阻まれ続けているのだろう。
「期待なんてしてないけど。してませんけど……なんか裏切られた気分」
ドカッとベンチに腰掛け、デパートで買った菓子類を選ぶ。
袋の中には駄菓子からお酒のおつまみとされる物まであるが、公園で食べるのは何が適しているだろうか。
夕焼けの夜空。人気のない公園。手にあるのは幾つもの菓子類。食すはただ一人。
メンタルが弱い奴ならば涙を流したくなるような状況下で、俺が選択するものは―――
「トリック・オア・トリート♪ お菓子くれなきゃイタズラするぞ♪」
―――幼い声で脅しにくる誰かへと顔を向けることだった。
ベンチに座る俺を、やや見下ろす形で少女は立っていた。
ツギハギだらけの海賊衣装を纏い、長いオレンジ色の髪を後ろで三つ編みに纏め、ギザギザの斜線によって半分だけ顔が見えるように作られた実物大のカボチャマスク。
控えめな胸元と腰の帯には映画の海賊が使うようなフリントフロック式の銃が吊り下げられ、手にはコウモリの彫刻が先端についた杖を持っている。
一言で纏めるならハロウィン姿の海賊だ。
きっと誰が見てもそういう評価しか出ないだろう少女が、公園のベンチで菓子を持つ俺に向かってあの決まり文句を言ったのだ。
「あ~……うん、強盗?」
「ノンノン。見ての通り海賊です」
そんなことは察せられる。
しかし強盗と海賊の違いなど大して無いのではないか。
山賊と海賊ならテリトリー的な意味で話は分かるのだが……ロマンがあるか無いか、だろうか?
まぁ解らないことは深く考えないのが自分流の生き方なので、今は手元にあるスーパーの袋を彼女に中身が見えるように広げる。
それだけで言いたいことが解った少女が、口笛を吹いて訊いてくる。
「オススメはあるの?」
「当店はオススメ以外入っておりません。ご自由にどうぞ」
「ほほう~? な、らぁ~………コレにしようかな♪」
「……っ!? 高級チョコを選ぶとは血も涙もねぇのかっ!?」
「フッフッフッ。なにせ私は海賊なので」
少女はくるくると回りながら俺の真横へと座る。
俺が中心に居た所為か、若干ベンチが浮き上がったが少女は気にも止めずササッと包装紙を取ってチョコを口に含んだ。
「ん~♪ おいしっ」
「そらまぁ、それなりのお値段してるんで。友達と遊んだ帰りか?」
「そんなとこ~。お兄さんは? あんまり楽しそうじゃないね?」
「大人にゃ色々あるのさ。聞くも涙、語るも涙のハードボイルド的なことがあったのさ」
「えぇー? 明日はハロウィーンだよ? 普通は楽しくて嬉しくて待ち遠しくて夜も眠れなくなるくらいじゃない? 明日の仮装は何にしようとか。どうやって驚かそうとかずっと考えちゃうでしょ?」
「そんなワケがない。クリスマスじゃあるまいし」
「むっ。それは私にケンカを売ってるの? あんな血染め親父の行事にハロウィンが負けてるとでも?」
少女は白い頬を膨らませ、朱色の瞳で俺を睨む。
日本人離れした外見をしていながらも、もしかしたらハーフの子かもしれない。
流暢な日本語で喋ってきたとき、最初は日本人だと思ったくらいに上手いのだから。
「ハロウィンよりクリスマスのほうが定着してるってことだよ。子供から老人までみんな知ってるくらいには」
「キギョーセンリャクって奴ね。解ります」
「それはバレンタインじゃ………どっちも一緒か。けどハロウィンを詳しく知ってる奴なんて少ないだろ。何か仮装して近所の家を脅しまわる行事としか思ってないだろ、実際さ」
「やれやれ。自分が知らないことは周囲も同じってバカにしてるの? もうっ、仕っ方ないなぁ……この泣く子も嗤わせるハロウィーン海賊団船長、ゾーグレア・ハロウィーン様が教えてあげましょう。そもそもハロウィーンっていうのは―――」
唐突に調子に乗ってきた少女は、偉そうに薄い胸を張ってハロウィンについて話し始める。
相手が知らないことを自分が知っていると猛烈に説明したがるのは子供の性なのか特技なのか。
だが別に知りたいワケでもない内容を聴かされる俺にとっては非常にキツイ時間だ。
始業式等の校長の話にも思うことだが興味の無い話を聞いてる身にもなって欲しい。
「―――つまりハロウィーンは……って聴いてた?」
「聞いてた聞いてた。えぇ~と、クリスマスとの違いは化け物が来るかサンタが来るかの違いなんだろ?」
「全っ然No! まったく、何を聴いてたらそうなるの? 頭に詰まってるのは脳じゃなくてお菓子なの? 何それおいしそう、食べていい?」
「嫌です。ダメです。お断りします。俺、宗教とか歴史とか民族行事とか興味ないんで。というか俺には関係ないさ。ハロウィンもクリスマスもバレンタインも」
どれもこれも年間行事というものは皆で、多数の人たちが居るから面白いのだろう。
バレンタインはチョコを貰える者たちが楽しめるし、クリスマスも家族や友人が居るから面白い。
断言しても構わない。パーティーというモノに縁のない俺には全く持って関係ないのだと。
「ふぅ~ん? そういうこと、言っちゃうんだ」
だから、隣に座る少女の言葉に一瞬だけ背筋が凍った気がしたのは単なる気のせいであって欲しい。
少女の横顔は俺のほうからではマスクしか見えず何を考えているのか、そもそもどんな表情なのか分からなかった。
隠されているからか、俺は少女の表情がやけに気になってしまう。
それはホラー映画を見ている心境に似ていて、手には汗が滲み出ていることを家に帰ってからになって知るほどだ。
あぁ、俺は今……この少女に異常と言っても差し支えないほどの興味を持っている。
少女が次に何を言うのか。聴いてしまっていいのか。さっきから足の震えが止まらないのは外気の所為であって欲しいなど、幾つも自分を落ち着かせようと躍起になっていたとき少女はゆっくりと立ち上がる。
ガッチリと視線を釘付けにされている俺は少女の姿を、動きを一挙手一投足見逃さないように顔を動かす。
「あぁ~美味しかったっ! ありがとうね、お兄さん。チョコレート、美味しかったよ」
「あっ、あぁ……それなら良かった」
なんてことのない会話に先ほどの声色は完全に消え去っている。
重苦しく、まるで呪いにでもかけるような禍々しい声色が。
今では最初に会った見た目通りの少女が立っているだけで、その少女が「そういえば」という言葉を紡いでも何とも思わなかった。
「お兄さんの名前って何て言うの?」
「俺? 俺は……朔一。魅加石、朔一だ。知り合いからは《ミカチー》とか呼ばれてる」
「ミカチー? ププッ、ちょっと似合わないね。そんなカワイイ呼び名」
「うっさい。俺だってそう思ってる」
「フフッ。それじゃあね、ミカチー! また会おうねーッ!」
そう言って少女、何とも厳しいというか中二病染みた名前をした彼女は走り去っていく。
ベンチに残した空き箱を残して。
「ゾーグレア・ハロウィーンねぇ。いったい何のコスプレだか知らないけど変わった奴だ。それよりゴミはゴミ箱に捨てろっつーの」
ベンチに無造作に置かれた空き箱を回収し、家に帰ろうと思ったとき偶然不思議なことに気付く。
背後の大きな木。その木の紅葉が綺麗さっぱり落ちていたのだ。
風も無く、音も無く、人の手によるものでもなく。
「……いったい、何が起こったんだ……?」
理解できない恐怖が忍び寄っている気がし、俺はそそくさと帰宅することにした。